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二十七報目・猫又の絵師

「お嬢さん、さんとりぃ美術館までやってくれぃ!」


 平日は昼過ぎ、赤坂見附の交差点を、溜池から上がって渋谷方面に左折してすぐ。繁華街から走ってきた和装の青年は、乗り込むとすぐにそう言った。


「ミッドタウンのサントリー美術館ですね、かしこまりました」


 此処からミッドタウンというと、赤坂郵便局前で曲がるのが一番簡単かつ早いだろう。

 裏辻が説明すると、青年はうんうんと頷いた。


「好きなように行ってくれ、付きさえすりゃぁ文句は云わねぇよ」

「かしこまりました。ではそのルートで参りますね」


 そう言いつつ、裏辻はメーターを入れて周りを確認する。

 車の列が途切れた隙を見計らってハンドルを切り、車を発進させた。


「しっかしお嬢さん、随分けったいな生きモンを連れてるなぁ。なんだぃそいつぁ、魚かぃ?」

「ぷー!!」


 ふと青年が発した問いに、裏辻の肩に乗っていた銀太が、ふよりと浮いて身体を膨らませる。ぷくぷくと怒る姿はハリセンボンのようだ。威厳は、正直に言ってしまうと無い。


「えーと、龍の子供です……はい」

「はーぁ? 俺ぁ画師を始めてそれなりに経つが、こーんな間抜けな顔した龍は初めて見たぜ。どれちびすけ、もっと膨れてみ。面白いから描いてやろう」


 裏辻の答えに片眉を上げた青年は、懐から紙と筆を取り出した。


「うぴ?」

「縮むんじゃねぇ、膨れてろぃ」


 首を傾げる銀太を筆で小突き、言われるままに再びぷぅと膨らんだ銀太を眺めながら筆を走らせ始める。


「にしても町ぁ大分変っちまったなぁ、お嬢さん。お江戸の頃とはえれぇ違いだ」

「あー……まあ、大分時代が下ってますし……」

「まぁなぁ。にしても紀州の徳川ん屋敷に宮さん方が住むなんてなぁ……。俺ぁ何となく、あの緩い時代がずっと続くもんだと思ってたよ」


 少しばかり筆を休め、分離帯を挟んで右側の森――豊川稲荷とその先に広がる赤坂御用地を眺めながら、青年はそう言った。


「いーい時代だったなぁ。国芳の旦那の懐でぬくぬく丸まって、時々ダチにちょっかいを出すのは」

「くによし、ですか」

「そ。歌川国芳。知ってるかぃ?」


 丁度赤信号に引っ掛ったので車を停め、裏辻は首を捻った。歌川国芳。確か、浮世絵師だった筈だ。中々奇抜な絵を描いた人だったように思う。


「あーのー、金魚が踊ってたり、大きな鯨を描いたりしてた人ですっけ……?」

「おうそれそれ、その人で正解さ! あのお人は大の猫好きでなぁ、いつも沢山の猫を侍らせてたわけよ」

「へぇ、そうだったんですか」

「そうさ。よく懐から旦那が絵を描いてるのを眺めたもんさ。それが俺が画師になろうって思った切っ掛けよ」


 さらさらと筆を走らせながら青年は笑う。

 時々絵を覗き込もうとする銀太を突いて膨らませて、細かい所を描き込んでいるようだ。それをバックミラー越しに見、信号が青になったのを確認して、裏辻は車を発進させた。

そこそこ混雑する中を進むと、急に車線が詰まり始める。赤坂郵便局――外苑東通りに左折したい車が多い所為だ。大人しく渋滞に嵌り、左折できるのを待つ。

 今日も今日とて此処は人通りが多い。通話しながら行き交うサラリーマン、笑いながら歩いていく事務服の女性の群れ。看護師らしい服装がちらほら見えるのは、近くに山王メディカルセンターがあるからだ。

 二回ほど信号に引っ掛り、漸く左折する。此処で曲がってしまえば、後はもうまっすぐ行くだけだ。

 山王病院と衆議院副議長公邸の前を抜け、乃木神社のちょっとした森を過ぎ、乃木坂陸橋を渡る。そうすれば、次の交差点は“東京ミッドタウン西”だ。此処の前も通り過ぎ、もう一つ先の信号の、横断歩道の手前で裏辻は車を停めた。


「あちらの入口からミッドタウンの中に入りまして、あとは案内に従って進めばサントリー美術館です」

「お、そうかい! ありがとよ、お嬢さん。丁度こっちもちびすけの絵が描けたところだ」


 裏辻が料金を告げると、青年はぴったりの金額と一枚の葉書を差し出した。

 葉書には紙面一杯に、水墨画で真正面を向いてぷっくりと膨れた龍の顔が描かれている。ぶわりと逆立った鬣は針のように描かれていて、全体の印象としては矢張り龍というよりハリセンボンのようだ。少し誇張気味に描かれた丸い瞳がコミカルで可愛らしい。


「こいつぁあんた達にやるよ。中々悪くねぇ被写体だったぞ、ちびすけ。じゃーな、俺はすっかり有名になっちまったらしいダチの絵を愛でて来るとするよ」

「わ、ありがとうございます。お気をつけていってらっしゃいませ」

「ういびい!」


 ひらりと手を振って降りていく青年を見送り、裏辻はまだ少し湿っている葉書をティッシュで包んでそっとファイルに挟む。


「良かったわねえ、銀太。モデルさんなんて早々なれるもんじゃないわよ」

「うびびびび」


 その裏辻の言葉に、銀太はなにやら不満気に鳴き出した。


「……もっとかっこよく描いて欲しかった? いや、それはちょっと無理でしょうよ。アンタどう見てもかっこいいとは言えないし」

「ぷぷう!!」

「だって本当じゃない。アンタには威厳が足りないのよ威厳が」


 再び膨れた銀太に適当に返しつつメーターを戻していると、窓をこんこんと叩かれる。

 見ると、サラリーマンが二人。乗っていいかと身振りで尋ねてくるのに頷き、裏辻はタクシーのドアを開けた。


「ほら、拗ねてないの。お客さんよ」

「ぴゃぁ」


 ぷすんとしぼんだ銀太がいそいそと肩に乗り直す。

 其処からまた、一人と一匹の仕事は始まったのだった。

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