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第二章 出会い(後編)

二人になったシッダールタと阿修羅は、自らの野望を語る!

第二章 出会い(後編)




「さて、二人きりになった。阿修羅よ、思う事あれば何でも言うがいい。ただ、私の聞く事にも正直に答えてほしい」


 阿修羅は頷き、勧められるまま杯に口をつけた。阿修羅に隠す事はなかったが、全てを語るつもりもなかった。


「ここに来る前、おまえは盗賊だったのか?」

 その問いには正直に答える。


「はい。砂漠の盗賊、“流沙の阿修羅” と呼ばれておりました」


「流沙の……。ふむ、商人よりその名を聞いた事がある。随分名を馳せた盗賊だったようだな。ではその名はやはり本当の名ではないな。本当の名はなんという?」


「本当の名……。覚えていません」

 阿修羅はそれだけ言うと、ついひと月程前、砂漠を我楽達と駆け巡っていた自分に思いをはせた。


「覚えていない。では、親はいないのか? それとも盗賊が親か?」


「いえ……。父親は物心ついたときからおりませんでした。母親と暮らしておりましたが、7つの頃に生き別れました」


 阿修羅はつとめて淡々と話す。シッダールタはその一言一言をじっと聞いていた。


「わけあって街を出て砂漠で迷い、瀕死のところを盗賊たちに拾われました。彼らのおかげで生き延び、戦いを学びました」


「カピラに住んでいたのか?」


「子供のころゆえ、それは定かではありません。ただ、北にはそびえる天の山がいつも見えていました」

 

 阿修羅の母は、阿修羅に名を付ける事がなかった。そのわけは阿修羅も知らない。


「なるほど。で、その盗賊を止め、ここへ来た理由は? わけあって一度はこの地を出たのだろう。それがどうしてまた舞い戻ってきたのだ?」


 シッダールタは、並べられた御馳走を口に頬張りながら尋ねた。


 阿修羅の生い立ちは気にはなったが彼にとって重要な事ではなかった。それよりも今とこれからの事が大事だった。


「それは……」

 阿修羅はシッダールタの目にその鋭い視線を意識的に投げ掛けた。


「この印度国を……、いや、この世界全てを支配する王の助けをしたいと。全てを手中に治めるその様を見てみたいと」


「私がその王になると?」


 シッダールタの問いかけに阿修羅は答えず、さっと姿勢を正した。


「王子。失礼ながらお聞きしたい事があります」

「何なりと申せ」


 シッダールタは足を組み直し、阿修羅の言葉を待った。


「王子。この印度国にいる者なら、誰でもが知っているだろう。アシタ仙人よりこの世の救世主 “仏陀” となると予言された神の子、シッダールタ王子。貴方はこの予言をどう受け止めておられるのか?」


 阿修羅の問いに、シッダールタはしばし沈黙し、そして大声で笑い出した。


「なにを笑われる」

「何かと思えば、いや、失敬。阿修羅、確かにアシタはそう言った。だが、知ってるだろう。アシタはこうも予言した。この地に留まれば、やがて地上の全てを支配し、聖王となると」


 阿修羅は頷いた。


「そしておまえの言うように、出家し隠遁(いんとん)すれば目覚めた者、仏陀となると」

「では、この地に留まり、聖王となると?」

「当然だ」


 シッダールタはそう言うと、杯に注がれた酒を一気に飲み干した。


「ある日、私が東の門から城を出ると、老人が立っていた。老人は腰も曲がり、耳も目も役に立たず、もはや何のために生きているのかもわからない。私は思った。人はいつか老いる。私も例外ではない」


 阿修羅は黙して聞いていた。


「そして次に南門から出ると、そこには病人が。西門には死人がおかれ悲しみにくれる人々がいた。そして、北の門から出ると……」


「そこには誰が?」

「そこには一人の僧がいて、私にこう言った。 “道を進まれよ” と」


  ――道とは……。どこへ(いざな)う道か――


 阿修羅の脳裏に果てしなく続く色のない道が浮かんでは消えた。


「私は思った。人はいずれ老い、そして確かな死を迎える。生きている時でさえ、病に苦しむ事もある。それらがもし、何人でさえ避けえないものならば、私は敢えて戦おうと」


「戦う?」


「さらに愚かに、さらに貪欲に、さらにみっともなく生きてやろうと。生に執着し、欲のままに生きてやろうと。私はこの国を手中にし、この世の全てを我が物にする。私にその力があるのなら、必ず手に入れてやる!」


「出家はせぬと?」


「ふん、あんな現実から離れたところでなにが出来る。まこと世を救うなら、戦わねば駄目だ。腕ずくで奪わなければ何も救われない! 私はあんなわけも分からない呪文を唱えて何もせず、ただこの世を憂うふりをして私腹を肥やしている僧など大嫌いだ! 貧しい者、虐げられた者を救うのは呪文じゃない。偉大な王による政治だ! 私はそう信じている」


 シッダールタはそう言い放つと、改めて阿修羅を見た。


「阿修羅よ。私が真の聖王となるにはおまえの力が必要だ。どうだ、私とともにこの天下、駆け抜けてみないか? 短い命の中でどこまでやれるか試してみようではないか。我等が思うまま生きてみようではないか。阿修羅、手を貸してはくれないか?」


 阿修羅は驚いた顔でシッダールタを見上げた。


 それはシッダールタの誘いに驚いたのではなく、シッダールタの言葉一つ一つがあまりにも自分の思いと同じであった事に驚いたのである。全て阿修羅の願う通りだった。


「王子、私でお役に立つのなら」


 阿修羅は王子の前に(かしず)いた。二人はどちらからともなく笑みを浮かべ、顔を見合わせた。


 このとき、二人の耳には確かな時の到来を告げる足音が聞こえていた。




 その日より、前にもましてのカピラ軍の快進撃が始まった。阿修羅はナダ隊を離れ、シッダールタが率いる本陣で一軍を任されその刃を奮った。


 阿修羅が率いる軍は敵陣を分断し、隊長の首をほしいままに討ち取った。またシッダールタと二人揃って戦場に出ると、文字通り向かうところ敵なく、総隊長の旗印に集まる腕自慢の敵兵を阿修羅は(ことごと)く打ち払った。


 ふた月もしないうちにコ-サラ国は領土の三分の二を失い、命からがら逃げまどう兵や村人達で国政は麻痺状態となっていった。


「コ-サラはもうおしまいだな。早いとこ統括してやらないと。コ-サラだけでなく、印度国全体に害を与える」


 束の間の休息、シッダールタ達は二日前に攻め落としたコ-サラの城にいた。自室に阿修羅を呼び、酒を飲みながらあれこれと話をしている。


 ここのところ時間さえあれば、シッダールタは阿修羅を(かたわら)に置きたがった。戦いの場でもシッダールタの目は常に阿修羅に釘付けだ。


 阿修羅の舞うような剣技、しなやかな肢体、鬼のすむ鋭い眼光、返り血を浴びるその瞬間すら捉われて離せなかった。


 ――破壊の神、軍神!――


 その妖しいまでの美しさにシッダールタは心奪われていた。

 

「そうだな。コ-サラがわが軍に屈するのももはや時間の問題。さっさとカタをつけるぞ」


 阿修羅が乾いた声で答えた。何時の間にか二人で話す時は、対等に話すようになっている。


 阿修羅は部屋の窓から、コ-サラの恵まれた緑を見ている。その後ろ姿の細い腰がシッダールタの目に止まった。心地よい酔いも手伝った軽い欲望が彼を立ち上がらせる。


「もうすぐ雨季だ。それまでにコ-サラを落とさねば」

「そうだな」


 ふいに背後に気配を感じた。振り向くよりも早くシッダールタの右手が阿修羅の腰に触れた。


「何をする!」


 シッダールタの手にあった杯が飛んだ。


「お、おい冗談だよ。そんなに怒るな」


「冗談? 私はこんな冗談は好かん。今度やる時は命がけでしろ!」


  阿修羅は髪が逆立つ程の怒りをシッダールタにぶつけると、部屋を立ち去った。


「阿修羅……? どうなっているんだ。一体」


 シッダールタは自分の右手を見つめた。ほんの僅か、阿修羅の細い腰に触れた、あの頼り無げな危うい感じがいつまでも指にからみついていた。




 カピラ軍の勢いは留まる事はなかった。コ-サラ国の城や砦を次々と落とし、ついに首都シュラバ-スティに迫る。


 この頃、シッダールタは複雑な思いにかられていた。相も変わらず阿修羅は見事な剣技を見せ、軍神の名を欲しいままにその力の全てを遺憾なく発揮している。


 その彼の一挙一動にシッダールタは心魅かれた。阿修羅の輝く瞳を見る時、鼓動の速さに自らうろたえ茫然とする程だった。


 ――いったい何だというんだ。この胸の中に流れる熱い物は。消そうにも消えない、溢れるような思いは……――


 阿修羅を見ていると、その髪に、その指に、その唇に触れたくなった。クシャトリヤやバラモンには美しい男に心惹かれる男色の類もいたが、シッダールタには身に覚えのない事だった。


 ――馬鹿な。何を考えている。今は戦いの最中だ。なによりも男に惹かれるなど、ありえない!――


 自らの心を諌め、打ち消すようにシッダールタもまた激しく剣を振るっていた




つづく

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