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十二報目・松濤の雪兎

十一月に雪とか、本当にびっくりしました。ええ。

 港区・青山公園前。

タクシーのみ駐停車が認められているスペースに車を停め、裏辻は車から降りて大きく伸びをし――ようとして、逆に身体を縮こまらせた。


「寒いっ!」


 寒い寒いとぼやきながら腕を擦る。

銀太はというと、裏辻の上着のポケットに避難して出てくる気配がない。中でマナーモードの携帯のように震えていた。


「んもう、十一月に雪だなんて聞いてないわよ」


深々と溜息を吐く裏辻の視界をちらちらと白いものが舞う。

 本日の東京の天気は、雪。

ニュース曰く、東京で十一月に雪が降るのは約五十年ぶりなのだそうだ。


「あーもう寒い寒い寒い」


 本当は車から出る事すら嫌だったが、生理現象には逆らえない。

とっとと用を足してしまおうと、裏辻は小走りで公園に駆け込んだ。





 数分後。

裏辻が車に戻ってみると、タクシーのボンネットの上に兎がちょこんと座っていた。

全身がふわふわした白い毛で覆われた可愛らしい兎だ。

薄い青色のリボンが首に巻かれ、銀色の雪の結晶のチャームが白い毛の間で光っている。

それだけなら、何処から来たのかは横に置いておいて可愛らしい兎で済んだ事だろう。

――裏辻を見上げる瞳がサファイアのような青で、座っている周囲に霜が降りてさえいなければ。


「ゆ、雪兎…………、なのかなー……?」


 若干顔を引き攣らせて呟く裏辻を、兎はじーっと見ている。

これは一体どうするべきか。触って大丈夫なのだろうか。下手に触れたらしもやけしそうなのは気の所為ではない気がする。


「ぷー!」


 裏辻が如何しようかと考え込んでいると、上着から急かすような声が上がった。

大方、何時までも車に入る気配がないから不審に思ったのだろう。


「銀太、あの子どうしよう」

「び?」


 唐突に裏辻に話を振られ、銀太はのっそりとポケットから顔を出した。

銀色の瞳は寒さの所為か心底嫌そうに細められていたが、兎を見ると不思議そうに丸く見開かれる。

じっと見つめられ、兎は気まずそうに視線を遠くに投げた。

兎であるにもかかわらず、妙に人間臭い仕草である。


≪ぼく、ごしゅじんさまとはぐれちゃったのです…………≫

「ふぁっ?!」

「ぴゃっ!?」


 唐突に少年の声が一人と一匹の脳裏に響く。

思わず肩を震わせる裏辻達に、兎は申し訳なさそうな顔で続けた。


≪おうちまで、のせていってもらっていいですか……?≫


そう言った兎がぴょんとボンネットから飛び上がる。

くるりと宙で一回転したと思うと、その姿は五、六歳あたりの少年に変わっていた。


「のせていってください!」


おねがいします、とふわふわの白髪を揺らして少年が頭を下げる。


「え、ああ、どうぞ」


その必死な様子に、裏辻は半ば反射的に首を縦に振った。

乗せて行けと言われたら余程の事が無い限り断れない、タクシー運転手の習性である。


「ありがとうございますっ!」

「あ、うん」


しっかりと裏辻の両手を握り、青い瞳を細めて花の様に少年が笑う。

純粋な笑顔に少々当てられつつ、裏辻は少年に車に乗るように促した。


「どちらまで行けばよろしいですか?」

「ええと、しょうとうのほうにおねがいします」


 しょうとう――松濤。渋谷の近くだ。


「えっと、いつもごしゅじんさまはおもてさんどうとはらじゅくをぬけて、ほんてんどおり?っていってました」

「あー、なるほど。じゃあ、墓地の真ん中を抜けて根津美術館の前から表参道の方でよろしいですか?」

「は、はい」


少年の言葉から行くべき道を脳裏に浮かべ、裏辻はメーターを入れつつ車を発進させた。

 暫く道なりに車を走らせ、最初の交差点を右に曲がって古びたラーメン屋がある辻からまっすぐ青山墓地の中を抜ける。

青山墓地中央の交差点を左に曲がり、また道なりにしばらく進むと根津美術館だ。



 全くの余談だがこの根津美術館、地理試験――東京でタクシーの運転手になるために必要な試験で、ひっかけ問題として出てくる。

根津とつくから根津にあると思ったら大間違いなのだ。同じような問題で、太田記念美術館も出てくる。こちらは大田区ではなく、原宿にある。紛らわしいことこの上ない。



 閑話休題。



 根津美術館前の交差点を左に曲がると表参道に向かう通りに入る。

この通りは両側にブランドショップが軒を連ね、いつも混雑している。

 通り沿いの小さな神社から、赤い前掛けを着た小狐が尾を振りながら裏辻達を見ていた。


「ふびー」

「あ、きつねさん!」


ぱたぱたと狐に手を振る少年と、いつの間にか少年にじゃれついていたらしい銀太をバックミラー越しに眺めつつ、裏辻はほんの少しスピードを上げて表参道の交差点を抜ける。

 暫く走ると右側に灰色の横長の建物――表参道ヒルズが見えてきた。

今日も駐車場は満杯らしい。入りそびれた車に、警備員が申し訳なさそうに頭を下げている。

 道なりに坂を下り、丁度谷になっているのが神宮前の交差点。左折も右折も混雑しているそこも直進し、緩やかな登り坂を上がって右側の森が明治神宮とその御苑、左側が代々木競技場第一体育館――よくニュース番組で映っている、特徴的な見た目の建物だ。

 長々と続く路上駐車の列を眺めながら坂を下り、代々木公園交番前の交差点を直進し、その次の歩道橋の手前の信号を左折すれば本店通りである。この道をこのまま直進すれば、東急百貨店の本店に到着する。


「本店通りはどのあたりまで行けばいいですか?」

「えーっと…………」


 裏辻の問いに、少年はきょろきょろと周囲を見渡した。


「えっと、このさきにかどにこんびにがあるこうさてんがあるので、そのこうさてんをまがって、ちょっといったところでおねがいします」

「コンビニはローソンでしたっけ?」

「はい」


あたりは付いていたものの一応何処のチェーン店かを確認し、本店通りを走る。

 右側手前にローソンがある交差点を右に曲がると、真っ黒い長髪に真っ白いコートの美女が顔を輝かせて裏辻の車に手を上げた。


「ごしゅじんさま!」


美女の姿を認め、少年もぱっと顔を輝かせる。

あの人が飼い主さんなんだな、と思いつつ、裏辻は美女の方に車を寄せてメーターを切った。


「ああもう雪乃君ったら!心配したのよー!」

「むぎゅぅっ」


 ばっとドアを開いた美女が少年を抱き締める。

わしゃわしゃと髪を撫で回す美女の豊満な胸に、少年――雪乃は見事に埋もれていた。

じたばたともがいているように見えるのは裏辻の気の所為だろうか。


「あーのー…………?」

「はっ!まあまあ、ごめんなさいね運転手さん!」


恐る恐る裏辻が声をかけると、美女はぱっと雪乃から手を離した。

 おいくらかしらと問われ、裏辻は料金を告げる。

財布を開く美女から少年に目を遣ると、どうやら窒息しかけていたらしい。

少しだけ息を切らせている。


「これでお願いしますわ。お釣りはいらないから何か温かいものでも買って頂戴ね!」

「あ、どうもありがとうございます」


ぽんと裏辻の手にお札を渡し、美女は優雅に微笑んだ。

 黒い髪がさらりと揺れ、それを追う様に細かな白い粒が舞う。

白い粒は裏辻の手に触れると、一瞬だけ冷たさを残して消えた。


「じゃあ、私達はこれで失礼しますわ。ありがとうございました!」

「うんてんしゅのおねえさん、こい……こい?ちゃん、ありがとうございました!」

「はーい。もう迷子になっちゃ駄目よー」

「ふびふびー」


 手を振る二人に手を振り返し、裏辻はメーターを空車に戻しつつドアを閉める。

周りの安全を確認してから、ゆっくりと車を発進させた。


「鯉ちゃんだってさ」

「ぶぅ」


 からかい交じりに笑う裏辻に鯉じゃないようと鳴いて返し、銀太はまた裏辻の上着に潜り込む。


「鯉じゃ無けりゃ何なのよ」

「ぷぴー?」

「さあー?ってアンタ…………自分の事でしょう」


 適当過ぎる銀太に溜息を吐き、裏辻はふとした疑問を口にした。


「ねえ、アンタも人に化けられたりするの?」

「うび?うー…………」


車内に沈黙が落ちる。


「うびうびう!」

「……あっそ」


考えた末わかんない!と何故か自慢げに叫ぶ銀太に、裏辻は深く脱力した。

まともな返答をこの食い意地が張ったお子ちゃまに期待するだけ無駄だったようだ。

 まあ、下手に人に化けて喋るようになったら余計に菓子を強請るだろうから間違いなく煩くなるだろう。

いっそ化けさせない方が賢明かもしれないと思いつつ、裏辻は細かな雪が舞う中車を走らせた。


「意外とよく降るわねえ」


 昼前には止む筈だった雪はまだ降り続いている。

これはまだまだ忙しそうだ。

よし、と姿勢を正し、裏辻は気合を入れた。


「さて、これからも頑張るわよー」


 路地から大通りへ出る。

まだまだ雪の日の営業は終わらない。

悪天候特有の忙しなさは、結局営業が終わるまで続いたのだった。

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