闇夜のなかで
2018,8/10 改稿
爺さんが病院に入ってからずっと動かしていなかったのにも関わらず、この美しいクルマは何の問題もなく走り続けている。
FC3Sのヘッドライトだけが唯一の灯りとなり、この峠道を照らしいく。カーブのたびにガードレールの反射板が明るく輝き、瞬く間に後ろへと流れていく。
FCに積まれた2基のロータリーエンジンが、その甲高い咆哮を響かせながら、シートに体を沈ませる。
連続した先の見えないヘアピンカーブを、速度を落とすことなく細かなアクセルワークだけで走り抜けていく。
強烈な横Gによって車体がアウト側に傾いていく。カーブに合わせてゆっくりとハンドルをもとに戻すのに合わせて車体にかかっていた荷重が移っていく。
アウト・イン・アウトではない、峠の次々と迫りくるカーブを考えたアウト・イン・インのラインを選んでいく。
やや蒸してきた車内の空気を変えようと、自分が載っていた車と同じ感覚でエアコンのコンソールパネルを探そうとして、このFCにはそういった類のものは全て取り外されていたことを思い出す。
「ああ、そうか。お前は全部とっていたんだったよな。たしか爺さんが重いし使い方が分からないからいらん、とか言ってな」
懐かしい記憶を思い出しながら、レギュレーターハンドルを回してサイドウィンドウを開けていく。
欲を言えば、助手席側の方も開けてしまいたいのだが、腕が届かない。それに一旦停まってしまうことにも抵抗がある。
自分が思い浮かべる、こう走りたい、その思いを一寸の狂いなく、遅れなく実現してくれるFCに夢中になっていた。
ドライバーの意思を忠実に反映してくれる。ただその事実に、僕は魅了されていた。
ぐっ、と勢いをつけてペダルを3センチほど踏み込む。それに合わせてロータリーエンジンがうなりを上げて回転数を上昇させる。
この道もそろそろ終盤に差し掛かる。先ほどまでの急こう配から打って変わり、頂上に近づくにつれて緩やかな傾きへと変わっていく。
自然と速度が上がり始める。踏み込んだアクセルペダルが、FCの更に踏み込めと催促を伝えんとばかりに震える。
タイトカーブを一つ越えるたびに、4つのタイヤのゴムが擦れて硬質な音を鳴らす。
タイヤのグリップ性能を目いっぱい―――いや、3割ほどの余力を残したまま、カーブの連続を走り抜ける。
カーブに合わせてタイミングよくハンドルを切ることで、車の荷重を左右に移動させていく。
最後のカーブ。その直前のやや短い直線で、アクセルペダルから足を離し、ブレーキペダルへとのせる。
くっと踏み込んだブレーキがFCにかかっていた荷重の全てを一旦打ち消していく。
ラストコーナーに合わせて、車体をアウト側へと寄せていく。
カーブの頂点、すなわちクリッピングポイントにめがけてブレーキを静かにゆっくりと踏み込んでいく。
徐々に沈み込んでいくフロントを横目に見ながら、カーブの先へと視線を向ける。
そっと、アクセルペダルへと足を戻す。クリッピングポイントを越えた瞬間に、何かに導かれるかのように踏み込んでいく。
その力を失った速度へと変えて、加速を始める。
最後のヘアピンコーナーが終わる。
アウト側へと膨らんでいたボディを徐々に戻しつつ、アクセルを抜いていく。
先ほどまでの猛りっぷりが嘘かのように、2基のロータリーエンジンが静かに回っている。
頂上にちょっとした休憩スペースがあったはずだ。疲れるような運転はしていないが、この熱は一度冷ました方がいいかもしれない。
いつからだっただろうか。運転に楽しさを感じなくなっていたのは。
久方ぶりの走ることの歓びで、身体の奥底で大きな熱のカタマリが燃え盛っている。
「魔性のクルマだな、本当に。これは爺さんが夢中になる訳だ」
―――それとも、爺さんの息子だからなのかもしれないな。
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走り始めてから既にかなりの時間が経っていた。
日はすっかり沈み込んでしまい、月が雲に隠れてしまっているのか辺りは真っ暗だった。
普段なら、こんなに遅く走り込むことない。ヒルクライムで走り込みをして調子を確かめて、それからゆっくりとクルマを走らせて帰る。
それが日課だった。
しかし今日だけは違った。別段、走りに納得がいかなかったわけでもなく―――むしろいい走りができて満足している。
こう走りたい。その考えをしっかりと走りに反映することができていた。
そっとハンドルに手をかける。今日の走りが、自分の理想に近いものになっていたことを実感するために。
あともう少しだけ、ここで休んでいよう。スープラのウィンドウから覗く外の景色は真っ暗で、どこまでも暗闇が続いている。
自分とスープラだけの場所のようで、それが特別のように感じていた。
シートへと深く座りなおして間もない時だった。
かすかに聞こえるエキゾースト音が私の思考を切り替えさせた。シートから身を起こし、じっと耳を澄ます。
下から上がってくる一台のクルマ、その聞いたことのない甲高いエキゾーストが夜の闇に響いている。
着々と近づいて来るその音に、この音の主がかなりのハイペースで走っていることが察せられる。
いったい誰がこんな時間にここを走っているのか。ほんのちょっとだけ興味を持った。
そろそろだろうか。ヒルクライムとしてのコースが終わるまで、直線が4、カーブが3。いや、ちょうど2つになった。
わたしの奥底に眠る闘争心に炎が灯る。
いざ、追いかけんとばかりにエンジンを掛けようとしたその瞬間、夜の静けさを裂かんとばかりに響いていたエキゾーストが静かになった。
休憩所の入り口の方から、見慣れぬ白いクルマが一台入ってきていた。
リトラクタブルのヘッドライトが特徴的な白いクルマは、休憩所からほど近い場所でエンジンを切った。
辺りは再び闇に包まれた。
あともう少し近ければ、そのクルマの主の顔が見えていた。どうやって話しかけようか、と悩んでいたが、その切っ掛けは案外はやくに訪れた。
そのドライバーは、休憩所の隣で省電力モードの効果を発揮して照明を落とした自動販売機へと歩いていったのだ。
人が近づいたことでセンサーが作動し、照明が点く。青白いその光を受けて、ようやくその人物が男性であることに気が付いた。
この街の走り屋ではない。わたしは、今までにこの男を見たことがない。
情報網にも登録されていないだろうことは容易に想像がついた。
一般人なのか。それとも新進気鋭の無名の新人か。
どちらにしても、おもしろくなりそうなことは確かなことだ。
まだ彼に声をかけるつもりはない。
ただ少し、帰り際に計らせてもらうとしよう。なに、ほんの少し後ろから突いてみるだけのことだ。
スープラのハンドルへ両の手をのばす。冷えたハンドルに、指を一本ずつ重ねていく。
「白いFC、まさかね。ありえない」
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