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番外・裏辻の午後

「つっかれたー」


 午後四時過ぎ、足立区某所のタクシー会社の営業所。

車庫に車を収め、裏辻はようやく一息ついた。


「んぴゃぁー」


 一緒になって肩の上の銀太も声を上げた。

ぐーっと鰭を伸ばすような仕草を見せると、シートベルトを外した裏辻のベストのポケットに潜り込む。


「やーれやれ。さっさと終わらせて帰ろっと」


 それにつられる様に裏辻も体を伸ばしてから、車のメーターの総走行距離を日報に書き込んだ。

 出庫前に書き込んだ値からその値を引き、今日の走行距離を計算する。

メーターの横のボタンを押してトリップメーターをリセットすると、ETCカードを引き抜いた。


「…………今更だけど、違う車のETCカードじゃないのこれ」


 まあいっか、と思いつつ、自分の車の無線番号と異なる無線番号のシールが貼られたETCカードをベストの胸ポケットにしまう。

乗務員証を外し、料金メーターの書き込みボタンを押して記録媒体に今日のデータを移してから引き抜くと、裏辻は乗務員証と記録媒体をファイルに放り込んだ。

それから自分の荷物を纏めてトランクを開き、外に出て鞄を出すついでに燃料メーターをチェックしておく。

 燃料メーターの出庫前と帰庫後の値と今日の給油量から燃料の使用量を割り出し、日報に書き込む。

トランクを閉め、荷物を鞄に詰め込み、忘れ物の有無を確認してドアを閉め、裏辻は事務所に向かおう――として、ふと首を傾げた。


「……そう言えば、閉局したかしら」


 どうだったかな、と思いつつ、もう一度ドアを開き、エンジンキーを捻る。

起動が遅い無線端末兼ナビに少々苛立ちつつ画面を覗けば、左上に“回送”の文字。


「やっぱりしてなかった」


確認しておいてよかったと思いつつ、裏辻は画面を操作して閉局ボタンをタップした。

暫く待ち、閉局が完了したことを確認してからエンジンを切る。

 そしてドアを閉め、裏辻は今度こそ事務所に向かった。



●・・・・・・・・・・●



「ただいまもどりましたー」


 やや間延びした挨拶と共に事務所の扉を開く。

蒸し暑い外とは違い、中はそれなりに冷房が効いているらしい。

 涼しさに一息つきつつ、帰庫時のアルコールチェックを済ませる。


「ああそうそう、ETCカードが他の車のやつでしたよー」


 記録媒体を読み取り機械に突っ込んでデータを読ませつつ裏辻がそう言うと、カウンターで書類を眺めていた主任が目を剥いた。


「まじ?誰だそんな駄目な奴」

「まじです」


 記録媒体をファイルに入れプリンターから書類を回収し、アルコールチェックの紙とETCカードと共にカウンターに出す。

 ファイルを回収していく主任は、何かを思い出そうとしているらしい。妙な顔をしている。


「あっごめん僕だわ昨日ETC入れたの」

「あらやだ主任が駄目な奴じゃないですかー」


ごっめーん!と謝る主任を裏辻はさくっと駄目な奴認定した。

 主任はというとまた目を剥いて、写楽の役者絵のような顔をしている。


「……主任、目、乾きません?」

「実は大分乾く」


 あー、と呻きながら目を抑える主任を放置して、裏辻は納金室に足を向けた。


「おつかれー。今日も暑かったねえ」

「お疲れ様ですー。ねー。もうほんとやになっちゃう」


 納金機に向かう同僚と軽く言葉を交わし、納金室に入る。

中はあまり冷房が効いていないようで、何処となく空気が淀んでいる。下手をすると事務所より蒸すかもしれない。


「ぶー」


涼しい事を期待していたらしい銀太が拗ねたように鳴く。

それに内心同意しつつ、裏辻は納金用の用紙を一枚取って椅子に座った。


「えーと、日計はっと」


 小銭入れを探り、回送中に出しておいた今日の日計を取り出す。

そこに書かれているのはICカードやクレジットカードを使って行われた決済の詳細だ。

カードの種類毎にまとめられた合計金額を更に合計し、用紙の指定された欄に書き込む。

今日はタクシーチケットも受け取っていたので、その分の金額も別の欄に書き込んでおく。

 それから今日の税込営収を一番下の欄に書き込み、チケットやカードの金額を差し引いた額を現金の欄に書き込んだ。


「うびびんうびう!」


 裏辻が現金を用意していると、いつの間にかポケットから出ていた銀太が鳴いた。

鳴き声の方に目を向けると、飴が詰まった丸い瓶の上でゆらゆらと尾鰭を揺らしている。


「うんびー」


 一声鳴いてべたっと瓶に貼りつき、銀太が瓶の蓋をかしかしと爪で引っ掻く。

蓋を開けたいらしい。それじゃあどう頑張っても蓋は開かないんじゃないかな、と思いつつ、裏辻は小銭入れを鞄に仕舞った。


「うっびん! うびびー!」


 少しすると、自力で開けるのを諦めたのか、銀太がびーびーと蓋の上で鳴き始めた。

そう言えば今日はまだおやつをあげていなかったような――そうだ、あげていなかった。

 裏辻は無言で銀太を蓋の上からどかすと、瓶の蓋をきゅっと捻って開けた。


「うぴ!」


 途端、銀太が勢いよく瓶に頭を突っ込もうとする。

それをさりげなくはたいて止め、瓶から飴を取り出してやる。


「ぷー」

「ぷーじゃありません」


 何やら不満気に鳴く銀太に全くもう、と溜息を吐き、裏辻は瓶からもう一つ飴を取り出した。

 包みを破いて飴を口に放り込み、包みをゴミ箱に入れてふと顔を上げると、納金室の入口付近で中途半端な姿勢で固まり、何故かまた目を見開いて此方を凝視する主任と目があった。


「主任ー? どうしましたー?」


 裏辻が声を掛けると、主任は無言で何かを指差した。

 指の先を目で追うと、机の上で、丁度包みを爪で破った銀太が飴をばりばりと噛み砕いているところだった。

裏辻も無言で銀太を指さすと、主任は無言でこくこくと頷く。


「主任、もしかしなくても」

「えっうん見えてる。なっちゃん取り敢えず納金してから話そうか」

「あっはい」


 すすす、と後退りしていく主任に続いて裏辻は納金室から出た。


「ぴっ!」


 置いて行かれまいと慌てて裏辻の肩に飛び乗る銀太を横目に出てすぐの納金機に自分の社員番号を入力し、紙幣と硬貨を放り込む。

 それからチケットやカード決済の金額を入力し、日報を印字用の機械に差し込んでから完了ボタンを押す。

日報を抜き、数字が印字されたのを確認してから日報と書類を纏め、裏辻はカウンターに向かった。


「お疲れ様ー」

「はーい、おつかれさまですー」


 ポンとカウンターの上に日報と書類を置く。

置かれたそれをざっとチェックし、判子を押したのは主任ではなく事務員の青年だった。


「あれ、主任は?」

「えーと、煙草吸って来るって言って外に行っちゃいました」

「あら」


 お話合いは外でって事かしらなんて思いつつ、裏辻は一度納金室に戻り、鞄を肩に引っ掛けた。


「んじゃまた明日」

「おつかれさまでしたー」


 ひらひらと手を振る裏辻の、鞄を掛けていない方の肩の上で、銀太も裏辻の真似をしてひらひらと鰭を振る。

 そそくさと事務所から出て行った裏辻は、青年の視線が銀太に釘付けになっている事に気付かなかった。



●・・・・・・・・・・●



「なっちゃん、おつかれー」


 事務所の外、車庫の片隅。

何とも言えない蒸し暑さの中、喫煙スペースのベンチに腰を下ろし、主任は紫煙をくゆらせていた。

 ベンチの横には小さな祠があり、中には寄り添う男女の姿が彫られた石――道祖神だ――が祀られている。聞いたところによると、会社が出来る前から此処に有るらしい。

 祠の前には缶ジュースや菓子類が何とも言えない適当さで供えられていた。お賽銭らしき小銭も置かれている。妙に達筆な字で「もっと売り上げが伸びますように」と書かれた短冊は同僚の誰かが書いたものだろうが、はたしてその願いは道祖神に願うものだっただろうか。裏辻にはよく分からない。


「まー座って座って。おっさんの横は嫌だろうけど」

「はあ」


 ぽんぽんとベンチを叩く主任に促され、裏辻は主任から少し離れた位置に腰を下ろした。


「ええとですね、なっちゃん。その銀色の生き物なんだけれども」

「はい」


 煙草を灰皿に押し付け、主任がふと真面目な顔をする。

つられて真面目な顔をする裏辻に、二人の間に挟まれる形になった銀太がきょときょとと視線を彷徨わせた。


「あの、別に君に憑りついてたりとか、そう言う悪い奴じゃないよね?」

「え、はい全然違います」


 何処か心配そうな主任にすっぱり即答し、裏辻は真顔で続けた。


「これはペットです」

「ペット」

「ペットです。甘党で食いしん坊で甘えん坊のペットです」

「えええええ」


 心配そうな顔から一転、微妙な顔をする主任に裏辻はさらに続ける。


「芸も出来ます。ほら銀太、おて」

「ぴ」


 ほい、と裏辻が掌を出すと、ふよりと肩から浮いた銀太がたしっと左鰭を置いた。


「おかわり」

「ぴ」

「おまわり」

「うぴ!」

「しゃちほこ」

「んぴゃっ!」


 おかわりで掌に右鰭を置き、お回りで空中を一回転。最後に裏辻の掌の上で名古屋城のしゃちほこよろしくポーズを取り、銀太はひらひらと尾鰭を振って主任を見上げた。心なしか自慢げな顔をしている。


「わーえらいえらい…………え、なんなのこの芸達者ぶり。犬?」

「犬じゃなくて龍らしいです、一応」

「えっ」

「取り敢えず、悪いものじゃないんで大丈夫です」

「あ、そう……」


 なら良いけど、と言いながら、主任は指先で銀太の鼻先を軽く突く。


「ぴゃあー」

「……警戒心が無いねえ」


じゃれついてきた銀太を構ってやりながらちょっと複雑そうな顔をする主任に、裏辻は重々しく頷いた。


「拾った私が言うのも何ですが、こいつ、警戒心が無さすぎて不味いと思っています」

「拾った」

「はい。まだ新人だった頃に。覚えてます? 私が行灯だけ壊して帰って来た時」

「うーん、そう言えばそんな事が………………え?! ってことは行灯壊したのこの子?!」

「です。上から降ってきてばきっと」

「うびっびー」

「ううむ、確かに固そう」


 主任がつんと角を突くと、銀太はぷいっと顔を逸らす。どうやら角を触られるのはあまりよろしくないらしい。


「あ、何処を撫でてもわりと平気ですけど、顎の下あたりは止めといた方が良いです」

「なんで?撫でたら喜んで喉を鳴らしそうだけど」

「何処に逆鱗があるのか分からないので……」

「あー……」


 それを聞いてそっと手を引っ込めようとする主任に、銀太はなおもじゃれつく。

その姿は子犬のようだった。


「ねえなっちゃん」

「はい?」

「ペットなら仕事に連れてくるのはどうかと思うの」


 ご尤もな主任の言葉に、裏辻は深く溜息を吐いた。


「私もそう思ったんです。最初は」

「うん」

「それで拾った次の日、家に置いてったんです」

「うん」

「…………帰ったら、家の中だけハリケーンが通り過ぎたみたいなことになってました」

「……うん」

「そして、びーびー泣き叫ぶ銀太にタックルされて、私は一瞬窒息しかけました」

「……………………置いて行かれて寂しかったのかな?」

「それもありますけど、お菓子を探してあちこち漁ってたみたいです。後で本人が白状しました。ね!」

「う、うびぃー…………」


 ね! で裏辻が銀太を見ると、銀太は気まずそうに首を竦めた。

どうやら相当叱られたらしい。尾鰭がへにょりと垂れ下がっている。


「またハリケーンになるくらいなら、連れて歩いた方がましと判断しました」

「そうだねー……」


 家の中でハリケーンを想像したのか、主任は遠い目で事務所を見遣った。

片付けに難儀しただろうことは、想像に難くない。


「まあ、今まで特に何もなかったんだし、銀太君だっけ? この子の事はまー良しとしましょう」


 ふわわ、と大欠伸を零し、主任は続けた。


「にしてもなっちゃんも視える人だったんだねー」

「それは私が主任に言いたいですわ。まあ、言いふらすようなもんでもないから黙ってたのは分かりますが」

「下手に言いふらしたらヤバい人扱いだからね、しょうがないね…………僕だって今日なっちゃんが銀太君の事はたいてるの見なかったら、なっちゃんが視える人だとは思わなかったし」

「私も主任が銀太を見て変顔してなかったら、主任が視える人だとは思いませんでしたね」

「変顔とか酷い」

「酷くないと思います」


 裏辻の言葉に、主任は不満そうな顔でえー、と呟いた。


「…………まあいいや、僕そろそろ戻んないと。石井君に怒られそう」

「じゃあ、私もそろそろ帰りますね」


 よいしょ、と立ち上がる主任に続いて裏辻も立ち上がる。

銀太も、立ち上がった裏辻の肩にぽすんと着地した。


「じゃ、なっちゃん、銀太君、おつかれさまー」

「お疲れ様でしたー」

「うびびびびびうびびー」


 軽く手を振って事務所に去っていく主任を見送り、裏辻は肩の銀太を見遣った。


「よく今まで見ない振りしてこられたわよねえ、主任。こんなのがいたら目立つでしょうに」

「んぴゃ?」


 なあに? と首を傾げる銀太になんでもないと返し、鞄を肩に掛け直す。


「もうやあねえ、夕方になっても蒸し暑くて」

「うびうび」


 あーやれやれ、と溜息を吐きつつ、裏辻はぐっと身体を伸ばした。

 夕方と言っても陽はまだ高く、蒸し暑い。まだ暫くこの暑さと付き合わねばならないと思うとげんなりするが、それが夏というものなので諦めるしかない。


「さーて、さっさと帰るわよー」

「んぴ!」


 一刻も早く冷房が効いた部屋でだらけるべく、裏辻は早足で駐輪所に向かう。

 意外な事がありつつも、裏辻の一日は今日も概ね平穏に終わったのだった。

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