第九話 ヘンギストの死
ヘンギストが敗北し、アレリウスに囚えられた。
その知らせを聞いたとき、ヘンギストの息子オクタはカーコナンに向かって進軍している途中だった。しかし、すでにカーコナン市はブリテン人に陥落しているという。一度入ったら、二度と脱出はできないだろう。
カーコナンに向かっていた彼は、その場で馬を転進させ、北へと向きなおった。
スコットランドにほど近いヨーク地方ならば、まだブリテン人の追求も及んではおるまい。まずはそこに避難して、援軍を待つしかあるまい。
こうしてオクタとその従兄弟エビッサは、ヨーク市の城塞に逃げ込み、戦いの準備をした。そうしながら、逃げ散らばった仲間たちがたどり着くのを待っていた。
しかし、此度の戦いでサクソン人が被った損害は軽いものではなかった。オクタたちの他のわずかな生き残りは、もはやブリテン人から隠れるのに必死で、ヨークに集まるどころではなかったのだ。
散り散りになった異教徒のうち、逃げのびたものは森と谷に、あるいは洞窟と丘に、様々な場所に身を隠して息をひそめ、そして、逃げ遅れたものたちは、完全に壊滅した。ほとんどは死に、生き残りは囚えられ、まるで奴隷のように鎖で繋がれていた。
だがその一方で、ブリテン人もまた、無傷というわけにはいかなかった。
勝利を宣言し、教会を挙げて神の栄光を讃えたアレリウスだったが、そのまま丸三日間はカーコナンから動くことができなかったのだ。
負傷者の傷を癒やし、疲れた戦士たちを休ませねばならなかったからである。
さらに、彼はもうひとつ厄介事を抱えていたのだ。すなわち、裏切り者ヘンギストの処遇についてだった。
この男を殺すべきか、それともこのまま牢獄に繋いでおくべきか。それらを相談するために、アレリウスは議会を招集した。
ヘンギストの鎖を引いて王の前にあらわれたのは、エルダッドという司教である。
教会で正しい学問を修めたこの男は、いまや知らぬ者のいない英雄となったエルドフ伯爵と血のつながった兄弟であり、彼の名声に引けをとらないほどの博識を備えているのだ。
「私から言えることは、」司教は聖書を手にして言った。
「我らの憎むべき裏切り者ヘンギストに対し、かつて聖サムエルが、彼の捕虜となったアガグに対して施した処遇をなぞるのが良い、ということです」
彼のいう聖サムエルとアガグとは、聖書に登場する聖者と王の名である。
アガグ王はユダヤ人の宿敵アマレクの民に選ばれた栄光ある王であり、そして、聖サムエルはユダヤ人の預言者だった。
聖書によれば、ユダヤ人は神の名のもとにアマレクの地に争いを持ち込み、土地を奪い、家に火をつけ、そして人々を殺したという。そんな彼らの蛮行を見かねて、戦いを挑んだのがアガグ王だった。
だが、アガグ王は戦いの末にユダヤ人に捕らえられ、彼はユダヤ人の王サウルの前に引き出された。
サウル王は彼の扱いに関して、その処遇を預言者サムエルに委ねたのである。
「さて、このサムエルはイスラエルびとの聖なる預言者で、この上なく敬虔な、神に仕える聖者でした。彼は、ただの一度たりとも世俗にまみれることはなかったと言われています。サウル王からアガグの身を引き受けた聖サムエルは、即座に彼を殺し、その身体をばらばらに切り分けて、アマレクびとに返しました」
それが答えなのかと、アレリウスがエルダッドの顔を見るが、彼は静かに頭を振った。
「肝心なのは結論そのものではなく、そのときのサムエルの言葉なのです。お聞きなさい。そして、学ぶのです。聖サムエルがアガグ王の身体を小さく切り分けている間に、どんな言葉をかけていたのかを」
そしてエルダッドは手にした聖書を開き、そのページを朗読しはじめた。
「――アガグよ、多くのものがそなたによって苦しめられた。多くのまっとうな若者がそなたに痛みつけられ、殺された。そなたは多くの魂をその肉体から引き出し、そして多くの母親を息子の死によって悲しませた。多くの赤ん坊はそなたによって父親を失った。……しかし、おお、アガグよ。悪しきことも、良きことも、すべては終わるのだ。いま私は、そなたを産み育てた母親の営みを無に帰そう。かくて、そなたの魂は肉体より搾り出されるであろう」[1]
しんと静まり返った中、朗読は終わった。その場のすべてのものがエルダッドの言葉に聞き入っていた。
彼は静かに聖書を閉じて、王に向き直り、言った。
「これが、聖サムエルの施した処遇なのです。……王よ、そなたもサムエルにならい、捕虜の身を部下に委ねるべきではないでしょうか」
アレリウス王よりヘンギストの身柄を委ねられたエルドフ伯爵は、司教が示した言葉に従い、その通りに行動した。
彼は議会の席を離れ、街の外へとヘンギストを引き立てていった。そこには、いまや敗者として鎖につながれているサクソン人たちが大勢いるのだ。
そこで彼は剣を抜き放ち、ヘンギストの頭をひと息に打ち落とした。転がった頭は、かつてのアガグ王のように、彼の仲間のもとへと転がっていった。
ブリテン島に嵐を巻き起こしたサクソンの英雄の最後だった。
その後アレリウスは、裏切り者とはいえ、最後まで果敢に戦い抜いた闘士の亡骸をそのまま捨て置くことをしなかった。
彼の頭を切り離された胴体に再び乗せ、異教徒における儀式と様式に従い、勇者に相応しく埋葬したのである。
ヘンギストを断罪したのち、アレリウス王はもはやカーコナンには留まらなかった。彼は、残った異教徒を追って、さらに北へと進軍していた。
ほどなく、王の率いる巨大な軍勢は、ヘンギストの息子オクタとその親族が立てこもっているヨークへと達し、街の前に布陣した。
もはや、助けにくるものはいない。その状況を知ったオクタは、戦って死ぬよりも、アレリウスに慈悲を請うべきではないかと考えた。
もしも、戦いの末に捕らえられるのではなく、オクタが自ら進んで捕虜となり、ひたすら謙虚に王の哀れみを嘆願すれば、あるいは慈悲が与えられるやも知れない。
だが、もしもアレリウスがオクタの願いを嘲笑したならば、そのときこそ、死を覚悟せねばならなくなる。これは、賭けなのだ。
彼は、このことを親族たちと話しあい、そして結論を出した。
翌日、街の門が開いたとき、アレリウスの兵士たちは目を見張った。
門の中から出てきたのは、自らの両手首を鎖で縛り上げ、奴隷同然の姿で仲間たちを率いて歩いてくるオクタの姿だったのだ。
彼は、そのままの姿でアレリウスの前に進み出る。
「閣下」オクタは跪き、言った。
「どうか、我らに大いなる慈悲と哀れみを賜りますよう。我らは、まさに必要としていたそのとき、神に裏切られました。そなたの神は我々の神より強く、彼の前に我々は塵のように打ちのめされ、そして、そなたは力を与えられました。かくして、私は打ち負かされ、そなたの奴隷となったのです」
オクタは跪いたまま、後ろを振り返り、彼とおなじ姿勢でかしこまっている仲間たちを手で指し示した。
「ここに連なった、そなたの奴隷たちを御覧ください! そなたの心のままに、我ら全員を連れていっていただきたく存じます。我々の命と肉体は、そなたの喜びとなりましょう。そして……、もしも偉大なる王が我々を守ってくださいますれば、我々は、そなたのどんな命令にも従います。ひいては我ら一同、そなたに忠義を尽くして戦う、忠実な臣下となりましょう」
アレリウスは聡明であるとともに、哀れみの心を持つ信心深い王でもあった。
彼は、この決断がオクタひとりによるものではないであろうと見抜き、彼に知恵を与えたであろう貴族たちの顔をじっくりと見て回った。
司教エルダッドは、知恵を深めた年長者として、王の相談に乗った。
「求むるものに慈悲を与えることは、主の教えにかないましょう。それは、過去においても、未来永劫においても、決して変わることはありませぬ。彼らは確かに我らの王国を侵しました。……しかし、もしも私たちが彼らの罪を許さないのであれば、彼らはどうやって私たちの神に許しを請えばよいのでしょう? いまや彼らは悔い改め、慈悲を求めています。ならば、そなたも慈悲の心を持つべきではないでしょうか」
「しかし、サクソン人たちはまだ大勢生き残っているのだぞ? 彼らを追い出しもせず、どうすれば良いというのだ?」
王の問いにエルダッドは静かに答えた。
「偉大なるブリテン王国は、とても広いではありませぬか。住むものなき土地が沢山ありましょう。この獣たちをそこで養い、魂を救うのです。彼らが土を掘り、畑を耕し、そこで命を営み、産み増やすことを認めておやりなさい。ただし、彼らが忠義を尽くすように、彼らの主だったるものを人質として手元に置いておくのです。そして、そのものたちに、王に仕える喜びを与えてやるのがよいでしょう」
ここまで言って、エルダッドは再び聖書を取り出した。そして、中ほどのページをめくりながら語った。
「私たちは、聖書より学んだはずです。――かつてギベオンの子らが、イスラエルの民の支配を受け入れたとき、彼らは身を投げ出して命乞いをしました。彼らが請い願い、そして与えられた平穏と生命の契約は、彼らの泣き声に応えて与えられたものなのです」[2]
そしてエルダッドは聖書を閉じ、アレリウスに向き直る。
「はるかなる昔にユダヤ教徒が寛容さを見せた以上、我らキリスト教徒が彼らより頑なであることは許されません。今まさに、彼らには慈悲が必要なのです。……彼らの望みを、死をもって裏切ることなきよう、心にお留めくださいませ」
かくして、アレリウス王はサクソン人に土地を与えた。
エルダッドの助言によって、彼らの多くのものはスコットランドの開拓を許され、そして彼らは己の住むべき土地へと出発していった。
しかし、その前にサクソン人たちは、彼らの中でももっとも誇り高き血統を持つ子供たちを、人質として王に引き渡していた。
さて、アレリウス王がヨーク市を訪れてから十五日後、彼は身内のものに向けて議会の招集に応じるよう、伝令を放った。戦いが終わった今、話し合わねばならぬことが、山ほどあったのだ。
その結果、貴族と聖職者、修道院長と司教、あらゆる諸侯が議会に参加するため、ヨークにやってきた。
議会は連日のように続いた。
まずは、この戦いで死んだすべての貴族や領主、彼らの土地や財産の相続権、および、それぞれの自治区域における命令特権などの再確認が行われた。
次に、戦いが終わったことで仕事を失った隊長たちが盗賊に身を貶したりしないように、彼らを正式に解雇して家に帰らせ、その上で彼らに爵位を与え、市長や地方の長官に任命した。こうして、それぞれの封土を平穏に保てるように計らったのである。
最後に王は、王国の教会を修復することを宣言し、大勢の石工と大工を集めて、建設に取り掛かるよう命じた。
度重なる戦争によって、傷つき破損していた教会とその聖域は、神の栄光のために、そして神への奉仕のために、もと通りに修復されるのだ。
これらのことが議会で話し合われ、それらがすべて決定され、各々が着手したのを確認すると、ようやくアレリウスはヨークを離れた。市民が待ち焦がれるロンドンへ向けて、出発したのだ。
思えば、アレリウスは王であるにもかかわらず、逃げたヘンギストを追って、ほとんどロンドンを素通りしていた。そして、解放されたロンドン市民は、一刻も早く新たなる王が帰還することを待ち望んでいたのだ。というのも、支配者が不在の間に、ロンドンの栄光に陰りが差していたからである。
ようやくロンドンに帰還したアレリウスは、さびれきった街並みを見て、息を呑んだ。
ヘンギストたちサクソン人が荒らし回ることこそなくなったが、そのまま律するものがいなければ、腐敗を留めることは出来ないのだ。
通りから人影はなくなり、盗賊とも知れぬ怪しげな影が昼間からうろつき、家々や教会は堕落し、娼婦どもの嬌声が響いてくる有様だった。
戦争による損害は、単に街や教会が破壊されるというだけではない。人の心を荒ませ、腐らせてしまうのだ。ロンドンの街が、まさにそうだった。
アレリウスは、彼の美しい街が被った本当の意味での損害を大いに嘆き悲しみ、すぐさま行動に移った。新たなる教会を築き、市民に、聖職者に、ロンドンの街中に布告したのだ。
かつての清らかな慣例にもとづき、神への奉仕に参加するように、と。
これによって、信仰だけでなく、生活の規範のすべてを失っていた市民は落ち着きを取り戻し、ようやくロンドンにも平穏が訪れたのだった。
ここまでの仕事を終えたアレリウスは、アンブレスベリー修道院の近くの丘に赴いた。
ここには、かの五月一日、かつてヘンギストが裏切った会合の日に、薄汚い手段で殺害された人々の墓が建てられているのだ。
アレリウスは長い時間そこに跪き、彼らの安らかな眠りのために祈った。
そして彼は、大勢の石工と大工、そして類まれなる技術をもった職人を招集し、この大集団に石碑を作らせた。
それは、巨大な、世界の終焉まで持ちこたえるであろう石碑だった。
かの事件をブリテン人が忘れぬための、そして、彼らの無念を心のなかで崇拝の念へと昇華させるための石碑だった。
[1]聖サムエル(holy Samuel)……聖書に登場するイスラエルびと(=ユダヤ人)の預言者です。(マーリンのような「予言者」ではなく「預言者」、神の言葉を預かるものです)
エルダッドが読んだのは、旧約聖書のサムエル記上15章です。
アマレクに勝利したイスラエル王サウルは、神の言葉に背いてアマレクびとの家畜や財宝を燃やさずに私物化し、そのために神の怒りを買い、代償として聖サムエルにアガグ王の身柄を引き渡すことになるのです。そして、サムエルは即座にアガグを殺してしまいます。
エルダッドが語ったのは、このときのエピソードです。
なお、和訳された聖書においては、人種や民族を指して「○○人」とは呼ばず、「○○びと」と呼ぶのが一般的です。どうしてでしょうね?
[2]ギベオン(Gibeon)……聖書に登場する偶像崇拝者、カナンびとの街です。
エルダッドが引き合いに出した話は、旧約聖書のヨシュア記8~9章です。
エホバの神は、偶像崇拝者であるカナンびとを滅ぼすことをヨシュア率いるイスラエルに命じますが、エホバを恐れたギベオンおよびいくつかの街の住民は、自らがカナンびとであることを巧みに隠して、イスラエルと不戦の誓いを交わしてしまいます。
嘘はすぐにバレてしまいますが、彼らの命乞いは受け入れられ、イスラエルは彼らとの不戦の誓いを貫きます。
この誓いのためにイスラエルは先々において苦難を受けることになるのですが、それでもなお、イスラエルはギベオンびとを保護したのです。
ここで重要なのは「先々において苦難を受けることが、あらかじめ分かっている」にも関わらず、ギベオンびとが許された点です。
エルダッドがアレリウスに薦めた「赦し」とは、こう言った前提にもとづいたものだったわけです。