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第十七章 青い花(後編)

「だからこそ、おまえを抱く」

悪意が迫る予感の中でシッダールタは……。

第十七章 青い花(後編)




「シッダールタ!」


 コーサンビの村を出て二日足らずの夜、阿修羅は隠れ家にたどり着いた。慣れ親しんだその棲み処は異様に静まり返っている。


 阿修羅は緊張の面持ちで扉を開く。


「なんだ、阿修羅、随分早かったな」


 何事もなかったように扉の奥から顔を出し、シッダールタが答えた。


「シッダールタ!」 ――無事だったか。良かった――


 思わずほっとするが、阿修羅の様子を見るまでもなく、シッダールタの表情は硬かった。


「何があった」

 単刀直入にシッダールタが問う。


「ダイバダが来る」

 阿修羅はそう言って、辺りを見回す。


「我楽達はどうしたのだ」


「そうか……。やはりな。我楽達には私から頼んで他の隠れ家に移ってもらった。さっき出ていったところだよ。何でも『春の住居』に行くと言っていた」


 ああ。あそこか。と阿修羅は頷く。何も言わなくとも、やはりシッダールタは何が起こるかわかっていたのだ。


「今朝我楽達が襲った隊商の情報では、いよいよカピラが落ちるらしい。普通に考えれば、そこでダイバダは討たれるはずだ。だが、あの男のことだ。油断は出来ない。念のためにここから移動してもらったんだが……。現実になりそうなんだな」


 剣を振っていたのか、汗ばんだ体をシッダールタは布で拭いている。灯りに光る胸板は以前のように引き締まってきた。


 ほとんど飲まず食わすで飛ばしてきたのを思い出した阿修羅は、手あたり次第に食い物を口に放り込み、水を浴びるように飲んだ。


「現実になるかはまだわからない。確かにコーサラが殺してくれれば何も心配はないが。ヤツにこの場所が知れたかもしれん」


 カピラから戻った時、コーサンビの村で物見岩への道を尋ねた阿修羅。情報が青い花とともにダイバダ王に届けられている可能性は大きい。


「よほどの執念がなければたどり着けんとは思うが」

「執念という言葉はアイツにぴったりだ」


 シッダールタは口元を歪めてそう応えた。


 阿修羅はコーサンビの村であったことを話した。ナダ、リュージュとの再会。反乱軍のこと。


「そうか。連中、生きていたか」

 安堵したように頷くシッダールタ。懐かしい顔が頭に浮かぶ。


「朝にはここに着くだろう」

 すっかりお腹も落ち着いた阿修羅は、顔を洗っている。


「じゃあ、今しかないな」

「何がだ?」


 シッダールタはいきなり阿修羅の腕をつかむと乱暴に抱き寄せた。


「おいっ! なに考え……」

 有無も言わせず唇を求める。


「シッダールタ……、お、い、今の状況わかってるのか」


 阿修羅は腕を突っ張って抵抗する。


「わかっている。だからこそおまえを抱く」


 シッダールタはそう言うと、阿修羅を抱え寝床に放り投げた。


「わっ!」

 間髪入れずに覆いかぶさると、阿修羅の頬を愛おしそうに包む。


「時間がないんだ。わかっているだろう?」


 阿修羅は心臓が大きく跳ねた。シッダールタは何のことを言っているのだ?


 時間がない。それはダイバダのこと? ナダ達のこと? それとも。


 その答えを得る前に、阿修羅は一度は諦めていた感情に支配されてしまった。


「あ……」


 シッダールタの柔らかい舌が阿修羅の舌を絡めとる。やがてそれは一つの生き物のように体を這っていった。


 肩が腕が手のひらが指が、阿修羅のしなやかな肌を貪る。熱いものが頭の芯を突き抜けると、無我夢中でシッダールタの背に腕を絡め、背中に爪をたてた。


「愛している……。会いたかった……、本当に」


 思い切り心の内を吐露する。シッダールタは何度も頷き、阿修羅の名を呼んだ。


 何もかも忘れたように二人は愛と熱に飲み込まれていった。





「おまえもう、十分元気じゃないか。今から砂漠を越えられそうだ」


 窓の外が少しずつ明るくなってきた頃、阿修羅はくすぐったいような感情のまま言った。軽口が出るのも、まだ行為が終わったばかりの高揚が残っていたからだ。


「ここのヤギの乳のおかげかな。カピラのヤギとは違うな。だがこのくらい力が戻ってこないと。またおまえを危険な目に合わせる」


 阿修羅はその言葉を聞くと、夢から覚めたように黙って支度を始めた。ダイバダ達がここに届くまではまだ時があるだろう。


 だが、奴は猛毒を手にしている。油断はできない。阿修羅は獣の皮でできた武具を付けた。一応カピラから持ってきていた革の鎧も準備する。


(ほこら)があるだろう」


 ふいにシッダールタが言う。


「なに……」


 見るとシッダールタも布団から出て、上着に手を通していた。鎖帷子を着けている。阿修羅の仲間から借りたのだろうか。


「冷水を取る泉が沸いている所に。小さな祠があった」


 阿修羅は少し震えた。まさかシッダールタもあそこでアシタに会ったのか?


「シッダールタ、あの、」


「信じない」


 シッダールタは阿修羅の目を見てきっぱりと言った。


「私は信じない。どちらかしか生きられないなど、信じない」


「会ったのだな。アシタに……」


 何か言おうと思った。だが何を言っていいのかわからない。おまえが生きるためなら命はいらないと願ったことは本当だ。だが、自分がいなくなった時におまえが死んでしまうのだけは嫌だ。


 生き続けて欲しい。二人共に生きていけるのであれば、そう願いたい。


 でも、言葉は空虚にして何の益もない。阿修羅が口にしたのはたった一言だった。


「私を離さないでくれ」





つづく


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