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第六話 ボルティゲルンと魔術師/建たない塔

 馬が揺れるたびに腹の傷がじくじくと痛んで、ボルティゲルンは呻き声を上げた。

 命からがら。その言葉こそが、今の彼に相応しいものだった。

 あのとき――逃げ場もなくサクソン人に取り囲まれ、腹に熱い痛みを感じた。これですべてが終わったのだと思った。しかし、

「待て!」とどめを刺そうと殺到するサクソン人を、ヘンギストが制していたのだ。

「これ以上、この王を傷つけることは許さぬ。そなたたちには益のないことかも知れぬが、この男は我に良く尽くし、多くの利益をもたらしたのだ」

 意識が朦朧とするボルティゲルンの耳に、なおも殺そうとするサクソン人をヘンギストが留めている声が聞こえた。

「それだけではない。この男は、我が娘の夫でもある。我が親族となった男がこのような惨めな死に様を晒すことは、とうてい看過できぬ。それよりも、我らはこの男を人質として利用すべきなのだ。王の命と引き換えならば、街も砦も思いのままだ。ブリテンのなにもかもを手に入れてやろうではないか……」

 目が覚めたときには、刺された腹はひと通りの手当をされ、しかし、手と足には頑丈な鉄の枷がはめられていた。

 そして、ヘンギストの前に引き出され、解放するための条件を告げられた。

 かつて彼が受け取ったケント地方。さらに、サセックス地方、エセックス地方、そしてミドルセックス地方。つまり、ロンドンとその周辺のすべて。それが、ヘンギストが要求したボルティゲルンの生命の対価だった。

 いまさら、自分の決定にどれほどの重みがあるのか。ロンドン周辺の貴族にそのことを告げたとて、もはやボルティゲルンの言葉など、一顧だにされないだろう。

 それでも、サクソン人にとっては、王に誓いを立てさせることに意味があるのだ。少なくとも、ロンドンを占領するための口実にはなるのだから。

 ほとんど無気力のうちに、ボルティゲルンは自らの身代金を支払った。つまるところ、ロンドンをサクソン人に与えることを、神の前で誓ってしまった。


 ブリテンの王でありながら、もはやロンドンの王座に座ることすらままならない。

 いや、今のボルティゲルンが王を名乗ったところで、もはや誰ひとりとしてそのように扱うものはいないだろう。

 どこをどう進んだものか、惨めな王を載せた馬はいつの間にかセヴァーン川を渡り、ウェールズの奥地へと入っていた。

 ここには、ボルティゲルンの古くからの友人がいるのだ。もう、こうなったら恥も外聞もなく、その男を頼るしかない。

 友人は、惨めな姿のボルティゲルンの来訪に驚いたが、しかし礼節をもって迎え入れた。この裏切り者の王を匿っているとあれば、ほかのブリテン貴族たちが黙ってはいまいが、しかし、友人は慌てはしなかった。彼には、頼りになる相談役が何人もいたのだ。

 僧侶に魔術師たち。全員がとてつもなく歳を経て、それに相応しい賢さを持ち、あらゆる状況を打破する知恵をひねり出すという。

 ボルティゲルンは、藁にもすがる思いで彼らに相談した。

 いったいどうすれば、自分は王としての正当性をブリテン人に認めさせることが出来るのか。

 しかし、ボルティゲルンがなによりも恐れていたのは、コンスタントの二人の兄弟のことだった。

 彼はここにたどり着く道中で、何度も耳にしていたのだ。

 ――ブリテン島は、いまやサクソン人が思いのままに跋扈するようになってしまった。もはや残された希望は、小ブリテンに落ち延び、力を蓄えているという二人の王子しかいない。

 そんな話が人々の間を飛び交っていた。

 だが、もちろん二人の兄弟が真っ先に狙いを定めるのはサクソン人ではなく、彼らの父と兄を殺したボルティゲルンだということは、疑いようもない。

 なんとかして、彼らの憎悪から逃れる方法はないか。相談を受けた魔術師は、大仰な仕草を交えて王に言った。

「城を作りなされ。それも、力づくでは崩すことあたわず、知恵をもってしても侵入することあたわず、たとえ投石機をもってしても破ることあたわぬ、強靭な塔を建てなされ。この塔ができたら硬く引き篭もり、王子たちの憎しみをやり過ごすがよいでしょう」

「だが、そんな塔を、どこにどうやって建てれば良いというのだ?」

「まずは、相応しい場所を探しなされ。馬が駆け上がることあたわぬ山の上。軍隊が登ることあたわぬ崖のそば。守るのにも攻めるのにもうってつけの場所を探しなされ」


 ようやく自分のなすべきことが見えたボルティゲルンは、彼らの言うとおり、塔を建てるのに適した土地を探して回った。

 そして、ほどなくその場所は見つかった。エリル山[1]と呼ばれる山に、魔術師の言ったとおりの地形が見つかったのだ。

 さっそく彼は友人のつてを頼り、可能な限り有能な石工を掻き集め、着工させた。

 これで一安心とばかりにひと息ついたボルティゲルンだったが、しかし、その平穏は奇妙な報告によってあっさりと破られてしまった。

 彼らがいったいなにを言っているのか、王にはさっぱり分からなかった。

 いわく、昼間のうちに石を積み上げ、漆喰で固めても、夜が明けたら塔の基礎部分が地面に沈んでしまうというのだ。積み上げた石も基礎とともに崩れ落ちて、粉々に砕けてしまう。このままでは工事を進めることができない。

 石工たちのそんな報告に、ボルティゲルンは耳を貸さなかった。

「馬鹿なことを言うでない。崩れたというのなら、より一層働いて、さっさと塔を建てるのだ」

 しかし、翌日も、その翌日も、彼のもとに届くのは、基礎が沈んで建設中の塔が崩れ落ちたという報せだけだった。

 もはや、世迷いごとと笑い飛ばすこともできなくなってきた。このままでは、彼が隠れるべき城は永遠に完成しないのではと思われたからだ。

 彼は、再び友人を頼り、例の魔術師の助言を請うた。

「我が名誉にかけて、そなたらに聞きたい」彼は言った。

「いったい、私の塔のなにが悪いというのだ。私には、どうして地面が塔を支えようとしないのか、まったくわからない。こんなことになってしまう理由を、そして、どうすれば私の城を築くことができるのか、答えを探し求めてはくれまいか」

 魔術師たちは大仰な儀式をはじめ、占いをして、くじをひき――これらは、おそらくただのまやかしで、彼らの嘘であろうが――、ひとつの答えを王に示した。

「王よ、分かりもうしたぞ」魔術師のひとりが進み出た。

「そなたは、ある男を探さねばなりませぬ。それは、『この世の父なきまま生まれた男』です。父親がおらぬままに母親から生まれた男を探しなされ」

「父なきまま生まれた男とな? ふむ、面妖な……」

「その男を殺し、体中の血を搾り取りなされ。それを漆喰に混ぜて石を積み上げれば、基礎は二度と沈むことはありませぬ。かくて、そなたの塔は立てられましょうぞ」


 ボルティゲルンはさっそく国中に使者を送り、その条件に当てはまる男を探した。

 とはいえ、どこにいるのかはもちろん、「父なきまま生まれた男」などが本当に存在するのかどうかさえわからない。

 まともに考えれば、処女懐胎をしたという聖母マリアを思いつくところだが、まさかキリストを探せというわけでもあるまい。

 ともあれ、捜索は続いた。使者は二手に分かれ、その男が隠れていそうな街や村を、隅々まで歩き回った。しかし、その苦労はことごとく徒労のままに終わった。

 そんなある日、使者がカーマーディン[2]という街に差しかかったとき、ちょっとした揉めごとに巻き込まれた。

 カーマーディンの街では、ちょうどなにかの祭りが催されていたらしく、門の前は大勢の若者や子供たちで溢れかえっていたのだ。

 彼らは力試しや競技に興じており、誰も彼もが興奮して大声をあげていた。

 そんな中、競技のルールにでも触れたのか、それとも、なにかの行き違いでもあったのか、使者たちの目の前で二人の若者がいきり立って言い争いをはじめたのだ。

「ディナブスよ、貴様が不正をしたのは誰もが見ていたことだ。それとも、貴様は不徳をなんとも思わない下賤な生まれだとでも言うのか?」

「穏便に行こうじゃないか、マーリン。だが、血筋について語るのであれば、後悔することになるぞ? なにしろ私の家柄は、王侯や伯爵とつながっている。お前よりも、はるかに優れた人種なのだからな。それに、私は、お前の邪悪な血筋を知っているのだぞ。なんなら……」

 やはり競技に熱中したあまり、諍いに及んだらしい。

 取るに足らない揉めごととして、使者がその場を離れようとしたとき、続く言葉がその耳に飛び込んできたのだ。

「マーリンよ、お前が誇る父親の名前を言ってみるがいい。……言えないだろう? 当然だ。今まで誰にも教えてもらえなかったのだからな! 父親もないままに生まれたお前が、どうして私の父親について語ることができるというのだ?」

 それこそまさに、使者が探し求めていた言葉だった。若者たちは今にも取っ組み合いの喧嘩をはじめそうになっていて、観衆は祭りの余興とばかりに、やんややんやと囃し立てている。

 喧騒の中で、使者は隣にいた男を捕まえて、たったいま耳にしたことについて、問いただした。すなわち、父親を知らないという若者について。

 得られた情報はそう多いものではなかったが、少なくともひとつのことが明らかになった。

 それは、若者の父親について、誰ひとりとして知らないということである。

 マーリンという青年本人はもちろん、その周囲の人間はおろか、彼をその腹から産み落とした母親でさえも、その子種をもたらした夫について、なにひとつ知らなかったのだ。

 こういった話の場合、大抵の場合は近隣の男がその子種の主だったりするものだが、どうやら彼女の夫に限っては、本当に、誰ひとりとして心当たりがないらしいのだ。

 その一方で、マーリンの母親の素性については、知らぬものはいなかった。

 彼女は、かつてウェールズの王座を追われたディメティア王の娘だという。王族の身分を剥奪された王女は、そのまま修道院に入ったのだ。彼女は、まことに慎ましい、神聖な生活を守る貴婦人だという。

 そして、偶然にも息子マーリンとともにカーマーディンを訪れ、祭りの間、ここの修道院に逗留していたのだった。


 この話を聞いた使者たちは、すぐさまカーマーディンの市長のもとに向かった。そして、王の意志のもと、市長に命令した。ただちにマーリン――父親なきまま生まれた男――を捕らえ、彼を産んだ母親とともに王のもとへと連れて行くようにと。

 市長はボルティゲルンの命令と聞いて眉をひそめたが、しかし、無視するほどの勇気もなかった。落ちぶれたとはいえ王である。逆恨みをされて軍隊などを持ちだされてはたまらない。

 彼は王命に従ってマーリンと母親を捕らえ、使者に渡してしまった。

 こうして二人はボルティゲルンの前へと引き出された。

 王は少なくとも表向きは礼節を保ち、満面の笑みをもって歓迎してみせた。そして、まずは母親と向きあった。

「ご婦人」彼は猫なで声を作り、問いかける。

「正直に答えていただきたい。なにしろ、ご婦人以外のほかの誰ひとりとして、ここにいるそなたの息子マーリンの父親が誰なのか、私に教えられるものはいないのだよ」

 跪いていた修道女は、そのままの姿勢で少し思案し、そして答えた。

「私はなにも知らずに、誰にも会わぬうちに彼を産み落としました。すべては神の御心のままに。私はただ、彼を産み、育てるだけです。……彼がただの人間で、私の子供だというだけで充分です。それ以上はなにも言うことはありません」

「それでも言うのだ。知っている限りのことを言うのだ。そなたの息子は、父親なきまま生まれたというではないか!」ボルティゲルンは語気を強めた。

 喋るまで家には返さないという剣幕に、修道女はため息を付いた。噂に聞く暴君なのだ。もしも話さなければ、無事ではいられないのだろう。

「神の名において、」彼女は顔を上げた。

「私は、これが真実であることを知っているし、真実であると誓います。……それは、私がまだ年端もゆかぬ娘だったときのことです。私には、彼がどんな姿だったのか、あるいは幽霊のようなものだったのかさえ、知ることはできませんでした。しかし、姿の見えないなにものかは、私の寝室に入ってきたのです。そして、私のそばにきて、キスをしました」

 修道女は恥じらう様子もなく言った。

 もしも、これが身持ちの悪い浮気女の言い訳だったら、その言葉は照れと羞恥に澱み、態度も浮ついたものになるだろう。しかし彼女は、自分の言葉に微塵の疑いも抱いておらぬ様子で、すべてを神の裁定に任せようと言わんばかりである。

 そのあまりにも堂々とした態度に、誰ひとりとして口を挟むことはできなかった。 

「夜も、昼も、このなにものかは必ずひとりでやってきて、私を求めました。しかし、扉も開けず、窓も開けずに、彼がどうやって私の寝室に入ってくるのか、その方法は分かりませんでした。彼は男性として私の耳元に優しい言葉を囁き、彼は男性として私と分かち合いました」

「そのものと喋ったのか? なんと言っておったのだ? 正体はわからぬのか?」

 ボルティゲルンの矢継ぎ早な問いに、母親はゆっくりと頷く。

「彼は、何度も私と話をしました。私も彼について聞き出そうとしたのです。しかし、彼自身については、彼はいつも口を堅く閉ざしていました。……彼は、しばしば私のもとに訪れました。寝ている私のそばにきて、長い間キスをするのが、彼の作法でした。そして、いつしか私は息子を授かったのです」

「…………」

「彼が人間だったのか、それとも人間ではなかったのか、私には知る由もありません。ともかく、私は神の御心によってこの若者を授かりました。そうである以上、私は神の御心に従うのみです。……これ以上はなにも知りません。言うべきことは、これですべてです」

[1]エリル山(Mount Erir)……現代におけるウェールズ北部のスノードン山のことだそうです。


[2]カーマーディン(Caermerdin)……現代におけるカーマーゼン市(Carmarthen)のことだそうです。

 実はこの街の名前のうち「カー」は街を、「マーディン」はマーリンを意味するそうです。

 つまり「マーリンの街」という意味で、マーリンの伝説が流布された後世に名付けられた名前であることは疑う余地はありません。

 このあたり、名前の由来が時系列的に前後してしまったようで面白いです。

 「マーリンの街」になる前は、いったい何という名の街だったのでしょうね。

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