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二十報目・千駄ヶ谷の小袖の手

「…………なあにこれ」

「うびー?」


 昼近くの港区・南青山は青山墓地の脇の道。

 お客の荷物を玄関先まで運び終えて車に戻った裏辻と銀太が目にしたのは、ボンネットからフロントガラスの下半分にかけて覆い被さった和服だった。


「うびうび!」

「そうねえ、きらきらねえ」


 所々に金糸や金箔が使われた、古めかしいものの随分と派手な色と柄の和服だ。恐らくは舞台で使うような物なのだろう。降り注ぐ日差しを浴びて煌めく文様が美しい。


「何処から飛んできたのかしら」


 今日は風が強い。軒先か何かに干されていた物が飛んでしまったのだろうか。

 裏辻は周囲を見回してみたが、一方は風に揺れながら木の葉を散らす木々と静かに佇む墓石の群れ、もう一方は雑居ビルと住宅と石材店が並ぶだけ。何処から飛んできたのか見当もつかなかった。


「まあ、警察に届けましょうかね」


 最寄りの警察署は何処だったかなと考えながら、裏辻が和服を手に取ろうとした時だった。


「ぴ、ぴびゃー!!!」


 和服の周りをふよふよ浮いていた銀太が、いきなり裏辻の肩にしがみついてきた。

 びーびー喚きながら、鰭で和服の一部分を指す。

指された先――和服の袖から、手が生えていた。しなやかで細い手首と指先から察するに、恐らく女性の物だろう。


「わーお」


 が、ビビる銀太と対照的に、裏辻は特に驚く事は無かった。

正直、某御仁と行く裏道異界ツアーやのっぺらぼうビフォーアフターに比べれば怖さと驚きに欠ける。


「すみませーん。あなたの事、警察に届けちゃってもいいですかね」


 いつもと変わらぬ調子で和服に話しかける裏辻を、肩の上の銀太は変な物を見る時の目で見ていた。

その視線を綺麗に黙殺し、反応を待つ。


「け……警察は、その-……勘弁して頂けると嬉しいです……」


 少し後、女性の声が応じた。

 和服から手だけではなく、長い黒髪を持った女性の頭部がせり出してくる。

恐らく胴体も出てきているのだろう。何時の間にか帯やらなんやらも身につけて、ボンネットから地面に降りていた。

 妖怪の皆さんは四次元に通じるポケットでも持っているのだろうか。

ふえ、と溜息を吐く垂れ目の女性を前に、裏辻はそんな事を考えた。


「あのう、此処何処かわかります?」

「え? ああ、青山墓地の傍ですけど」


 あおやまぼち、と繰り返した女性が頬に手を当てる。


「ひょえぇ……大分飛ばされちゃったぁ」


 のんびりとそう言う女性は随分と呑気な様子だった。慌てる様子もない。


「あのう、千駄ヶ谷の国立能楽堂まで乗せて行ってもらえたりしませんか?」


 頬に手を当て、情けないムンクの叫びのような顔をしたまま女性が問う。


「ええ、構いませんよ。どうぞ」


 特に拒む理由も無かったので、裏辻は女性を乗せる事にした。

客席側のドアを開けて女性に乗るように促し、ドアを閉めて自身も運転席に乗り込む。


「ご指定のコースはございますか?」


 裏辻の問いに、女性はこてっと首を傾げた。


「えーと、銀杏並木を通ってください」

「かしこまりました。その後は突き当りを左、道なりに暫く走って高速道路沿いに出ればよろしいですか?」

「はいー」


 コースの確認を取りつつウィンカーをだし、裏辻は車を発進させた。

 赤坂消防署の前を左に曲がり、突き当りの246号線を右に曲がる。

 伊藤忠商事の前にタクシーが何台か停まっていた。次々にお客を乗せて走り出していくあたり、今日は中々忙しいらしい。

 青山二丁目の交差点を曲がると、神宮外苑の銀杏並木だ。行儀よく整列した銀杏達の奥に、聖徳記念絵画館がどっしりと佇んでいる。


「ちょっと先の方が黄色っぽくなってきてますね」

「そうですねえ。ギンナンもたくさん落ちてますし」

「あ、ほんとだ」


 僅かに色づき始めた銀杏の下ではタクシーやそのほかの車がのんびり休憩していた。

 それを横目に見つつ突き当りを左に曲がり、道なりに左カーブを走る。

ランニングコースとしても知られている此処は、今日も今日とて多くのランナーが走っていた。


「今日は良いお天気ですねえ」


 車窓の景色に目を細めながら女性が言う。


「そうですね、でも、ちょっと風が強いかも」


 路上を結構な速さで転がるギンナンを目で追いながら裏辻がそう返すと、女性は少し苦笑した。


「日差しがあったかいから日向ぼっこには丁度良いと思ったんですけれど……これはちょーっと、駄目でしたね」

「うーん、そうですねえ」


 歩道を走っていたランナーの帽子が、空を舞って落ちる。帽子を追って慌てて車道に出ようとしたものの直前で裏辻の車を見て踏み止まったランナーを横目に、緩く左に曲がって周回コースから抜ける。

 左手の国立競技場は何時になったら出来上がるのだろうか。

国立競技場駅の前の信号で止まりつつ、裏辻はぼんやりとそんな事を考えながら口を開く。


「干すならやっぱりちゃんと留めておいた方が良いんじゃないかと」

「うーん、下手に変な所を留めちゃうと箔がはげたり糸がほつれたりしそうで」


 首を捻って女性が考え込む。その間に信号が変わったので、裏辻は車を発進させた。


「そうだ! 私を衣紋掛けに吊るしてもらって、衣紋掛けごと外に干してもらえばいいんだ!」


 ポンと手を打ち、名案を思いついたと言わんばかりの顔をする女性に、裏辻は笑顔で成程、と返した。

 衣紋掛け自体が相当大きい事や衣紋掛けを屋外に出すのは多分ひと苦労するであろう事については、ツッコんだらキリがなさそうなので敢えて何も言わない。沈黙は金という言葉は、きっと今こそ実践されるべきだろう。

 東京体育館と千駄ヶ谷の駅の前を抜け、津田塾大学の前を通り過ぎ、暫く走る。


「国立能楽堂前の信号を曲がった後はどうしますか?」

「あ、えーっと、すぐの角を左に曲がってちょっと行ったところの入口で停めて下さい」

「かしこまりました」


 女性の言葉を脳内で反復し、裏辻は国立能楽堂前の交差点を左折した。

曲がってすぐ、能楽堂の入り口の前をまた左折し、少し走ると右側に建物の入口が見えてくる。


「こちらでよろしいですか?」

「はいー、大丈夫ですー」


 言われるままにハザードランプを点滅させて車を停め、裏辻はメーターを止めた。

料金を受けとり、釣銭を返し、一声かけてからレバーを操作して扉を開く。


「ほんとにありがとうございましたー」

「いえいえ。御忘れ物にご注意くださいね。ありがとうございました」


 降りて行く女性を見送り、メーターを戻しつつ裏辻は何の気なしに入口に目をやった。

入口の上には“展示室入口”と書かれている。


「…………まさか、あのお姉さん展示品……?」

「うぴぇ」


 展示品が展示される場所までタクシーで来るなんて、あるのだろうか。

 まあ、ありえない事は無いだろう。寧ろ付喪神なら大いにありうる――筈だ。多分。恐らく。


「にしても銀太、アンタ驚きすぎよ。広い意味じゃアンタもあっち寄りなのに、人間の私より驚いててどうすんの」

「ぷう-!」


 呆れ気味な台詞に何やら膨れてうびうびと抗議してくる銀太を軽くいなしながら、裏辻は車を発進させた。

 さて、此処からどうするべきか。偶には原宿のあたりをうろついてみるのもいいかもしれない。


「うびびびー?」

「お昼? うーん。時間的にあと一回やったらね」

「うぴ」


 そろそろお腹が空いて来たらしい銀太に苦笑いしながら裏辻は車を走らせる。

 昼前の営業で長距離のお客を引き当て、裏辻と銀太が見事に昼食を食べそびれる羽目になるのは、もう少し後の事だった。

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