第2章 よくわかる変態魔法 part1/4
マカリイ学園に入学する前――ヤマトを発つ直前のことである。
愛らしい妹は、当然のことのように言った。
『神州一のお兄様なら、外つ国の学校も首席で卒業できるに違いありません』
しつけに厳しい母は、いっそう厳しい口調で言った。
『御幸さん、あなたには長子として土御門家を盛り立てる責任があります』
妹はまたこうも言った。
『お兄様には必要ないかとは思いますが、もしもの時はこの御徳めも助力いたします』
ここ数年病気がちの父は、言葉少なに言った。
『不甲斐ない父親で迷惑をかけるな』
妹はまたまたこうも言った。
『花見でも月見でも紅葉狩りでも、また家族みんなで笑い合える日が来ると信じております』
「とりあえずいい学校に」とか、「親の出身校だから」とか、他の生徒たちのように漫然とした理由でマカリイ学園に来たわけではない。自分はお家再興という悲願を果たすために、家族の期待を背負って来たのである。
だから、どんな問題が起こっても、この学園でやっていくしかないのだ。
「低俗王におれはなる!!!!」
「なに最低の宣言をしてるんですか」
「ユキ君の思いを代弁してあげたのよ」
「思ってないです」
……こんなのが守護精霊でもやっていくしかないのだ。
蠱惑的な瞳に、肉感的な体つき、相手を誘惑するような意匠のナイトドレスと、リリスはただでさえ見た目が妖艶である。しかも、この通り、彼女の中身は妖艶を通り越してもはや下品だった。
そのせいで、ミユキの決意はつい揺らぎそうになってしまう。イングリットとの決闘を終えて、闘技場から学生寮へと向かう最中だったが、今すぐ神殿に行って聖婚儀礼をやり直したいくらいだった。
「でも、最近の学校はこんな感じなのね」
「昔は違ったんですか?」
「私が前に契約していた頃のブリタニアでは、貴族は家庭教師、平民は学校って感じで、はっきり分かれてたから。こんなに立派な校舎はなかったわ」
「へー」
精霊とは一体どんな存在なのか。
そのはっきりとした答えは未だに出ていない。何故なら、精霊本人も自身について明確な認識を持っていないからである。
今のところ有力視されている仮説は、「過去にはそれぞれの神話で語られるような世界が実在していたが、それらがたった一つの世界に統合された結果、精霊も今の形に変化した」というものだった。
これなら、創世神や創世神話が複数存在することや、神話には守護精霊や精霊兵装という概念が出てこないことなど、神話と現実の間で発生する矛盾を説明することができる。もっとも、何の裏付けもないので、これも所詮は仮説の域を出ていなかったが。
ただ、それでも精霊に関して分かっていることがいくつかあった。
一つは、この世界に火があるのは火を司る精霊が、水があるのは水を司る精霊が存在する影響だということ。
もう一つは、聖婚儀礼で人間と契約を結んでいない時の精霊は、生物というよりも空気に近い存在だということである。
守護精霊として顕現していない精霊を、人間は見たり触れたりすることができない。つまり、認識することができない。
また、顕現していない時の精霊の意識は、まどろんでいるような半覚醒状態のため、彼らも人間やこの世界についてほとんど認識していないという。だから、リリスも現代の人間社会がどんなものか知らなかったのだろう。
そこで道すがら、ミユキは学園のシステムについて簡単に説明するのだった。
「寮は全部で7棟、正確には男女別なので14棟ですね」
「そんなに?」
「基本的に全員寮で生活することになってますから」
「生徒数はどれくらいなの?」
「一学年が約200人で、合計1000人くらいですね」
「やっぱり、今は規模が大きいのね」
「それで、寮ごとの30人が、そのまま授業を受ける時のクラスになってる感じです」
「なるほどねー」
そんな話をしている内に、二人は第五寮の男子棟に到着する。
「ここが僕の部屋です」
ブリタニアでも高名な学校とはいえ、ミユキに割り当てられた部屋は妙に広かった。全員に同じ待遇を与えたら、たちまち寮がパンクしてしまいそうなほどに。
「もしかして、他の子たちは相部屋だったりする?」
「ええ。その、悪魔憑きの家系云々で問題になるといけないので、学校側の配慮で……」
正確に言えば、入学した時から一人だったわけではない。父親が悪魔憑きだと言うことが発覚した瞬間に、相部屋の生徒が学校に抗議した結果の措置だった。
『ルームメイトが平民というだけでもうんざりしていたんだ。その上、悪魔憑きの息子だなんて冗談じゃない』
当時浴びせられた罵声を思い出して落ち込んでいると、見かねたようにリリスが声をかけてきた。
「大丈夫? おっぱい揉む?」
「揉みません」
「じゃあ、おしりにする?」
「場所の問題ではなく」
他の励まし方はないのかと、ミユキは呆れてしまう。
リリスを部屋まで案内したあとは、続いて彼女の入寮作業を始めた。
学校の備品を借りたり、出入りの業者から購入したりして、部屋に新しく家具や食器などを運び込む。人型の精霊だったから、特に変わったものが必要ないのはありがたかった。
ただ、リリスが「ベッドは一つでいいでしょ?」だの、「dirty pillows(えっちな枕)は、おっぱいって意味よ」だの、「だから、膝枕よりも乳枕こそ正しいのよ」だのとうるさいのには閉口したが。
おかげで、全ての作業が終わる頃には、ミユキは肉体的にはもちろんのこと、精神的にもくたくたになっていた。
「今日はいろいろあって疲れましたし、もう寝ようかと思うんですが」
「そうね」
頷くと、リリスは枕を持って、ミユキのベッドまでやってくる。
「いや、一緒に寝ましょうって意味じゃないですからね。リリスさん用のベッドがあるんですから、そっちを使ってください」
さらに「こっちには絶対入ってこないでくださいよ。絶対ですよ」と念押ししておく。逆にフリのようになってしまったことに気づいたのは、照明を消したあとだった。
しかし、リリスは意外にも自身のベッドから出てこなかった。
「ユキ君、ユキ君」
「何ですか?」
さっきの態度はさすがに失礼だったかと思い直して、ミユキは素直に返事をする。
だが、それが間違いだった。
「ユキ君は好きな子いる?」
「いません」
「えぇー、本当にぃ? 私にだけ教えてよぉ。誰にも言わないからぁ」
「テンションがウザい」
わざわざ寝る前に言い出したのだから、もっと重要な話なのかと思ったのだが……
「ちなみに、私はいるわよ」
「そうですか」
「でもなぁ、言うのはなぁ。恥ずかしいからなぁ」
「…………」
「どうしよっかなぁ。言っちゃおっかなぁ」
「言わなくていいですよ。全然興味ないですから」
そう答えて、ミユキはさっさと会話を打ち切る。明日もやるべきことがあるから、それに備えて寝ておかなくてはいけない。
にもかかわらず、リリスは再び声をかけてきた。
「ユキ君、ユキ君」
「……何ですか?」
「ユキ君は好きな子を鞭で打ちたい派? それとも打たれたい派?」
「…………」
お前はアホか。と言いたくなるのを、ミユキはぐっとこらえる。リリスにツッコミを入れるよりも、今は睡眠を取ることの方が重要だった。
「なるほど、ユキ君はいちゃらぶえっち派、と」
「無視を都合よく解釈するな」
相手にしても、しなくても鬱陶しいから、ミユキは参ってしまう。一体、どう対処すればいいのだろうか。
その上、リリスはまだ眠る気がないようだった。
「ユキ君」
「…………」
「ユキ君、ユキ君……」
しつこさに根負けして、ミユキはしぶしぶ答える。
「……何ですか、もう」
「ああ、気にしないで。今のはオ○ニー中の独り言だから」
「そうですか」
それならいいか。そう納得して、寝入ろうとしたあとで、ミユキはようやく跳ね起きる。
「いや、何やってんだオメー!」
◇◇◇
翌日――
リリスのセクハラによって、昨夜はなかなか寝つけなかったせいで、案の定起きるのが遅れてしまった。ミユキはすぐに身支度を済ませると、彼女を連れて部屋を出る。
「今日は何をするの?」
「秋学期にどの授業を取るか決めるんです。そのために、まず淫魔がどんな魔法が得意かを図書館で調べようかと」
学園の一年目は、言わば聖婚儀礼のための準備期間だった。火や水といった基本的な属性魔法の初歩を全て習ったり、身体強化や回復のような汎用性の高い魔法を覚えたり、何が守護精霊になっても困らないように、広く浅くの方針で勉強するのである。そのため、授業のほとんどは、全員共通の必修科目になっていた。
一方、二年目以降からは、徐々に選択科目が増え始める。これは契約した守護精霊によって自分の得意・不得意な分野が分かるようになるので、それに合わせて授業を選ぶことで、長所を伸ばしたり短所を克服したりするためである。
将来の進路選択にも関わってくるので、どの授業を履修するかは、教師と話し合って決めることになっていた。だから、その時に備えて、ミユキは相談の用意をしておこうと考えたのだ。
「淫魔が得意な魔法というと、『魅了』が一番に思い浮かぶんですが……」
「そうね。ユキ君も練習すれば使えるようになると思うわよ」
頷いたあとで、リリスは嬉しそうな笑みを浮かべる。
「これでハーレム作り放題ね」
「じゃあ、使えるようにならなくていいです」