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十三報目・湯島の学者

 昼過ぎの千代田区・神田神保町。

白山通り沿いでお客を降ろした後、車を左に寄せて伝票を整理していた裏辻は、後ろの窓ガラスを軽く叩かれて顔を上げた。

 伝票を纏めてファイルに挟み、後ろを確認しつつドアを開く。


「やあ、どうも」

「こんにちは」


 にこりと笑って乗り込んできたのは男性だった。

灰色の髪を後ろに撫でつけ、濃い灰色のスーツを纏っている。

首に巻かれた紅梅色のアスコットタイが印象的な、いかにも学者然とした五十代の紳士だ。


「どちらまでお送りいたしますか?」

「ああうん、湯島天神の方まで。神保町右で、あとは本郷通りね」

「かしこまりました」


 指示されたルートを脳裏に描きながらドアを閉め、裏辻は車を発進させた。


「ね、御嬢さん」

「はい?」


 神保町の交差点。

信号に引っ掛り停車したところで紳士が口を開いた。


「知り合いが言ってたさ、龍の子供を連れてて儂らの事がわかる御嬢さんって君だよね?」

「…………ハイ?」

「ぷぴ?」


 何となく思ってたけどやっぱこのひと人外だったとか、えっ銀太って龍の子供だったのこんな食い意地張った龍っているのとか、知り合いって誰だよとか、おいこらいきなり出てきちゃ駄目でしょ銀太とか、なんかやたらフランクな口調だなこの人とか、色々な考えが裏辻の頭の中を通り過ぎて行く。

 かちこちに固まる裏辻を余所に、紳士はモノクルの奥の瞳を細めて楽しそうに笑っていた。


「えーと、知り合いというのはどちら様で」

「んー?首が今でいう大手町あたりに落っこちた御仁じゃよ」


 にこにこと――というよりは、にやにやと笑って紳士は告げる。

それってもしかしなくても将門公じゃん、と裏辻は思った。

 ついでに、この御仁の正体も何となく察しがついた。

将門公の知り合いで、行き先が湯島天神の方で。これはもう、裏辻としては一人しか思い当たらない。


「あ、儂が誰か分かった?」

「え、はい。菅原道真公ですよね」


 車を動かしながら答えを告げると、紳士――道真公は軽く片眉を上げた。


「ちっと簡単すぎたかの?」

「はあ、まあわりと?」

「そうかそうか」


 神保町の交差点、右折レーンで止まりながら裏辻はバックミラー越しに道真公を窺った。

特になんという事も無く車窓の景色を眺めている姿はどう見ても普通の人だ。

 実は裏辻も、最初は普通の人だと思った。が、何となく、微かに違和感があったので、人ではないと分かった。


(流石千年以上人外やってるだけのことはあるわぁ、紛れ方がお上手ね)


 妙な所で感心しながら、裏辻は右折矢印に従って右折した。


「にしても、交通量が多いのー」

「まあ、年末ですからねえ」


 頬杖をついて外を眺めつつ、道真公が呟く。

いきなり飛び出してきた自転車に内心舌打ちしつつ、裏辻はそれに溜息交じりで同意した。

 人も車も走る師走。

もう年末が近い所為か、いつもより街は慌ただしい。


「あーあ、やだなー正月」

「嫌なんですか?」


 神社ならかき入れ時でしょう。

身も蓋もなく裏辻がそう言うと、道真公はふっと遠い目をした。


「儂、学問の神様じゃろ?年が明けたらあけまして受験戦争じゃろ?まあ、願い事が書かれた絵馬の山に埋もれて窒息するよね、儂」

「あー…………」


 年明け二週間後くらいにセンター試験――から始まる大学入試、ついでに小・中・高校の入試。

四月入学の関係か、受験は年明けに一気に集中している。つまり、それに備えたお願い事も一気に集中する。


「…………頑張ってください」

「頑張れるとええんじゃけどなー……ねえ御嬢さん、流石に幼稚園受験まで儂に願掛けしてくるのってなんか違う気がするんじゃけど。最近結構多いんだけどね?幼稚園のお受験って学問って使うっけ」

「使うかどうかは分からないですけど、受験だから念のため、みたいな感じじゃないですか?」

「まじかー」


うわー、と力無く呟き、道真公はだらっとシートに凭れた。

年明けからの忙しさを考えているのだろう、心なしか目が死んでいる。


「もうやだー……………ボイコットしたいー……儂いつもわりと忙しいのにこれからもっと忙しくなるとかいやだーもうやだあけまして受験戦争なんて大嫌いじゃー」

「……おうふ」


 如何しよう、なんかやさぐれちゃいけない人がやさぐれていってる気がする。

小川町の交差点を左折しながら裏辻は内心唸った。

少しくらいご機嫌を直した方が良いような気がするが、さて。

 どうしたもんかと裏辻が考えていると、もそもそとポケットの中で銀太が動く気配。


「んび」


 一声鳴いて、何かを咥えた銀太がふよふよと道真公の所に飛んでいく。


「ふびふびふび、ふびふふびび!」

「おー……すまんなー」


 なにやら鳴きながら、銀太は道真公の膝にぽとんと飴玉を落した。

そして、「元気出せ!」と言った感じで道真公の頬をぺちぺちと鰭で叩いている。

あまりのしおれっぷりに同情したらしい。自分のおやつを差し出して慰めようとしているようだ。


「そうよなー、今からしおれてたらこの後乗り切れんよなー…………ありがとうな」

「び!」


 道真公によしよしと頭を撫でられ、銀太はふすんと鼻を鳴らして胸を張った。


「んびー」

「はいはい、良い子良い子」


 慰めといたよー、と鳴く銀太に声を掛けてやりながら、裏辻は車を走らせ湯島聖堂前の交差点を越える。

坂を下って、また上って。上って走った先に、湯島天神の鳥居が見えてきた。


「突き当りを道なりに曲がってすぐのところでお願いしようかの」

「かしこまりました」


 言われるままに道なりに左折し、裏辻は車を停めた。

料金を告げると、suicaで払うと告げられたので、端末を操作する。


「ほい」


 青く光る端末に道真公がスマホを翳す。

ピッと軽い音がして、領収書が吐きだされ始めた。


「…………スマホですか」

「うん、そう。良いよね、これ。電話も手紙も写真撮影もこれ一つとか、世の中便利になったもんじゃ」

「タクシーもスマホで呼べますしねえ」

「あ、それは知らんかった。今度使ってみよう」


 領収書だけ受け取り、道真公はスマホを懐に仕舞った。


「そう言えば知っとる?将門公がスマホに使えないの」

「えっ」

「スライドもスワイプも理解しとらんかった。あ奴、らくらくスマホすら危ういわ。まあ、そもそも手に持ってる時に電話が鳴った時点でびびっとったから携帯電話自体扱えんかもしらんけどね」

「はあ……」


 道真公が機械に馴染み過ぎているのか、はたまた将門公が機械音痴すぎるのか。

いまいち判断しかねる裏辻は、何とも言えない声を上げた。


「おっと、そろそろ降りるとしようかの」

「あ、かしこまりました。ドア開けますね」


 一言断りを入れてからドアを開く。


「じゃあね、御嬢さんとちび龍君。正月過ぎたら遊びにおいで、“花月”のかりんとうでもつまみながらお茶でもしようなー」

「え、あ、はい。……あのー、頑張ってください。……色々と」

「うむ。頑張るわ」


 裏辻の応援に妙に神妙な顔で頷き、道真公はひらひらと手を振って降りて行った。


「…………私、天神様ってもうちょっと厳格そうな人だと思ってたんだけど」

「うび」

「……………………意外と現代に染まってたわね」

「んびんび」


 想像以上にフランクな学問の神様に戸惑いつつ、裏辻は車を発進させた。


「うびびびー?」

「おやつは会社に帰ってから!んもう、アンタそんなに食い意地が張ってるところころに肥えて飛べなくなるわよ!飛べない龍なんてただの足が生えて厳つい顔した蛇よ!あ、アンタの胴体魚だから、魚ね」

「ぷぷぅー…………」


 おやつが貰えなかった上に叱られ、銀太はしょんぼりと項垂れる。

が、飛べなくなるのは嫌らしい。大人しくポケットに戻っていった。


「さて、……あ、お客さんっぽい人発見」


 突き当りを左折し、春日通りに入って走っていると少し先で手が上がる。

 矢張り今日はいつもより忙しい。が、この忙しさも仕事納めまで。それが過ぎると、一気に暇になる。

年末年始の為にももう少し稼いでおかねば、と心に決めつつ、裏辻はお客に向かって車を走らせたのだった。

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