母の斬らるることと私の妹について
真っ二つに割れて内訌を起こした、というのは些か語弊があるというのは、あなた様が一番分かっておいででしょう。あれほどの栄華を誇った高橋家が、などと世の人は言うが、実際のところ高橋家というのはたった一統の宗家のもとに結束していたとはとても言い難い。いくつもの分家が対等に連衡していて、実力者が当主と振る舞っていたのです。内訌の内の字などどこにあったのか。
あなた様が当主となるまで、その実、高橋一門の中で本家と呼べるような家は無かった。あなた様が他家を圧倒して統一をもたらすまではね。さて、分かっておりますよ。あなた様のご父母のことについて、私の知っている限りのことをお答えしましょう。
今から二十年近く前のころ、当時は高橋一門の中でも、特に有力な家が二家あり、互いに勢力を争っていた。一方はあなた様の父君、千左衛門様。私の旧主にあたりますな。もう一方の家の当主は飛騨守様と言いました。
さて、そのころ千左衛門様の奥方は大変お美しいことで遠近に聞こえておりました。そう、あなた様のご母堂、田町家から嫁いで来られた菊姫様です。
ある時、千左衛門様の長くご不在の折り、事件が起こりました。たまたま外で花見をしていた菊姫様ご一行を飛騨守様の手勢が襲い、悉く生け捕りにして連れ去ってしまった。慌てて城に還られた千左衛門様も軍勢を繰り出すも、菊姫様を人質に取られては動くに動けず、高橋川、あの一族の名字の由来となったと伝わる大河を挟んで睨み合って、そのまま一年以上動きがありませなんだ。
両家ともに疲弊しきり、和平の道が探られました。そして、私も千左衛門様に、
「ともかく菊姫だけは何とか取り戻すように」
と言い含められ、飛騨守様の居城に遣わされました。そこで先に使者として赴いていた筑摩と合流して、二人で交渉をする手筈だったのです。
さて、ここまではあなた様も知っておいででしょう。その時、既に菊姫様は斬り殺されており、筑摩も同様で、私は命からがら城を抜け出し千左衛門様に報告。怒り狂った千左衛門様は軍を差し向け、飛騨守様以下悉くを討ち果たし事件は落着。そう言うことになっておりますな。しかし、事実はそうではない。それはあなた様も薄々勘付いておいででしょう。
あの日、私と筑摩が居並んで飛騨守様に謁見を給い、平伏して待っておりますと、奥の部屋から現れて上座にどかりと座ったのは飛騨守様では無かった。
飛騨守様のご嫡男、貴兵衛様でした。貴兵衛様は一騎当千と謳われた剛力の武者なれど、常々に、
「高橋家は強き者の元で団結しなければならぬ。その宗主は千左衛門様がよい」
と申されており、飛騨守様とは不仲であると有名でありました。ここまで千左衛門家と飛騨守家の中が悪化する前まで、千左衛門様に付き従って数々の戦場を駆け抜けた貴兵衛様にとって、柔和なところのある飛騨守様よりも千左衛門様のほうが一門の宗主に相応しいと映ったのでしょう。それが為に飛騨守様が千左衛門様とことを起こすとき、貴兵衛様は地下の座敷牢に幽閉されたと聞いておりました。
「ご使者どのが参られると聞いて、土産の一つも持たせねば帰せまいと思ってな」
貴兵衛様はそう仰ると、私たちの前に首を一つ置きました。飛騨守様の首です。
「これと菊姫さまを千左衛門様にお渡ししてほしい。これを以て我らの恭順の意を示したい」
私はその言を聞いて、驚いて筑摩の方を見やりました。私が来るまでに筑摩が全て話しを取りまとめたのかと。しかし、筑摩も私と同じように驚いたような顔をしており、どうにもそうとは思えない。
ともかく、貴兵衛様が飛騨守様の首級を持ち上げ、
「手を出せ」
と言うので、私が両手を出すと、そこに首を置いたので、
「謹んで頂戴いたします」
と私は何とか絞り出してその場を退出しました。
「聞く所によると、今朝、貴兵衛様は貴殿の来訪を牢番より聞いて、決意して木の格子を突進して撃ち壊して脱獄し、そのまま父の飛騨守様の首を刎ね上げてしまったらしい」
「筑摩殿、ともかく、これで我々の使命は果たされたと思うべきではありませんか」
「それはそうだが、一つ困ったことがあってな」
私は筑摩に案内されて、幽閉されている菊姫様にお会いしました。そこでの光景に、私は肝を潰してしまいましたよ。
「もう臨月になる」
筑摩はそう言って、でっぷりと膨らんだ菊姫様の腹の辺りを指差しました。菊姫様が囚われて一年以上。千左衛門様の子である筈がない。
「父親は飛騨守様か」
筑摩は黙って頷くと、
「これを知ったら、千左衛門様のことだ。菊姫さまも含め、皆殺しにしてしまいかねん。しかし、産まれるまで待って赤子を隠したところで、菊姫様は嘘が顔に出る質なのはご存知であろう」
「しかし、どうするのだ。千左衛門様の寵愛ぶりは甚だ度が過ぎていた。これを知ったら本当にどうなるか見当もつかん。まず確実に子は殺されるであろうが、菊姫様も下手をすれば首にされておしまいだ」
「そこで、菊姫様と二人で話し合って決めた計略があるのだ。菊姫様は自分が死んでも我が子を守りたいと仰る。協力してくれるか……」
私は計画に乗り、家老の松本様の屋敷を訪れておりました。そう、事件落着の一年後、取り立てた年貢に手を付けた廉で誅されたあの松本様です。しかし、松本様が守役として付いていたあなた様が一番分かってらっしゃるように、あの方はそんなことをするお人ではない。
計画のあらましはこうです。松本様が挙兵し、一挙に飛騨守様、あらため貴兵衛様の居城を攻めたて、貴兵衛様と飛騨守様の首を献上する。そして、菊姫様は時既に遅く飛騨守様の手にかかっていた、と。
当時の私たちには、それで納得する千左衛門様の姿が思い浮かんでおりました。これなら、何とか説得出来る。少なくとも、宿敵の子を最愛の室が孕んだ、というよりも、その最愛の室は操を守って死んだ、の方が、よほど感情的にましに思えました。
「乗ろう」
松本様は即答なされました。筑摩は松本様が乗ってくれるか不安に思っておりましたが、私はすぐに乗ってくるだろうと予想がついておりました。
松本様はあのお美しい菊姫様に、密かに懸想しておられた。家中でもそれに気付いていた人間がどれだけいるか。ともかく、菊姫様の願いとあらば叶えぬ訳がない。
その晩にも、松本様は自身の手勢をかき集めて、屋敷の前へ集結させました。
「よし、出陣だ」
松本様はそう大声で皆へ言うと、私の方へ振り返り、
「まるで韓信だな」
と言って苦笑いを浮かべました。
「貴殿は私の部隊が到着するより先に貴兵衛様の城へ戻り、菊姫様を助けてもらいたい」
私はそれを聞い一人、すぐに出発いたしました。
私が貴兵衛様の城へ戻ると、軍勢来たるの報は既に届き、城内は騒然となっておりました。私は溢れる兵たちに見つからぬように屋根裏から忍び込んで、菊姫様の元を目指しましたが、途中、あの謁見の間の上を通りました。その時の光景は、今でも忘れられない、我々の犯した罪です。
「我らは、我らは降ったではないか。それをなぜ。おのれ貴様、謀りおったな」
貴兵衛様は怒声を上げると、右手で筑摩の髻を掴んで引き倒しました。そのとき、筑摩は固く唇を引き結び、一言も発しませんでした。
「貴様には報いを受けて貰わねば気が済まぬ。おい」
貴兵衛様がそう叫ぶと、後ろに控えていた兵が刀を抜いて差し出しました。
「貴様らにここまで虚仮にされ、厚意を踏みにじられるとは、この私の一生の不覚だ」
貴兵衛様はそう言うと、筑摩の首を一閃して落としました。
「戦の準備だ」
貴兵衛様はそう叫んで奥の部屋へと入って行きました。私が見たのはここまでです。
菊姫様の部屋へ辿り着くと、そこには部屋中に赤子の泣き声が響いておりました。今にも産まれそうだった様子を思えば、その時が来たのかと思いました。
果たして赤子が菊姫様の胸の中で泣いておりましたが、私はそこで奇妙なものを見ました。菊姫様は、死んでおられたのです。短刀で、自ら喉を突いて。
「あなた様が死ぬことは、計画に無かった筈だ。何故……」
私はそう呟かずにはいられませんでした。しかし、事態は急を要する。私は赤子を連れて城を脱出。「命からがら城を抜け出し」という話しになるのです。
そのあと、松本軍は城を襲い、貴兵衛様は討ち死になさいました。悪鬼羅刹のようであった、と聞いております。一人で五十人以上の兵を殺し、返り血で全身が紅に染まっていたそうです。最後は松本様ご自身が大槍を振るって討ち取られたそうです。
その後、勝手に兵を進めた松本様は適当な罪状を付けられ、腹をお切りになられました。
私は引退し、野良仕事をしているなか、「赤子を拾って養い子にして」二人で今まで暮らしてきました。
そして、今流布しているあの話しが作られていったのです。
病で千左衛門様が亡くなられた後の、あなた様のご活躍は聞き及んでおります。しかし、まさか訪ねてこられるとは。これも何かの縁。仏さまがあなたと、妹君を会わせようと思ったのに違いありませんな。
ええ、何故、この話しを私があっさりとする気になったかですって。ええそれは、やっと分かったからでありますよ。誰が一番の狸であったか。
おい、秋。ほらほら、お美しい姫君でしょう。あなた様の妹君でありますよ。
なんとも、似ていると思いませんか。父親に。貴兵衛さまに首を落とされた、あの説者風情にね。
韓信きらい
黥布のほうがすき