第1章 ビッチとの遭遇 part4/4
「ルールは保険人形を使った、何でもありの一本勝負よ。それでいいわよね?」
「はい」
ミユキが頷くと、イングリットはチェスの駒のようなものを渡してきた。
保険人形とは、今回の決闘のような、模擬戦闘でよく使用される魔導具のことである。
この魔導具は、使用者が勝負に敗北した場合、すなわち使用者の受けたダメージが戦闘不能レベルまで達した場合にその機能を発揮する。人形が身代わりとなってダメージを引き受けることで、使用者の負った怪我を全回復してくれるのだ。
そのため、たとえどれだけ激しい戦いになったとしても、保険人形を使ってさえいれば死んだり後遺症が残ったりすることはないのである。
まず人形に自分の魔力を込めて、誰のダメージを引き受けるかを認識させる。次に相手にも魔力を込めてもらって、誰からのダメージを引き受けるかについても認識させる。この工程をお互いに済ませたら、審判役の生徒に預けて、保険人形の準備は完了である。
イングリットは肩に止まらせたフェニックスに呼びかけた。
「行くわよ、ニック!」
「はっ!」
戦闘における契約者と守護精霊の関係は、蒸気船と石炭のそれに近い。
守護精霊自体の強さは、普通の生物とほとんど変わらない。むしろ、自力では魔法を使えない分、単体では人間や魔物よりも弱いくらいである。ただ守護精霊は人間以上に大きな魔力を有しており、契約者を媒介することによって、その魔力を発揮することができるのだ。
聖婚儀礼後に契約者の能力が強化されることからも分かるように、守護精霊と契約を結んだ時点で魔力の媒介は可能になる。ただし、最も効率よく媒介する方法は、守護精霊が変身して、契約者の装備品になることだった。この装備品のことを、精霊兵装と呼ぶ。
変身する装備品の種類は、精霊によってさまざまである。斧や弓矢といった武器、盾や鎧といった防具、それから中には火かき棒や鍬のように一般には兵装と言えないものに変身する例もあるという。
フェニックスの場合は――
「剣ですか」
「刀身の形から言って、あれはフランベルジュね」
波打つように曲がりくねった剣を見て、リリスはそう分析していた。さらには、西洋の武器に明るくないミユキのために、「肉を斬るというよりもえぐることで、痛くて治りにくい怪我を負わせることを目的とした剣よ」とも補足してくれた。
「それじゃあ、こっちもイキましょうか」
リリスはそう言って、ミユキの手を取ると――
その胸に当てたのだった。
「ばっ」
かなことをしてる場合か。
そう怒鳴ろうとした瞬間、ミユキの手の中には装備品が握られていた。リリスが変身したのだ。
リリスの精霊兵装は剣だった。
ただし、それはフランベルジュ以上に異様な形をした剣だった。
刀身は一見すると長いが、よく見れば継ぎ目があって、実は短い刀身をいくつも組み合わせたものだということが分かる。そして、それら複数の刀身を繋げるために、中心部には硬度と柔軟性を両立したワイヤーのようなものが通されていた。
「ユキ君、snake swordを使ったことは?」
「ないです」
ヤマト出身のミユキにとって、剣と言えば刀のことである。刀以外の剣に初めて触れたのは、この学園に来てからのことだった。まして、蛇腹剣などという奇怪な武器は見たことも聞いたこともなかった。
「それじゃあ、氷属性の魔法は使える?」
「『氷矢』や『氷壁』あたりは」
「強化魔法は?」
「初歩の全身強化なら」
「それだけ使えれば十分ね」
そう言うと、リリスは今度、作戦の説明に移った。
こうして準備を整えた両陣営は、いくらかの距離を置いて向かい合う。勝負の開始位置についたのだ。
それを見て、審判役の生徒は宣言する。
「始め!」
いたぶるよりも、瞬殺した方が恥をかかせられると思ったのだろう。
開始と同時に、イングリットは攻撃を仕掛けてきた。
彼女がフランベルジュを振るうと、その刀身から炎が噴き出す。
「!」
迫りくる炎の波に、ミユキは驚きを隠せなかった。
フェニックスと契約した影響だろう。元々得意としていた火属性魔法が、さらに強化されたようだった。自分が同じ『炎熱波』を使っても、これほどの威力は出まい。
しかし、ミユキが驚いていたのは、イングリットが初手から攻撃魔法を放ってきたことでも、火属性魔法がパワーアップしていたことでもなかった。
それらが全て、事前の作戦会議で、リリスから説明されていたことだったからである。
だから、彼女を信じて、作戦通りにミユキは魔法を使った。
『あの子の性格的に、多分様子見せずにいきなり攻撃してくると思うわ。それも契約したばかりのフェニックスの力を見せびらかすために、火属性の魔法で』
『そうですね。確かに、僕もそうすると思います』
『だから、こっちは『氷壁』でそれを防ぎましょう』
『でも、フェニックスと契約したことで、前より魔法が強化されてますよね? 僕にできるでしょうか?』
『それなら大丈夫よ。フェニックスが司っているのは火と再生でしょう? つまり、上級の精霊とは言っても、あくまでも回復や身体能力の強化みたいな補助魔法も含めてのことなの。単純な炎魔法の威力でならサラマンダーには及ばないわ』
ミユキが魔法を使うと、眼前に厚い氷の壁が現れた。
サラマンダーの天敵がエケネイスであるように、火属性の攻撃魔法は氷属性で防ぐのがセオリーだとされている。また、リリスが言った通り、フェニックスにはサラマンダーほどの攻撃力はないようだ。
それゆえ、炎の波と氷の壁の対決は、後者が勝利を収めた。
燃え盛る火を押し留めて、最後には完全に打ち消してしまう。
一撃で相手を倒す気でいたのだろう。あれだけ自信満々だったはずのイングリットの表情が、驚愕へと変わる。
リリスはその隙を逃さなかった。
「ユキ君!」
彼女の指示に従って、今度も作戦通り、『筋力増強』で全身の運動能力を高める。
すると、リリスと契約する前よりも、はるかに力がみなぎるのを感じるのだった。
『ユキ君って、体術や剣術は得意ってわけじゃないのよね?』
『ええ、お恥ずかしながら……』
『ということは、相手は遠距離での魔法の打ち合いになると思い込むはずだから、あえて距離を詰めて戦いましょう』
『あえて……ですか。そんなに上手くいきますかね』
『ユキ君はリャナンシーって聞いたことないかしら?』
『確か、淫魔の一種でしたっけ?』
『そう、精気や血を差し出すと、代わりに詩や音楽なんかの才能を引き出してくれるっていう魔物よ。つまり、リャナンシーはある種の強化魔法を得意としているってわけね。大淫魔の私にも当然その力があるわ』
氷の壁を跳躍して乗り越えると、ミユキはそのまま駆け出して、イングリットのところまで一気に距離を詰める。
次の魔法を撃とうとでも思っていたようで、彼女はこの急襲に対応できない。
蛇腹剣が袈裟懸けに彼女の体を切り裂く。
斬られた傷口からは血が噴き出し――さらにその傷口が一瞬で塞がった。保険人形が身代わりとなって砕けた証拠である。
「嘘……」
審判の宣言を待つまでもなく、怪我の回復によって敗北を悟ったらしい。イングリットはその場にへたり込んでいた。
「マジか」
「あいつ、やりやがったぞ」
「淫魔なのに……」
自分の勝利を予想も期待もしていなかったのだろう。ギャラリーの間から、大きなどよめきが起こる。
だが、そんなことはどうでもよかった。
「リリスさんって、こんなにすごかったんですね」
変身を解いて人型に戻った彼女に、ミユキはそう声をかける。はしゃぐのもみっともないが、どうしても興奮を抑えきれなかったのだ。
学園では武器と強化・回復魔法のみで戦う武器術の授業や、攻撃魔法も許可される戦闘術の授業がある。だが、そのどちらでも、イングリットに一度でも勝ったことはなかった。今日の勝利は、リリスと契約したおかげとしか言いようがない。
しかし、本人はそれを認めようとしなかった。
「全部ユキ君の力よ。すごいのはユキ君よ」
「そんなことないですよ。それに、たとえそうだとしても、作戦を立ててくれたのはリリスさんじゃないですか」
「ああ、それについてはちょっと本気出しちゃったわ」
今までのおちゃらけたような表情が消えて、不意にリリスの顔つきは真剣なものに変わっていた。
「ユキ君は周りに何を言われても気にしないって言うけど、私は好きな人をけなされるなんて絶対に許せないもの」
最初は、下ネタばかり口にする、とんでもない淫魔だと落胆した。
その次は、フェニックスを倒せるほどの、すごい力を持った精霊だと感嘆した。
だが、そのどちらも間違っていた。
彼女は自分のことを真剣に想って、味方になってくれる人だったのだ。
「リリスさん、今までいろいろと失礼なことを言ってすみませんでした」
ミユキはまずそう謝る。それから、右手を差し出した。
「これからよろしくお願いします」
一度無視したくせに、今更調子のいい話だとは我ながら思うが、改めて彼女に握手を申し込んだのである。
すると、リリスは微笑と共に、ミユキの右手を手に取り――
そのまま自分の方に引き寄せて、じっと観察を始めていた。
「やっぱり、ユキ君も薬指の方が長いわよね?」
「お前、いい加減にしろよ」