十四報目・芝公園のろくろ首
お久しぶりです生きてます。
港区・芝公園。
東京プリンスホテルの向かい、港区役所にほど近いタクシー待機所の木陰で、裏辻と銀太はのんびり休憩していた。
適度に差し込む日差しが車内を暖める。窓を半分ほど開ければ、車内は過度に暖まりすぎる事も無く非常に快適な空間になった。
「ぷぁー……」
大きく欠伸をした銀太がもにゅもにゅと何かを呟きながら裏辻の膝の上で丸まる。
釣られる様に裏辻も欠伸を零した。
先程昼食を取ったばかりの所為か、眠い。
「んー…………どうしようかしらねえ」
今日はそこそこ売り上げも良い。ひと眠りしたところで特に問題はないが、さてどうするか。
考えながらもう一度欠伸をしていると、裏辻はふと視界の隅で何かが動く気配を感じた。
口を閉じつつ横を向く。
「……………………ふぁ?」
助手席の窓から車内を人が覗いていた。
歳は二十歳そこそこあたりだろうか。綺麗に化粧をした、笑えば可愛らしい女性だ。
残念な事に、今は泣きそうな顔をしている。
それはいい。まだいい。
休憩中のタクシーの車内を覗いていく人はそこそこいる。
問題は、其処ではない。
「…………く、くびだけとはまたきような…………」
女性は胴体が無かった。
“無かった”と言ってしまうのは些か語弊がある。実際、胴体は後ろの方に見えていた。どうやら、首だけ伸ばしていたようだ。
ぽかんと間抜けな顔をする裏辻を余所に胴体が走って向かってくる。ハイヒールを履いた、今時のファッションに身を包んだ女性の胴体が、物凄い勢いで走って、裏辻の車に向かってくる。
それに従って、長く伸びていた首は見る見るうちに縮んでいった。
「すみません東京駅の八重洲口まで急ぎでお願いします!!!!」
「ぴえっ!?!?」
漸く首が普通の人間の長さになった頃、女性は涙目でそう叫んだ。
叫び声に、膝の上でうとうと微睡んでいた銀太がぴょっと飛び上がる。
「お願いしますほんとにお願いします周りのタクシーは皆休憩中だからってお断りされちゃってえぇぇえええ…………」
「ああああわかりましたわかりましたから!泣かないで!」
目を白黒させる銀太を余所に、裏辻はレバーを操作してドアを開いた。
転がるように乗り込んできた女性に足元に注意するように促し、ドアを閉める。
「日比谷通りから晴海通り外堀通りで八重洲口まで向かいます飛ばしますんでシートベルトをお締めくださいね!」
自分もさっとシートベルトを締めながらルートと注意を述べ、裏辻はエンジンをかけた。
素早く後ろをミラーと目視で確認し、メーターを入れて車を発進させる。すぐの一時停止をほんの一瞬だけ止まり、左折してすぐ突き当りをまた左。
右折レーンに先頭で滑り込み、信号が青になった瞬間、対向車が動く前に遠慮なくアクセルを踏み込む。良い子は絶対に真似をしてはいけないやり方で交差点を曲がり、裏辻の車は日比谷通りに踊りこんだ。
「ぴぇえぇぇー…………」
窓を流れる景色に、ちゃっかり肩に乗った銀太が妙な声を上げる。
此処最近こんな運転はしていなかったからだろう、無理もない。
一般道における法定速度ギリギリで真昼の大通りを駆け抜ける。
後ろの女性はというと、ぽかんとしていた。
「運転手さん、すごいですねえ」
「はあ」
何が凄いんだ、と思いつつ裏辻はハンドルを捌いて前のトラックを軽やかに避け、ついでに車線を変えた。
環二通りを突っ切り、細かい信号を突破する。
“黄色いけいけ赤突っ込め、一々停まるな一旦停止”
同僚が作った物騒極まりない標語が裏辻の脳裏を過っていったが、西新橋の交差点で前の車が停まったので大人しく停まる。
「びゅんびゅん走ってるのに全然揺れなーい……」
ほえー、と声を上げる女性を余所に裏辻は信号を睨んだ。
信号が青になる。前の車が動き出す。
少し距離を置いてから裏辻も車を動かした。
妙に遅い前の車を一瞬左の車線に移って追い越し、内幸町の交差点、帝国ホテルと日比谷公園の前の交差点をすり抜ける。
日比谷の交差点は一番右の車線に入り、右折して晴海通りに入ったらすぐ左に車線を変えた。
本来なら、八重洲口までは鍛冶橋通りまで出て曲がるのが距離としては短い。が、鍛冶橋――鍛冶橋通りと外堀通りの交差点は左折で必ず詰まる。主に歩行者信号の所為で、一回は信号に引っ掛る。酷い時は三回くらい引っ掛る。
一方、数寄屋橋――こちらは晴海通りと外堀通りの交差点だ――は、歩車分離式の信号なので、歩行者を一切気にしなくていい。
その為、急いでいる場合は晴海通りを使う事の方が多い。
「あと数分で着くと思うんですが、お時間大丈夫そうですか?」
外堀通りを駆け抜けながら裏辻は女性に聞いた。
「あ、はい。大丈夫だと思います……よかったぁ、飛び乗ろうとしたら蹴りだされるっていうからどうしようかと」
「蹴りだされる、ですか。随分物騒ですねえ」
「あはは、そうですよねー……見た目は優しそうな方なんですけど、蹴りだすときは容赦ない鬼車掌なんだよーって友達が言ってました」
蹴りだすときは容赦ない鬼車掌と聞いて、裏辻の脳裏を知り合いが一人過っていった。
異界列車は新幹線のホームも使うんかい、と内心ツッコみつつ八重洲口前の信号をすり抜ける。
降車場は、いつも通り混雑していた。残念ながら入るのは無理そうだ。
「あの、降車場にはいるのは無理そうなので此方でもよろしいですか?」
降車場のギリギリ手前で車を停め、裏辻はメーターを切った。
「はい! あの、助かりました! お釣りも領収書もいらないです」
「あ、え、でも」
流石にこれは貰いすぎなんですがそれは、と裏辻が言う間もなく、女性はにっこり笑って自分でドアを開けて降りて行ってしまった。
パタン、と音を立ててドアが閉まる。
「…………えーと、まぁいっか……?」
「んびー」
ポンとトレイに置かれた一万円札を回収し、裏辻は取り敢えず降車場の前から車を動かした。
貰いすぎな気しかしないが、返しようもないし、本人が良いと言っていたのだから大人しく貰っておこう。
「うびび!」
「これでお菓子は買いませんー」
「ぷぷぅ」
すぐに菓子をせびる銀太の額をつんと弾き、裏辻は永代通りに向かうべく外堀通りを走る。
思わぬ臨時収入から、午後の営業は始まったのだった。




