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四報目・目黒の遅刻狐

まぁなんだ、時間の確認って大事よね。

 晴れ渡った青い空。けれど、ぽつぽつと雨が降っている。


「あー、誰かお嫁に行くんだねぇ」

「びう」


 港区・白金。

ビルとビルの間にある公園で、裏辻と銀太は休憩していた。

今日は大安。結婚式には良い日和だ。

式場の周りをうろつけば、式帰りのお客を狙えるかもしれない。


「八芳園のあたりでも行ってみるかなあ……」


 座っていた植え込みの縁から立ち上がり、裏辻はぐっと身体を伸ばした。

相変わらずバキバキと年に見合わない音がするのに溜息をつき、車に戻る。

車に戻った一人と一匹が見たのは、何故か車の前やら横やらをうろうろうろつく――大きな妖狐だった。


「…………」

「…………」


何も見なかったことにしてもうちょっと休憩しよう。そうしよう。

目で会話した一人と一匹は公園に引き返そうとした。

が、


<君、このタクシーの運転手さん!?>


逃げられなかった。

 驚くべきスピードで目の前に回り込んできた妖狐が、一瞬で人の姿に変わる。

モーニングコート姿の男性だ。見た目の年齢は五十代あたりだろう。きりっとしていれば格好いい渋いオジサマである。

最も、今現在は格好いいとは言い難かった。

あちこち走り回ったのかモーニングは乱れており、オールバックに整えられていたであろう髪はあちこち後れ毛が飛び出ている。


「あの、大至急、目黒の雅叙園までお願いできるかな……っ!」

「アッハイカシコマリマシタ」


 胸倉を掴みかからんばかりの勢いで妖狐に迫られ、裏辻は人形のように首を縦に振るしかなかった。


「ごめんね本当にごめんね迷子になっちゃって降りる駅間違えちゃってもう都心怖い」

「分かりましたから落ち着きましょうか、お客様」


おろおろおたおたしている妖狐を車に押し込み、さっさと運転席に座ってエンジンをかける。


「桜田通りから目黒通りで雅叙園の方でよろしいですか?」

「うん、着くなら何でもいいのでお願いします!」

「かしこまりました。あ、シートベルトの着用をお願いします。飛ばしますよ」


妖狐がシートベルトを付けたのをバックミラー越しに確認し、裏辻はぐっとアクセルを踏み込んだ。

 一応一時停止の標識は守り、突き当りの一方通行を左に曲がる。

青から黄色に変わった信号を突破し、突き当りの大通りを信号ギリギリで右に曲がる。

桜田通りの緩やかな坂を法定速度をぶち抜いて駆け上がり、また信号ギリギリで清正公前の交差点を右に曲がって目黒通りへ入った。


「時間は間に合いそうですか!?」

「えと、た、多分…………?」


何故其処で疑問調。思わずツッコみたくなったが、裏辻はぐっとこらえた。

目の前の信号が赤になったので停まる。

流石に赤信号を突破する程無法者ではなかった。

対向車線に白バイがいたから、というのもある。


「あ。折角だからこれ使って下さい。髪の毛ぐしゃぐしゃですよ」


停まっている隙に助手席の前の物入れを漁り、裏辻は手鏡と櫛を妖狐に差し出した。


「ああ、すまない。ありがとう」

「このまままっすぐ走って左に曲がればもう到着しますから、それまでに整えておいた方が良いですよ」

「うん」


受け取った妖狐が身だしなみを整えるのをバックミラー越しに見ながら、信号が青になったのでまた車を走らせる。

上大崎の交差点を越え、目黒駅の前を駆け抜けて権之助坂を下り、さあこの先の路地を左に曲がろう、という時だった。


「あっ?」


後ろの妖狐が妙な声を上げる。


(まさかこの期に及んで実は行き先間違えてましたーとかじゃないでしょうね…………)


内心冷や汗をかきながら、裏辻は妖狐の様子を窺った。

何やら小さな紙を見ている。恐らく、招待状だろう。


「…………あの、そのー…………一時間、時間を間違えていて……早く、着きすぎてしまったようだ…………」


ふにゃりと眉を垂れつつ、妖狐は言いにくそうにそう述べた。

急かされ損じゃないですかやだーとか、時刻の確認くらいちゃんとしておきましょうよとか、慌てすぎだろこの御仁とか、言いたい事が色々と裏辻の胸中で渦を巻く。


「………………………………遅刻じゃないだけ、まだ救いがあると思います」


沈黙の末に何とかそう返した声は、微妙に平坦だった。


「うん、本当にすまない…………」


恐縮しきった妖狐と無言の裏辻。

何とも言えない空気のまま、車は雅叙園の車寄せに滑り込んだ。

 停車と同時にメーターを止めて料金を告げると、妖狐はそーっと五千円札を差し出してくる。


「いや、あの、多過ぎなんですが」

「いや、良いから取っておいてくれ。迷惑をかけてごめんね」


迷惑料にしても、流石に貰いすぎだ。

返そうとした裏辻だったが、それよりも早く自分で扉を開けて妖狐は車外に出てしまう。


「じゃあね、ありがとう」


軽く手を振ってドアを閉め、すたすたと歩き去っていく妖狐を裏辻と何時の間にか肩に乗っていた銀太は呆然と見送った。


「…………多すぎ、だよね」

「びう」

「まあ、貰っとこうか……返したら寧ろ嫌がられそうだし」

「びう」


 貰うと言いつつやっぱり貰い過ぎな気がするようなしないような。

ちょっと複雑な気分になりながら、裏辻は雅叙園から出て行人坂を上った。

出された五千円を仕舞い忘れたが、この坂は急な上人通りが多い。

仕舞うのは後にして、運転に集中する。

駅の横を抜けて右に曲がり、少し走ってから漸く車を停め、裏辻はそこでようやくまともに五千円札を見た。


「あ、新渡戸さん」


 ぱっと数字だけ見ていたので気付かなかったが、五千円札は今や懐かしの新渡戸稲造だった。


「よし、使わないで取っとこう」

「うび?」

「だって滅多に見かけないじゃない」


その分自腹になるが、まあ、そこは深く考えない方が良いだろう。

狐から貰ったから何か御利益があるかも、なんて適当に理由をつけ、裏辻は新渡戸の五千円札を釣銭箱の底にしまった。


「さて、次はどこを走ろうかしら」


 このまま高速道路の下を走って天現寺まで出てしまうもよし、白金台からプラチナ通りに入るもよし。

何なら目黒通りを戻るのもいいかもしれない。どこかしらにお客はいるだろう。

色々と考えながら裏辻は周囲を確認した。

 まだ昼前だ。気疲れしたが、休憩するには早い。

もうひと頑張りすべく、裏辻は車を走らせたのだった。

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