十六報目・広尾の花嫁
六月なので、結婚式のお話です。
チャットで友人からネタを頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。
渋谷区・広尾は日赤通り。
広尾一丁目から高樹町に向けて坂を上っていた裏辻は、少し先の路地から出てきた人影を見つけて車の速度を緩めた。
この辺りは高級住宅街だ。何処に行くにも少々不便な立地である事も相まって、タクシーの利用者が多い。案の定上がった手に密かにガッツポーズしながらハザードを出しつつ車を左に寄せた裏辻だったが、手を上げている人物たちの服装を見て内心悲鳴を上げた。
黒留袖の女性と真っ白いウェディングドレスの女性が、揃って手を上げている。お客は、どう見ても結婚式に向かう新婦とその母親だった。
「自宅から花嫁衣裳着ていくなんて、珍しい…………」
「うぴー……」
一人と一匹で、半ば感心しながら車を停める。
さっと運転席から降りると、裏辻は車の後ろに回って二人の元に向かい、ドアを開けた。
「どうぞ。頭上と足元にご注意ください」
「あらあら、ごめんなさいねぇ」
「ありがとうございます」
まず母親が乗り込み、その後に新婦が乗り込む。新婦の頭の透けるヴェール越しに、ふと尖った茶色の物が見えた気がして、裏辻は目を瞬かせた。
失礼にならない程度にじっと新婦の頭を見てみる。
矢張り尖った何かが生えている。何かというか、もしかしなくてもこれは狐の耳だろうか。
「……………………お足元宜しいですか?ドアを閉めます」
はぁい、と返事が返って来たのを確認し、裾がはみ出ていない事を確認し、裏辻はそっとドアを閉め、運転席に向かった。
耳については、ひとまず見なかった振りをしておこう。そう思いながら。
「ご乗車ありがとうございます、どちらまでお送りいたしますか?」
「ええとですねえ、明治記念館までお願いします」
「明治記念館ですね、畏まりました」
メーターを入れて右にウィンカーを出しつつ、裏辻は脳裏に地図を広げた。
此処から行くとすると、六本木通りから外苑西通り、青山墓地と公園の間を抜けて外苑東通りだろうか。
二人に確認を取ると、それで構わないと返されたので、その通りに進むことにする。
「運転手さんはお優しいわねえ、態々ドアを開けに来て下さってありがとう」
日赤医療センターの前の交差点を過ぎたあたりで、母親が細い目を更に細めてそう言った。
「いえいえ、言われるほどの事では……」
それに苦笑しつつ、裏辻はブレーキを踏んだ。都バスがゆっくりと右折してバス乗り場に入っていく。
目の前の信号が青なのを確認し、再びアクセルを踏みながら裏辻は遠い目をした。
別に優しいからドアを開けたなんて事は無いのだ。普通だったらレバーでドアを開く。
ただ、今回はドレスと着物だ。非常にお高い、恐らくはオートクチュールの。万が一ドアで挟んで汚しでもしたら大惨事だ。苦情が入った上、クリーニング代が万単位で飛ぶなんて事態になりかねない。下手をすれば弁償だ。
幾ら運転手が運転席から確認しつつ注意を促しても、お客が見落とすことは大いにありうるし、もしそうなった場合もクリーニング代は運転手持ちになる。なんだか理不尽な気がするが、それがこの職業なので仕方がない。運転手に出来るのは、なるべくそうならないように注意して行動する事だけだ。
そんな経緯からの行動を褒められ少々複雑な気分になりつつ、裏辻は高樹町の交差点を右折した。
一番左の車線に入り、霞町陸橋と首都高の入り口を避けて坂を下る。
道の途中、消火栓と思しき箱の上で酔っぱらった男性が必死に手を振っていた。
大方飲み屋で今迄飲んでいたのだろう。男性が車道に転げ落ちてこない事を祈りつつ横を抜け、西麻布の交差点を左折する。
左折後、二股の手前の信号で止まっていると、晴れた空からぽつぽつと水滴が降ってきた。
「あら、狐の嫁入り」
裏辻が何の気なしに呟いた言葉に、新婦と母親は目を見開いて顔を見合わせる。
「まあ、運転手さん! 同族の方だったのね?」
「化けるのが凄くお上手なんですね! 気配まで本当の人間と変わらないなんて!」
「えっ」
二股を右に曲がり、青山墓地と公園の間を抜けながら、裏辻は間抜けな声を漏らした。
バックミラー越しに新婦と母親はにこにこ笑っている。
どうやら、化け狐の仲間だと思われている、らしい。
――どうしてこうなった。
裏辻は半ば現実逃避気味に窓の外に視線を投げた。
道路の両側は今日も渋滞と見紛うばかりのタクシーで埋め尽くされている。
此処は数少ないタクシーの待機所なので、休憩したい車が一気に集中するのだ。
ふとひらひらと何かが動いたので裏辻がそちらに意識を向けると、タクシーとタクシーの間から顔馴染みの同僚が手を振っていた。軽く手を振り返し、日本学術会議前の交差点を左折して外苑東通りに入る。
青山斎場の前を通り過ぎながら、裏辻は誤解を解くべきか否か考えた。
(……解いておいた方が良いわよねえ、これ)
もしこれで人間への化け方を問われでもしたらどうしよう。もともと人間の裏辻には答え様が無い。
青山一丁目の交差点で信号に引っ掛った時、裏辻は意を決して口を開いた。
「あの「まあ、楓さん。お耳が見えてますよ! そんななりじゃ、人前に出られませんよ!」
が、その前に、母親が新婦のヴェールの少し上の方――丁度狐の耳が生えているあたりを軽くつまみながらそう言った。
「あ、ごめんなさぁい」
肩を竦める新婦に、母親は少々ご立腹気味だ。
「んもう、だから和装にしなさいって言ったのに! 綿帽子か角隠しが無いと不安だわぁ」
「良いじゃないよー、和装よりドレスの方が可愛いし」
「着物も十分可愛らしいでしょうに」
これだから今時の若い子達は、と母親が嘆く。
人でも人外でもその台詞は共通なのか、と裏辻は車を走らせながら感心した。ついでに、角隠しって耳隠しに使う物じゃないよね多分ね、と内心ツッコんだ。
赤坂御用地を右手に見ながら緩くくねった道を抜け、権田原の交差点をギリギリで抜ける。
すり抜けてすぐの中央分離帯の切れ目を右折し、裏辻の車は明治記念館に滑り込んだ。
案内に従って車を走らせ、正面の車寄せに付ける。
「こちらでよろしいですか?」
「はい、はい。ありがとうございます」
母親が料金を支払っている横で、新婦はぽすぽすとヴェールを抑えていた。
「あの、運転手さん。ちょっと見て欲しいんですけど」
「はい?」
見るって何を?
思わず軽く首を傾げる裏辻に構わず、新婦はずいっと頭を裏辻の方に突きだした。
「耳、ちゃんと消えてますか?」
「あー…………はい、大丈夫ですよ。ちゃんと消えてます」
どうやら、耳をちゃんと消せたかどうか確認したかったらしい。
裏辻の肯定に、新婦はほっとしたように笑った。
「さあさ、そろそろ行くわよ」
「あ、ではドアをお開けしますね。お忘れ物にご注意ください」
一声かけてから裏辻はレバーを操作してドアを開いた。
一度開けてしまえばスタッフが後は抑えていてくれる。
「本日は、おめでとうございます」
新婦が車から降りる前にそう言えば、新婦は嬉しそうにはにかみ、ありがとうございます、と会釈をして降りて行った。
「ありがとうねえ、運転手さん。これからも頑張って頂戴ね!」
続いて笑顔の母親が降りて行き、スタッフが忘れ物の確認をしてからドアを閉める。
スタッフに会釈し、メーターを戻してから裏辻は車を発進させた。
明治記念館から出る直前で、裏辻は「あ」と声を上げた。そういえば。
「私が狐だって言う誤解、解きそびれた」
どうしようってわけでもないけどどうしよう。
謎の人外ネットワークであっという間に広まったりはしないだろうか。
権田原の信号待ちで考え込む裏辻の肩を、銀太はぺしぺしと鰭で叩いてくる。
「うんびん」
「……アンタにそんなぬっるい目で見られる日が来るとは思わなかったわー……」
やっぱり誤解を解いておけばよかったなあと溜息を吐きつつ、裏辻は車を走らせる。
翌日以降、君って実は狐だったの? と知り合いの人外の何人かから問われ、裏辻がげんなりしつつ訂正する事になるのは、もう少し後の事。




