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十報目・外堀の拾い物

 ざあざあと雨が降っている。


「やあねえもう、酷い雨」

「んび」


 千代田区・富士見。

外堀の公園にある公衆便所のすぐ傍で、裏辻は車を停めて休憩していた。

 ラジオによると、今日は台風が来ているらしい。

朝から降り続いている雨は一向に止む気配を見せず、むしろ強さを増しているようだった。


「そう言えばアンタを此処で拾ったのも、こーんな大雨の日だったわねえ」

「ふび?」

「そうよ。なぁに、忘れちゃったの?」

「んびー……」


 裏辻の言葉に、そうだっけなぁと言いたげな声を銀太は上げた。

どうやらあまり覚えていないらしい。難しい顔で首を捻っている。

そんな相方の様子に苦笑しつつ、裏辻は水滴に濡れる窓の向こうを見遣った。

 そう。あれは数年前の事。

まだ裏辻が、ペーペーの新人だった頃の話だ。



・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・



 ざあざあと音を立てて雨が降っている。ごうごうと風が吹いている。

今年はどうやら異常気象のようだ。

ラジオ曰く、列島に居座る秋雨前線が近年稀に見る量の雨を東京にもたらしている、らしい。


「もういやぁああぁあぁああぁぁ…………」


 靖国通りを市ヶ谷から靖国神社の方に向かって走りながら、裏辻はか細い悲鳴を上げていた。

ワイパーを幾ら早く動かしても視界が白い。風の所為か、時々車体が震える。

普通の車よりも硬いタイヤはマンホールを踏むたびにきゅるりと妙な音を立て、その度に裏辻はびくびくしていた。

 なんで今日に限って出勤。

なんで今日に限って、引退間近な走行距離七十万キロオーバーのおんぼろ車。

 自身のシフト表と配車担当者を恨みながら、裏辻は一口坂の交差点を左に曲がった。

スリップしないように気を付けながらブレーキを踏みつつ坂を下る。

新見附橋を右に曲がり、少し走って法政大学のコンビニの少し手前で車を停め、裏辻は深々と溜息を吐いた。


「もうやだかえりたい」


 くすんと鼻を啜って泣き言を呟く。

乗務開始以来初めての悪天候は、仕事を続ける気力を裏辻から奪っていた。

必死になって目を凝らして運転していたからだろう、目の奥と頭が鈍く痛む。


「甘い物、食べたい」


 疲れた脳が糖分を欲している。

欲望に従い、裏辻はふらふらと車から降りてコンビニに入っていった。



 一口大のあんころ餅を買って、飴がそろそろ無くなりそうだったので黒糖の飴も買って。

ついでにお手洗いも借りてから、裏辻はコンビニから出た。


「いやー…………どうしよう」


 さっさと営業所に帰ってしまうべきか、それとも少し休んで雨の様子を見てみるべきか。

軒先で、暫く裏辻は悩んだ。


「…………ま、まあ悩む前に車に戻らないとね」


 この雨の中は少し歩くのさえ億劫だが、車に戻らないと何も始まらない。

稲妻が走る空を見上げ、裏辻は溜息をつきながら車の方に向かおうとした、その時。


ピッシャアアァアアァアァアアアアアアン!!!!!

ガッバキィッ!!

「ぴゃうっ!?!?」


三つの音が一度に、裏辻の耳に届いた。


「ちょ、ええええええええ?!?!?!?!?!」


 思わず傘をさすことも忘れて車に走り寄る。

見間違いでは無ければ、今車のごく近くに雷が落ちたような。


(まってまってまってまって今のでエンジン止まっちゃったりとかないわよね!?)


 慌てて施錠を解除し、エンジンキーを鍵穴に突っ込んでエンジンを回す。

ぶおん、と音を立てたのに一安心して、裏辻はふらりとシートに座り込んだ。


「よかったああああああ…………」


レッカー車を呼ぶ羽目になるような事態にはならなかったらしい。

ひとまず安堵した裏辻だったが、そう言えばなんだか不吉な音がしたような、と思い直した。


「まさか車体が凹んだりとかしてないわよね」


なんだか結構な勢いの音だったけど大丈夫だろうか。

嫌な予感を抱きつつ、裏辻は再び車から外に出た。

 ぐるりと車体の周りを一周してみる。

どうやら凹んでいる箇所は無い様だ。

が。


「な、なんてこったい…………」


車の上に設置された社名表示灯――通称行灯が、見事に割れていた。


「ちょ、ええええええ…………何で割れちゃったんだろ」


石だろうか、それとも木の枝でも飛んできたのだろうか。

何か硬いものが思い切り当たらないと、行灯が割れる事は無い筈だが。

原因を探るべく、びしょ濡れになるのを承知で車のドアを開けてステップに乗って首を伸ばす。

 まん丸だった行灯は、どうやら上から落ちてきた何かのせいで割れたらしい。

上の方が激しく割れていた。

中には電球と、銀色の、何かがある。


「……行灯って電球以外に何か入って…………えっ何あの銀色のなんか動いてるんだけど」


やだなー、怖いなーと思いつつ、裏辻は手にハンカチを巻いて行灯に手を伸ばした。


「ぴぎゅっ!」

「ひぇ……」


掴んだ銀色の何かが妙な声を上げる。

思わず落としそうになったが何とか堪え、裏辻は銀色の何かを片手にステップを降りて車内に戻った。


「…………なぁにこいつぅ」

「びー、びゃーうー!」


 裏辻の手の中でびったんびったん動く銀色の何かは、とても珍妙な姿をしていた。

全身は金属質な銀色。頭が龍で、胴体は鯉とか鮒とか、そのあたりの魚のようだ。普通の魚よりやや下よりについている胸鰭は大きくやたらひらひらとしているが、柔らかそうな見た目に反して骨が通っているらしい。べしべし叩かれると、意外と痛い。

 ――瀧の上に頭だけ出して、龍になりかけている鯉はこんな感じなのだろうか。

びたびた動く生物を眺めながら裏辻はそんな事を思った。

どう見ても自然界の生物ではないこの銀色の何かは、物の怪とか妖怪とか、その辺りの類の物らしい。

嵐の日に落っこちてきたのだから、雷獣かもしれない。龍……かどうかは、ちょっと分からない。


「びうぅぅ…………」


 暫くびたびたしていた生物だったが、何やら元気がなくなって来た。

慌てて裏辻が手を離すと、膝の上にぽてっと落ちる。


――ぎゅるるるるるるぅ


生物の腹の虫が鳴いた音が、妙にはっきりと聞こえた。


「ぷすぅ…………」


腹を抱え、しょんぼりした様子で銀色の生物が鳴く。

お腹が空いているらしい。


「……………………アンタ。あんころ餅食べる?」


 しおしお項垂れている様子がちょっと哀れだったので、裏辻は買ったあんころ餅を一つこの生物にやることにした。

袋から出したあんころ餅の一つにピックを刺して生物の前に差し出してやる。


「び?」


こてっと首を傾げた生物は、ふんふんとあんころ餅の匂いを嗅いだ。

一頻り匂いを嗅ぎ、じろじろと眺めた後、おもむろにあんころ餅をぱくりと齧る。


「んびっ!」


一口齧って飲み込むと、生物はパッと顔を輝かせた。

あむあむとあんころ餅を食べ進め、あっという間に食べきってしまう。


「んびー」


 たしたしと鰭がピックを叩く。

これは、もしかしなくても


「おねだり、されてる感じ……?」

「びー、うびー」


困惑する裏辻を余所に、生物はびーびー鳴いてあんころ餅をせびっている。

もう一つピックに刺して差し出すと、今度は鰭であんころ餅を持って齧り始めた。


「…………餌付けしてる感じねえ」


無心であんころ餅を齧る生物を眺め、裏辻も一つあんころ餅を齧る。

その内また食べ終えた生物があんころ餅を強請って来たので、結局裏辻は四つ中三つのあんころ餅を生物にやってしまった。


「もうないわよ、おしまい」


 ほら、と空になった器を裏辻が見せると、生物はぷすぅと鼻を鳴らす。

未練たらたらな様子に思わず笑ってしまった。


「びー」


笑う裏辻に、生物は拗ねたように鳴いた。

そのまま何を思ったか、裏辻のジャケットのポケットにもごもごと入り込む。


「え、こらちょっと待ちなさい!」

「ふーびーぃー」


慌てて引っ張り出そうとするも、ポケットの奥深く潜るわ地味に服にしっかり捕まっているわで引っ張り出すのは難しい。

無理に引っ張り出せば出せない事も無いが、多分服が破れるだろう。


「んび」


器用に中で向きを変えたらしい生物がポケットから顔を出す。

なんだかとってもご機嫌だ。

どうやら裏辻は、この妙な生物に気に入られてしまったらしい。


「……なんてこったい。飼えってか」

「うび」


 うんうんと頷く生物は飼われる気満々だ。

頬を突いてみるとぷすんと鼻を鳴らして擦り寄ってくる。

可愛いかも、なんて裏辻は思ってしまった。


「…………面倒見はそんなに良くないわよ。どうすれば良いかわかんないし」

「んび」

「ご飯、変なもの食べさせちゃうかもしれないわよ。下手するとお腹壊しちゃうわよ」

「ぷぴ」

「……………………構わないなら、良いわ」

「び!」


妖怪を飼うなんて初めてなんだけどなあと裏辻は思った。

正直どうすれば良いかわからないが、多分何とかなる…………と、思う事にする。


「…………そろそろ帰ろうかなあ」


 時計を見ると、もういい時間になっていた。

帰ろうと思った裏辻だったが、その前にふと嫌な事を思い出した。


「……やばい。行灯の事電話しなきゃ」

「んび?」


首を傾げる生物を余所に携帯を取り出し、事務所に連絡する。

一応、飛来物が当たって行灯が壊れたと報告しておく。

実際は生物だったが、まあ間違いではない筈だ。この風だったら色々飛んでいそうだし、理由としても問題はない。

が。


「あー……やっぱり、報告書はいりますよね……」


 案の定書く羽目になった事故報告書――同僚たちはよく始末書と呼んでいる――の存在に、裏辻はがっくりと項垂れた。

事故を起こしたら始末書、事故に巻き込まれても始末書。今回のような事でも始末書。まあ要するに、車体が破損したら始末書である。


「折角此処最近始末書と縁が無かったのに……」

「ぷぴぃ?」


しょげる裏辻を見上げ、生物は首を傾げている。

自分の所為だとは、あんまり思っていないようだ。


「んー、まあいいや……私の所為じゃないだけまだ救いがある筈。今回は運が悪かったってことにしておきましょう」

「びう?」


ぶつぶつ呟く裏辻に、よく分かっていない様子で生物が声を上げる。

その頭をぽんぽんと撫でてやり、裏辻はエンジンをかけた。


「さーて、帰るわよー。帰って始末書よー。もう今日は雨だから洗車は無しよー」


 半ばやけくそになりながら、雨の中車を走らせる。

そのポケットの中で、生物はのんびりと寛いでいた。

 生物は後に“銀太”という名前を付けられ、いつも裏辻と行動を共にする事になるのだが、それは少し先のお話。

走行キロ数七十万オーバーとか嘘だと思うじゃん?

タクシーだとあるあるです。むしろタクシーは十万キロ走ってからが本番です。

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