第2章 よくわかる変態魔法 part2/4
履修する授業を決めるために、守護精霊であるリリスの得意分野を知る必要があった。
そこで、まず学内の図書館に行って、淫魔の魔法について調べる。次に訓練場に行って、調べた魔法を実際に試してみる。それが今日のミユキの予定だった。
しかし、みな考えることは同じらしい。寮の外には、すでに何人もの生徒の姿があった。
「うわ、出た」
「あれがリリスの……」
ミユキのことを見かけた途端に、周囲はそんな陰口を囁き始める。ブリタニアでは、やはり悪魔憑きへの偏見は根強いようだ。
もっとも、長い間鎖国していた影響か、ヤマトはヤマトで未だに外国人に対する差別が残っているので、ブリタニアに比べて人権先進国だというわけではない。そのため、ある意味でお互い様だとミユキは思っていた。
それに何より、自分自身のことよりも、土御門家のことの方がミユキにとっては重要だった。
だから、周囲の陰口は無視して、履修する授業や淫魔の魔法について考えを巡らせる。
『魅了』以外に淫魔が得意なものといえば……と考えて、昨日のイングリットとの決闘を思い出す。あの時は、とある魔法を使って勝利していた。
「リリスさんと契約していると、強化魔法が伸びやすいんですよね?」
「ええ。体を元気にするのは得意だから」
「意味深な言い方をしないでください」
普通の魔法なのに、途端に卑猥に聞こえてきてしまう。ミユキは顔をしかめていた。
「それから、回復魔法も伸びやすくなるはずよ」
「そうなんですか?」
「体を元気にするのは得意だから」
「言い方!」
ミユキはますます顔をしかめる。
もっとも、その声には普段ほどの勢いはなかった。それどころか、ミユキは直後にあくびまでし始める有様だった。
「ユキ君、眠いの?」
「ええ、少し」
「ダメよ、夜はちゃんと寝ないと。背が伸びなくなっちゃうわよ」
「昨日はリリスさんが寝かせてくれなかったんじゃないですか」
さんざんセクハラしてきた張本人が何を言っているのだろう。
しかし、周囲はそういう意味には受け取ってくれなかった。
「一晩中ヤってたんだ」
「性豪だ」
「低俗王だ」
口々にそんなことを言い始める。
「失礼ね。私とユキ君はプラトニックな関係なのに」
「それだと、より深い仲みたいなんですが」
リリスの見当違いな反論に、ミユキは呆れてしまう。
だが、そうやって遠巻きに噂されるだけなら、まだマシだったかもしれない。
目の前に、とうとう女子生徒が立ち塞がってきたのだった。
「ミユキ・ツチミカド!」
そう叫んだのは、褐色の肌に燃えるような瞳――イングリットである。
「アンタのせいで……」
連れて歩く時の定位置にしたらしい。彼女は守護精霊のフェニックスを、自分の肩に止まらせていた。
そして、その肩は怒りにわなわなと震えているのだった。
「アンタのせいで、私は変態に負けた女扱いよ!」
「そんなことを言われましても……」
そう口ごたえしたのが間違いだったようだ。イングリットはますます目をつり上げてしまう。
今日は予定があるから、また決闘をする流れになるのは避けたい。そこでミユキは下手に出ることにした。
「けっ、決闘に勝ったところで、他の科目では僕が負けてますから」
「…………」
「総合成績で見たら、イングリットさんの方が断然上でしょう」
「…………」
「それに、たった一回の勝負じゃあ何も分かりませんよ。僕たちの作戦がたまたまはまっただけで、次も同じように上手くいくとはかぎらないですし」
「…………」
彼女の表情がわずかに緩む。もう一押しだろうか。
「というか、イングリットさんの実力なら、次からは簡単に対処できるんじゃないですか?」
「……そうね。そうよね」
ミユキのお世辞を聞いて、プライドと自信を取り戻したらしい。うんうんと頷いたあと、イングリットは上から目線で言ってくる。
「実力で言えば、アンタごときに私が負けるはずないものね」
そんな彼女の様子を見て、周囲は不審がっていた。
「イングリットのやつ、何ニヤニヤしてんだ」
「昨日負けた相手なのにな」
「ボロ負けだったから、下僕になることにしたんじゃねえの」
とんだ勘ぐりに、イングリットは声を荒げる。
「誰がミユキの性奴隷よ!」
「そこまでは言ってませんよ!?」
ミユキの懸念通り、彼女の発言はさらなる誤解を招いただけだった。「性奴隷?」「性奴隷になったの?」「自分でするのに満足できなくなったんだ」などと周囲は騒ぎ始める。
すると、イングリットは何故かこちらを睨んでくるのだった。
「この屈辱は忘れないからね」
「えぇ……」
理不尽な捨て台詞に、ミユキは困惑するしかなかった。
しかし、イングリットの後ろ姿を見送りながら、リリスはどういう訳か嬉しそうな顔をする。
「ユキ君のハーレム第一号はあの子で決まりね」
「だから、性奴隷じゃありませんって」
「冗談はさておき、フェニックスも強化や回復が得意だから、仲良くしておいた方がいいと思うわよ」
「最初からそう言ってくださいよ」
もっとも、言われたところで仲良くできるかは怪しいものだが……
だから、リリスの話を頭の片隅に置くだけ置いて、ミユキは改めて歩き出していた。とりあえず、今は図書館へ行くのを優先すべきだろう。
だが、到着する前に、再び呼び止められてしまった。
「よう、ミユキ」
今度声をかけてきたのは、グラント・バレットだった。
大人顔負けの高い上背と広い肩幅、そして筋肉質な体つき。また、その面立ちには、他の生徒にはない野性味のようなものがある。
その上、彼は大勢の取り巻きを引き連れていた。だから、ミユキが小柄で童顔なこともあいまって、はた目にはからまれているようにも見える。……そんなことはないのだが。
「エインズワースのやつをぶっ倒したらしいな」
「ええ、一応ですけど」
ブリタニアでは、相手のことはファーストネームで呼ぶのがマナーだった。これは、相手をファミリーネームで呼ぶのは、家柄を意識した行為だという考え方があるためである。
ただし、あえてこのマナーを破る場合も存在する。たとえば貴族のことをファミリーネームで呼ぶのには、相手の家柄に対してへりくだったり、取り柄が家柄だけだと貶したりする意味合いがある。
そして、この場合は後者だった。
「へー、やるじゃねえか」
ミユキの話を聞いて、グラントは満足げな顔をする。
「こんなことなら、あの女が恥かくところを見にいきゃあよかったな」
彼の言葉に、取り巻きたちの間からどっと笑い声が上がった。
それから、「今からでも笑いものにしてやったら?」「昨日のショックで、まだ部屋にひきこもってんじゃねえの」などと話しながら、グラントたちは去っていく。
これを見て、リリスが尋ねてきた。
「お友達?」
「彼、貧民街の出身らしくて、そのせいで貴族を嫌ってるんですよ。それで、逆に平民には人当たりがいいというか、派閥を作りたがっているというか…… だから、悪魔憑きの家系の僕にも優しいんです」
取り巻きを引き連れていることからも分かるように、豪放な性格で成績も優秀なグラントを中心に、二年生の平民たちはまとまっていると言ってもよかった。彼に積極的に取り入っておけば、たとえ悪魔憑きの家系だろうと、もう少し学園生活は送りやすかったことだろう。
しかし、土御門家は没落したとはいえ貴族だし、貴族とはいえ没落している。だから、ミユキはイングリットの立場も、グラントの立場も分かるつもりだった。それでグラントに対して、微妙な距離感を保ったままだったのである。
「なんで同じ人間なのに仲良くできないんですかね」
「それはきっと人類の究極の課題ね」
リリスは茶化すでもなくそう相槌を打った。
ブリタニアでは悪魔憑き以外に平民への差別意識もそれなりにあるとか、外国人への差別意識はヤマトほどではないとか、マカリイ学園では門戸開放を旨として平民や外国人の入学も積極的に受け付けているとか、そんな話をしている内に、二人はようやく図書館の前までやってくる。
すると、入れ違いに彼女が出てきた。
「おはよう、ミユキ君」
「ミ、ミレーヌ先生……」
幼児学校の教師と言っても通用しそうな柔和な顔立ち。いかがわしさよりも包容力を感じさせる豊かな体つき。容姿だけ取っても、学園でトップクラスの人気を誇るのも頷ける。
しかし、ミユキは彼女の美貌に動揺していたわけではなかった。
『緊張しなくていいのよ。きっと大丈夫だから』
動揺していた本当の理由は、そうやって彼女に励ましてもらったにもかかわらず、自分が聖婚儀礼で契約したのが――
「守護精霊はリリスだったそうね?」
「いや、ええと、その……」
幻滅されたくないあまり、ミユキはしどろもどろになる。
だが、ミレーヌは幻滅するどころか、感心さえしている様子だった。
「リリスは知性を司っているから、ミユキ君らしい守護精霊だと思うわよ。ミユキ君、座学が得意だものね」
「先生……」
ユースティティアの目隠しは、先入観に囚われず、公平な裁きを下すためのものだと言われている。だから、ユースティティアと契約するミレーヌも、淫魔という先入観を抜きに判断してくれたようだった。
「個人的には、私の教える戦闘術も、同じくらい上手くなってくれると嬉しいんだけど」
「いやぁ、それはなかなか」
できれば、ミユキも戦闘術を得意になりたかった。いや、もっと言えば、戦闘術が得意になれるなら、座学の才能を引き換えにしてもいいくらいだった。
「魔法を使いこなす上で重要なのは、契約者と守護精霊の相互理解よ。悪魔や淫魔だからって嫌ったりしないで、彼女ときちんと向き合ってあげてね」
ミレーヌは最後まで微笑を浮かべたまま、ミユキにそう言い残していった。
そんな彼女を見送りながら、リリスは呟く。
「ユキ君に色目を使ってんじゃないわよ、メス豚が」
「なんてこと言うんですか」
「どうせ教師なんて生徒とヤることしか考えてないわよ。官能小説にそう書いてあったわ」
「ソースがひど過ぎる」
レポートだったら確実に不可をもらうことになるだろう。
「それに、ブリタニア人なのに悪魔憑きに優しくするなんて、何か下心があるとしか思えないじゃない」
「ああ、それはミレーヌ先生も悪魔憑きの家系だからですよ」
勝手に教えてしまったが、おそらく問題ないだろう。なにしろ、本人が公言していることだからである。
「先生も父親が悪魔憑きだったせいで、子供の頃は苦労されたそうで。だから、悪魔憑きの家系でも、平民でも、外国人でも、どの生徒にも分け隔てなく接してくれるんです」
男子はもちろん女子からも好かれているから、ミレーヌは学園一の人気教師なのである。決して容姿だけを評価されているわけではないのだ。
説明を聞いて、リリスも「ふーん……」と不承不承ながら納得した様子だった。
「契約者と守護精霊の相互理解ね……」
そうミレーヌの言葉を繰り返すと、早速それを実行に移す。
「昨日言えなかったから今言うけど、私の好きな人はユキ君よ」
「そう言うだろうと思いましたよ」