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第七話 マーリンの予言

 修道女の話が終わったとき、ボルティゲルンはひとりの従者を呼びよせた。

 この従者はマルガンティウスという名で、残った王の臣下の中ではもっとも博識な男だった。

 ボルティゲルンは、たったいまこの修道女が話したことを、すべて従者に伝え、聞いた。

「果たして、このようなことが起こりえるのか? そなたならば、この話の真偽を見極めることができよう」

「書物によれば、」マルガンティウスは答えた。

「魂は、その秩序によって月と地球の間を巡るそうです。もしも、貴方が魂の本質を求め、それらを学ぼうとするのであれば……。彼らの本質は人間の一部であること、そして同時に、より高位な存在の一部でもあることを理解せねばなりません」

「ええい、結論を言わぬか」もったいぶった言い回しに、ボルティゲルンは焦れて催促する。

「では、」コホンと咳払いをして、従者は答えを述べた。

「この神秘をもたらした悪魔は、インキュビ[1]と呼ばれているものです。彼らは普段、大気のなかで暮らしていますが、しかし、彼らはしばしば、彼ら自身の楽しみのために、この温かい世界を訪れます。我々の世界は、いわば彼らの遊び場なのです」

「ふむ、インキュビとな?」

「そうです。彼らは、大きな邪悪を撒き散らすほどの力を持ってはいません。彼らに出来ることは、ちょっとした悪戯や、少しばかり人々を困らせる程度の、ごく小さな悪事だけです。……しかし、彼らは生まれつき、驚くほどペテンに長けているのです。彼らはどのように人間を装うべきかよく知っています。そして、多くの娘は彼らの外観に騙され、彼らの楽しみのために、たぶらかされてしまうのです」

 言って、マルガンティウスはマーリンに視線を移した。

「このマーリンという若者。彼が、目に見えないなにものかに産み落とされたというのは、そうしたことなのでしょう。となれば、母親が夫の正体を知らないのも、もっともな話です。つまりこの若者は、おそらく悪魔の種から生まれた男なのです」

「王よ!」たまりかねて、マーリンは叫んだ。

「いったい、なにを話しているのですか!? 貴方は私をここに呼んで、いったいなにをしようとしているのですか!? 私を捕らえさせた理由をお聞かせください!」

「落ち着くのだ、マーリンよ」王は、マルガンティウスがマーリンの前で喋りすぎたことを苦々しく思いながら、とにかくマーリンをなだめた。

「お前は自分の使命を知らねばならぬ。私の話に耳を傾けて、運命を受け入れるのだ。……私は塔の建造をはじめた。漆喰を集め、石工は石を積み上げた。しかし、石工たちが昼のうちに築いた塔は、夜のうちに地面に飲み込まれ、崩れ落ちてしまうのだ」

「……?」

 それが、どうして自分と関係があるのか。マーリンは訝しがりながらも聞き入った。

「私には理由がわからぬ。……そうだな、もしもお前にも心あたりがあるのなら、話すがよい。……ともかく、昼にはいくら時間があっても足りず、そして、夜には破壊の時間がやってくる。私の集めた物資は、この苦難によって台無しになったのだ」

「……して、なぜ私がここに?」

「それこそが、そなたの運命なのだ。我が相談役は言った。私の塔は決して建つことはないであろうと。石と漆喰が、そなたの血で和らげられない限り。――そう、父なきまま生まれた男の血が必要なのだ」

「主なる神よ!」あまりのことに、マーリンは叫んだ。

「王よ! 私の血が塔を結びつけるなどと、信じないでください! その下らぬ世迷い事を言った連中は、ペテン師です!」

「だが、」「今すぐ!」王の言葉を、マーリンは断固として遮った。

「私の血について、もっともらしい予言をした、嘘つきの予言者たちを私の前に連れてきてください! 王よ、貴方は心当たりがあるのなら話せと言いました。今こそ、彼らがペテン師であることを、私が証明してみせましょう!」

 マーリンの剣幕、そして自信に満ちた態度が王を動かしたのかも知れない。

 ボルティゲルンは、例の魔術師たちを呼びにやらせ、そして、マーリンの前にずらりと並ばせた。

 マーリンは、魔術師たちの前を端から端までつかつかと歩き、自分に死刑を宣告したものたちの顔を、ひとりひとりじっと見つめた。

「さて、先生、」マーリンは軽蔑を込めて、慇懃に言った。

「いや、偉大なる魔術師先生と呼ぶべきですかな? さあ、答えていただきましょう。王の塔がどうして建たないのか、その原因を。なぜ、塔が地面に沈んでしまうのですか? そして、なぜ私の血が塔を持ちこたえさせるのですか? どんな占いを、どのように解釈したら、こんな馬鹿げた結論が出るのですかな?」

「…………」

 魔術師たちはなにひとつ答えない。彼ら全員の目に「これは不味いことになった」と言わんばかりの戸惑いが浮かび上がっていた。

「……答えられないのならッ!」マーリンは一喝した。続けて吼えた。

「塔になにが起きていたのか、どんな理由で塔が崩れてしまうのか、今すぐに説明するのだ! それが分かっているからこそ、あのような馬鹿げた結論を出したのだろうが! それを言わずして、いったいどうして私の血の効能を信用しろというのだ! さあ、原因を今すぐ王にお伝えするのだ! そして、『問題は解決した』と高らかに叫んで見せるがいい!」

 果たして、魔術師たちは固まったままだった。彼らは沈黙を保ち、マーリンに反論できるものはひとりとしていなかった。

「閣下、私に耳をお貸しください」充分にこのペテン師どもの正体を暴いたと見て取ったマーリンは、落ち着きを取り戻し、ボルティゲルンに向き直った。

「貴方の塔の下に、大きくて深い水たまりがあるのが見えます。この水が原因となって、貴方の塔は地面に沈み、崩れ落ちてしまうのです」

「それは、まことか?」

「実に簡単にそれを証明できます。塔の下を調査するよう、貴方の部下に命じればよいのです。それだけで、貴方はどうして塔が飲み込まれるのかを知ることができるのです。かくして、真実は明らかになりましょう」

 ボルティゲルンは、最初こそマーリンは命乞いのために弁舌を回しているものと思っていたが、しかし、話がここに及んだことで、俄然興味が湧いてきた。

 マーリンを殺して血を抜き取るにせよ、その前に塔の下を調査するくらいのことは、訳なくできるのだ。

 王は地面を掘り返すよう命じた。

 そして、マーリンの言ったとおり、大きくて深い水たまりが発見された。水たまりが周囲の土を緩くして、そこに積み上げた石は、時間とともにずぶずぶと沈んでしまっていたのだ。

「さて、偉大なる魔術師先生」報告を受けたマーリンは、再び声をかけた。

「貴方たちは、漆喰に私の血を混ぜあわせることを、占いによって思いついたのだろう? では、その霊験あらたかな占いによって、この池の底になにが隠されているかを当てて見せるのだ」

 すべての魔術師は沈黙を保ち、一言も喋ることができなかった。当然である。良い予言であろうが、悪い予言であろうが、彼らには答えられる言葉など、最初からなかったのだ。

 これが決め手となって、王の興味はマーリンの血などからは完全に離れた。

 もはや、ペテン師どもなどは捨て置いて、ボルティゲルンはマーリンの言葉のほうにこそ夢中になっていたのだ。

 速く続きを聞かせろとばかりに、食い入るように見つめてくる。

 マーリンは王のほうへと振り返り、先ほど報告を持ってきた部下に声をかけた。

「水たまりから水を抜くために、すぐに溝を掘りなさい。水底には、二つの窪みの開いた大きな石があります。そこに、二匹のドラゴンが見つかるはずです。片方は白く、もう片方は血のように赤く、それぞれの窪みの中で眠っていることでしょう」

「なんと!」

 この話にボルティゲルンは大いに驚愕した。そして、大急ぎで部下に命じて、マーリンが言ったとおりの水抜きの溝が掘られた。

 山の内側に溜まっていた水は、掘られた溝からとめどもなく溢れだし、麓の野原へと吐き出されていく。

 もはや部下の報告だけでは満足できないのか、ボルティゲルンもその様子を見るために、掘られた溝の縁にやってきて、穴の中を覗きこんだ。

 今しも水位は下がり切り、水底のすべてがあらわれようとしていた。

 果たして、ボルティゲルン、そしてマーリンが覗きこむ眼下の水底に、二匹のドラゴンが姿をあらわした。

 水がなくなることをきっかけに目を覚ましたのか、片方のドラゴンが咆哮をあげ、もう一方のドラゴンも咆哮で応じた。

 見る限り、赤と白の二匹のドラゴンはお互いに戦いを挑み、争っているようだった。言葉こそ分からないが、彼らはそれぞれが、「我が誇りこそ、相手より気高きもの」と主張していた。それを証明せんとばかりに口からは泡を吐き、顎からは炎を吹き上げていたのだ。

 見物している人間どもなどには一瞥すらくれずに争っているドラゴン。その姿に、ボルティゲルンはしばし呆然とし、それに疲れると、溝の横の堤に腰を下ろした。

「マーリンよ」いまだ呆然としたまま、ボルティゲルンは問うた。

「いったい、このドラゴンたちはなんなのだ? 彼らが目覚め、出会い、争うことには、どんな意味があるのだ? あのペテン師どもの嘘を暴き、すべてを見抜いたそなたならば、このドラゴンたちを読み解くことができるのではないか?」

「このドラゴンたちは、」マーリンは自信に満ちた態度で説明した。王の言うとおり、彼にはすべてがわかっていたのだ。

「この地に真の王が到来する予兆を示しているのです。彼らは、まだ王国にはいません。今、まさに力を蓄えているところなのでしょう」


 ――まことにすまぬが、私は、これ以上は言わないでおきたい。

 なぜなら、私はマーリンの予言を恐れているのだ。

 私には、彼の解釈が正しいと自信を持って請け合うことができないのだ。

 もしも予言が外れたら、私は、嘘を嘘で塗り固めることになってしまう。

 だから、今だけは、私の唇をお喋りから遠ざけておいたほうが良いだろう――


「そなたこそ、まことの予言者なり!」

 マーリンの予言が的中するのを目の当たりにしたボルティゲルンは、彼を大いに賞賛し、母親ともども自由の身にした上で、改めて王宮に呼んだ。今度は礼節をもって、尊敬を込めた態度で彼を招いていた。

 実のところ、ボルティゲルンは、マーリンのような真の予言者にこそ聞きたいことがあったのだ。

「マーリンよ、教えて欲しい。私は……いつ、どんな死に方をするのだ? そして、私の死には、いったいどんな意味があるのだ?」

 それは、ほかの誰にも相談できぬ、孤独な暴君だけの悩みだった。

 邪魔者を殺し、他者を利用し、ついにブリテンの王にまで上り詰めた男は、情勢が悪化してから悟ったのだ。山の頂を目指していたときには気付かなかったが、実は、とんでもない勢いで先のない崖に向かって突っ走っていたのだということに。

 それに気づいた瞬間から、ボルティゲルンは、尋常でないほどの死への恐怖に取り憑かれていた。

 どうにかして、悲惨な運命をあざむくことはできないか。どうにかして、目の前にせまる崖に橋を渡すことができないか。それを求めて、マーリンにすがったのだ。


 マーリンは、哀れな暴君を見た。そして、目を閉じて、なにやらここではないどこかへ思いを馳せているように、ゆっくりと語りだした。

「ご注意なさい」マーリンは言った。

「コンスタンティンの息子たちに注意なさい。彼らによって、貴方は死を味わうことになるでしょう。すでに彼らは気高い勇気をもってアルモリカ[2]を出発しており、今は海の上にいます。明日、十四隻のガレー船による艦隊がやってくることで、それは証明されるでしょう」

「明日だと? なんということだ! どうすれば、どうすればよいのだ! マーリンよ、答えるのだ!」

 取り乱す王だが、マーリンは目を閉じたまま、ゆっくりと頭を振った。

「王よ、貴方は彼らに邪悪な仕打ちをしました。彼らも貴方におなじ仕打ちをすることで、恨みを晴らそうとしているのです。……呪われし日、貴方は彼らの兄を裏切り、死に至らしめました。……呪われし日、貴方は王冠を戴きました。……呪われし日、貴方は自ら招いた損失に対し、サクソンの異教徒に助けを請いました。わかりませんか? いまや貴方は、双方から矢を射られる立場なのです」

「ええい、黙れ! 予言者ならば、言うのだ! 私はどうすればよい! 兄弟たちと、サクソン人と、どちらに備えればよいのだ!?」

「私には、見えません」脅しに近い王の言葉の前でも、マーリンの言葉は冷たいものだった。

「貴方が盾を構えるべきは右側なのか、それとも左側なのか、まったく見えないのです。……一方の道からは、サクソン人が貴方を狙って軍隊を進めてくるのが見えます。……もう一方からは、正当な後継者がやってきます。貴方の手から王国を、貴方の頭から王冠をむしり取るために。そして、彼らの兄の血の対価を支払わせるために」

「忌々しい小僧どもめ……。かくなる上は私の手で、」ボルティゲルンが呪詛を吐こうとしたとき、

「無駄です」マーリンは、きっぱりと遮った。

 およそ王に投げかけたものとは思えない強い語気に、ボルティゲルンが顔を上げる。

 果たして、マーリンは瞼をカッと見開いて、ボルティゲルンの目をしかと見据えていた。それでいて、目を開けてこちらを見ているのに、まるで意識がここにはないようでもある。

 ボルティゲルンは、いま自分が向き合って喋っているのが誰なのか、わからなくなってきた。これは、本当にマーリンなのだろうか? それとも、彼の口を借りて喋っている、別の誰かなのだろうか? 

 ――……彼らの本質は人間の一部であること、そして同時に、より高位な存在の一部でもあることを理解せねばなりません……――

 ふいに、いつかどこかで聞いた話が頭をよぎった。目の前のこれが、そうだというのだろうか? 

「私には、はっきりと見えるのです」およそ異様とも言える気配を放ったまま、マーリンの口が再び未来を紡ぎはじめた。

「彼らのうち、アレリウスが最初に王となります。しかし……ああ、彼は毒を盛られて死んでしまいます。……そして、彼の弟、ウーサー・ペンドラゴンが王座についたようです。こちらは……とても穏便に王国を手に入れて……ですが……彼もまた……。真なる時間を迎える前に……友の酒に当たって病気に……ああ、死んでしまいました」

 それは、もはやボルティゲルンのことなど遥か過去に置き去った、遠い未来の出来事だった。

 意識がそこにあるのか、それとも宙をさまよっているのか、マーリンはボルティゲルンを見据えたまま、しかしボルティゲルンなど眼中にない様子で、とうとうと語り続ける。

「そして……。ああ、ついに彼が……」マーリンは意識を飛ばしたまま、しかし、なにか決定的なものを見たのか、口調に歓喜の色を宿らせた。

「彼こそ……。ウーサーの息子の彼こそが、コーンウォールのアーサーです! この世の誰よりも勇敢な騎士にして、この世の誰よりも礼儀正しいもの! ええ、見えますとも! 彼は、必ずそうなるのです!」

 ボルティゲルンの前で、異質ななにものかが、感極まった様子で叫んでいた。

 そして、そのなにものかは、瞳をボルティゲルンに向けた。いや、瞳は最初からこちらを向いていたが、彼の意識はこちらに向いてはいなかった。それが、突如としてボルティゲルンのほうを向いたのだ。

 王はたじろいだ。いま、このなにものかが、自分に意識を向けている。それは、ほとんど恐怖にすら近いものだった。

「……彼の戦いぶりは……。まさに荒れ狂う猪のごとく、卑劣な裏切り者をひとり残らず滅ぼしてしまいます。そして……貴方の一族も、彼によってこの土地から消滅するのです」

「…………っ!」もはや、ボルティゲルンは言葉を返すことすらできなかった。

 マーリンの言葉は次第に途切れ途切れに、消え入りそうになっていく。

「……かくして……すべての敵は打ち倒され……彼の足元に……ひれ伏すことに……なるのです……」

 マーリンはここまで言ってぐったりと俯き、ほうっと大きなため息を付いた。

 そして、ゆっくりと顔を上げたときには、瞳の色に生気が戻っていた。いま、この若者がもとの状態に戻ったのだということが、ボルティゲルンの目にも明らかだった。

 そしてマーリンは、今度こそボルティゲルンのほうを見た。間違いなく彼自身の意識で、その瞳の中にしっかりと王を定めていた。

 しかし、その瞳の色は、心なしか哀れみを帯びているようだった。

「もしも、貴方がまだ逃げようと思うのなら、」マーリンは穏やかな口調で、なだめるように言った。

 それは、マーリンからボルティゲルンに贈ることができる、最初で最後にして、たったひとつの助言だった。

「……急ぐことです。こうしている間にも、兄弟は近づいてきているのですから」

 マーリンは喋るだけ喋ると、深く一礼をして、ボルティゲルンに背中を向けた。

 その背中が、もはや王に話せることはなにひとつないこと、そして、彼は彼だけの道を歩まねばならないことを伝えていた。

 さしもの暴君も、もはや引き止める言葉を見つけることはできなかった。


 トトネスの港は、軍艦で溢れかえっていた。

 次々に上陸してくる騎士たちは、ひとり残らず磨き上げられた鎧に身を包み、それは、かのコンスタンティンの再来を思わせる光景だった。

 そして、偉大な父王の歩みをなぞり、人々もまた動いた。王国中で暴れまわるサクソン人から逃れ、ひっそりと身を隠していたブリテン人は、ここぞとばかりに一致団結し、兄弟のもとへと馳せ参じたのだ。

 おなじころヘンギストは、山で、そして谷でブリテン人を攻撃していた。王子たちのもとへと向かう人々を襲い、街を襲い、貴族や領主を殺し、その城を破壊し、――つまり、ありとあらゆる罪を犯していた。

 ブリテン人は、やはりかつてのコンスタンティンと同じく、ブリテン中に伝令を送り、大会議を開いた。そこで、まったくおなじ経緯をたどり、アレリウスが彼らの王として選び出された。

 その報せは、もちろんウェールズにも響き渡っている。

 ボルティゲルンは、もはやエリル山に城を作っている時間など欠片も残されていないことを悟り、取るものもとりあえず、ジェナース城[3]に立てこもった。

 強靭な砦でもあるこの城は、ワイ川と呼ばれる美しい水流の堤にあったらしいが、正確な場所を覚えているものはいない。ごくわずかな証言によれば、ハーギン地方のドロアック山の上にそびえていたという。

 ともかく、ボルティゲルンはこの城に武具と投石器、そして食料を大量に運び込み、隊長に命じて警護させた。どうにかして敵の攻撃から身を守ろうと、思いつく限りの手段を講じて、針鼠のように城の守りを固めたのだ。

 そして、アレリウスの軍勢はジェナース城を完全に包囲した。

 ボルティゲルンの隠れている城は、あっという間に発見されてしまったのだ。

 兄弟とその仲間たちが総力を挙げて探したためでもあるが、なによりも、この場所はかのエルドフ伯爵の治めるグロスターのすぐ近くなのだ。もとより、伯爵はウェールズに詳しい。近隣の城でこんな動きが見られたとあれば、捜索がそこに及ぶのは当然のことだった。

 ボルティゲルンは部下に命じ、次々に投石機で石を放った。

 石は門の前を包囲している騎士たちの真ん中に落ち、何人かは倒れたようだが、焼け石に水である。むしろ、この往生際の悪い反撃によって、騎士たちの怒りはさらに増していく。

 そうでなくとも、長男コンスタントを、そしてその前には父親コンスタンティンを謀略と裏切りの末に殺したボルティゲルンである。

 いまや、それらの事実は誰もが知るところとなり、兄弟をはじめこの暴君を心の底から憎まないものは、誰ひとりとしていないほどだった。


 放たれる石が届かない距離にまで下がり、アレリウスとその軍勢は、相手の石が尽きるのを待っていた。その中から、ひとりの騎士が王に近づいてくる。

 ここにボルティゲルンが潜伏していることを突き止め、王に報告したグロスター伯爵、エルドフである。

「エルドフよ、よくやったぞ」跪いたエルドフに、アレリウスは声をかけた。

 あのアンブレスベリーの殺戮を、堂々と戦って生き延びた豪傑である。これほど頼りになる騎士は多くはない。

「そなたは、我が父コンスタンティンに大切にされていたようだな。そして、我ら兄弟も、そなたには大いなる信頼を寄せていることは、いうまでもあるまい」

「は、このエルドフ、陛下並びに父王への感謝、片時も忘れたことはございませぬ」

「そうだ。在りし日々、我らは愛と尊敬によって結ばれていた。……かの美しい日々を、暴君めが薄汚いやり方で引き裂いたのだ。神にかけて誓ったはずの、詐欺師どもを操って。……ナイフを隠し持った、親玉となって!」

 アレリウスはエルドフを立たせ、軍勢に向き直った。

「生き延びた我々は、おなじ轍を踏んで殺されることなきよう、速やかに動かねばならない! 皆のもの! 死んでいった人々に思いを馳せよ! そして、すべての元凶ボルティゲルンに、今こそ天誅を受けさせるのだ!」


[1]インキュビ(incubi)……ファンタジーではお馴染みの悪魔、インキュバスの複数形です。

 男の姿を持つ悪魔で、女の姿のサキュバスと組んで行動すると言われています。

 サキュバスは美女となり男をたぶらかして子種を奪い、インキュバスは美男子となって女をたぶらかし、サキュバスから受け取った子種をもって身篭らせてしまうそうです。

 淫行の末に妊娠してしまった女性が、言い訳として作り上げた架空の悪魔である……というのが一般的な見解ですが、サキュバスと並び、性的でインモラルな在り方がとても印象的で、ファンタジー世界に妖艶さを醸し出す存在として、いまや世界中で愛されている悪魔と言えましょう。


[2]アルモリカ(Armorica)……フランスのブルターニュ半島、その付け根付近の北沿岸です。


[3]ジェナース(Generth)……注釈にはヘレフォード周辺とありますが、ドロアック山(Mount Droac)、ハーギン地方(Land of Hergin)と、現代には存在しない地名ばかりです。

 探してみたところ、ヘレフォードの南23kmほどのワイ川沿いにある「Ganarew(ガネアウと読むそうです)」という小さな村に「かつてこの地でボルティゲルンがアレリウスへの最後の抵抗をした」という伝説が伝わっているようです。おそらくここで間違いないでしょう。


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