最終章 沙羅双樹
「流沙のごとく」ここに完結。
最終章 沙羅双樹
仏陀は雨季の後、美しいヴァイシャーリーの村々を弟子たちとともに巡っていた。
その後、クシナガラという小さな村に寄ったころから、体の不調を訴える。
彼は30歳の若さで悟りを得、「目覚めた人」仏陀となった。今や付き従う弟子も百人を越えている。
長い年月の間に、印度国のあらゆる王は仏陀に帰依し、その有難い説法を聞いた。その国の民も然り。
今、彼は八十歳になっていた。かつての弟子、モッガラーヤやリュージュ、ナダも既に入滅している。
「少し疲れたな。ここで休むとしよう」
仏陀はクシナガラの沙羅双樹の下で涼むように横になった。そこが彼の最後の場所であることを仏陀は良く知っていた。
多くの弟子たちが周りで泣いている。
「泣くではない。私の命が尽きるのは自然の理。現世に在るものは形を変え、消えていく。流れる砂のごとく」
仏陀の最後の教えに皆は耳を澄ませる。
「それが世の定め。この世界では愛する人とも別れねばならない。この苦しみの輪廻から解脱する法を伝えるため、私はこの地にこのように長く留まった。私の教えを守り生きなさい」
「師よ……」
「何も恐れることはない。このまま進むのです」
静かにその時は訪れた。
弟子たちだけでなく、仏陀の死を悼む人々が至る所から集まってきた。獣たちも鳥たちも沙羅双樹の下で涙した。
そこに、仏陀を待ち望んでいた者の姿があった。
「ああ、来てくれたのか」
その言葉を最後に、仏陀は涅槃へと旅立った。
『やっと二人きりだな』
重たい体から解き放たれた仏陀の手に、ふわりと触れる手。
つむじ辺りで束ねられた黒髪が流れるように揺れ、頬にかかっている。輝く空気を纏った少女は柔らかな笑みを浮かべていた。
『阿修羅……。長く待たせてしまったな』
仏陀がその手を掴むと、年老い、やせ細った姿が見る見るうちに逞しい体つきになり、壮観な若者の姿へと変わっていった。豊かな黒髪が風になびく。
『シッダールタ』
阿修羅が愛おしそうにその名を呼ぶ。高く高く昇っていく。眼下にあった人の世界はもう見えない。
『愛しているよ。阿修羅』
『知っていた』
二人は笑いながら涅槃へと渡る。
もうその手を二度と離さない。
たった一人の愛する人を救うために。シッダールタは仏陀となった。
しかし――
悟りを得てから入滅するまでの長い年月を市中に出て語り、癒し、導き、教え諭し続けたことに何の偽りもない。
完結
「流沙のごとく~仏陀聖王戦記異聞~」本編は完結です。
最後まで読んでくださった皆様には感謝しかございません。
ありがとうございました。
皆様の支えあって、書き続けることができました。
序盤の戦記物からの後半悲恋展開には、戸惑われた読者様もおられたかもしれません。
拙い語り手でありましたことをどうぞご容赦ください。
皆様の心に僅かな時間でも、何か残っていれば幸いです。
明日、あとがきとしてもう一話追加いたします。
そちらも読んでいただければ幸いです。
作者からのお知らせもございますので、よろしくお願いします。
緋桜 流