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第十章 王の過ち

リュージュは懐かしい人物に出会う。

だが、不審に思った彼が耳にしたことは?

第十章 王の過ち




 リュージュは阿修羅との手合わせの後、一人城内を歩いていた。辺りはもうすっかり暗くなり、一定の間隔で置かれた松明が、道行く人を誘った。


「おや? ディーバ殿! ディーバ殿ではありませんか!」

 黒い影は一瞬ぴくりと動いた。そして、ゆっくりとリュージュの方を振り向いた。


「おお、リュージュか。元気そうだな」

「お蔭様で。ディーバ殿、御無沙汰しております」


 リュージュが十三才で軍に入隊したばかりの頃、ディーバは王の最も信頼する兵の一人だった。リュージュの才能を見抜き、親子ほど年の差のある少年に早い時期から目をかけてきた。以来引退直前までの七年間、鍛え育てた。


「この戦では、ずいぶん活躍したようだな。私も誇らしく思っているぞ」

「ありがとうございます。ディーバ殿は……、この遅くに王のお見舞いですか?」


「あ……ああ、昨夜伺った時は、お倒れになった直後だったのでな。今日改めて、お祝いを兼ねて……」


 何となく歯切れが悪い。中途半端な笑みを浮かべてリュージュに背を向け、うす暗い通路を去って行った。


 ――妙だな。ディーバ殿は嘘がつけないお方だ。あの顔は何かを隠している――


 リュージュは大胆にもディーバの後をつけ、王の寝室に入るのを見届けると、庭へ回った。 


「こんなところで、阿修羅と二度も敵陣に忍び込んだことが役立つとはな」


 するすると器用に壁を登ると、王の寝室に面したバルコニーに忍び込んだ。窓の向こうに話し声が聞こえる。リュージュは耳を澄ました。


「王。私は失望しました。このようなこと出来れば知りたくはなかった」


 肩を落としたディーバの気弱な声に続き、それよりも一層弱々しい王の声が続いた。


「わかっている。だから、おまえにしか頼めなかった。そうか、では彼女を見つけたのだな」

「はい。シャリーンはカピラヴァストゥの北、天の山ふもとの小さな村に住んでいました」


 ――シャリーン? 一体誰だ? 聞いたことのない名前だ――

 リュージュは身を縮めて聞き耳をたたていた。


「それで……、それで彼女から話を聞けたのか?」

「シャリーンは病気がちのようでしたが、話を聞くことはできました」


「病? そうか……。それで、どうだったのだ?」


 ディーバははっきりとした口調でこう言った。


「王のお察しの通りです。阿修羅は王の血を引く者です」


 ――な……、何!?――


 あまりの驚きで、リュージュはもう少しで声をあげそうになった。慌てて口を手で抑え、無理矢理飲み込んだ。


「そうか。やはり、そうであったか……。あれは、阿修羅は、シャリーンが産んだ私の子か……」


「阿修羅は自分が王の子供とは全く知りません。シャリーンはそれだけは決して口にしなかったそうです。王、どうなさるつもりですか。王は阿修羅が七つの時、彼女を殺そうと兵を送りましたね。今度もまた、そうされるつもりですか?」


 ――殺す!? まさか!――


 窓ごしに、厳しい顔をしたディーバの姿が浮かんだ。そして苦悩に顔を歪める王の姿も容易に想像できた。


「シッダールタの阿修羅に対する愛は尋常ではない。諦めさせることなど到底無理な話だ。そのうえ、シッダールタは妃を迎えないと言い出した。カピラは、シャカ族はもうおしまいだ。預言の通りだ。兄妹で愛し合うとは、神も許してはくれまい」


 ――何をほざいている! 誰のせいだと思っているんだ!――


 リュージュは胸に沸き起こる憤怒の思いが、今にも爆発しそうだった。ざわざわと血の逆流する音が聞こえてくる。


「王、何故、阿修羅を殺そうとされたのです。あの時、逆に城に迎えていればこのような事には……」


「ああ、ディーバ、その通りだったかも知れん。しかし、ある修行僧が預言したのだ。災いの者ありと。シッダールタと同じ星に生まれながら、全く逆の運命を持つ者。もう一人の私の子に相違ない。その者は、王子や我が国に災いをもたらすと、そう言ったのだ」


「そのような言葉、信じられたのですか?」


「私は恐ろしかったのだ! 私はシッダールタがいつかこの国を捨て、出家してしまうのではないかとずっと恐れていた。だからどのような小さな不安も私には耐えがたかった。たとえ、乞食が同じ事を言ったとしても私はそれを信じただろう」


 王は体をがたがたと震わせ、声は上擦っていた。


「しかし、そうだとしても……」

 ディーバは、たとえ王が相談もなく先走ったのだとしても、何も気付けなかった自分の愚かさを悔いた。


「シッダールタに、この国を治めて欲しかった。カピラにとどまり、真の王、地上の王となるもう一つの預言を実現して欲しかったのだ」


「その預言は確かに実現されましたな。阿修羅のお蔭で……」

 ディーバは深い溜め息とともにそう言った。 


「その通りだ。ディーバ、運命とはかように皮肉に出来ているものか……。だが、あの時はそうするしかなかった。災いをもたらす者の命を消し去ることしか思い至らなかった。そして今、愚かな父を嘲笑うか如くに阿修羅は現れた、災いとともに。それは阿修羅の望むと望むまいと」


 ――そうさ。阿修羅は何もこんな事を望んでなんかいないさ。災いをもたらしたのは、阿修羅じゃない。王、あんただ!――


 リュージュの目頭に、いつのまにか滲む物があった。阿修羅に同情したのではない。何も出来ない自分が腹立たしく、悔しくて堪らなかった。その今すぐ王自身にぶちかましたい思いを、歯ぎしりしながらじっと耐えていた。


「もう、明後日には調印式。文字通り、印度国は統一されます。決断は速やかに、王」

「うむ……」


 その時、扉を叩く者がいた。王妃のマ-ハラだった。


「王、お加減はよろしいのですか? まあディーバ。このような遅くにどうしました?」


 場は一変し、和やかな雰囲気が取り繕われた。


 ――ちっ……。これじゃ肝心な事が聞けやしない――

 誰かが窓の方に近づいてくる気配がした。 


 ――これまでか――


 リュージュは後ろ髪を引かれる思いではあったが、やむなくバルコニ-を降り、闇の中へ消えていった。




 翌日、カピラヴァストゥの城では、明日の調印式に向けて大勢の人が準備に追われ、ごった返していた。


 リュージュは未だ昨夜聞いた事を阿修羅に伝えていなかった。もう少し情報を得てからにしたいというのが建前。結果、一晩中城内を徘徊し、情報を集めていたら夜明けを迎えてしまった。


 ――何とかしなければ。このままでは阿修羅が危ない――


 かといって、実際どう伝えたらいいのか、リュージュにはまだ決心がつかない。これが本音。 


 ――阿修羅だって何も知らなかったんだ。王子と異母兄妹なんて知ったら、しかも実の父親に命を狙われるとは……。オレの口からとてもこんな事言えない――


 しかし、もう日が昇って随分経つ。お互い式の準備で忙しく、城内で出会う事すら難しくなっていた。


「おい、リュージュ!」

 ナダ隊長の太い声が、頭の上に降ってきた。


「はい!」

「なにボサーとしてんだ。調印式に着ける俺の兜がないんだ。捜しといてくれ」

「はっ」


 ――くそっ。もう昼も近いってのに。どうしたらいいんだ――


 リュージュは焦る気持ちを抱えて、磨き上げられた廊下を走って行った。





「マガダの連中はもう、アネヴァイネーヤまで来ているらしい。明朝早く、ここに着くだろう」


 シッダールタが長めの麻衣を翻し、ドタバタと足音をたてて部屋へ入ってきた。


「え? どこだと?」

「アネヴァイネーヤだよ。モッガラーヤからの使者が先程着いた」

「そうか。とにかく早いとこ終わらせたいね、こんな騒ぎは」


 うんざりといった顔で阿修羅は答えた。

 シッダールタと同様、朝からずっと準備に追われている。


「ああ、そうだ、阿修羅。式に用いる剣を出すように兵に言っておいた。私の物とおまえのだ。取って来てくれ。玉座の間の隣室に出してあるはずだ」


「ああ、わかった」

 背を向け歩き出した阿修羅に、シッダールタがもう一度呼び止めた。


「今夜、私の部屋に来てくれ」


 振り向いた阿修羅は束の間、戸惑いの表情を見せた。そして、


「気が向いたらな」と、歌うように答えた。





 リュージュは調印の場となる玉座の間にいた。ナダに言われた兜を捜しているのだが、なかなか見つからない。


「ったく、どこに置いたんだよ」

 ぶつくさ言いながら、ただっ広い部屋をうろついている。


「阿修羅様!」


 ――何!? 阿修羅?――


 通路の方で阿修羅を呼ぶ声がした。


「何か」

 続いて阿修羅の抑えた声。


「しめた! ようやく会えた!」


 通路に阿修羅の姿があった。いつもの単衣に袖のない上着といった軽装だったが、冴え冴えとした美しさが周囲を圧倒している。


「阿修羅!」

「ああ、リュージュ。忙しそうだな」


 侍女と二、三言葉を交わして、阿修羅はリュージュの方に再び視線を流した。


「どうした? リュージュ」

「阿修羅っ」


 リュージュは急いで阿修羅のすぐ傍まで走り寄った。


「大事な話があるんだ。落ち着いて聞け」 

「長くかかるのか? 夜にしろ」

「時間がないんだ。あの……」


 そう口を開きかけた時、ディーバが通路を行くのが見えた。そして、運悪くこちらを見た。


「何だ。リュージュ、早く言え」


 ディーバは何かしら阿修羅と話しているリュージュを用心深く見ている。おもむろにこちらに歩を向けた。


「阿修羅……」

「ああ」


「スッドーダナ王に気をつけろ」


「何!?」


 驚いてリュージュの顔を見ようとした阿修羅。その横をリュージュはすっとすり抜けた。


「ディーバ殿! どうしました?」


 大声とともに右手を上げ、リュージュは大股でディーバの方へ歩み寄っていく。それを背中に感じながら、阿修羅はしばらく動けなかった。凍りついたように固まった体に、鼓動だけが胸に痛いほど先を急いでいた。


 ――スッドーダナ王に気をつけろ――


 リュージュの言葉が頭の中で反響し続けていた。針のように鋭い眼が事の真偽を物語った。


 ――思い出した……。天の山の印……。いや本当は、ここに来てからすぐ気がついていた。雪に覆われた山々を見るたび、私は思い出していたのだ。あの日のこと……――


 阿修羅はゆっくり後ろを振り向く。二人の姿はどこにもなく、人々の喧騒だけが目に映った。




つづく


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