番外・怨霊コンビと梅酒祭り
十月某日、湯島天神。
晴れ渡った空の下、境内は梅の甘い香りと多くの人で満ちていた。
「うーむ、儂も何か買おうかなあ」
人と人の間をすり抜けながら、道真公はそう一人ごちた。
買うならやはり飲み比べをすべきだろうか。ああでも、偶には適当に興味を持ったものを買ってみるのも悪くはないかもしれない。つらつらとそんな事を考えながら歩いていると、とある一角で知人の背中を見かけた。
「将門公。何か買いに来たんか?」
道真公の言葉に、整然と並べられた梅酒達を眺めていた将門公が振り向く。
「……今日は絵馬に埋もれていないのですね」
「ちょっと黙れ若造」
開口一番の失礼な台詞に、道真公は額に軽く青筋を立てた。
雷を落とす代わりに手刀を落としてみるが、機敏な動作で避けられてしまう。
「冗談だったのですが」
「言って良い冗談と悪い冗談っつーもんが世の中にはあるんじゃよ?」
「失礼しました」
道真公の苦言にやや適当に謝罪し、将門公はまた梅酒を眺め始める。
鋭い目つきで梅酒の瓶を睨む様は、さながら捕食者のようだ。
「君、梅酒なんて飲むっけ」
その横でのんびりと梅酒を品定めつつ、道真公はふと浮かんだ疑問を口にした。
どちらかと言えば将門公は、清酒や焼酎を好んでいたと思うのだが。
「吾は其処まで飲みませんが、桔梗が買って来いと」
「ああ、成程」
語られた理由に道真公は納得した。
確かに彼女はこういった物を好みそうだ。
「んで、決まったの?」
その問いに答えず、将門公は無言で眉間に皺を寄せた。
傍から見ると機嫌が悪そうだが、長い付き合いの道真公には分かる。これは物凄く悩んでいる時の顔だ。
「……決まりません」
不機嫌面のまま将門公が呟く。
「なので、いっそ全部買って帰ろうかと思います」
「待て待て待て待て」
そう宣言して踵を返し、即売会コーナーに向かおうとする将門公の肩を道真公は引っ掴んだ。
「ちょーっと待て。ねえ、全部ってあれだよね。あそこの上の棚の端から端までとか精々その程度だよね、お願いそうだって言って」
何処か必死な道真公に、将門公はきょとんとした顔で首を傾げている。
「此処で売られている全種類ですが。全部買って帰れば、あれもどれか気に入る物があるでしょうし」
「待って。確か百五十種類くらいあるけど全部買うん?!」
「……駄目ですか?」
「普通やらねーよそんな事」
「金ならあります」
「これそう言う問題じゃねえから!!」
ずれた答えを返してくる知人に道真公は思わず叫んだ。
周囲の人間が何事かと振り向くが、構っている暇はない。
流石東京屈指――下手すると東京一の金持ち神社の祭神。金銭感覚がおかしい。
「儂が言いたいのはな、将門公。もうちょっと桔梗君の好みに合わせて選べっつーことじゃよ。あるじゃろ、甘いのが好きとか酸っぱいのが好きとか!」
全種類買おうとするこの馬鹿は何としても止めねばならない。道真公は決意した。
大量の梅酒を前に、ぷりぷり怒る桔梗が目に浮かぶ。精々五、六本程度なら彼女は笑って許して――もしくは飲み比べが出来ると喜んで――くれるだろうが、流石に百五十本越えは駄目だ。どう考えても駄目だ。金の無駄だの飲みきれないだの言われて将門公が怒られるのは目に見えている。
そして、怒られて拗ねた将門公は不機嫌オーラを盛大にぶちまけるので大変面倒臭い。
八つ当たり等をしてくるわけではないが、社の雰囲気がどんより重苦しくなるので面倒臭い。
神田明神と湯島天神は近所なのだ。自分の社にまで不機嫌オーラが流れてくるのはごめんだった。
「何なら選ぶのに付き合ってやるから」
打算も大いに込みでそう言った道真公に、将門公はこくりと頷いた。
「よし、じゃあ早速。桔梗君って何が好きなの?」
その問いに、将門公は顎に手をやる。
暫くの沈思黙考の末、何故か再び眉間に皺が寄せられた。
「……あれは、基本的に何を食わせても喜んで食べます」
「一番選ぶの大変そうなやつじゃんそれ……」
――だから全部買おうとしたのか。
道真公は事情を知り天を仰いだ。
これは前途多難な予感しかしない。
「うん、まあ、取り敢えずお店の人に相談してみような…………」
「……ですな」
揃って溜息を吐き、二人は即売会コーナーに足を向けた。
店員の手を大いに借りながら二人が何とか梅酒を選び終えたのは、もうじき営業時間も終わろうという頃で。
会場内を巡回しつつ一部始終を眺めていたかの社の獅子と狛犬曰く、何とか六本ほどに絞られた梅酒の瓶を抱えて帰っていく将門公を見送る道真公は気の毒なほど疲弊し切っていたらしい。
書きながら、道真公頑張れ! と何回も思いました。うん、頑張れ!