2 穴の底で
家族に読ませたら「ありがちW」と言われました。自覚はあります。
「ゴブ先生、彼女いないの~?」
うれしそうな笑い顔でそう話しかけてきたのは、5年生の本田アリスだ。ちなみにうちの学校には2年生と3年生にも「アリス」がいる。
最近は一般的な名前になってきたよな、アリス。でも俺は自分の娘には「○○子」って付けたい派だ。彼女いないけどな。
今のクラスの子供たちとは、いわゆる持ち上がりで学年を上がってきたため、もう3年ほどの付き合いになる。だから俺に彼女いないことも、アニメ・ゲームオタクなことも、料理と園芸が得意なこともすべて知られている。
「お前ね、もう少し目上の者をいたわる気持ちを持てよ。そんなの、聞かなくてもわかってんだろうが。」
「だよねー、だってゴブ先生だもんね。仕方がないから、アリスが大人になったら付き合ってあげてもいいよ。」
そう言って、ウインクしながら体をくねらせる本田に、俺は思い切りデコピンを入れた。
「いったーい!!体罰禁止!」
「黙れ、このマセガキ。早く席につけ。」
このやり取りもすでに日常のコミュニケーションになるほど、繰り返している。
女子は高学年になると、こういうやり取りを好む子が必ず何人か出てくる。俺の学生時代の友人の中にはいわゆる「紳士」が少なからずいるため、そいつらが見たら涙を流してうらやましがる光景だろうが、俺は残念ながら(幸いにして?)その傾向は全くない。
これは彼女たちとのあいさつのようなものだ。おれがもてているわけではない。彼女たちが目をハートにして見つめるイケメンの教育実習生とはわけが違うのだ。
大体自分の容姿が異性に好かれないことぐらい、自分が一番よくわかっている。
顔の真ん中にドデンとある巨大なだんご鼻に、太い眉。ぎょろっとした目に、分厚い唇。子供たちに人気のアニメに登場するひょうきんな妖精「ゴブリン」そっくりの容姿だ。最近は腹が出てきてますますゴブリンに似てきたような気がする。
思春期の頃は容姿にコンプレックスがあったが、今ではそんなものはない。だから子供からからかわれたくらいでは動じないのだ。ちょっとデコピンの勢いが付くくらいのものだ。
そんな俺だっていつかは、本当に好きな人と結ばれたいという希望はある。理想のタイプなんて呼べるものがあるほど、身の程知らずではないが、こんな俺でも好きだと言ってくれる人がどこかにいるかもしれない。
それまで俺は、童貞を守り抜くぞ!そう思って教壇に向かう。・・・さすがに、童貞なのは知られてないよね。うん。知られてないと思いたい。
そこで、ハッと目が覚めた。
気が付くと俺は暗い穴の底に横たわっていた。上を見上げると5~6mほどだろうか。穴のふちが見える。頭と尻が激しく痛むものの、大きな怪我はしていないようだ。結構な高さから落ちたのにかなり幸運だった。
俺は体を起こすと周りを見回す。穴の底は畳を2畳分縦に並べたくらいの広さで、底にはいくつか小さい水たまりがあるようだった。
穴は入り口に向かって狭くなっており、入り口は幅50㎝、長さ1mほどの割れ目のようになっていた。どうやらここは自然にできた岩の割れ目のようだ。
俺が動いたことに驚いたのか、足のいっぱいある虫やネズミのような小さい生き物が一斉に穴の隅や岩のくぼみに隠れていくが、他に生き物はいないようだった。
相変わらず一切光がないのに、俺には周りの様子がはっきりと見えていた。不思議なこともあるものだ。
豚男はどうしただろうと耳を澄ませてみるが、穴の入り口から風がひゅうひゅうと入り込む音やフクロウのような鳴き声が聞こえるばかり。
どうやら危険はないようだ。一安心して、岩壁を背にして座り込んだ。そして、ここはどこなのだろうと考えこんだ。
たしかバスの事故にあって、大きな岩が落ちてきて・・・。それからどうなった?
どうやらここは森の中らしい。手入れされてない森のようだから、岩に跳ね飛ばされて、がけ下にでも落ちてしまったのだろうか。
子供たちはどうなっただろう。最後に見たときには、誰も大きなけがはしていないようだったが。だがまだ森の付近にいるとしたらあの豚男に出会ったりしたら大変だ。
奇妙なマスクをかぶって、ほぼ全裸の棍棒男。うん、変質者だな。子供たちが危ない。
そう思って自分の体を見ると、自分も服を一切着ていなかった。俺も変質者だったのか・・・。
ただ、体型も何となく違う気がする。全体的に痩せていて、特に手足は細い。なのに手の指は短くてずんぐりしているように感じる。
事故で体に変化が起きたのかもしれない。とにかくここから出て子供たちを探さなくては。
そう思って立ち上がった時、穴の入り口から光が差し込んできた。上を見ると、青い月の光が差し込んでいるのが見える。ちょうどいい。これで壁を上りやすくなるぞ。
うん、ちょっと待て。青い月?
思わず月を二度見してから、周囲を改めて見回す。特に変わったところはない。
自分の手足を見てみた。肌の表面はつるりとしていて、体毛が一切なかった。
爪は月の光を反射して黒く光り、鋭くとがっている。なんじゃこりゃ。思わず頭に手をやると、そこには髪もなかった。代わりに長い耳に手が触れた。先のとがった長い耳。
動悸が激しくなり、頭が混乱する。なんだこれは、なにが起こっている?足下の水たまりを恐る恐る覗き込んだ俺は、そこに化け物の姿が映っているのを見た。
巨大な鼻にぎょろりとした目。耳まで裂けた大きな口からは、上下4本の牙が突き出していた。自分の顔と似ているようで、しかし明らかに人ではない化け物の顔。それを見た瞬間、思わず声を上げた。
『ナンダ、ゴレハ、ドウナッデル!』
自分の声とはとても思えないような、金属をすり合わせたような音。
次の瞬間、俺の頭の中に自分が体験したことなのに、身に覚えのない場面が走馬灯のように流れ込んできた。グッと声を出して、頭を抱える。そしてそれが終わった時、俺は自分が誰なのかを知った。
ここは暗黒の森。そして俺はそこで暮らすゴブリンだったことを。
個体名:なし
種族名:ゴブリン
生息地:暗黒の森