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十八報目・桜田門の天狗

「やあ裏辻君、こんにちは」


 平日の昼前、港区は芝公園、裏辻がよく休憩している待機所。

 知った声に唐突に背後から話し掛けられ、車の傍でストレッチに励んでいた裏辻と銀太は目を白黒させながら振り向いた。


「こんにちはというか、お久し振りですというか――って大丈夫ですか。なんだか大分お疲れみたいですけれども」

「うびびびうび? うびうびび?」


 一人と一匹の言葉に、声を掛けてきた洒落たスーツ姿の優男――裏辻と顔見知りの天狗は、疲れ切った様子で溜息を吐いた。


「正直、大丈夫じゃない。全くだいじょばない」

「だいじょばないんですか」

「うん。お盆なんて爆発すればいいのに」


 うふふふふ、と端正な顔に影を落として笑う天狗に、裏辻と銀太は無言で目を見合わせた。

燦々と降り注ぐ明るい日差しを打ち消すようなどす黒いオーラが、彼を中心に溢れている。今年のお盆はもう終わったが、一体彼に何があったのだろうか。


「お盆ってさ」

「んび」

「地獄の釜の蓋が開くじゃない」


 ご先祖が帰ってくるだけではなくて、地獄の釜の蓋も開くのか。

そう言えばそんな話を何処かで聞いたような、と思いつつ、裏辻は「はあ」と相槌を打った。


「あと、百鬼夜行もあったんだよ」

「あ、あれもお盆なんですか」

「まあね。あと、最近はハロウィンの時期もやってるけどね」


 そこで言葉を切り、天狗は深々と溜息を吐いた。気の所為だろうか、吐かれる息すらも薄暗いオーラを纏っている。


「つまるところね――僕達、割と過労死寸前だったんだ」


 うふふふふ、と何処か壊れた笑いを浮かべる天狗に、裏辻と銀太は無言でそっと引いた。

疲れているが故の笑みだと分かっているとはいえ、おっかないものはおっかない。元が整っている分、凄味倍増だ。


「もうさあ、唯でさえ夏と言えば怪談! とか言って盛り上がっちゃう妖怪おばかさん達もいるのにさあ、更にお盆と百鬼夜行のダブルコンボとか勘弁して欲しいんだよね。百鬼夜行実行委員会から予定表が送られて来た時にお盆と被るからずらしてくれって言ったのにあいつら結局聞いてくれなかったしもうほんと疲れた」

「う、うんびい」

「お、お疲れ様でした……」


 顔を引き攣らせつつも労う裏辻と銀太に構わず、天狗はなおも愚痴る。


「挙句の果てに、日本橋の麒麟が一頭、戻る刻限までに帰って来なくて警備の天狗総出で探す羽目になるし」

「え、日本橋の麒麟ってあれですよね。あの橋の街灯の下にいるブロンズの麒麟ですよね。あれ動くんですか?!」

「うん、動く。もう付喪神になってるから。他の三頭と獅子達は刻限の五分前にちゃんと帰って来たのに、あの間抜け麒麟ときたら戻る時間を一時間間違えてたんだってよ。あと一時間遅かったら目眩ましの効果が切れて人の子に橋の麒麟が一体いないのがばれるんだよ呑気に服部時計店の上で夜景を満喫してる場合じゃないんだよあの間抜けめ」


 その時の焦りやら苛立ちやらを思い出したのか、天狗の顔が般若になった。背後に吹雪が見えるのは幻覚だろうか。心なしか周囲が涼しくなった気すらするので、もしかしたら幻覚ではないのかもしれない。


「服部……ああ、銀座の和光で見つかったなら良かったじゃないですか。これが下手に遠くまで行ってたらもっと大変だったでしょうし」

「まぁ、そういう事にしておくよ……次はあいつだけ橋に縛り付けておこうかなあ。実はあいつ前科者なんだよね。数年前は東京タワーの天辺によじ上ってアンテナをへし折ろうとしてたし」


 うふ、と笑う天狗に、銀太が怯えたように一声鳴いて裏辻の首の後ろに引っ込んで行く。

 一頭だけ橋に縛り付けられた麒麟を思い浮かべ、裏辻は何とも言えない気分になった。哀れと言えば哀れだが、これはどう見ても彼――もしくは彼女――の自業自得である。

 それにこの天狗の事だ、縛り付けるなら徹底的に情け容赦なく縛るだろう。部下に命令して呪符をしこたま貼り付けた挙句、注連縄で念入りにぐるぐる巻きにする事くらいはやりかねない。なにしろ彼にはそう出来るだけの権限がある。


「……暴れさせて橋を壊さないようにしてくださいね」

「其処まで暴れはしないさ。元々橋の装飾なんだから、下手をすると自分を壊すことになりかねないからね。それに、そんなに暴れたら残り三頭の麒麟と獅子達も黙っちゃいないだろうし」


 楽しそうな天狗は、どうやって間抜けな麒麟を縛るか今から考えているのだろう。

 裏辻は内心麒麟に手を合わせた。もしかしたら今度、日本橋で一頭だけ街灯に縛り付けられた麒麟を見る羽目になるのかもしれない。


「妖魔部のお仕事も大変ですねえ、風見さん」


 裏辻の呟きに、天狗――風見は深々と頷いた。


「もう僕やってられなくなりそう。ねえ、僕の代わりやってみない? 裏辻君なら何とかなると思うんだ」

「いきなり副部長なんて押し付けられても無理ですよ……風見さん妖怪の警察のナンバーツーじゃないですか」

「えー、じゃあ下っ端でもいいからうちに来てよう」


 食い下がる風見に裏辻は「嫌です」ときっぱり言った。


「人間より数段タフであろう風見さんが過労死寸前になるくらいの職場なんて、私だったら絶対死んじゃうので」

「えー、振られちゃった。でもまあ……確かにねえ……人間じゃ無理かなあ……」


 忙しかった日々を思い返しているのだろう。風見の目から光が消える。


「…………頑張って下さい」


 裏辻の言葉に深く溜息を吐き、風見はぼそっと「死なない程度に頑張るよ」と呟いた。


「……あ、ねえ。まだ休憩する?」


 気を取り直したように聞いてくる風見に、裏辻は腕時計に目を遣った。


「そろそろ動こうかなと思いますけど」

「……なら、乗せて行ってもらっていい?警視庁まで」


 正直もう飛ぶのも嫌なんだと続け、風見は顔の前で手を合わせて見せた。

よく見ると、その目の下には隈が出来ている。


「……どうぞ」

「ありがとー」


 裏辻がドアを開けると、風見はさっさと車に乗り込んだ。


「あー涼しい。快適だねー」


 後部座席でだらりとだらける風見に構わず、裏辻も車に乗り込んでシートベルトを締める。


「神谷町まで出て桜田通り真っ直ぐでよろしいですか?」

「うんー……後、着いたら起こして」

「えっあっはい」


 条件反射で返事を返してから、裏辻はそーっと後ろを見た。

風見は早くも寝ている。寝るというか、最早気絶しているように見えるのは裏辻の気の所為だろうか。


「……なるべく静かに行きましょうか」

「んび」


 一人と一匹で頷き合い、裏辻はメーターを入れて車を発進させた。

 出て突き当りを左折、その次の突き当りも、左向きの一方通行なので左折。

運よく信号にかからなかったので歩道橋のある交差点を右折し、日比谷通りに出る。

少し信号で待ってから御成門を左折し、そのまま直進。

 愛宕下通りを越え、突き当りが神谷町の交差点だ。このまま道なりに直進していけば、ホテルオークラの裏に行き当たる。

 平日だけあって、神谷町は人も車も多い。歩行者信号が赤になっても走って渡ろうとする女性を、バイクの男性が警笛を鳴らして追い払っている。

女性はむっとした顔をしていたが、これはどちらかというと女性が悪い。

 最近歩行者の信号無視が増えたんだよなあと内心溜息を吐きつつ、裏辻は神谷町の交差点を右折した。


「いやー眩しい。サングラス欲しいわあ」

「んぴゃ」


 直射日光はそれほどでもないが、ビルの硝子が反射した光が容赦なく路面に降り注ぐ。

 サングラスが欲しくなるが、残念ながら裏辻の会社では見栄えの関係上サングラスを着用しての乗務は禁止されている。

 何とか眩しさに耐えながら、裏辻は車を走らせた。

工事続きの虎ノ門二丁目を越え、直進して虎ノ門交差点の手前で信号待ちに引っ掛る。


「うっびん! うび!」


 不意に左側を見ていた銀太が声を上げた。

 釣られて裏辻が左を見ると、屋台で買ったと思しきプラスチック製の丼を四つ重ねて持っている和装の男性の横で、スーツ姿の男性が呆れきったように頭を振っているのが見える。


「……将門公に崇徳院じゃないの、あれ」

「うびうび」


 何やってんだろあの方達、と首を捻る裏辻だったが、視界の端で信号が青に変わったのを見て前を向いてハンドルを握り直した。

 前の車に続いて発信し、虎ノ門の交差点を抜ける。

 向かって左側の、黄土色の壁の文部科学省、灰色の壁の財務省は古めかしい建物だ。どちらも戦前に建てられたものらしい。

 桜田通りを挟んで右側、文部科学省の向かいにはオフィスビルと日本郵便、財務省の向かいには経済産業省がある。

 庁舎の前は慌ただしく人が行き交い、時折タクシーに手を上げる人の姿も見られた。

 更に進むと左側に外務省、右側に農林水産省が見えてくる。外務省から丁度公用車が出てくるところだったので、裏辻は公用車に道を譲ってから再び車を加速させた。

 霞が関一丁目の交差点を越えると、左側には総務省、右側は裁判所。そこからさらにもう少し走ると警視庁だ。刑事ドラマで見るのとはまた違ったアングルから警視庁を眺めつつ、裏辻は声を張り上げた。


「風見さーん! もうじき警視庁ですよー!」

「ふぁっ」


 ミラー越しに、がくっと風見の頭が揺れたのが見える。


「うあ、もうついたのかー。何処か適当に、ああ、そのパトカーの後ろで良いや」


 半ば寝惚けた風見の指示に従い、裏辻はパトカーの後ろで車を停めてメーターを止めた。


「此処で良いですか?」

「うん。後は歩くよ、眠気覚ましになるだろうし」


 ふあ、と欠伸を零す風見から裏辻が代金を貰っていると、銀太が裏辻のベストのポケットに頭を突っ込んだ後何か咥えてふよふよと風見の方に向かった。


「ぷい」

「え、くれるの? ありがとう」

「うびびび、うんびっび」


 飴を風見の手にぽとんと落とした銀太が、風見の肩をたしたしと叩く。

銀太なりに激励しているようだ。


「それじゃあ、ええと、無理しないで頑張ってくださいね」

「うん。裏辻君も頑張ってねー」


 銀太を一撫でし、裏辻に笑いかけてから、風見は裏辻が開けたドアから降りて行った。

 が、歩道に上がってすぐ、植木に片足を突っ込んだ。

転びはしなかったようだが、通行人と警備の警官から心配そうに見られている。


「…………大丈夫かしら、あの人」

「…………うびんぶん」


 植木から足を抜き、何事も無かったかのように歩き出した風見を見送り、裏辻と銀太は顔を見合わせた。

 実は今すぐ寝かせた方が良いのではなかろうか。


「……まあ、大丈夫だと思う事にしておきましょう、うん」

「んび」


 気を取り直してメーターを空車に戻し、右ウィンカーを出して車を発進させる。

 これからは大手町や丸の内界隈に行くのが良いだろう。

オフィス街のお客に狙いを定め、裏辻は車を走らせた。

 この慌ただしさなら、売り上げもそこそこ見込めるだろう。


「さーて、私も頑張りますか」

「んび!」


 気合を入れて走り出した裏辻達が、偶々通った日本橋で普通の人では見えない光る縄で縛られた麒麟を見かけ、揃って何とも言えない顔をすることになるのは、もう少し後のお話である。

銀座の和光の事を服部時計店っていう人は戦前生まれなんだよって家の母親が言ってました

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