番外・怨霊トリオの緩い日常~流し素麺~
暑いから、何か涼しさを感じられるような事でもしよう。
そう言い出したのは、さて誰だっただろう。
あまりの酷暑についに背広の着用を諦めた崇徳院か、はたまた暑さと多忙さで頭の螺子が纏めて飛んだ道真公か。
少なくとも、自分ではなかったように思うが、どうだっただろうか。
ずず、と音を立てて素麺を啜りながら、浴衣姿の将門公はぼんやりとそんな事を考えていた。
斜めに立てかけられた竹筒の上を澄んだ水が流れて行く。
淡い日差しを受けて煌めく水面は、輝く鱗をくねらせて宙を舞う龍に似ていた。
「あっ」
「しまった」
ふと上流から間抜けな声が聞こえた。
一拍おいて、素麺の塊が流れてくる。
箸を水流に挿して素麺を纏めて捕まえると、将門公はそれを麺つゆの丼に放り込んだ。
「取るのが下手ですな、お二方」
「うっせーわ」
「喧しいですよ」
鼻で笑う将門公に、上流の、これまた浴衣姿の二人――道真公と崇徳院は揃って棘のある返事を寄越した。
「事実でしょう。先程から何回も取り零しているではないですか」
「…………流れが速いからです」
「嘘を吐け。この程度、流れが早いうちに入らん」
「お前さんの動体視力が良すぎるんじゃ」
「動体視力より手先の器用さの問題なのでは?」
悔しそうな顔で押し黙る二人を、将門公はもう一度鼻で笑った。
常日頃、割合おちょくられる立場なのだ、偶にはこういう事があっても良いだろう。
「ねえー、もうお腹いっぱいですかー?」
なんとなしに三人で黙っていると、さらに上流から間延びした声が聞こえてきた。
目を向けると、竹筒の先端で、脚立に乗り、素麺をてんこ盛りにした大きな笊を抱えた浴衣姿の桔梗が首を傾げている。
「崇徳院様も道真公ももう食べないなら、この素麺の山は私と将門さまで山分けしますけれども」
「吾はまだ食べるぞ」
「いや、将門さまがまだ食べるのはよーく分かってますから。これ以上茹でるのか茹でなくていいのかという意味で他のお二人に聞いてます」
結構な量の素麺を腹に収めた癖にまだ食べる気なのか。
崇徳院と道真公は無言で戦慄した。
恐るべし底なし胃袋。きっとこいつは大食い選手権で世界を狙えるだろう。
「食べるっちゃあ食べるけど、これ以上茹でなくてもええと思うよ」
「同じくです」
力無く首を振る二人に、桔梗ははぁいと声を返した。
「あ、ついでなんですけれども、流すのもうやめて良いですか? 蛟ちゃんがお水出すのに疲れちゃったみたいで」
そう言う桔梗の肩には二本の角を生やした蛇――蛟がくてっと引っ掛っている。
「水量の調節に思ってた以上に神経を使っちゃってたらしくって……」
「しゃぁ……」
「構わん。ご苦労だった」
「面目ない」と頭を下げる蛟を、将門公は軽く手を振って労った。
「じゃあ、素麺を盛りつけてきます!」
「儂ら少な目で良いからねー」
蛟を肩に引っ掛けたまま、とてとてと桔梗が去っていく。
それを見送り、縁側に三人揃って腰を下ろした所で、崇徳院が口を開く。
「……ところで、ずっと言いそびれていたのですが、流し素麺をやろうなんて言い出したのは誰なのですか?」
暫くの沈黙の末、
「……誰だっけ……」
「……さあ」
道真公と将門公は揃って首を傾げた。
「この三人のうちの誰かなのは確かだろうが……むぅ」
「ごめん。儂、此処最近暑さと忙しさで発狂してたからよく覚えてねーわ……」
「……そうですか……」
そのまま暫く考え込んでも答えは出ず。
最終的にはよく分からないけどまあいいか、と三人揃って問いを放り出して、桔梗が器に盛り直した素麺を堪能したのだった。