ようこそタジンへ!
向かう先は【タジン】。
現在の前の現実で生きていた【リューネシア】で最初に訪れた人里。そして、その先にある街は【カイツ】で、この【レガシィ島】にある二つ中二つ目の街。
この地の住人イーヌイが口にした言葉に、ムリな作り笑顔をしていたアリスは目を伏せ俯き黙る。
───決まりだ。
アリスの得た確信。
───この世界は【リューネシア】なのだ。
そしてまた、アリスの得た確信。
───【リューネシア】であり【リューネシア】で無い。
【リューネシアの様な世界】
願いは叶っている。あの【リューネシア】は───もう無いのだから。
嬉しさと悲しさと同居しているこの気持ちは何なのか。
アリスの感情はこの世界に来てから自分でも驚く程に激しい波となっていた。
喜び、不安、悦び、怒り、歓び、心配・・・・・・
今なお繰返される感情の満ち干きの中心に、もう一人の自分が見える。
その自分が強い眼差しで訴えかけている。
『強くなれ』
自身が望んだ世界【リューネシア】。
ゲームの様でゲームじゃ無い現実に、見えてしまった自分の弱さは何より、知らない事への『恐怖』。
知らないイーヌイ、知らない魔石の欠片、知らないステータス、知らない体験、知らない、知らない、知らない・・・・・・
然れど【リューネシア】。
知っている地名、知っているアイテム、知っている敵、知っている言葉、知っている、知っている、知っている・・・・・・
そう、これは現実。知っている事がある。知らない事があっても良いじゃないか。
知らない事は知れば良い。
知っている自分に成れば良い。
【強い自分】に。
ゆっくり目を開き顔を上げたアリスはとても美しかった。清々しい微笑みに「アリスさん、マジ天使」と口に出しそうになった魔幻堂だが、何とかそれを飲み込み心に留めた。
「ヨシっ。【タジン】に行きましょう!」
アリスの号令で三人は【タジン】へ向かい歩き出した。イーヌイを先頭に案内人とし、二人は後を追う形で橋を渡る。
橋を越えてもそれ迄と代わり映えのしない道が続き、恐らくイーヌイが逃げ出して来たと思われる森を横目に見ながら進む。
各々黙ったままで歩いていたが、ふと森に目をやる度に気になる事が頭を過ぎる。
モンスターの存在。
イーヌイは追われて来たが、モンスターはこの辺りで遭遇しないのだろうか。
短い沈黙を破りアリスが口を開く。
「イーヌイさん、この辺りはモンスターがいなそうなのに、何でキラービーに追い掛けられたんですか?」
「はっ、はい。オラぁそこの森さ兎を狩りさ出たんでさぁ。んで、タジン様さ言われたんすが、この森ら辺には出ないはずのモンスターさ誰かが見た言う話があるから確認すて来いと。そすたらまぁ見事に森ん中でアレを見たんすが、逃げる前さ見つかっつまいますてね。鞄さも投げ出すてあそこさやっとこ逃げれたんでさ」
「そ、そうですか。じゃあ、普段この辺にモンスターは出たりしないんですね」
「んだぁ。【ばんでぇ】の中腹さでも登らねぇと、熊ぁ出たとしすても怪物さ出たりすねぇ。戻ったらタジン様さ報告さぁ」
手をこまねいて聞いていた魔幻堂もふむふむと頷き、アリスは「なるほどぉ」と相槌を打つ。話せば話すほどイーヌイの訛りが酷くなっている様にも感じてもいたが、二人ともそこには触れずにいようと以心伝心するのだった。
少し話をして打ち解けてきたのか、【タジン】の様子や食べ物事情など気軽にイーヌイは情報を色々と教えてくれる。そうする内に気付けば大分進んで来たらしく、周囲の空気が徐々に変わり始めた。
何とも無い軽い雑木林の中を暫く進み、時折兎やら何やら小動物らしき影は感じらたが、大型の獣などは目撃する事なく拓けた道へと出る。
「もうすぐそこさ、着きますだ」
言われて直ぐに木造の家々が見えてくる。集落への入場門などは無く、ログハウスの様な丸太で組まれた家が何件も建ち並ぶ様は、周囲の雰囲気と噛み合って何処かの避暑地と取れなくも無い。しかし、此処への道中で聞いていた通り開発途中の村らしく、建設途中の建物や職人がちらほらと目に入るので静かな保養地とはならない。
そして、二人が別世界を再認識させられる、『人種』との出会いがそこにあった。
魔幻堂たちを含む【ヒューマン】と呼ばれる種族が世界の過半数を占める最も多い種族らしいが、実際に行き交う他種族の人間を目にしたアリスは、少々恐怖にも似た感情で背筋にぞわぞわとした寒気を感じ震えたらしい。
曰く、美麗で優雅な気品溢れる風貌にほっそり尖った耳が特徴的な博識長寿族【エルフ】。
曰く、【エルフ】と同じく美麗な容姿で色黒肌が特徴の長寿族【ダークエルフ】。
曰く、見たままに獣の血を色濃くその身に宿した種族【獣人】。
曰く、鍛冶や建築が得意で力持ちの小人族【ドワーフ】。
【エルフ】も【ダークエルフ】も同種であるとか、獣人にも多種あるのだとか様々あるらしいのだが、人間としての種族と認識されているのは【ヒューマン】【エルフ】【ダークエルフ】【獣人】【ドワーフ】の五種族とのこと。
二人とも小さな集落と思っていたが、規模としては人口を含めちゃんとした村だと言える様に感じていた。
【リューネシア】を画面で感じていたせいもあるのか、アリスには余計に大きな衝撃的印象となっている。ましてや目に映る全ての人々が実際に生きている人間であり、物言わぬNPCなど存在していないのだから。
「オラぁん家はこっちさなります」
物珍しく辺りを見回す二人に「変わった人らすなぁ」と呟きながらも自宅へと案内するイーヌイ。
これだけの集落で長から直接命令を受けるこのオジサンは一体何者かと疑問に思ったアリスが尋ねたところ、彼曰く補佐役と言う名の使いっパシリだそうだ。
先を歩くイーヌイはすれ違う人々にどうもどうもと挨拶しながら軽快に歩いて行くが、過ぎ去る視線はチラチラと二人の見知らぬ後続者へ向けられていた。特に魔幻堂の黒ずくめな格好が気になるらしく、振り返りながら後ろ姿を見ようとして躓き転ぶ者までいた。
端から端まで歩くのかと思えてきた所で「ここです」と案内された家は、周りの建物と比べて一回り大きな家・・・の隣。つまりは長の家のお隣さんと言うことらしい。
中へ案内されると、質素ながらも温かみのあるいかにもログハウスな雰囲気で、外で見た印象よりも大分広い空間を感じさせる。
イーヌイが壁にあるスイッチの様な物に手を触れさせると、部屋がパッと明るくなった。天井に取り付けられた照明器具が暖色の発光で部屋中を明るく照らす。
電化製品など───科学技術は存在していないはずなのに何故・・・。
「魔法・・・?」
思わずアリスの口から出た『魔法』の言葉に反応したのはイーヌイだが、やはり何をおかしな事をと言わんばかりな顔をしている。
「いやいや、【魔石灯】に決まってるでねぇすか。オラぁ魔法なんてひとつも使えねぇさぁ。ほんにおかしな人ですなぁ。まぁどうぞ、座ってゆっくりすて下さい。お茶ぁ淹れますんで」
言われた通り二人は部屋の真ん中にある木製のテーブルセットで休む事となる。
丸太を加工して作られた様な椅子に座り、何時間ぶりかの休息をようやく感じる事が出来た。元の世界を離れそれこそ何時間経っているかなど知る由もないのだが、こちらの世界の太陽が沈む迄はまだ時間はありそうだ。
二人がキョロキョロ部屋を眺めていると、恐らくキッチンであろう場所からイーヌイが爽やかな香りを漂わせるマグカップを二つ持って来て二人の前に置いた。
「お待たせすますた。ハーブ茶になります。オラぁちとタジン様さ報告すて来るんで、戻ったらすぐメシさ用意すますだ。それさ飲んで少す待ってて下さい」
二人は頷くと、そそくさと出て行くイーヌイを見送りマグカップへ手を伸ばした。ハーブ茶と言うだけあって香りは良い。一口飲むとほんのりした甘さが口に広がり、どこか癒される気がするお茶だった。
「お、美味しいですね」
「悪くは無いですね。珈琲には負けますが」
「それは好みの問題じゃ?」
「それはそうですねぇ♪」
手を止めた魔幻堂に対して、気に入ったのかアリスは二口三口とハーブ茶を口へ運ぶ。
「まぁそれはそうと、なかなか興味深い技術がある様ですね。電力じゃ無く魔石と言ってましたか?」
「あの、それなんですけど・・・」
魔幻堂の質問に対して、アリスは自分の認識から少しズレているこの【リューネシア】の話をする事にした。
「魔石は【リューネシア】で欠かせない存在でした。この先の【カイツ】に行けば分かる事なんですが、次の島って言うか大陸に渡るのに大きな装置を通るんですよ。それは魔石の力で動いていて、使うためには魔石が必要でした。なので、これからどこへ向かうにしても必要になるアイテムになります。お金と同じくらいに。
で、その魔石はモンスターを倒すとドロップするんですけど、あの【蜂】を倒したときに落としたのは欠片だったんです。そんなアイテム見た事無かったんでちょっとビックリしちゃいました。ここに来てからも魔石の力でこんな電気みたいな使い方してる事にも驚きましたけどね。
とにかく、何が言いたいかってのは【リューネシア】だけど【リューネシア】じゃ無いって事です。持っている知識は使えるみたいですけど、全てを知ってる訳じゃ無いのでなんだか怖いって思っちゃったんですよね・・・。でも、それはホント生きてるって実感させられて・・・ゲームじゃ無いんだって。
それで、とりあえずは目に見えて分かる『強さ』がある世界なので、わたし・・・強くなります!知ってるもので一番違うのは自分の強さですから」
魔幻堂は笑顔で頷き、アリスの決意に応えた。
ハーブ茶の熱が冷めてきた頃、ログハウスの扉が開かれイーヌイが帰って来た。心做しか急いでいる様に見えなくも無い。
「あっ、あの、タジン様がお二人に会いたいそうです。来て頂けますか?」
イーヌイ帰宅後の第一声は、面倒事を持ち込む厄介者の言葉にしか聞こえない二人。
部屋を出る二人の背中は、どこかどんよりとした空気を醸し出していた。