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八報目・外神田の武人

今回は一寸ホラーチック、かな?

 千代田区・外神田。

湯島聖堂の横で昼寝をしていた裏辻が目を開くと、運転席の窓越しにこちらを見ている武人然とした和装の男とばっちり目が合った。


「び」

「わぁい」


 あ、これはやばい人だ。

裏辻と銀太は瞬時に悟った。

何しろ気配がもう尋常ではない。

普通、人に紛れるモノ達は自分の気配をある程度抑えているものだが、この御仁は全く抑えていない。そこはかとなく不吉さが混じる威圧感が駄々漏れになっていた。

外神田界隈の人外で、この威圧感。

裏辻も銀太も、心当たりは一人しか居なかった。


「娘。乗せろ」


 窓を開けていない筈なのに、威厳に満ちた声が響く。


「…………はい」


断りたい。出来れば断りたい。――だが無理だった。

“乗務員は乗車申し込みを特別な事情がない限り断ってはならない”のだ。

今は、特別な事情も何もない。裏辻は昼寝から覚めただけである。

今日に限ってこの場所で休憩した自分を恨みながら、裏辻は客席のドアを開けた。


「首塚まで頼む」

「首塚まで、ですか」


 ここから首塚までというと、このまま本郷通りを走って大手町一丁目の次の信号を右だろうか。

考えたルートを告げると、男の眉間にきつく皺が寄った。説明がよく分からなかったらしい。


「其処に入れ」


 すっと男がある一点を指す。

そこには、ブラックホールを思わせる黒い穴が、ぽっかりと口を開けていた。


「ええと」

「見えておろう?」

「……………………はい」


これはあれか、もしかしなくても異界の裏道ツアーか。

裏辻は内心頭を抱えた。正直、とても行きたくない。

行ったらまた妙に細い道や舗装されていない道を走らされるのだろう。

ついでに時々火車や朧車がこちらを不審げな目で見てくるのだ。

そんな目でこっちみんなと言いたいが、異界において不審なのは裏辻の方である。そればかりはどうしようもない。

そんなに行きたくないなら断ればいいじゃないという声がありそうだが、そういう訳にもいかない。

目的地までの道順は、なるべくお客様の意向に沿う事。タクシー乗務員の鉄則である。苦情防止の為にも、必要な事だ。

かくして裏辻は、一抹の不安を抱きつつ黒い穴に向かって車を走らせたのだった。



 案内されるままに昼間でも妙に薄暗い異界の道を走る。

概ね大通りなどは似通っているが、当然のことながら信号は無い。それ以外にも、細かな道に違いがあった。

それはさておき。


「あの、お客様」

「何だ」

「首塚の方に行くにしたがって真っ黒い何かが増えている気がするのですが」

「気の所為では無いぞ」


裏辻としては、其処は例え嘘でも気の所為だと言って欲しかったところだった。

若干涙目になりながら周囲を見渡す。

黒い何かは、靄というよりはスライムのような粘着質の物体の塊ようだ。

長いこと見ていると気分が悪くなってくるので、急いで目を逸らす。


「……また増えたな。面倒な」


 “また”ってなんだどういう意味だ。

喉元まで出かかったツッコミを辛うじて呑み込み、裏辻は車の運転に集中する。

地面を蠢く黒い塊は出来る限り避けた。

が、塊は不意にごぽりと音を立てて持ち上がると、裏辻の車に迫ってきた。


「いーやあああああああああ!?!?!?!?!?!?!?」


急ブレーキに急ハンドル、避けた後に急加速。

教習所で披露したら確実に教官からこっぴどく説教を食らいそうな運転で、裏辻は黒い塊を回避した。


「おお、凄いな」


必死な裏辻と対照的に後ろの男は至って呑気で。


「凄いなじゃないわよこの野郎!!!!!!!!」


たとえどんなにお客に腹を立てていても丁寧に振舞える自信がある裏辻も、流石に堪忍袋の緒が切れた。


「将門公、アンタこれで首塚に着くまでに事故ったらどうするんです?!事故報告書になんて書けばいいのよ!黒いスライムが体当たりしてきて事故りましたなんて書いたら笑いものにされるのがオチじゃないよー!!!!!!」


うわあああああんこの馬鹿あああああああああ!!!!!と叫びながらも、裏辻は車を捌いて黒い塊を軽やかに回避する。

本格的に泣きそうな裏辻に、男――平将門は何とも言えない顔で視線を彷徨わせた後、


「すまん」


気まずげにそう言った。


「すまんで済んだら警察はいりません!!!!それより!こいつら何とかしてください!!!!」

「うびびうびびー!」


そうだそうだー!という様に、いつの間にか出て来ていた銀太も声を上げる。

よく見ると窓の外では風が渦を巻き、黒い塊を強引に弾き飛ばしていた。が、黒い塊は増える一方だ。


「…………あれは、大元を絶たねば如何にもならぬ」


将門の呟きに、裏辻は果てしなく嫌な予感がした。


「娘。あれの只中を出来る限り早く突っ切ってくれ」


申し訳なさそうにそう言われて、思わず卒倒しそうになる。

卒倒する暇すら、今の裏辻には無かったが。


「…………これで事故ったら請求書は神田明神宛に送ればよろしいですかね」

「……う、うむ?」

「よーし言質は取ったぞー」


もう泣きそうだとかパニックだとかを通り越え、裏辻は一周回ってハイになっていた。

うふふふふふふふ、と若干壊れた笑顔で思い切りアクセルを踏み込む。


「銀太ー!」

「びー!」


 風が強さを増し、塊を蹴散らす。

一瞬できた道に、裏辻は遠慮容赦なく車を突っ込ませた。

後ろでごっつんという鈍い音とうめき声が聞こえてきたのは完全に無視する。シートベルトを着用するように勧めたのにしなかった方が悪いのだ。こういう時の為のシートベルトだというのに!

塊を避けるべく思い切りハンドルを切りながら裏辻は叫んだ。


「次は何処で曲がればいいんですかねー!!!!!」

「曲がらずとも良い、あの明るい所に向かって走れ!」


明るい所、と言われて黒い塊の奥に目を凝らす。

見ると、確かに日差しが射しこんでいるようだ。

少しでも早く光がさす方に向かうべく、裏辻はガッと更にアクセルを踏み込む。

同時に、黒い塊が行く手を阻むように持ちあがった。


「邪魔してんじゃねえ轢き潰して挽肉にすんぞこのくそったれ!!!!!!!」


仕事中とは思えぬ罵声と共に、車が黒い塊に突っ込む。

ぶちぐしゃあ、とえげつない音を響かせながら崩れる塊を尻目に、車は日差しに向かって駆け抜けた。

広い大通りに出る。

 裏辻にとって見慣れたそこは、内堀通りだ。そして目の前の信号は、皇居を竹橋方面から回った時の、大手門の二つ手前の信号。

つまり、首塚へは――


「次の信号を左でよろしいですね!」


一応形だけ確認を取りつつ、裏辻は遠慮なくがら空きの左折レーンに車を突っ込ませた。

信号を余裕ですり抜け、首塚の丁度前でブレーキを踏みこんで車を停める。


「……こちらでよろしいですね」


よろしいって言えよ、この野郎。と言わんばかりの据わった目に、将門は無言で頷いた。


「娘。吾が用事を終えるまで待っていろ」

「…………はい?」

「銭は上乗せして払う」


裏辻としては、とっとと将門を降ろして帰りたかった。

が、将門は将門で退く気はないらしい。


「…………手短にお願いしますね」

「努力しよう」


 渋々了承した裏辻にそう返し、将門は車から降りていく。

それを見送りつつ、裏辻はそう言えば、と呟いた。


「車体、チェックした方が良いわね」

「うびい」


結構黒いのを轢いたり弾いたり潰したりしたもんなー、と乾いた笑いを浮かべつつ、裏辻も一度車から降りる。

幸い、車はどこもへこんだり傷付いたりしている様子は無かった。

あの黒い塊は、実体があるようでないのだろうか。

結構派手にぶつかった覚えがあるんだけれどな、と首をひねりつつ、裏辻は首塚の方に目をやった。


「あの刀、何処から出したの」


 首塚では、将門が周囲から湧き出る黒い塊を片端から切り捨てている。

切り捨てられた黒い塊はすっと透明になって大気に溶けていった。


「……浄化、してるのかしらねえ」


黒い塊が減るにつれ、少しずつ首塚の周りの空気が澄んでいく。

 暫くすると、一通り塊を切り終えたらしい将門が戻ってきた。

裏辻はさっと客席のドアを開け、将門を迎え入れる。


「よろしいですか、ドア閉まります」


一声かけてからドアを閉め、運転席に乗り込んだ。


「…………帰りは普通の道でよろしいですね?」

「うむ」


また据わった目を向ける裏辻に、将門はこっくり頷く。

ついでに言われる前にシートベルトを締めていた。

頭をぶつけたのがよほど堪えたらしい。


「では、本郷通りから神田明神にまいります」


裏辻のアナウンスと共に、車はゆっくりと動き出した。



 帰り道は至って快適だった。


「あの塊が何か分かるか」


幾つ目かの信号で止まった時。

将門にそう問われ、裏辻は軽く首を傾げた。


「怨念っぽい何か、ですかね?あそこ、余程やばいものでもいるんですか?」


逆に問いを投げた裏辻に、将門は静かに首を横に振った。


「彼処にいるものは特段悪い輩ではない。ただ、あの場所には良からぬ願いを持ち込む者が多い――怨霊でもある吾と、縁がある場所だからな。あまりに願いが溜め込まれると周囲に影響が出る故、時折始末しに行っている」

「なるほど」


 そう言えばこの人(?)、祀られて江戸の守り神やってるけど元々は怨霊なんだよな。つまり掃除しに行ってるようなものなのか。

微妙に失礼な納得の仕方をしつつ、裏辻は車を走らせる。

 ニコライ堂の裏を抜け、聖橋を渡って神田川を越える。

東京医科歯科大学を左に見つつ湯島聖堂前の交差点を右に。


「天野屋の前で停めてくれ」

「かしこまりましたー」


言われるままに、天野屋の前――神田明神の参道の入り口にある、甘酒屋だ――で車を停める。

メーターの料金は、往復分と待たされた分も含めてそこそこの金額だ。

ちなみに異界を走った分もちゃんと計上されている。異界だからと言ってメーターが狂う事はないようだ。


「少し待て」

「はい?」


 きっちり料金を頂いて裏辻がドアを開くと、将門はそう言い置いてすたすたと降りて天野屋に入って行く。


「…………待てと言われても……まだ何かあったかしら?」

「うびい?」


ドアを開けたまま一人と一匹で首を傾げていると、何やら袋を手にしてすたすたと戻ってきた。

ひょいと袋を差し出される。

思わず裏辻が受け取ると、一言「詫びだ」と告げられた。


「色々とすまなかった」

「あっはいどうも……?」


ぱちくりと目を瞬かせる裏辻と銀太を余所に、将門はひらりと手を振り去っていく。

その後ろ姿が風景に溶け込んで消えるまで見送り、一人と一匹は顔を見合わせた。


「甘酒だね」

「び」

「帰ったら飲もうか」

「んび!」

「……………………もう帰ろうか。なんか疲れたし」

「うびうび」


 ぽつりぽつりと会話をし、揃って溜息を一つ。

もう、休憩時間が足りないとか良いから帰ろう。もう今日は営業なんてしない。売上なんて気にしない。

そう決めた裏辻は、営業所まで一目散に車を走らせたのだった。



 貰った甘酒は、大層おいしかった。

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