六報目・南麻布の鎌鼬三兄妹
港区・南麻布。
外苑西通り沿いのコンビニで買い物を済ませた裏辻が車に戻ると、三人の子供がとてとてと走り寄ってきた。
男の子が二人、女の子が一人。幼い三兄妹だ。
「あの、乗せて欲しいんですけれど、良いですか?」
長男と思しき、十歳前後の少年が裏辻をまっすぐ見上げて口を開く。
僅かに声が震えているあたり、随分緊張しているようだ。
「え?ああ、構いませんが……」
「やったぁ!」
乗せるのは良いけれど保護者の方は、と続ける前に少年が嬉しそうに笑ってぴょんと跳ねた。
ひゅるり、と鋭い音を立てて風が渦を巻く。
――ああ、この子達は鎌鼬か。
風を操る妖怪で、三人きょうだい。
其処から正体に当たりをつけ、わあい人外の子供なんて初めて乗せるかもー、なんて思いつつ裏辻は思わず遠い目をした。
ちなみに、人の子供だけを乗せたことならある。
この界隈では、遅刻しそうな小学生がタクシーに乗ってくることがたまにあるからだ。
今回も同じようなパターンだろう。
親は目的地にいると見た。
「何処まで行くか伺っても?」
子供であってもお客様。
お客様には敬語で接客。
接客業の基本に従って問いかけた裏辻に、元気に答えたのは二男と思しき少年だった。
「えっと、羽田空港まで!」
「……はい?」
「天現寺から高速道路に乗ってくださいって!おかーさんがメモに書いてくれました!」
思わずぽかんとしているところにはいこれ!と少年がメモを差し出してくる。
メモには確かに目的地は羽田空港である事、第一ターミナルの出発ロビーまで子供達を送って欲しい事、お金は長男に持たせている事と、ご丁寧に経路まで書いてあった。
「あー、わかりました。天現寺から高速道路に乗って、湾岸線経由で羽田空港国内線ですね」
「わんがんせん?」
「ええと、レインボーブリッジを通りますよ」
裏辻の言葉に首を傾げていた子供達だったが、レインボーブリッジと聞いて目が輝く。
「俺、窓側が良い!」
「やだ、俺も窓側が良いー!」
「わたしもまどのそばがいい」
全員が全員、窓の傍が良いと主張しだした。
お互い、譲る気はさらさら無さそうだ。にらみ合いを始めている。
「誰か一人、助手席に座っても良いですよ。そうしたら、皆窓側に座れるでしょう?」
皆が窓際に座れるようにと思っての裏辻の提案だった。
が。
「俺助手席!」
「違うよ!俺が助手席!」
男子二人の争いが余計ヒートアップしてしまったようだ。
女の子は納得したように頷いているのに。
「びう」
裏辻の胸ポケットから、銀太が急かすように一声鳴いた。
ここで争わせていたら何時迄経っても出発できない。
「私と皆さんでじゃんけんしましょう。最初に勝った人が助手席です。恨みっこなしですよ」
「「えー」」
「えーじゃありません」
不満気な男子達だったが、譲る気がなさそうな様子の裏辻を見て、渋々納得したようだった。
「最初はぐーですからね。よろしいですか?」
拳を見せる裏辻に、子供達が神妙な顔で頷く。
「行きますよ、最初はグー、じゃーんけーん」
ぽん!で一斉に思い思いの手を出した。
結果はというと、裏辻がグー、男子二人がチョキ、女の子がパー。
勝ったのは末っ子の女の子だった。
「かった」
嬉しそうに笑う女の子と対照的に、男子二人は残念そうにしている。
「はい、決まりましたね。ではお乗りください」
ようやっと席が決まったので、裏辻はさっさとドアを開けて子供達を促した。
大分時間を食ってしまった。少し、急いだ方がいいかもしれない。
そんなことを思いながら、裏辻も車に乗り込む。
シートベルトを締めながら子供達にもシートベルトを締めるように促し、裏辻は車を動かしつつメーターを入れた。
外苑西通りを下り、天現寺の交差点を左折する。
一番右の車線に入り、信号を抜け、メーターの高速ボタンを押しつつ首都高の入り口へ。
ETCゲートを抜け、隙を見計らって車の流れに合流した。
「はやー」
「車が一杯だな!」
結構なスピードで高速道路を駆ける。
二号目黒線を道なりに走り、一ノ橋ジャンクションを右に。
左手に一瞬だけ東京タワーを見つつ、浜崎橋ジャンクションをまた右に曲がって一号羽田線へ。
そして分岐をまた右に曲がると――レインボーブリッジだ。
「海だあああああ!!!!!」
「すごいすごいたかーい!」
子供達のテンションが一気に上がる。
あー、元気だなあなんて思いつつ裏辻はしっかり前を見据えていた。
一瞬でも脇見をしようものならそれが命取りになる。
高速道路は一寸した戦場だ。
あっという間にレインボーブリッジを通り過ぎ、有明ジャンクションを右に。余談だが、これを左に曲がるとそのうち東関東自動車道に合流して、ディズニーランドや成田空港に行ける。
さて、レインボーブリッジを過ぎてしまうと、見どころらしい見どころはもうない。
道路と流れる車の殺風景な景色が続いていく。
「つまんないー」
「まだつかないのかな」
案の定、男子二人が飽き始めた。
アンタ達、ちょっとは妹さんを見習いなさい。
大人しく助手席に座り、時折何やら此方を窺ってくる末っ子の女の子を横目に、裏辻はこっそり溜息をついた。
「遊ぼうぜ!」
「おー!」
何して遊ぶんだと裏辻が内心ツッコんだ瞬間、室内で勢いよく風が渦を巻く。
車体がぐらりと不気味に震えた。
「やめ――「びうー!!」
やめなさい!と裏辻が叫ぶ前に、銀太が大声で叫ぶ。
びりっと車内の空気が震え、風が強引に打ち消された。
「ぐるるるるるるるるるる」
男子二人を見据え、銀太が低く唸る。
相当ご立腹のようだ。
「「ご、ごめんなさい」」
彼等が涙声で謝っているあたり、どうやら相当怖い顔をしているらしい。
銀太はびい、と念を押すように一声鳴くと、ふんすと鼻を鳴らして裏辻の肩にぽすんと乗ってきた。
「……ありがと」
「うび」
礼を言いつつ、無意識に入っていた肩の力を抜く。
これで事故になったら、本当に洒落にならない所だった。何とか真っ直ぐ走れてはいたが、銀太が止めさせなかったらどうなっていた事やら。
今度好きなお菓子でも買ってやろうと心に決めつつ、裏辻はさっさと車を左に寄せて空港中央の出口で降りた。
第二ターミナルの到着ロビーの前を抜け、第一ターミナルへ向かう。
「えっと、たくしーこうしゃじょう?でおろしてください」
「ああはい、畏まりました」
女の子に言われるままに、裏辻はタクシー降車場で車を停めた。
料金を読み上げると、長男が恐る恐るお札を差し出してくる。
「あの、さっきはごめんなさい……」
銀太の脅しが効いているようだ。物凄く萎れている。
「いやまあうん、はしゃいでるからってあんなことやっちゃ駄目よ?危ないから」
「「はぁい」」
裏辻の言葉に、二人は声を揃えて返事をした。
「うん、良いお返事です。ほら、飴ちゃんあげるから元気だしなさい。そんなしおれた顔でお母様の所に行くのは良くないわよ」
そう言いつつ釣銭と一緒に飴玉を手渡す。
びうー、と不満げな鳴き声が聞こえたが無視した。
「宜しいですか、ドア開きます」
一声かけてからドアを開く。
「ありがとー、おねえちゃん!」
「ばいばい!」
男子二人は飴玉で機嫌を直したらしい。
元気に降りて走って行った。
一方の女の子はというと、何やら肩に掛けたポーチの中を探っている。
「行かないのかな?」
「ちょっと、まって……あった!」
声をあげて女の子がポーチの中から引っ張り出したのは、目薬だった。
「あのね、おねえちゃん、おめめがおつかれみたい。これ、あげる」
「いいの?」
「うん。じゃあね、おねえちゃん。おしごとがんばってね」
きょとんとする裏辻を余所に、女の子はぴょんと車から降りて走っていってしまう。
「なんか、変わったものを貰った気がするわ」
鎌鼬がくれるのなら傷薬な気がするけれどと思いつつ、裏辻は目薬をポケットにしまった。
「今日はもう御仕舞かな」
時計を見ると、もうそれなりにいい時間になっていた。
今から都心に戻って営業する余裕は、残念ながらなさそうだ。
「なんか疲れたわー」
「うびー」
あーやれやれ、と一人と一匹は揃って溜息をついた。
こんな時は、早く帰って寝るに限る。
裏辻はさっさと帰るべく、車をまた走らせたのだった。
子供を乗せて空港まで、は知り合いの実話だったりします。
私も最初聞いた時は驚きました。
所々、友人にアイデアを貰いました。この場を借りて、御礼申し上げます。