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第三話 サクソン人の到来/ヘンギスト

 街の人々が噂話を囁きあっているちょうどその頃、ケント港[1]にて、とある騒ぎが起きていた。

 騒ぎの元は、奇妙な風体の人間を載せた三隻のガレー船である。

 ブリテン人の目に映る船上の男たちは、見たこともない装束に、見たこともない顔立ちだった。なんといっても、彼らは揃って逞しく、驚くほどの美男子だったのだ。

 港に降り立った男たちの中から、特に背が高く、見るからにがっしりとした男が二人、進み出た。

「我はヘンギスト、そして、こちらはホルザ。このものたちの、盟主なり」

 辛うじて理解できるほどのたどたどしい辺境の言葉で、彼らは名乗った。

「この土地のあるじは、誰か?」

 異国の人間が王国にやってきた。その知らせは、カンタベリーに滞在していたボルティゲルンの耳に届いた。

 しかし、正直なところ、ボルティゲルンはそれどころではなかった。北からはピクト人が攻め込んで、小ブリテンでは二人の王子が力を蓄えているのだ。そのどちらからも隠れるようにカンタベリーまで潜り込んだというのに、今度は異国人の来訪である。

 これ以上の騒ぎを起こされてはたまらない。どうか、なにごとも起こさぬうちに、もといた場所に帰って欲しい。それだけが王の願いだった。

 しかし、当の異国人たちが、目通りを願っているというではないか。こうなってしまったら、出来るだけ刺激せぬよう、会ってみるしかない。

 ボルティゲルンは仕方なしに、できるだけ丁寧に、やんわりと、自分に会いに来るように伝令を放った。


「そなたが、この土地の、あるじか?」

 異国人たちは、たどたどしい言葉ながらも、誇り高く、そして礼儀正しく挨拶をした。ただものではないことは、ボルティゲルンの目にも明らかだった。

 ここまで整った体つきと顔立ちを兼ね備えた男は、ブリテン人の誰ひとりとしているまい。心底そう思えるほどに、目の前の若者は美しかったのだ。

「お前たちは、どこから来たのだ」好奇心が不安を上回り、ボルティゲルンは次々に問いただしていた。

「私に、いったいどんな用事があるというのだ? それに、お前たちはどこで生まれたのだ? もといた土地のことを、すべて話すのだ」

「我が名は、ヘンギスト」男は名乗り、ボルティゲルンの質問にひとつずつ答えた。

「我らの生まれた土地は、サクソンと呼ばれている」

「サクソン?」

「そうだ。我らは、そこで生まれ、育った。我らが、なにを求めて海の上にいたのか、知りたいのならば、そして、そなたと利害が一致するのならば、すべて答えよう」

「言え。いうのだ」ボルティゲルンは急かした。

「包み隠さずにいうのだ。さすれば、危害は加えないことを約束しようではないか」

 あるいは、ボルティゲルンはサクソン人との出会いに、なにかを予感していたのかも知れない。来訪の知らせを受けたときの恐怖は掻き消えて、夢中で異邦人の言葉に耳を傾けていた。

「立派な王よ。知っている限りのことを、ありのままに話そう」ヘンギストは辺境の言葉を巧みに操り、話しはじめた。

「我らは、とても多産なのだ。どんな生き物よりも速く生まれる。我らは沢山の子供を産む。ゆえに、子供の数は数え切れないほどだ。女と男は砂の数よりも多い。……しかし、だからこそ、我らはここに来たのだ」

 ヘンギストは、同行している何人かの仲間を振り返り、言った。これこそが、彼らが来訪した理由だった。

「仲間が増えすぎると、土地が足りなくなる。そのようなとき、慣例に従い、我らの王子は成人した男を集めるのだ。その中から、最も強く勇敢なものが選ばれる。くじによって決まったものが、国の外へと送り出されるのだ。そして、自分の領地を見つけ、家を持つために旅をするのだ」

「それが、お前たちというわけか」

 ボルティゲルンの言葉に、ヘンギストは深く頷いた。

「子供たちの数が草をはむ獣よりも増え、大地が彼らを許容できなくなったら、我らは、そうせざるをえないのだ。こういった理由で、我らは家を去った。そして、マーキュリーの導きによって、この王国にたどり着いたのだ」

「マーキュリー? それは、お前たちの神か?」

 ボルティゲルンはその名を聞きとがめ、尋ねた。まさか、キリスト以外の神の名が出てくるとは、思いもよらなかったのだ。自然、話はサクソン人の信仰の有り方に及んでいく。

「我々は、多くの神を崇めている」これだけでもボルティゲルンの顔に驚愕が浮かんだが、ヘンギストは話を続けた。

「神の数だけ、祭壇を立てるのだ。これらの神は、フォボス、サタン、ジュピター、マーキュリーという。それだけではない。多くの土地で、多くの神が信奉されている。……しかし、我らはどの神々よりも、最高の名誉をもってマーキュリーを祀っている。我らは、彼をウォーデン〔オーディン〕と呼ぶ。我が父は、週のうち四番目の日を彼に捧げる日として宴を開くことを決め、ウォーデンのための宴を「ウェンズデイ」と呼ぶことにしたのだ。『ウォーデンの日』という意味だ」[2]

 ボルティゲルンは、キリストをまったく恐れないどころか、神が創造主の他に複数存在するなどという話に、次第に嫌悪を感じはじめた。

 しかし、ヘンギストは構わずに話を続ける。

「さらに、ウォーデンとともに、我らは女神フレイヤを崇拝している。彼女も、我ら全員に信奉されているのだ。彼女への愛を示すために、我が父は週のうちの六日目を捧げた。古き習慣に従い、我らは『フレイヤの日』としてフライデイと呼ぶのだ」

「お前たちの信仰は、病んでいる!」聞くに耐えず、ボルティゲルンはついに口を挟んだ。

「お前たちは邪神を信奉しているのだ。とても我慢できぬ。……しかし、それでも私は、お前たちを歓迎してやろうではないか」

 もちろん、彼らを哀れに思ったからではない。彼らの信仰を認めたわけでもない。ボルティゲルンには、ある考えが浮かんでいたのだ。

「どうやら、お前たちは武具の扱いに長けているようだ。それに、勇敢でもあるらしい。ならば、私の家臣となるのだ。さすれば、私はお前たちに家を与えてやろう。お前たちは住み家を見つけ、財産に困ることもなくなるというわけだ」

 その言葉に、ヘンギストは顔を持ち上げた。しかし、

「ただし、条件がある」すかさず、ボルティゲルンは付け加えた。

「スコットランドから襲ってくる盗賊たちが、今まさに私を苦しめているのだ。私の土地は燃やされ、街は略奪されている。こんなときにお前たちがやってきたことは、神のめぐり合わせに違いない。主の加護とお前たちの力で、ピクト人とスコットランド人を滅ぼせるかも知れん」

 そこまで言って、ボルティゲルンは満面の笑みを作り上げた。

「喜ぶがいい。お前たちは、気前の良い主人に巡り会えたのだぞ。盗賊どもを根絶やしにした暁には、なにひとつとして不満のない報酬を与えてやる。そのために、王国を悩ませている盗賊たちを追い払ってくるのだ」


 このような経緯をもって、サクソン人はブリテンにやってきたのだった。

 ボルティゲルンは、さっそく新しい臣下をはべらせ、宮廷を警護させた。

 そして、ヘンギストは約束を守るために、スコットランド方面へと向かった。彼に率いられたサクソン人の軍隊は強大だった。

 彼らはハンバー川[3]を渡り、王命によって集められた領主の軍隊と合流し、そしてピクト人と相対した。

 戦いは激しく、長く続き、多くのものが死んだ。

 ピクト人は最後まで勝利を疑わず、果敢に進軍した。そして、サクソン人の剣に次々と打たれた。それでも、今までに敗北を味わったことのなかった彼らは、勇敢に戦い、しぶとく持ちこたえた。

 しかし、彼らの「負けたことがない」という慣例は、サクソン人によって打ち破られることになる。ピクト人は土地をことごとく占領され、散り散りに逃げていった。

 こうして、サクソン人の援助により、ボルティゲルンは見事にピクト人の脅威を取り払った。

 しかしそれは、この王国に、より大きな危険の源を持ち込んでしまう選択にほかならなかったのだ。

 そんなことは露知らず、ボルティゲルンは上機嫌でサクソン人に約束通りの褒美を与え、ヘンギストも美しい土地と数多くの財宝を受け取った。

 こうしてボルティゲルンとヘンギストの蜜月ははじまり、それは、とても長く続くことになる。


 実のところ、ヘンギストが王を見る目は、その礼儀正しさとは裏腹、冷ややかなものだった。

 ボルティゲルンはヘンギストたちの美しさや勇猛果敢さを称える一方で、彼らをろくに知恵も回らぬ未開の部族だと思い込んでいる。つまり、彼は物事の表面しか見ることのできない、蒙昧な王なのだ。

 だが、ヘンギストはそれを窘めることもなく、いや、むしろ、王がそのように自分たちをみなし、侮るに任せていた。少なくとも、彼を上機嫌にさせておけば、ヘンギストもその仲間たちも、大いに潤うことになるのだから。

 そしてヘンギストもまた、ボルティゲルンという男をじっくりと見極めていた。

 どのようにおだてあげれば王が喜ぶのか、王の心を動かすには、どんな言葉を選べばよいのか。

 ――そして、この蒙昧な王が、いったいなにを恐れているのか。

 ある日のこと、いつものように王をおだて上げ、彼が良い気分に浸っているところを見計らい、ヘンギストは切り出した。

「王よ、そなたは、我らに多くの名誉を授けてくれた」彼は、いつものように謝礼の言葉からはじめた。

「たくさんの富を我らに授けてくれた。我らは、恩知らずではない。そなたの忠実な臣下として、将来に渡り、これまでよりも一層、そなたに仕えることだろう」

 ヘンギストの言葉に、ボルティゲルンの頬が満足気に緩む。続くヘンギストの言葉は、その心の隙に忍び込むものだった。

「我は、そなたと、そなたの宮廷について、じっと見つめてきた。今や、我には、そなたを取り巻く物事が、はっきりと見え、聞こえる。あえて包み隠さず言おう。そなたは、そなたの王国の貴族を、誰ひとりとして愛していないのだろう?」

 ボルティゲルンの顔色が、さっと変わった。それは、ヘンギストの言葉がまったくの図星だと告げているに等しい。

「我には、貴族たちがそなたを恨み、そして心に憎悪を抱いているのが見える。我は、この国の王子たちがいなくなった成り行きについては、なにも知らない。だが、彼らは、この王国の正当な君主だ。そして、貴族たちは、王子たちにとても忠実だ」

 いつのまにヘンギストは、ここまで正確にブリテンの状況を把握していたのか? ボルティゲルンの脳裏に不安がよぎったが、しかし、ヘンギストはたった今、これから先の忠誠を堅く誓ったばかりだ。ボルティゲルンは先を聞いてみることにした。

「……続けよ」

「まもなく、彼らは海を越えてやってくるだろう。そして、そなたの王国に害をなすだろう。いまや、貴族たちはそなたの部下ではない。そなたに損害を与えるものでしかない。邪悪な貴族たちは、そなたをつけ狙い、破滅を望んでいる。そなたは、ひどく嫌われ、脅かされ、行く手を遮られるだろう。このままでは、そなたが王座から引きずり下ろされるのは、時間の問題だ」

「…………」

「我は、どうすればそなたを、この危険な状況から助け出せるかを考えていた。もしよければ、我が妻と子供を故郷より呼び寄せ、そしてすべての財産を運び込もう。そうすれば、その品々はそなたのものとなり、そして我は、より一層の忠誠をもって奉仕できるのだ。あらゆる手段を用いて、我は仲間を説得しよう。そのために、そなたの領地を、ほんの少しばかり頂きたい」

「領地だと? なぜだ?」

「多くの貴族が、我らを憎んでいるからだ。……そなたの愛情ゆえに。彼らは怒り、隙あらば我らに害をなそうとしている。そのため、我が仲間たちは、夜に家から出ることもできず、壁の外に出かけることもできないのだ。このままでは、そなたを守ることもできない」

 その噂は、ボルティゲルンも耳に入れていた。そうでなくとも、本来の臣下であるはずのブリテンの貴族を捨て置いて、異教の異邦人たちを厚遇しているのだ。これで貴族の間から不満が上がらないはずがない。

「だからこそ閣下、そなたの喜びにおいて、我らにいくつかの街と塔を……そなたを守るための戦いの合間、夜に落ち着いて眠れる、強い陣地をいただきたい。公平なる閣下、我がそなたの臣下である限り、これは偉大な選択となるだろう。なぜなら、そなたを恨む貴族たちが、そなたの気前の良さに気づいたとき、彼らは偉大な君主を悩ませることを、止めるだろうから」

「ふむ……」

 ボルティゲルンは思案した。

 ヘンギストに土地を与えることで、不満を抱く貴族たちがいなくなる。そこまで美味い話はないとしても、少なくとも、ヘンギストの親族たちが自分の配下として戦力に加わるという話は魅力的だった。加えて、ヘンギストの持ち込む財産は、そのまま自分のものとなるのだ。となれば、これ以上悩む必要などはない。

「そなたの家族についてだが……」王は答えを出した。

「すぐに迎えに行くが良いぞ。そして、彼らを暖かく迎え入れるのだ。そなたの家族を養うのは私の役目である。……だが、間違えてはならんぞ? これは、そなたと仲間たちの安息のためであって、それ以上のものではないのだ。そなたは異教徒で、キリスト教徒ではない。必要以上の贈り物をしたら、貴族たちは、私をとても不公平だと思うだろうからな。……それで、どれほどの土地が必要なのだ?」

「閣下」ヘンギストは言った。このために考え抜き、用意していた言葉だった。

「我はそなたに、一枚の毛皮で包み込める程度の土地を授けてくれるよう願う。そして、それ以上は決して求めまい。それは、なんの変哲もない、ただの雄牛の毛皮だ。しかし、それだけの土地をもらえれば、私は言った通りのことをするだろう」

「よかろう」

 ボルティゲルンは深く考えることなく、それを許した。

 ヘンギストはすぐさま伝令を用意して、海の向こう、はるかサクソンの地にいる親族へとメッセージを送った。

 次に、彼はボルティゲルンと約束したとおりの、一枚の雄牛の革を手に取った。しかし、もちろん、それをそのまま地面に被せただけの土地で満足するはずがない。

 ヘンギストはナイフを取り出し、雄牛の毛皮を細く裂きはじめた。丹念に、丹念に、細く、細く。可能な限り細く。そして、細く刻んだすべての雄牛の毛皮を繋げて、とてつもなく長い、一本の紐を作り上げた。

 この紐を手に、彼はボルティゲルンの土地を回り、広い範囲を囲った。王との約束通り、一枚の雄牛の毛皮で包み込める範囲の土地を、己が領地としたのだ。

 そして彼は腕の良い石工を集め、この土地に美しい城を建造した。

 ヘンギストは、この土地を「バンカスター」と名づけた。紐とともにこの土地を回ったことに由来し、「紐の城」を意味すると言われている。

 現在[4]、その土地はランカスターと呼ばれている。この名前の由来について覚えているものは、多くはないだろう。


[1]ケント港(Haven in Kent)……恐らく現在のウィスタブル港だと思われます。


[2]ウェンズデイ(Wednesday)……どうしてウェンズデイの綴りに「d」が含まれているのか不思議でしたが、こんな理由があったのですね。

 ちなみに北欧神話由来の曜日は、以下の四つです。

 ・チュールズデイ(Tyrsday)→チューズデイ(Tuesday)

 ・ウォーデンズデイ(Wodensday)→ウェンズデイ(Wednesday)

 ・トールズデイ(Thorsday)→サーズデイ(Thursday)

 ・フレイヤデイ(Freyaday)→フライデイ(Friday)

 それにしても、どうして土、日、月曜だけが北欧由来ではないのかが気になりますね。


[3]ハンバー川(Humber)……ブリテン島の東海岸、中央やや南から内陸に向かって切れ込んだ川です。

 非常に大きな川で、近年架けられたハンバー橋も2kmを越えています。

 この川はブリュ物語にはしばしば登場し、「ハンバー川を越えて」「ハンバーの向こうで」などの表現が頻繁に見受けられます。

 おそらく、ブリテン島を南北に分ける大きな指標とされ、この川より北は「スコットランドに近い辺境」という扱いだったのではないかと思われます。


[4]現在……ブリュ物語が作られた時点での「現在」、つまり1155年頃のことです。


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