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二十五報目・恵比寿の首なし騎士

「六本木ヒルズまでお願いします」


 平日のお昼過ぎ、恵比寿駅西口のガード下。

 裏辻の車に手を上げ、流暢な日本語で目的地を告げたのは、絵に描いたような西洋人の美男だった。

 明るい金髪に空色の瞳が、何処か眩しい印象を与えてくる。

すらりとした体躯を包むスーツは恐らくオーダーメイドだろう。

見るからに、生地も仕立ても良さそうだ。


「六本木ヒルズまでですね、かしこまりました。駒沢通りから六本木通りに出るルートでよろしいですか?」


ファッションモデルみたいな人だな、と思いつつ、裏辻はルートの確認を取った。


「ええ、それで」


 最初の挨拶は日本語で、あとはさっぱり日本語が分からないという外国人をよく乗せる事があるが、彼はそうではないらしい。


「よろしくお願いしますね、可愛い御嬢さん」

「アッハイ」


 ミラー越しににっこり笑われ、裏辻は思わず片言で返事をしながら車を発進させた。

唐突な口説き文句に驚いたのもそうだが、今一瞬だけ男の瞳が赤く光ったように見えた――ような、気がしたのだ。

多分光の加減だろうなあと思いつつメーターを入れ、恵比寿一丁目の黄色信号を越える。

 その次の渋谷橋の交差点では、直進車線に行きそびれたらしい車が中途半端に斜めに停まっていた。

その後ろに止まり、信号が青に変わるのを待つ。


「うぴぃ」

「あらぁ」


 裏辻の左肩に乗っていた銀太が不意に鳴いて、ちょいちょいと鰭で左斜め前を指す。

 指された先には、警官がいた。口にホイッスルを咥え、誘導灯を構える彼が見ているのは、勿論裏辻の前の車だ。交差点の手前、オレンジ色に変わった車線の踏み越えは、“指定通行区分違反”という交通違反に当った筈だ。少なくともああして見つかってしまった以上、警官のお説教と免許の減点と反則金のトリプルコンボは免れないだろう。

 案の定、信号が変わって前の車が動き出した瞬間、警官は高らかにホイッスルを鳴らす。

 心の中で前の車の運転手に合掌しつつ、裏辻はさっさとハンドルを切ってその横を通りぬけ、駒沢通りの上り坂に向かってアクセルを踏み込んだ。


「今日はあちこちで警官を見かけますねぇ……あれですか、ええと、交通安全運動週間?」

「いや、それの期間はもう過ぎてる筈ですけれども……まあ、何もなくても妙な所にたまにいたりしますし」

「妙な所といえば…………ああ、先日、虎ノ門トンネルでスピード違反の取り締まりをやっているのを見かけましたよ。バイクを思い切り飛ばしていた所だったので、危うく捕まるところでした」

「あそこは結構スピードが出やすいですからねえ……捕まらなくて良かったですね」


 虎ノ門トンネルに限らず、トンネルは意外と気付かないうちにスピードが出てしまう所である。

そしてそう言ったところは、警察も狙って速度計をしかけている事がある。


「トンネルで前の車が遅い時は、ちょっと気を付けた方が良いですね。バイクの方は、なまじ小さくて追い抜かせるぶん余計に」

「全くです。気持ち良く走っていても、捕まってしまったら洒落になりませんからなぁ」


 朗らかに笑う男性がバイクを飛ばしているところは裏辻には少し想像がつかなかったが、人は見た目によらないものだ。上品な紳士が休日にスピード狂に変貌しても、それはそれで構わないだろう。多分。恐らく。

 そうこうしているうちにタクシーは坂を上りきり、山種美術館の横を通り過ぎ、下り坂に入る。

坂を下り、坂の下の信号を越えられれば良かったのだが、生憎信号は黄色に変わってしまった。

 ゆっくり停まろうとブレーキに足を掛けた裏辻の、視界の隅を何かが掠める。

前に割り込んできたバイクに、裏辻は少し強めにブレーキを踏んだ。

きゅっと少し前のめりにタクシーが止まる。


「おっとっと…………いやあ、随分と乱暴なバイクだ」


 苦笑する紳士に裏辻はミラー越しに頭を下げた。


「失礼しまし……………………た!?!?!?!?」


 そして顔を上げて凍りついた。

 紳士は背が高い。

ミラー越しならば必ず目が合う。目が合う筈だ。本来ならば。

 だが今は違う。

目が合わない。目が合わないどころか、首が無い。

今の紳士は紳士ではなく、紳士服売り場の首なしマネキンだった。


「ぴ、ぴぎゃあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」


 絶句する裏辻の肩の上で、首なし紳士を見てしまった銀太が、盛大に泣き叫んだ。

がっちりと鰭の先の爪で裏辻の肩を掴み、ぴえぴえと震えながら泣いている。


「すまないね、御嬢さんと可愛いアンディーンには刺激が強すぎたようだ」


 混乱する一人と一匹に対して紳士は至って呑気だった。

よっこらしょ、と妙に年寄りじみた声と共に、首を戻す。


「……前後逆です」

「おや、失礼」


 くるりと首を元の位置に戻し、紳士はにっこりと笑った。


「これで良いかな?」

「大丈夫だと思います……はい……また落ちなければですけれども」

「もう落とすようなへまはしないさ」


 はっはっは、と朗らかに笑う紳士に曖昧な笑顔で頷き、裏辻は信号が青に変わったのを確認して車を発進させた。

 少し急な上り坂を上がり、南青山七丁目の交差点を右折する。

右折してから高速道路の下に入り、暫く走ると高樹町の交差点だ。

今は骨董通り側の信号が青らしい。目の前を多くの車が行き交っていく。

 そんな中、妙な物が二人と一匹の目に留まった。


「……御嬢さん」

「……なんでしょう」

「今、車輪に火がついた、やたらと派手で大きな乗り物が、高速道路の入口に入って行ったのだけれども」

「入って行きましたね」

「…………あれ、良いの? 馬車っぽいけど、あれで高速道路って走れるの?」

「…………わからないです……」


 困惑しきりの紳士に、裏辻は首を振った。

 銀太は先程まで泣いていたのが、猛スピードで高速の入口を駆け上がる馬車っぽい物――正しくは牛車だった――を見て泣き止んだらしい。銀色の目を不思議そうにぱちぱちと瞬かせている。


「普通なら軽車両扱いだから、抑々高速道路に入れない筈ですけれども……明らかに普通じゃなさそうだからもしかしたらいけるのかも……?」

「でもETCのゲートを突破できるのかい……?」

「あ、ETCも問題ですね……どうなんだろ」

「ううむ、謎は増えるばかりだ。僕は日本暮らしがそれなりに長いのだけれど、あんなものは初めて見たよ」


 全員揃って困惑したまま、目の前の信号が青になったのに合わせ、裏辻は静かにアクセルを踏んだ。

 薄暗い霞町陸橋の緩やかな左カーブを、車は滑る様に駆け抜ける。

そのまま右車線をキープしていれば、自動的に六本木ヒルズの入り口に向かう車線に入った。


「六本木ヒルズはどの車寄せにお付けしますか?」

「ああ、車寄せのCで」

「かしこまりました」


 信号を右折し、トンネルの方へは行かずに軽く右側へ。カーブを抜け、停止線から左折で入れば六本木ヒルズの車寄せだ。

 大型バスが止まっている車寄せAを通り過ぎ、そのまま右カーブを走って、矢印に従って右側の入り口に入る。

車寄せBとバス停を通り過ぎ、更に緩く左に曲がると、その先に漸く車寄せCがある。


「はい、ではこちらお停めします」

「うん、ありがとう」


 ディスパッチャーの前で車を停め、裏辻はメーターを止めた。

滞りなく支払いを済ませると、ぽんと千円札が追加でトレーの上に置かれる。


「怖がらせてしまってすまなかったね。お詫びに取っておいておくれ」

「え、いや」


 別にお気遣いなく、と言おうとした裏辻だったが、その前にディスパッチャーがドアを開け、紳士はさっとタクシーを降りてしまう。


「ではまたね、可愛い御嬢さんとアンディーン君」


 振り返りざまに見事なウィンクと笑顔を見せて、紳士は颯爽と自動ドアの向こうに消えて行った。


「…………まあ、貰っときましょうか……ちょっと怖かったのはほんとだし」

「うび……」


 千円札を回収し、メーターを空車に戻し、裏辻と銀太は顔を見合わせた。


「正直、首が取れて治らなかったらどうしようかと思ったわ」

「うびうび」

「会社にどう報告すればいいのかとか、車内事故扱いになるのかとか、治療費とかどうなるのとか」

「び…………」


 車寄せから出つつ、裏辻は乾いた笑いを浮かべた。

これで首を痛めたのなんのと言われたらどうしようかと、あの時は本当に肝が冷えた。

 そんな事を思い返していると、何時の間にかダッシュボードに移っていた銀太が裏辻を見上げてくる。


「何よ銀太、その何とも言えないしょっぱい顔は」


 裏辻の問いに、銀太は神妙な顔で鳴いた。


「……うびびっび、ういびんび」

「そうよー、よく覚えておきなさいね、銀太。大人って大変なのよ」


それに神妙な顔で返し、一拍おき、一人と一匹は揃って溜息を吐く。

 そのまま車寄せを回っていくと、出口の合流地点で手を振っているディスパッチャーが見えた。

どうやら、タクシー乗り場が車不足らしい。一瞬ハザードを点けると、ディスパッチャーは軽く頭を下げて右奥に向かうよう指示してきた。


「さーて、もう一仕事するわよー」

「んびゃー」


 驚くような事もあったがそれはそれ。

さっさと頭を切り替えて、一人と一匹は次の仕事に向かったのだった。

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