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第四章 光と影(前編)

シッダールタ、阿修羅達のマガダ攻略が始まった。北の砦ではリュージュが阿修羅に迫る。


第四章 光と影 (前編)


 ナダ隊長の先鋒隊が、阿修羅、リュージュらの活躍で、苦もなく北の砦を攻め落としたとの報は出発の日より十日後に伝えられた。


 旧コ-サラ国の城で陣をしいていたシッダールタは、阿修羅にすぐ戻るよう命じた。


「それが……」

「どうした?」


 伝令の兵士は、いったん躊躇し俯いた。


「どうした、早く申せ」

「阿修羅殿からの伝言が、しばらくは砦に残ると」

「何? 何故だ」


「北の砦を落としたとは言え、まだまだ予断は許さぬ状況。また、敵が下がったヴァイシャ-リ-の小城の攻略も考えねばならない。戻る事は出来ない、と」


「しかし、ナダ隊長やリュージュがいれば充分ではないか。援軍も出発した」

「はあ。ナダ隊長もそう申されたのですが、もう少し様子を見たいと」


 申し訳なさそうに伝える伝令。


「そうか。もうよい! 下がれ」

 半ばヤケ気味に言い捨てると、シッダールタはひじかけに頬杖をつき、長い溜め息をついた。


 ――阿修羅の奴。私を避けるつもりか。ふん、そうはさせるか――


「モッガラーヤ! モッガラーヤは何処だ?」

「ここにおります」


「兵に仕度させろ。北の砦へ行く」


「は? 北の砦ですか? しかし、今一つ城を落とさねば、王子をお迎えする事も無理かと……。それに、すでに援軍も出発いたしましたし……」


「マガダ国を甘く見てはいかん。次の戦は私も前線に出る! わかったら、言われた通りにしろ!」

「ははっ」


 モッガラーヤは飛ぶように王子の前から立ち去った。



 


 カピラヴァストゥは長い雨季を終え、美しい花々が城を彩る、最も華やかな季節を迎えていた。


「アナンよ。私はどうにも不安でたまらないのだ」


 その芳しい香りに包まれた城内で、憂鬱な顔をした王が玉座に体をうずめていた。


「王、何か心配事でも?」

「ああ……。アナン、あの阿修羅という武将、おまえはどう思う?」


「あの軍神と称される?」

「そうだ。軍神、破壊の神だ」


「確かに身分も素性も明らかにされていませんが……。彼はまた新たにマガダ国の砦を攻略したと。まさに我軍きっての武将、なくてはならない存在と思いますが」


「そう、もちろんその通りだ。彼なしではマガダ攻略は厳しかろう。しかし、私は何故かとても不安だ。不安に胸を掻き回される」 


「そのように王の御心を苦しめるのなら、私が調べてみましょうか。阿修羅の素性などを」


 アナンの提案に、王は我意を得たりとばかりに首を縦に振った。


「ああ!それはよい考えだ。頼んだぞ、アナン。だが、決してシッダールタには気取られるな。王子は阿修羅を武将として敬愛しているようだ」


 ――武将として……――

王は自分で言ったその言葉を自分で疑っていた。


 ――本当に、それだけならよいのだが――


スッドーダナ王の心は花の庭を舞い翔ぶ鳥たちとは裏腹に、重い足かせを引きずるように重かった。





「いいのか、阿修羅。王子の命にそむいて」


 北の砦を落とし、次なる目標、ヴァイシャ-リ-小城攻略の策に阿修羅は明け暮れていた。夜が砦を包み込む時が来ても、僅かな火の光を借りて一人自室で地図を広げている。


 その阿修羅にここにきて名実ともに彼の片腕となっていたリュージュが声をかけた。


「この状態でどうやって帰れと言うんだ。戦いは始まったばかりだ。王子のお守りなどしていられるか」


「しかし、本来おまえは本陣で王子とともに戦う者だ。そりゃ、その性分から先鋒が合ってるってのはわかるけれど」


「なら黙ってろ」

 リュージュは短く息をつくと、仕方なさそうに阿修羅の手伝いを始めた。


 阿修羅の才は戦士としてだけでなく軍師の才も兼ね備えていた。コーサラ攻略もマガダ攻略も阿修羅の策で連戦連勝だ。尤も、どの策にも阿修羅という戦術なしでは勝利はなかったが。


「ところで、阿修羅」

「この忙しいのにまだ話があるのか?」


「いや、オレ前々から気になってたんだが」

「何だ、早く言え」


 阿修羅は陣隊形を地図に書き込みながら鬱陶しそうに言った。


「おまえ、どんな暑い時でも、人に肌を見せた事ないな」


 手に持たれた筆が瞬時止まった。


「何が言いたい」

「いや、別に何ってわけじゃないんだが」


 阿修羅の横顔が灯に照らされ影をつくる。


 素知らぬ顔をして、再び筆を走らせる阿修羅は、頬にかかる黒髪を左手でかきあげた。リュージュはその黒髪にそっと手を触れる。


「いて!」


 その瞬間、筆がリュージュの額に飛ばされた。 


「私が人前で肌を見せないのは、おまえのように勘違いしている奴がいるからだ。断っておくが、私は男に興味はない!」


 額を擦りながら、リュージュは落ちた筆を拾い、阿修羅に差し出した。それを奪うように取ると、


「忘れたか。私に相手して欲しければ、腕ずくで来いと言ったはずだ」

 阿修羅はまた俯いて筆を動かし始めた。 


「腕ずくで……ならいいのか」

「なに?」


 阿修羅は手を止め、ゆっくり体を起こすとふふんと笑った。


「おまえがそういう趣味とは知らなかった。カピラヴァストゥでは、その二枚目のつらを待ってる姫達が何人もいるではないか」


「阿修羅、勘違いしているのはおまえの方だ。オレはいたって普通の男だ」

「どういう意味だ」


 リュージュは後ろ手に扉を閉め、阿修羅の方へ歩を進めた。


「動くな。それ以上動くと殺す」

 阿修羅は腰の短剣を抜いた。


「阿修羅、おまえは女だろ?」

 リュージュの口から思いもかけない言葉が放たれた。


「オレはここの攻略が始まってから、ずっとおまえを見ていた。いや、正確に言うと、コ-サラの城に忍び込んだ、あの時からずっとだったかも知れん。おまえはいつも完璧に男を演じているが、ほんの僅かに見せるしぐさや表情、例えば指先や瞳に宿る妖しさ。他のやつらの目は誤魔化せても、オレは誤魔化されないぜ」


「笑わせるな」


 余裕を持って返答したつもりだったが、声の微かな震えをリュージュは聞き逃さなかった。


「格闘戦は五分だと思うが、どうだ?」

 

 からかうでもなく、いたって真面目な顔をしてリュージュは言った。そして阿修羅も一つ息をつくと、厳しい顔つきで応じた。


「リュージュ……。私はおまえを殺したくない。有能な戦士だからな。だが、これ以上言うのなら私は容赦しない。私が男だろうが、女だろうが、それは同じだ」


 言い終わると同時に、阿修羅は短剣を構えた。静かな湖水のような瞳は、阿修羅が本気である事を窺わせた。


「阿修羅……」

 リュージュはその逞しい肩を小さく窄めた。 


「ああ、オレも間抜けな野郎だな」

「リュージュ?」


「阿修羅、おまえが男であっても女であっても、おまえの心を捉えられたら、と思うよ」

「何……」

「それとも……。王子の方がおまえはいいかな」


 リュージュの言いようは阿修羅をうろたえさせた。


「ふざけるな。ばかばかしい!」


 その素直すぎる反応にリュージュは自虐的に言った。


「すまなかったな。今の事は忘れてくれていい。オレも忘れよう」

「リュージュ、私は……」

「言うなよ、それ以上。オレは嘘は聞きたくないし、そんなこたどうでもいい。だが、これだけは覚えておいてくれてもいいな」

 

「なんだ?」

「おまえは最高だって事さ」


 そう言うと、リュージュは自らをごまかすように笑い声をたて、部屋を出ていった。


 ――このまま、カピラ軍に留まるのはもう出来ないのだろうか。私が女と知れては、もうここにはおれぬ。しかし……――


 短剣を手にしたまま立ち尽くす阿修羅は、いつしかあの誓いの日に時を降りていった。





つづく



第四章 光と影が存外に長く、当初、前後編にするつもりでしたが、前中後編の3部に分けました。

内容は変わっておりません。

中編、後編と物語の中核へと迫っていきます。お楽しみください。

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