番外・お菓子を貰うだけの話
フライングですがハロウィンネタです。明日は多分投稿する暇がないからね、しょうがないね。
「うっびん、うびーびうびうびーび」
「…………はぁ?」
朝。裏辻は珍しく、目覚ましのアラームが鳴る前に銀太に起こされた。
「うびーびうびうびーび!」
暗がりの中、寝ぼけ気味の裏辻の顔の前で、銀太はもう一度声を上げる。
とりーとおあとりーと。
トリートオアトリート。
ハロウィンお決まりの挨拶の、アレンジ版だ。
トリック――悪戯は最早どうでもいいらしい。
「…………あー、はいはい。行く時にコンビニで何か買ったげるから」
「ぴ!」
嬉しそうに鳴いて尻尾を振る銀太をどかし、裏辻はベッドから降りて洗面所に向かった。
今日はハロウィン。銀太が、バレンタインに並んでお菓子を沢山貰えると思い込んでいる日だった。
●……●……●……●……●
「これでいい?」
「うぴゃ!」
出勤途中にコンビニに立ち寄り、ハロウィン仕様のチロルチョコカップと、ついでにふと目に付いたキットカットを買う。
ふんふんと鼻歌を歌う銀太を肩に乗せ、裏辻は会社へ自転車を走らせた。
●……●……●……●……●
「おはようございますー」
「おはよー」
裏辻が事務所の扉を開くと、カウンターには主任がいた。
せっせとファイルにETCカードを入れては、棚に差し込んでいる。
「うびんびん、うびーびうびうびーび」
「アンタ、顔見知り全員にその台詞言う気……?」
すかさず主任にもお菓子を強請る銀太を裏辻は半眼で睨んだ。
が、銀太がその視線に気づいている様子はない。
うきうきと期待に満ちた目で主任を見ていた。
「え、お菓子? うーん…………おかきとかでも良い?」
「うぴ!」
戸惑い気味の主任に、銀太は元気に鳴いた。
最早洋の東西は問わないらしい。
机を漁りに行った主任は、程なくしておかきの小袋を持って戻ってきた。
「じゃあほい、おかき。なっちゃんも」
「え、すみませんなんか私まで……。あ、じゃあお返しにキットカットどうぞ」
「お、ありがとー」
「後、ついでに日報下さい」
主任にキットカットとアルコールチェックの用紙を渡し、日報を受け取る。
おかきを貰えて御満悦に銀太を肩に、裏辻は事務所を出た。
さて、今日はどうなる事やら。
●……●……●……●……●
午前中。
裏辻は、虎ノ門の交差点から東京駅に行くのだという崇徳院を乗せた。
お菓子を強請った銀太と慌ててそれを止めようとする裏辻に、彼はぱちりと目を瞬かせて鞄を探った末、「これしかありませんねえ…………御嬢さんはともかく、子供の君には苦いかもしれませんよ」と言いながらカカオ70%のビターチョコレートを差し出した。
お返しにと裏辻が釣銭とレシートと共に差し出したキットカットを苦笑いしつつ受け取り、彼は八重洲口の人波に消えて行った。
「アンタね…………自分が知ってるなら誰にでも強請って良いと思ってんじゃないわよ…………!」
「むびゃーぁ!」
呉服橋の交差点。
信号待ち中の裏辻にむにーんと頬を抓まれ、銀太はいやいやと身を捩った。
「全くもう」とぼやく裏辻の肩で貰ったチョコレートを齧り、想定外の苦さに驚いたように体を震わせる。
「うっびん、うびうびい」
「そうねー、苦いわねー。ビターチョコは大人の味なのよー」
苦いと言いつつも食べだしたものは最後まで食べるらしい。
またチョコレートを齧りだした銀太を肩に、裏辻は車を走らせた。
●……●……●……●……●
午後。
裏辻が換気も兼ねて窓を開け、内堀通りで信号待ちをしていると、信号待ちの時に通りすがりの魔女――仮装したターボばばあが飴を投げ込んでいった。
「ぴゃっ!」
飴の一つがすぐ横を掠めたらしい銀太が飛び上がる。
「あらおぼっちゃん、ごめんねえええぇぇぇぇ!!」
朗らかな声で謝りつつ豪快に加速していく老婆を見送り、裏辻はのんびりと車を発進させた。
「飴、貰えてよかったじゃないの」
「うび、うっびびうびう」
「…………まあ、投げ込まれるのはちょっとねえ」
そのまま大手町に戻って暫くぶらつき、三菱東京UFJ銀行本店の前の信号で止まっていると、向かい側――三菱一号美術館の方から走ってきた男性が裏辻の車に向かって全力疾走してきた。しかもよく見ると、半泣きで。
黙って普通にしていればナイスミドルである顔見知りの妖狐に、裏辻は溜息を吐きつつドアを開けた。
「う、裏辻さあぁん……」
「わーまたいつも通りの迷子ですか天善さん。お付の人さんはどうしたんです」
「うーん…………それが、待ち合わせ場所が分からなくなってしまって」
泣きついてきた妖狐――天善の言葉に裏辻と銀太は顔を見合わせた後、揃って遠い目をした。
相変わらず彼は壊滅的なまでの方向音痴らしい。恐らく建物の中で迷いに迷って、よく分からないまま目についた出口から通りに出て来てしまったのだろう。今にして思えば、初対面の、白金で遭遇した時もきっとそうだったに違いない。
今頃必死になって彼を探しているであろうお付の人にそっと心の中で手を合わせ、裏辻は交差点を右折した。
「いつも通り、警視庁まででよろしいですかね」
「あ、うん、お願いします……」
項垂れる天善を乗せ、鍛冶橋通りをまっすぐ走って二重橋前で左折する。
「あ、またお瀧さんが走ってる……元気だねえ」
「そうですね。さっき飴を投げ込まれましたよ」
「飴……?ああ、今日はハロウィンか」
そっかそっか、と言いながら天善がなにやら鞄をごそごそと探る。
「はい、どうぞ。二人で食べて」
運転席と助手席の間のボックスにポンと紙袋を置き、天善はにこりと笑った。
袋からはバターの良い匂いが漂ってくる。
「エシレのブリオッシュ。美味しいんだよ?」
「え、いやいいですよ高いヤツじゃないですかそれ!」
祝田橋を右折しながら裏辻は思わず叫んだ。
裏辻の記憶が間違って無ければ、一つ四百円程度する上に数量限定のお菓子だった筈だ。
「うびー」
そんな高い物をと慌てる裏辻とは対照的に、銀太は早くも紙袋を抱え込んで尾を振っている。
貰う気だ。どう見ても、貰う気だ。
「良いんだよう、裏辻さんにはいつもお世話になってるし――あ、桜田門を過ぎて警視庁の入り口の所でお願いします」
「えっあっはい」
言われるままに桜田門を過ぎ、警視庁の前で車を停め――ようとして、裏辻はもう一人の顔見知りを見つけた。
にこにこと笑って裏辻に手を振っているが、裏辻には分かる。あれは怒っている。間違いなく、怒っている。誰に対して怒っているかというと、勿論裏辻が乗せているお客に対してだ。
「…………うっ……風見君がいる……」
「そりゃあ風見さんの職場ですもん、いますよ」
「うんびん!」
風見の横に車を停め、裏辻はメーターを切った。
「やあ裏辻君に銀太君、お疲れ様。そして部長、おかえりなさい。また迷子になったんですね」
釣銭を返している途中でドアが開き、朗らかに風見が言う。
「どうも」と頭を下げる裏辻と鰭を振る銀太と対照的に、天善の顔は盛大に引き攣っていた。
「ええと、その、ごめんなさい……」
「ごめんで済んだら僕は怒っていませんよ部長。ごめんね、二人とも。毎回毎回うちの人が迷惑かけちゃって」
「あーいえ、お気になさらず」
車から降りた天善の肩をがっちり掴み、風見は身を乗り出して裏辻に赤い缶を差し出した。
「はいこれ、あげる。今日はハロウィンでしょ?」
「え、ありがとうございます。お返しになるかわかりませんが、キットカットどうぞ」
裏辻が差し出したキットカットを受け取り、風見は手を振ってドアを閉める。
そして天善を引き摺って警視庁に入っていった。
見張りの警官が若干不審者を見る目を二人を向けていたように見えるのは、裏辻の気の所為ではないだろう。
「……榮太郎の梅ぼ志飴じゃないの、これぇ……」
受け取った缶を改めて眺め、裏辻は額を手で覆った。
どう見てもキットカットでは釣り合わないものを貰ってしまった。
「うびび? ういびい?」
なあにそれ、なあにそれとわくわくした顔で問いかけてくる銀太に、裏辻はすっと真面目な顔を向けた。
「いいこと、銀太。この飴は絶対に噛み砕いちゃ駄目だからね。 噛み砕いたら二度と食べさせないわよ!」
「ぷ、ぷぇ…………」
凄む裏辻に銀太は若干怯えながらもこくこくと頷く。
よし、とそれに頷き返し、裏辻は紙袋と缶をボックスの中に仕舞った。
その後もちょこちょこお菓子を貰ったり返したりしつつ、裏辻と銀太のハロウィンは過ぎて行ったのだった。