第十八章 預言と戯言
隠れ家に集結する阿修羅達。
ダイバダが城を抜け出たことを知る。
第十八章 預言と戯言
夜明けの太陽が東の空を彩るころ、ナダとリュージュが隠れ家に着いた。その後3人の仲間も到着し、総勢7人の元カピラ軍兵士が盗賊の隠れ家に集合した。
懐かしい面々が揃い穏やかな空気が流れたのも束の間、阿修羅達は軍議に入った。
「おそらくだが、ダイバダ達が来るのはここの水場からだと思う。と言うか、これを通らなければここまで生きては辿り着けない」
「コーサンビ村からのルートはどうだ?」
ナダが問う。
「あちらから来るには時間がかかるし、恐らくナダ達の仲間が気付くだろう」
もしもの事態に備えて、村には数人のナダ隊が残留している。何かあれば伝達が来る手はずになっていた。
「村からこの方面に帰還する道を尋ねた私が愚かだった。もちろん、確かな場所を教えていないが。点を結べば線になる。おおよその見当はついただろう」
阿修羅は手書きの地図を眺めて言う。
「いずれにしろ、この棲み処を知られるのは避けたい。物見岩で見張りをたて、奴らの姿を見たら、この場所へ誘導する」
阿修羅の指さす場所には大きな✕印が書いてある。
「この印はなんだ?」
シッダールタが訝し気に尋ねた。
「この一帯は足場が悪いんだ。元はここも水場だったのだが、今はない。しかし水分を多く含んだ砂地で足を取られる。無数の見えない穴があって、はまると出られないこともあるんだ。ここを知る者はむやみに近寄ったりはしない」
「ダイバダ達は弓でくるだろう。接近戦に持ち込みたい私たちには不利じゃないのか?」
ダイバダ達には大量の毒液がある。今の季節、天の山に青い花は咲き誇る。マガダのビンビサーラが求めた時期とは違う。
奴らは接近せずに、毒矢を放り込んでくるだろうというのが大方の予想だ。
「要は、知っているか、否かの差だ」
――白龍がいれば、さらに安心なのだが……――
阿修羅の愛馬はまだ戻らない。
「こちらも何対か弓矢がいるよな。阿修羅、ここには何本ある?」
ずっと黙って聞いていたリュージュが尋ねた。
「残念だがあまりない。使う者が少ないからな。おまえ、弓を扱えるのか?」
「俺は獲物を選ばないが?」
ふんと鼻を鳴らしてリュージュが答える。弓といえば、阿修羅ももちろんシッダールタも相当の腕前の持ち主だ。
数はないが、何とかなるだろう。阿修羅は算段する。
「ダイバダの隊は恐らく少数。あの窮状で城から脱出できたとしても、大人数のはずはない」
ナダが付け加えた。
「毒矢も当たらなければどうということはない。その前にこちらから殺ればよし」
あの窮状からの脱出について、阿修羅達が真相を聞いたのはそのすぐ後だった。情報は『春の住居』にいた我楽達からもたらされた。
シッダールタは無言で拳を壁に叩きつけた。
その頃、ダイバダは砂漠の中にいた。西に向かう隊商にまぎれて砂の道を進んでいる。
カピラ城脱出のとき、酒瓶一個分の毒液と持てるだけの金銀を持ち出した。それをつてに、隊商に潜り込ませてもらっていたのだ。
「ダイバダ王。隊商の者たちはここをさらに西に行くそうです。我らはここを上がって、この水場に行けとの事です」
親衛隊の一人が地図を持ってやってきた。西国の隊商は実に緻密な地図を持っている。もちろんこれがなければ砂の海を渡れない。
この地図が手に入っていれば、もっと早くシッダールタの行方がわかったのではないか。と、ダイバダは口惜しがった。
「キビラも役立たずだったな」
実はキビラも西国の隊商までは辿り着いていた。しかし、運悪く砂嵐に襲われ、キビラはその隊商とともに帰らぬ人となっていたのだ。これもシッダールタの悪運の強さなのだろうか。
「よし、わかった。矢をありったけ買っておけ!」
ダイバダは肌身離さず持ち歩ている鉄製の酒瓶を眺めて満足そうに笑った。
「夜は冷えるな」
物見岩にナダと共に見張りをしていたシッダールタが呟いた。
「シッダールタ様。なにも貴方がここで見張らなくても」
交代を決めた時、シッダールタを外すのが当然と思っていた面々に、どうしても同じ待遇をと強く主張したのはシッダールタ自身だった。
「私はもう王でも王子でもない。ただの裏切り者だ」
「そのようなことは!」
そう言いかけて、ナダは黙ってしまった。シッダールタが去ってから起こった数々の悲劇。
忘れようにも忘れられなかった。
「いい、わかっている。ナダ、おまえにも苦労をかけた。すまなかったではすまんが……」
「シッダールタ様。ダイバダを倒した後には、どうぞカピラにお戻りください。そしてもう一度カピラ国を!」
シッダールタはナダの言葉を右手で制した。
「この砂漠で一度は死にかけたが、阿修羅達のお陰で息を吹き返すことができた。それからずっと考えていた。どうしたらよいか。私はこれからどうすれば良いか」
シッダールタは寒そうに上着を首元まで上げる。ぶるっと体を震わせて夜空を見上げた。そこには降るような夥しい数の星々が輝いていた。
祠であの老人に会ったのも、こんな美しい星空の夜だった。
『阿修羅とシッダールタ様は共に生きる事、叶いませぬ』
祠で会った “アシタ” と名乗る老人はそう言った。
『なんだと。ふん、その口を閉じろ。滅多なことを言うなら、老人とて容赦はしない』
憮然とし、シッダールタは射る様な目でその老人を睨んだ。
『それが運命です』
その言葉が発されると同時に、今度はアシタに躊躇なく掴みかかり、喉元を締めた。
『ふざけるな! 私が今までおまえたちのその愚かな「運命」とやらに逆らうため、どれほどの時を費やしたか! 何が救世主だ、何が災いの子だ! 私の人生は私のものだ! 大体おまえ達の大嘘が、私と阿修羅を引き裂いた!』
そう言うと乱暴にアシタの体を離す。
『阿修羅は……わかっています』
アシタはゲホゲホ咳き込みながら言葉を続ける。
『阿修羅を殺すも生かすも貴方次第です。いいでしょう。預言など戯言かもしれない。でも、これだけは覚えておいてください。阿修羅を地獄から救えるのは貴方だけです』
いつの間にか、老人は消えていなくなっていた。
満天の星の物見岩。シッダールタはナダを相手に再び口を開く。
「ナダ、私は今までひたすら前だけを見て走り続けてきた。初めはあの腹立たしい預言に歯向かうため。私の人生を決めつける輩に自分の意志をぶつけて、思い通りに行かないことを思い知らせてやりたかった。それはそれで楽しかった。思うように兵を動かし、勝利も掴んだ」
そこまで一気に話すと、ややトーンを落としてこう続けた。
「だが、阿修羅と会ってからは、私はただあいつを失いたくなくて、あいつを傍にとどめていたくて。ただそれだけのために戦っていた。愚かだと思うだろうが……」
ナダは少しおかしくなった。笑っていいところではないだろうが、初めてシッダールタのことを理解できたような気がした。
「シッダールタ様……。男なんて、そんなものですよ……」
シッダールタは口の端を少し上げて笑った。
「そうかもしれんな……」
カピラの民は今頃どうしているだろうか。城内にいた臣下や宮仕えの者たちはダイバダの手によって殺された。コーサラのヴィルーダガはカピラの民を奴隷にするだろうか。
――私の首で収まるのなら、それもまたいいかもしれない――
シッダールタはそんなことをぼんやりと考えていた。
「シッダールタ様! あそこを!」
「ん!」
遠めにチラチラと炎が見え隠れする。距離からして、馬で一時ほどの距離か。
近づいてこないところを見ると、あそこで夜営を始めたのかもしれない。
「おい、阿修羅にすぐ伝えろ!」
もう一人の当番だったナダの部下は、短く返事をすると馬に飛び乗った。
「夜明けか……」
シッダールタは久々に武者震いを覚えた。
つづく