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第1章 ビッチとの遭遇 part2/4

 部屋で土属性魔法の勉強をしていると、背後でふすまの開く音がした。


 黒い髪、丸みのある輪郭、大きな瞳、小柄な背…… たまに姉妹のようだと言われることもあるが、やはり彼女の方が自分よりよほど可愛らしい容姿をしているだろう。


「お兄様、少し休憩されてはいかがですか?」


「うん、そうしようか」


 妹のミノリの言葉に、ミユキは素直に頷く。お茶とお菓子を用意してあるというので、彼女のあとについて縁側まで向かった。


 縁側からは家の垣根が見えた。夏の盛りらしい、深い緑色をした生垣である。


 しかし、ミユキの脳裏に浮かんでいたのは、しばらくは目にすることのできないヤマトの秋の景色だった。


「昔、父上がまだお元気だった頃、家族みんなで山へ紅葉狩りに行ったのを覚えているか?」


「ええ、もちろんですとも」


「お前は花より団子で、柿やアケビばかり気にしていたよなぁ」


「もう、意地悪を言わないでください」


 ミユキがふざけてからかうと、妹もそうふざけて怒ったふりをした。


「でも、あの時はわたくしを見かねて、お兄様が柿の木に登ってくださいましたよね」


「そうだったかな」


「そうですよ。それで、お兄様ったら途中で足を滑らせて、木から落ちてしまって」


「そ、そうだったかな」


 予想外の反撃にミユキは思わず苦笑する。それほど詳しく覚えているとは思わなかった。


 いやもっと言えば、妹には覚えていてほしくなかったのだ。自分が木から落ちたことを除いても、である。


「……あの山も、もう売りに出すそうだ」


「そうですか……」


 妹は静かにそう答えた。悲しみはしても、驚きはしていない様子だった。


 土御門家といえば、かつては知らない者がいないほどの名家だったが、鎖国政策の終了や政治体制の一新など、先の時代からの情勢の変化についていけず、今では見る影もなくなっていた。そのため、これまでにも別宅や土地、家宝など、思い出の品々をいくつも手放してきたのである。


 そして、だからこそ、ミユキはこの秋から先進国ブリタニアに留学することに決めたのだった。


「いずれ僕が買い戻すよ」


 約束するというよりも、誓いを立てるようにミユキはそう言った。


「学園を七席以内で、いや首席で卒業する。そして、その成績でもって、大和政府の要職に就く。それで、稼いだ金で山を買うんだ。

 いや、山だけじゃないぞ。先祖代々の土地も、クビにしてしまった奉公人たちも、父上の薬も、母上の着物も、お前が欲しがっていたかんざしも、みんな僕が買ってやる」


 そうして、また家族みんなで紅葉狩りに行くのだ。以前とは逆に、今度は両親の荷物を自分が持ってやろう。もう一度、妹に柿を取ってやるのもいいかもしれない。


「……あの時、お兄様は結局、木に登るのを諦めましたよね」


 妹はそう混ぜっ返したものの、茶化すつもりはないようだった。


「でも、実はこっそり栗を拾っていて、それを町の者と交換して、最後にはわたくしに柿をくださいました。ですから、今回もお兄様なら必ずや成し遂げてくださると信じております」



          ◇◇◇



 上級の精霊と契約できれば、学園で優れた成績を残せるだけの実力が手に入るだろう。しかし、それだけではない。


 悪魔以外の精霊と契約できれば、周囲から悪魔憑きだと差別される心配はなくなるだろう。しかし、それだけでもない。


 ミユキにとって、聖婚儀礼はお家再興までをもかけたものなのである。


 そして、その聖婚儀礼で――


「で、でも、膝枕してもらうのは……」


「大丈夫よ。膝枕じゃなくて乳枕だから」


「なにも大丈夫じゃねえじゃねーか!」


 大淫魔のリリスと契約してしまったのだった。


 曰く、アダムの最初の妻だったが、対等な権利(一説には騎乗位など女性主導の性交)を拒否されたことに反発して、エデンの園を出て行った。


 曰く、エデンの園を出てからは、サタンやアスモデウスなど悪魔たちとの姦淫にふけり、淫魔のリリンを始めとする多くの悪魔を産み落とした。


 曰く、男や子供に対する執着心が非常に強く、夜に風とともに現れて、男と交わろうとしたり、子供(特に男児)を攫おうとしたりする……


 そんな精霊と契約してしまったのだから、本当になにも大丈夫ではないだろう。リリスの胸から跳ね起きたミユキは、自分が気絶していた理由を思い出して険しい顔つきをする。


 一方、彼女はといえば、ミユキの体調が気がかりのようだった。


「本当にまだ寝てなくて平気なの?」


「……ええ」


 そう頷いたものの、ミユキの表情はいっそう険しくなっていた。意識がはっきりしてきたことで、かえって「リリスと契約してしまった」という問題に向き合わざるを得なくなったからである。


 悪魔や悪魔憑きへの差別は、強大な力に対する恐怖心も混じっている。だから、サタンやレヴィアタンのような上級の悪魔と契約できたなら、畏怖の対象として見てもらえる可能性も0ではなかった。


 だが、自分が契約したのは悪魔は悪魔でも淫魔である。ブリタニアどころかヤマトでも軽蔑の的にしかならないだろう。落胆からまた気が遠くなりそうだった。


 そんなミユキの様子を見て、リリスは心配げに顔を覗き込んできた。


「大丈夫? おっぱい揉む?」


「揉みません」


「じゃあ、おっぱい見る?」


「方法の問題ではなく」


 というか、あなたがそういうことを言ってくるから、気が遠のきそうになってるんですが……


「いいじゃない。ちょっとだけでいいから見てみましょうよ」


「なんで見せたいみたいな感じになってるんですか」


「先っちょだけ! 先っちょだけだから!」


「いや、乳首(先っちょ)が一番見せちゃまずいんですよ!」


 胸元をはだけようとするリリスを、ミユキは慌てて制止する。「男女の胸の違いは大きさであって、乳首は共通だからセーフなのでは?」と思わなくもないが。


 押し問答の末、彼女もやっと分かってくれたようだった。


「それじゃあ、改めて自己紹介ね。私はリリス。大淫魔よ。よろしくね」


 そう言って右手を差し出して、握手を求めてくる。


 が、ミユキはこれを無視していた。


 守護精霊と契約を結ぶと、契約者は自身のものだけでなく、精霊の有する魔力も使えるようになる。そのため、聖婚儀礼のあとは、契約者の持つ能力が強化されたり、潜在能力が開花したりするという。


 たとえば、契約したのが氷蛇のエケネイスなら、氷属性の魔法を覚えたり使ったりするのが今まで以上に上手になることだろう。反対に、火属性の魔法は習得や使用に苦労するようになるかもしれない。


 では、契約したのが大淫魔のリリスなら、どんな魔法が得意になるのか。逆にどんな魔法が苦手になるのか。そのことが気になって、ミユキは握手どころではなかったのである。……彼女を自分の守護精霊と認めたくなかった、ということもあるが。


「精霊なら司っている属性がありますよね。サラマンダーなら火とか、ウンディーネなら水とか。リリスさんはどうなんですか?」


「巨乳、年上、ビッチ」


「萌え属性の話じゃなくてですね」


「淫乱、売女、ドスケベ」


「しかも、ほぼほぼビッチ属性だし」


 ミユキは思わずタメ口を利いていた。


「私は淫魔だから、火とか水とかそういう一般的な属性にはくくれないわね。強いて言えば、闇属性や風属性になるかしら」


「闇……」


 主に悪魔が司るものということで、あまりいい印象を持たれない属性である。


「それなら、ユースティティアなら正義とか、オグンなら武器とか、そういう司っている概念みたいなものはないんですか?」


「性欲」


「…………」


「じゃなくて、性愛を司ってるわ」


「言い方を変えただけじゃないですか」


 淫魔の代表的な存在として、リリスの伝承は聞いたことがあったが、守護精霊としての能力には詳しくなかった。だから、何か自分の知らない長所がないかと思ったのだが……


 そうミユキが落ち込んでいると、彼女はさらに話を続けた。


「性愛の他には、知性も司ってるわね」


「淫魔がですか?」


「淫魔だからこそよ。人間だって、花魁やクルチザンヌ、ヘタイラみたいに、高級娼婦は高い教養を身につけているものでしょう? お相手を肉体的にはもちろん、精神的にも満足させてこそいい女、ってことね」


 花魁はともかく、残りの二つは聞いたことがなかった。つまり、この時点で、彼女は自分よりも知識があるということになる。


「そういえば、人間に知恵の樹の実を食べるようにそそのかしたエデンの蛇って、サタンじゃなくてリリスって説もあるんでしたっけ」


 思いきり悪役なのは気になるが、リリスが知性の精霊というのは間違いないようだ。


「つまり、叡知もえっちも司ってるってわけね」


「すでにあまり知性を感じないんですが」


 ちょっと見直したらこれである。ミユキは呆れてしまう。


 すると、反論するようにリリスは提案してきた。


「そんなに言うんだったら、ちょっとした豆知識を教えてあげましょうか?」


「……お願いします」


「ク○トリスって、女の子が快感を得るためだけについてる器官らしいわよ」


「それ豆知識じゃなくて、豆の知識じゃねえか!」


 しかし、ミユキにそう怒鳴りつけられても、「さすが私と契約できるだけあって、突っ込むのが大好きなのね」とリリスは恍惚とした表情をするだけだった。

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