ようこそ魔幻堂へ!
とある街の寂れた商店街───。そこから一本外れた暗い雰囲気の裏通りにある狭い路地へ入っていくと行き止まりに店がある。入口の扉には鳥居らしき門が設けられ【魔幻堂】と書かれた看板が表札の様にぶら下げられている。
如何にも怪しい店構えで繁盛する訳も無く、ただでさえ人気の少ない商店街の外れにあるその店にはお客など普通来るはずも無い。そう、普通なら。
ある日【魔幻堂】の看板を前にスーツ姿の男性が一人、虚ろな目をして一枚の紙を手に立っていた。その紙には六芒星が描かれ、『貴方の願い、叶えます』と文言が書かれている。
スーツ男はまるで操られる人形の様にゆらりとした動作で扉を開き店へと入って行った。扉に取り付けられた鈴の音が「リィィィン」と店内に響き渡ると、男の目には生気が戻り朦朧としていた意識がハッキリとしていく。
「ようこそ魔幻堂へ!」
店の奥から一人の男が笑みを浮かべてやって来た。シルクハットに黒縁眼鏡、黒の燕尾服から赤いベストを覗かせてピシッとした白シャツを着こなすオシャレな男。
まるで映画の世界から出てきた英国紳士風の格好をしたその男は、編み上げブーツの踵を鳴らしながらダンスのステップを踏む様にスーツ男へ近付き深くお辞儀をする。
「本日は御来店、誠に有り難うございます。私は【魔幻堂】店主の魔幻堂と申します。どうぞお気軽に魔幻堂とお呼び下さい」
まるで見世物の始まりを告げる道化師の様に自己紹介をする姿は何処か優雅で、誰もが見とれてしまう程の美しさを感じさせた。
「は、はぃ。御丁寧に有り難うございます・・・魔幻堂?さん・・・」
「これは一体何事か?」と自分の状況が分かっていないスーツ男に魔幻堂は飄々と陽気に話し始める。
「どうも困惑されている様ですが、貴方がこの店に来られたのは偶然では御座いません。貴方の『強い想い』が此処へ導いたのです。その手に持っている【広告】がほんの少し力を貸しましたが・・・。読んで頂ければ分かる通り、私が貴方の願いを叶えて差し上げます。但し、きちんと【対価】は頂戴しますよ〜♪」
御機嫌に話す魔幻堂を他所目にスーツ男は辺りを見渡す。
沢山のランプに照らされた店内には幾つものショーケースが並び、商品はどれも怪しい物ばかり。藁人形や五寸釘、十字架は勿論のこと銀の短剣や大鎌といった武器の類いの他、人骨、山羊の頭骸骨など呪術や魔術を彷彿とさせる品々がそこら中に溢れている。
この日本で明らかに銃刀法違反は免れないであろう品揃えをし営業しているこの店には不安しか感じられない。
「おやおや?どうなされました?夢や幻じゃありませんよ?まぁ疑いを持たれるのは仕方ありません。いきなり願いを叶えますなんて信じられませんよね♪」
スーツ男はただ頷いて黙ったままでいる。
「ではどうでしょう、騙されたと思って話してみては?貴方の願いを。それから私が求める対価を決めますので、その対価を払ってでも叶えたいと思えたら私に依頼して下さい。どうです?なぁ〜んでも叶えて差し上げますよ♪?」
思い詰めた顔をして考え込んだスーツ男は魔幻堂を全く信用できなかったが、叶えられるものならと意を決して話し始めた。
「実は幸子が・・・私の妻なんですが、先日急に倒れてしまいまして・・・・・・。今も目を覚まさず眠ったままです。原因不明で、病院でも何も出来ることが無いと・・・処置は諦められてしまいました。私が願うのは、妻の目覚めです。妻と一緒に元の幸せな生活を送りたいんです」
スーツ男の話を聞いた魔幻堂はにこやかに応えた。
「なるほど♪貴方の願いは分かりました。率直に言いますと、貴方の願いはとって〜も簡単に叶えられちゃいます♪コレで」
緑の液体が入った小瓶を見せつけ笑みを浮かべる魔幻堂に何か言いたげなスーツ男。それに気付いていたが口を挟ませる事なく魔幻堂は話を続けた。
「私は何でも出来てしまいます。不治の病を消し去るなんて容易いこと、死者すら蘇りますよ。しかし私は正義の味方ではありませんので、無償で誰にでも幸運を振り撒いたりは致しません。先に言っておいた通り、願いを叶えるには対価が必要です。そうですねぇ〜、貴方に求める対価は・・・『勇気』にしましょう♪」
「勇気・・・?ですか?」
「はい♪私の指定する方法で勇気を示して下さい。なぁに、簡単ですよ♪───『斗茂』さ〜ん、お茶の用意をお願いします」
「はい、かしこまりました」
唐突に魔幻堂がお茶を要求すると、二人しか居ないはずの店内に何処からともなく男が現れた。『斗茂』と呼ばれたその男は、明るく奔放に話す魔幻堂とは対照的で物静かに淡々と語る。
「珈琲を御用意致しました。濃いめの目覚ましで御座います」
いつの間にかテーブルと椅子が準備されており、珈琲の良い香りが漂っている。
ピシッと七三分けされた黒髪に銀縁眼鏡の斗茂の振る舞いは、格好からして執事と思われる。魔幻堂に椅子を引き座らせると、一歩下がり立っていた。
スーツ男がそこに居るのも忘れているかの様に、用意された珈琲を魔幻堂は一人味わっている。
「さすが斗茂さん!とっても美味しい珈琲です♪」
「いつも通りインスタントで御座います」
「あっれ〜、おかしいなぁ。まぁ美味しいから良いですよ♪・・・ぁ、こちら斗茂さんです。私の唯一の友達です♪」
スーツ男を放置していたことに気付き手にしたカップをテーブルに戻した。どうやら魔幻堂は珈琲に目がないらしく、何よりも至福の時間を優先してしまうようだ。
「あのぉ・・・勇気の・・・」
「あぁ〜!すみません。脱線してしまいましたね♪それでは、勇気を示す方法ですが・・・斗茂さん、短剣をくださいな♪」
「はい。どうぞこちらを」
魔幻堂は斗茂から受け取った切れ味の良さそうな短剣をスーツ男の足元に鋭く投げ刺した。
「短剣を貴方の胸にグサッと突き刺して下さい♪ね?簡単でしょ♪どうします?ヤメますかぁ?」
笑顔で語る魔幻堂は眼鏡の奥から冷たく鋭い視線をスーツ男へ向ける。
「そ、そんな事出来るわけ・・・わ、私は妻と一緒に生きて行きたいんです!死ぬ様なマネは出来ません!!これじゃ私の願いは叶いませっ────」
背後から急に手が伸びて来て最後まで言い切る前に口を塞いだ。スーツ男の前にいたはずの斗茂が今はなぜか後ろに立っている。
「斗茂さん乱暴はイケませんよ?え〜っと・・・スーツさんが可哀想です」
「はい。失礼致しました」
「スーツさん、正直貴方の願いとか不幸話に全く興味がありません。名前すら聞いてなかったですしね♪真面目に仕事して家庭を守ってますって感じの正常な男なんて全然面白く無い。ですから、そんな貴方に求める対価は私が見て楽しめる流血事件なのです。かわいいお姉さんなら違ってましたけどね♪さぁどうします?諦めるのは簡単ですよ〜、お帰り頂くだけですから。グサッといくのも簡単ですが♪『絶対』死ぬとも限りませんよね?」
一通り話を終えると魔幻堂はカップの珈琲を飲み干して胸ポケットから煙草を取り出し火をつけた。それをじっと見ていたスーツ男はゆっくり足元の短剣を握り締めた。
「私がこのナイフを胸に刺せば・・・妻を助けて頂けるんですよね?」
声を震わせ思い詰めた顔で魔幻堂を睨みつける。短剣を握り締めた手も震え、額には汗が滲む。
「もちろん!貴方の願いを叶えると言う事に『何一つ』嘘はありません。お約束致します♪」
「・・・では、お願いします。願いを・・・叶えて下さい・・・・・・」
スーツ男は短剣を振りかぶり天井を見上げた。全身から大量の汗が流れ床に滴り落ちている。息が荒くなり、鼓動は周りに聞こえるかの様にどんどん速度を上げていく。
大きく息をして目を閉じると、幸せだった瞬間が瞼の裏に幾つも浮かんだ。涙が頬を伝うと同時に凶器は振り降ろされた。
「ドンッ」と鈍い音が身体の内側から聞こえ、胸にはじっとりとした熱を感じる。真っ白なワイシャツにジワジワと赤い血が滲み出し、スーツ男は膝からゆっくりその場に崩れた。
「ホント、正常な人間ってつまらないですねぇ・・・。斗茂さん、お掃除お願いしますね♪」
魔幻堂は咥えた煙草の火を消すと、スーツ男に歩み寄り深々と刺さった短剣を引き抜きそのまま床に投げ捨てた。血が滴り床が赤く染まる。
「早くしませんと死んでしまわれますよ?死者蘇生は面倒ですから、お手伝い致しかねます」
「え〜っ、また斗茂さんはそーゆーこと言っちゃって〜。つれないなぁ〜♪」
凄惨な惨状の中、にこやかに談笑しながら魔幻堂は緑の液体が入った小瓶の蓋を開けスーツ男の胸に振りかけた。
生気がなくなり蒼白となっていたスーツ男の顔には血の気が戻り、短剣で出来たはずの傷穴は無くなっている。
「さてさて、病院に行って奥さん治して来ますかねぇ。一緒にスーツさんも置いてくるよ。・・・ぁ、服もキレイにしないとだ」
【ブリーチ】と書かれたボトルを棚から取ると、緑の液体と同様に振りかけた。すると服から煙が立ち上り、蒸発する様に血や汚れが消え去った。
「よし、それじゃぁ行ってきま〜す」
「お気を付けて行ってらっしゃいませ」
魔幻堂は雑にスーツ男の首根っこを掴み、ズルズルと引き摺りながら店の奥へ歩いて行く。
目の前にあるのは真っ暗な闇。闇に向かって進み続けると急に明るい場所へと出る。そこにはベッドで眠る点滴の繋がれた女性と空の簡易ベッドが一つあるだけの部屋だった。そう、暗闇を抜けた先は病室で、眠っているのはスーツ男の目覚めない奥さんである。
魔幻堂は簡易ベッドにスーツ男を寝かせ、眠っている奥さんの口へ緑の液体を流し込んだ。
「どうぞ末永くお幸せに・・・。目が覚めたら、彼を起こして上げて下さいね♪───それでは、御来店有り難うございました」
魔幻堂は眠る二人に別れを告げ病室の白い壁に向かって歩き始めると、右手を伸ばし何も無い宙に人差し指で六芒星を描いた。
白い壁に映る魔幻堂の影が暗く黒く大きさを増していき闇の円が現れると、魔幻堂はゆっくりその闇へ消えて行った。
───見慣れない白い天井。繋がれた点滴。隣のベッドに横たわるスーツの・・・・・・。
「・・・あ・・・なた?えっ?・・・病院?」
ベッドから身体を起こし隣で静かに眠る夫の頭を優しく撫でる。なぜ病院に居るのかは分からないが、穏やかな表情で眠る夫を見ることが出来る今は幸せだということは分かる。
「んっ・・・ん〜。・・・・・・さ、幸子!」
「ちょっ、あなた苦しいわよ。どうしたの?いきなり」
目が覚めると目の前には眠っているはずの妻がいて、思わず抱き締めていた。
「ご、ゴメンゴメン。嬉しくてつい・・・。ホントに良かった、ホントに・・・」
不思議そうな顔をしている幸子が状況を理解していないのは無理もない。倒れてからの記憶があるはずもなく、急に抱き締められては驚きもするだろう。
僕自身も驚いている。本当に願いが叶っているのだから・・・。誰に話しても信じてはもらえないだろう。奇跡としか言えないこの状況を単純に奇跡としか説明できないのは悔しいが、混乱しないよう幸子には奇跡が起こって助かったんだとそれだけ伝えておこう。
二人は互いに涙を流してまた抱き合った。起こった奇跡を噛み締めるように────。
「さぁ、先生に話して家に帰ろう」
「うん♪」
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病院を背に二人は手を繋ぎ帰路へついた。ワイシャツにザックリと空いた穴を見て笑い合いながら──────。