七報目・内堀通りのターボばばあ
千代田区・大手町。
お客を乗せた裏辻は、大手門を左に曲がって内堀通りを走っていた。
今日も今日とて内堀通りは車が多い。ビジネス街や官庁街が広がっている事と、複数の大通りの起点でもあるこの通りが混雑しているのはいつもの事だった。
歩道に目を向けると、ランニングやウォーキングをする人々――皇居ランナーの姿が目につく。
(ああうん、今日もいい天気だからねえ。絶好のランニング日和だよね)
目線だけで走る人々を見送り、裏辻は前の車に続いて車を動かした。
そのすぐ脇を、猛スピードで何かが駆け抜けていく。
「運転手さん…………今さ、物凄い速さでおばあさんが通り過ぎて行かなかった……?」
「え、さあ……?バイクじゃないでしょうか」
呆然としているお客にそう返した裏辻だったが、実は彼女には、すれ違いざまにとてもいい笑顔で親指を立てて見せる、上品な和服姿の老婆がばっちり見えていた。
(本日何周目ですかね、おばあちゃん)
今時、皇居ランナーになっているのは、何も人間だけではないらしい。
猛スピードで車の間をすり抜ける老婆は、今日も大変元気だ。
ほぼ毎日よく飽きないよなあなんて思いつつ、裏辻は気を取り直して目的地に車を走らせた。
お客を地方裁判所の前で降ろし、国会通りから日比谷通りへ入る。
日比谷公園の横、丁度帝国ホテルの向かいあたりで、誰かが手を上げていた。
年齢は七十代後半から八十あたりか。和服の、上品そうな老婆である。
うっかりいつもの癖で左に寄って車を停めて、ドアを開いたところで裏辻は気付いた。
(人外皇居ランナーなお婆ちゃんじゃないですかー……)
そう、裏辻の車に手を上げていたのは、先程猛スピードで車の隙間を駆け抜けて行った老婆だった。
車に乗るよりも自分で走った方が早いんじゃないか、この人。
そんな事を思いながら、裏辻はいつも通りに「どちらまで?」と目的地を聞いた。
「あのねえ、日本橋三越まで行ってちょうだい」
「日本橋三越ですね、畏まりました。本館と新館の間のタクシー乗り場でよろしいですか?」
「ええ、ええ。そこで大丈夫よ。大手町の次を右ね」
「畏まりました」
大手町の次を右となると、そのままガードをくぐって直進して、本石町一の交差点を斜め左か。
脳内でルートを確認し、右にウィンカーを出して車を動かす。
「もうねえ、かれこれ今日だけで二十周位したんだけれどねえ、ちょっと疲れちゃって。歳ねえ」
「はあ……それは、お疲れ様です」
皇居を猛スピードで二十周もしておいて歳も何もあるんですか、とツッコみたい気持ちを裏辻は何とか堪えた。
人外のお客様を接客する時の心得・ツッコんだら負け。
一々ツッコミを入れていたら、間違いなく裏辻の喉がもたない。
「それにねえ、和服で走るのって結構大変なのよ。だからこの際、うぇあとしゅーずを買おうと思って」
「…………裾捌き、大変そうですもんね」
ちょっと待っておばあちゃん、これ以上早く走ってどうするつもりなの。風になるの?
またツッコみたい気持ちを堪えつつ、裏辻は大手町の先の交差点を信号すれすれで右に曲がった。
この交差点は右折用の信号が無いため、少々強引にでも突破しないとまた長々と信号に引っ掛る羽目になる。それは出来れば避けたいところだったし、此処さえ抜けてしまえば後はわりと早い。
ガードをくぐり、一瞬だけ日本銀行の本館を左側に見つつ交差点を直進する。
本石町一の交差点を斜め左に入って少し走れば、三越の本館と新館の間に到着だ。
今日もタクシーが何台か並んでいる。ついでに横すれすれをロールスロイスがすり抜けて行く。
ぶつかったらシャレにならないからすり抜けとかほんと勘弁してと内心思いつつ、裏辻は係員の傍で車を停めた。
「たまには車に乗るのも良いもんねぇ」
「それは良かったです」
料金を告げ、現金を頂いてお釣りを渡す。
のんびりとした動作で降りて行く老婆の姿から、内堀通りを猛スピードで爆走しているところなんて誰が想像できるだろうか。きっと誰も出来ないだろう。
「折角だし、此処に並んでみようか」
「うび」
裏辻と銀太がそんな会話をしているうちに、前が二台ほど動いた。
これなら、すぐにお客を乗せられるだろう。
此処からお客を乗せた事があまり無いので何処に連れて行かれるかは分からないが、それもまたいいだろう。
遠すぎると帰る時に困るので出来れば知ってる範囲でちょっと遠い所が良いが、そればかりは運次第だ。
「さて、吉と出るか凶と出るか」
なんだかんだ言って博打よねーこの商売なんて思いつつ、裏辻は待機列に並んだのだった。
数日後。内堀通りを色鮮やかなウェアに身を包んだ老婆が以前よりもさらに速いスピードで変顔しつつ駆け抜けて行くのを見かけた裏辻が、お客を乗せている最中にも拘らず噴き出しそうになってしまったのは、また別のお話。
イイ笑顔で駆け抜けていったり、変顔したり。そのうちコスプレもし始めるかもしれないおばあちゃんであった……。