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十五報目・虎ノ門のインテリ

タイトルどうするかで地味に悩みました

「へくしっ」


 平日の昼下がりの、港区は桜田通り、虎ノ門三丁目の交差点。

信号待ちで停まりつつ、裏辻は一つくしゃみをした。眉間に皺を寄せつつティッシュで鼻をかみ、ごみ袋に捨てる。鼻だけではなく目もむず痒い気がしたので、未だ車の列が動かないのを良い事に目薬もさしてしまった。

 春と言えば桜、の前に花粉症。今年も黄色い悪魔が元気に活動しているようだ。これからしばらくの間、裏辻はティッシュと目薬と友人にならねばならない。


「もー……やんなっちゃうわぁ」

「ぷぴー?」


 げんなりと溜息を吐く裏辻の肩の上で、銀太がこてんと首を傾げた。

銀太は花粉症の“か”の字も見られない。今日も今日とて呑気にふよふよと宙を泳いでは裏辻にじゃれついている。


「花粉症って大変なのよー」

「んびー」

「でも私はそんなに酷くないし、スギだけだからまだましなのよ」

「うびうびー?」

「ヒノキとかもある人は結構長く続くらしいわ」

「うびびびびぃ」

「そうよー、大変なのよー」


 銀太と適当に会話をしつつ、裏辻は車を動かした。

虎ノ門二丁目の交差点は今日も今日とて渋滞している。何でも、新しい地下鉄の駅を作るらしい。ただでさえ複雑な地下鉄をこれ以上複雑にしてどうするのだろうと思いつつ、何とか交差点を抜ける。

 そのまま直進していると、虎ノ門の交差点の手前のビルで手を上げている人影が裏辻の目に入った。


「おーっと」


ブレーキを踏みつつハンドルを左に切る。

滑らかに車が停まった先には、ガラス張りの超高層オフィスビルがあった。入口には何故か巨大な鳥居があり、中にはそれなりに大きな神社の社殿が見える。鳥居の横には、“金刀比羅宮”と彫られた石柱がでんと立っていた。

 ビルの名前は、虎ノ門琴平タワー。神社の敷地内に立つ高層ビルである。何故神社とオフィスビルがこのような形で共存しているのか、残念ながら裏辻は知らない。きっと大人の事情とか言うやつなのだろう。


「お、御嬢ちゃんにちび龍君。久し振りじゃのー」


 裏辻がドアを開くと、最初に乗り込んできた男性がそう言って笑った。

紅梅色のネクタイとモノクルが印象的な、学者然としたその男性に、裏辻は大いに見覚えがあった。


「お、お久し振りです」


ぱちぱちと瞬きをする裏辻を余所に、男性――学問の神様こと菅原道真公――は奥にずれて行く。

 道真公に続いて、もう一人男性が乗り込んできた。

何処か近寄りがたい雰囲気の男性だ。整った容貌に、銀縁眼鏡が良く似合う。ぱっと見いかにもやり手のサラリーマンと言ったところだが、道真公と知り合いの様なので、人間かどうかは少々怪しい。何故か目元と鼻が少し赤い気がしたが、光の加減か見間違いだろう。

 座席に座り、裏辻がドアを閉めた所で男性が口を開く。


「宮内庁までお願いし…………っくしゅ」


一瞬、車内に沈黙が降りた。


「宮内庁……ですか」


 裏辻はまず目的地に戸惑った。宮内庁の場所は分からなくはない。だが、そこまでタクシーが入れるかどうかは、ちょっと分からない。何故なら、宮内庁は皇居の中だからだ。

思案していると、道真公が笑いながら助け舟を出してくれた。


「大丈夫じゃよ、御嬢ちゃん。中まで入れるから」

「え、そうなんですか?」

「うん、取り敢えず桜田門から祝田橋左に曲がってくれる?」

「あ、かしこまりました」


 告げられたルートを脳内で確認し、裏辻は一つ頷いてから車を発進させた。と言っても、出てすぐで虎ノ門の信号に引っ掛ってしまったが。


「ひ………………くしゅっ!!」

「ぴ!」


 車が停まると同時に、後ろから大きなくしゃみが聞こえた。思わず銀太が鳴き声を上げ、裏辻も一瞬肩を揺らす。


「しつれ、っしゅっ…………くしゅんっ!」

「あのー、大丈夫ですか?」


振り返って声をかける裏辻に、男性はティッシュで鼻をかみながら頷いた。心なしか涙目になっている。


「御嬢ちゃんや……崇徳院はの、花粉症なんじゃ」


 信号が青になり、裏辻が前を向く。

そのタイミングで道真公が告げた言葉に、裏辻は車を走らせながら思わずまた振り向きそうになってしまった。

 ちょっと待って崇徳院って三大怨霊の一人じゃなかったっけ。ああ金刀比羅宮って崇徳院も祀ってたっけ、っていうかそれ以上に言いたい事があるんだけれども。


「あの、大変失礼なのを承知で言わせていただきますと…………人じゃなくてもなるんですね、花粉症」

「うむ」


裏辻の言葉に重々しく頷く道真公の横で、銀縁眼鏡の男性――崇徳院が、再び大きくくしゃみをした。


「…………忌々しいにも程があります」


 くしゃみがひと段落した隙に、低い声で崇徳院が呟く。バックミラー越しに様子を窺えば、至極不機嫌そうな顔で目元を拭っていた。


「今年の花粉はちと酷いのう」

「ええ。今からこれでは、先が――くしゅんっ!」


 外務省の前を過ぎたあたりで、崇徳院はまたくしゃみをした。

スーツのポケットからポケットティッシュを出したが、残念な事に中身は空になっていたらしい。


「道真公。ティッシュを持っていますか」

「儂花粉症じゃないから持ってないのよね、残念」


道真公にティッシュを求めるも、道真公はてへっと笑っている。

そのふざけた様子に、崇徳院の眉間の皺が余計深くなった。


「天狗を嗾けますよ?」

「雷落とすよ?」

「ティッシュの貸し借りから始まる怨霊同士の喧嘩とか勘弁してくださいねー」


 バックミラー越しに二人を見ながら、裏辻はげんなりしながらツッコんだ。車内で喧嘩は洒落にならない。たまにそれで運転手が巻き込まれ、怪我をしたという話も聞く。そんな事態はまっぴら御免だった。


「ティッシュ、三つくらいで足りますかね?」


 桜田門の交差点で信号にかかった隙に助手席の物入れを漁り、裏辻はポケットティッシュを取り出す。

振り向いて崇徳院に差し出すと、銀縁眼鏡の奥の瞳がほんの少しだけ細められた。


「ええ、恐らく足りるでしょう。御親切にどうも、どこぞの年寄りに見習わせたいくらいです」


どこぞの年寄り、と言いつつ崇徳院はジト目で道真公を見遣った。

見られた道真公はというと、わざとらしく外を見ながら口笛を吹いている。

二人のやりとりに苦笑いしながら、裏辻は車を走らせた。

 警視庁を左手に、桜田門を目の前に見つつ桜田門の交差点を右に曲がり、祝田橋の交差点の左折レーンの、最も内側のレーンに入る。皇居の中に入るなら、これでいいだろう。


「あの、花粉症の薬とか飲まないんですか?」


 祝田橋の交差点を左折しつつ、裏辻は何の気なしにそう聞いた。普通に食べ物を食べられるなら、薬も効くかもしれない思ったのだ。


「…………あれはあくまで人の子向けの薬です。我々は形こそ人の子と変わりませんが、中身は別ものですからね……」


 市販の薬が効いたらどんなにいいかと項垂れる崇徳院に、裏辻は申し訳なくなってしまった。もしかしたらもう試していたのかもしれない。


「うびうび」


項垂れる崇徳院の肩を、いつの間にかふよふよしていた銀太がぺちぺちと叩く。

慰めようとしているらしい。が、そんなに叩くのは正直どうなのだろうか、と裏辻は思った。


「あ、御嬢ちゃん。行幸通りの所に入り口あるから、そこ左ね」

「はい」


 道真公の指示に従い、裏辻は行幸通りの交差点の真ん中を過ぎたあたり、詰所らしき建物の手前で左に曲がった。警官が柵の前に立っているので、その前で停まる。後部座席を覗き込んだ警官は、一つ頷くと柵をどかしてくれた。道真公が許可証か何かを見せたらしい。

 そこから広い砂利道を道なりに少し走ると、坂下門が見えてくる。門の手前には深緑の制服を着た皇宮警官が立っていて、身振りで停まるように指示してきた。


「儂ら二人で宮内庁までね」


 窓を開け、許可証かなにかを警官に見せながら道真公が告げる。

一つ頷いた皇宮警官は小走りに詰所に走っていくと、裏辻に窓を開けるよう指示した。


「許可証です。ダッシュボードの前に置いてください。帰る時に返してくださいね」

「はい、ありがとうございます」


 皇宮警官から許可証を受け取り、裏辻はそれをダッシュボードの上に置いて窓を閉める。それと同時に、崇徳院がまたくしゃみを零した。花粉が入ってきてしまったらしい。つられて裏辻もくしゃみをしそうになったが、何とか堪えた。

 坂下門を抜け、道真公の誘導に従って走ると宮内庁が見えてくる。庁舎は昭和十年に建てられたものらしい。少し茶色がかった灰色の壁に淡い緑色の屋根の、古めかしい建物だ。


「こちらでよろしいですかね」

「うん、いいよー」


 正面玄関の前に車を付け、裏辻はメーターを止めた。


「タクシーでは初めて来ました、此処――というか、皇居の中」

「まあ、此処まで乗るお客も早々いませんからね」


くしゅっと小さくくしゃみをしつつ、崇徳院が料金を払う。

裏辻が受け取って釣銭と領収書を返すと、崇徳院はそれらをきちんと財布に仕舞った。


「宜しいですか、ドア開きます。御忘れ物にご注意ください」


 財布を仕舞い終えた所で一声かけ、裏辻はドアを開いた。


「お世話様でした」

「お二人さん、じゃあのー」

「ありがとうございましたー」


それぞれ挨拶して降りて行く二人を見送り、パタンとドアを閉める。


「……ねえ、ふと思ったんだけどさ。これ、どうやって元の場所に戻ればいいのかしら」


 メーターを空車に戻しつつ、ふと浮かんだ疑問を裏辻は口にした。

行きは案内してもらったが、帰り道を聞きそびれてしまった。聞き直そうにも、二人とももう庁舎の中に入ってしまっていない。周りを見渡すが、車はあっても人はいない。


「……………………うびんびん」

「わかんないわよねー。どうしましょ」


 うーん、と一人と一匹は考えるが、答えが出るはずもなく。

 取り敢えず適当に走った先で道に迷い、皇宮警官に不審なものを見る目を向けられ、内堀通りに戻るまでしばらく時間が掛ってしまったのは、また別のお話。

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