第二十九話 激突
ローマ皇帝ルシウスは三〇歳を越え、しかし四〇歳には届いていない最も華やかな年齢に差し掛かっていた。
彼は、スペインのとある高貴で名誉ある家柄の出生である。そして彼自身もまた、気高い勇気を持って武勇を示し、それによって成し遂げた偉業により実力を証明された騎士であった。
ローマの議会はこういった家柄や成し遂げた偉業などから、彼を皇帝として選んでいたのだ。
そんなルシウスが朝早くにラングルを発ちオータンに向けて進軍していた、その半ばのことである。ローマ皇帝たるルシウスを愕然とさせる報せが斥候から届けられた。
いわく、オータンへ至るスイソン谷にアーサー王の全軍が展開しており、彼らを避けてオータンに入ることは不可能であると言う。
ローマ軍の動きは、すべてアーサー王に看破されていたのだ。
いったい、どうすればいいのか。
ルシウスは頭を巡らせるが、もはや選べる道は一つしか無い。すなわち、前進あるのみである。
アーサー王との戦いを避けて、とにかくオータンを落とす作戦だったが、そのオータンに近づくためには、アーサー王を退けて通る以外にない。ルシウスの最も恐れていた全面衝突である。
しかし、アーサー王の軍隊を見て慌ててラングルに引き返したのでは、敵だけでなく味方にさえも「ローマ皇帝ルシウスはアーサー王を恐れている」と看破されてしまう。
そうでなくとも、アーサー王を迂回してラングルを通ったという時点で、すでにローマ皇帝の真意を、ひいてはその勇気を疑うものも現れているだろう。
仮に、恥を忍んでラングルに引き返したとて、アーサー王は好機とばかりに追撃してくるに違いない。
正面から戦うのでも勝てるかどうかわからないのだ。戦場から逃げ出した皇帝のために、いったい誰が全力で戦うというのか?
こうなった以上、もはや戦いは避けられない。
それを悟った皇帝ルシウスは、ならば全力でアーサー王とぶつかるべしと、萎えかけていた闘志を振り絞った。
彼はまず、臣下の国王や王子、それに公爵たちを近くに呼び寄せた。次に、最も賢く、軍隊の中でペレデュールに次ぐほどの最も狡猾な隊長を呼び、彼らに布陣を伝えていった。
ローマの軍勢は十万人を超えている。まずは、そのすべての男たちに番号を振り、整然と並ばせるようにと命じた。
やがて、隊長たちがすべての戦士たちに番号を振り終え、ずらりと並んだのを見計らい、ルシウスは彼らの正面に立った。
「聞くのだ! 誠実な貴族たちよ!」皇帝ルシウスは全軍に届くよう、力の限り叫んだ。
「忠実なる男たちよ! 私の言葉に耳を傾けるのだ! 立派な征服者たちよ! 高貴なる国王の誉れ高き息子たちよ! そなたたちが先祖からの素晴らしい遺産を受け継ぐことを許したのは、いったい誰か覚えているだろうか? そなたらの父親たちの名誉ある働きによって、ローマは世界を統べる帝国となったのだ! そしてそれは、ローマ人の最後の一人でも呼吸をしている限り、決して変わらぬだろう! 帝国を束ねたそなたらの父親の名誉は、それは偉大なものである。そして、偉大であるほどに、それが破壊されたときの恥辱は大きいものとなろう! ……だが、幸いにして、そなたらの勇敢な父親は、引けを取らぬほど勇敢な息子たちを残していった。そう、そなたたちだ! そうとも! そなたらの父親は立派な騎士であった! そして、そなたらが彼らの名誉に泥を塗ることもないだろう! そなたらの中で、力強い家系に生まれていないものなど、たった一人としておるまい。そう! 活力はそなたたちの血の中に流れており、ワインのごとく立ち昇ってくるのだ! さあ、すべての男たちよ! 騎士たちよ! 今日という日こそ、勇敢に振る舞うがいい! そなたらの中に、そなたらの父親が宿っているかのように! 受け継いだ財産を失ったとき、どれほどの悲しみが襲うだろうか? それを、決して忘れてはならぬ! もしもそなたらの胸に臆病さがあるのであれば、同じく胸に父を宿しているであろうブリテン人にでも与えてしまえ! だが、私は知っている! 確信している! そなたたちが相続した遺産を奪われることはない! かつて戦い、死んでいったものたちのように勇敢になるのだ! 彼らの勇敢さは今もそなたらの中で生きている! そして私は、勇気ある力強い男たちに、今こそ言おう! オータンへ続く道は、硬く閉ざされている! オータンに行くにはただ一つ、力尽くで突破するのみだ! いったいどれほど姑息な泥棒が、あるいは、手先ばかり器用な錠前破りや粗暴なならず者が道を塞いでいるのか、私にはわからぬ。そして彼らは、我々が逃げ出し、このフランス王国をずだ袋のように打ち捨てていくであろうと思っている。……それは間違いだ! もしも私が引き返したのであれば、それは不届き者を誘い出すための策略にすぎぬ! そなたたちに向けて戦いを挑もうとしているものがいる今こそ、武具を引き締め、剣を解き放つときである! もしもこの先でブリテン人が待ち構えているのだとしたら、彼らには望み通りの鉄槌をくれてやろうではないか! そして、彼らが逃げ出したときには、どこまで追跡して逃さぬことを教えてやるがよい! かの野蛮な獣どもの顎に、馬銜と手綱を着けてやるときが来たのだ! そして、彼らがこれ以上の損害を広げることを、なんとしても防ぐのだ!」
ルシウスの鼓舞に心を突き動かされたローマ人は武器を手に手に雄叫びを上げた。今や、ブリテン人との戦いを熱望せぬものなど、誰一人としていないほどであった。
彼らは次々に命令を下し、仲間内における序列に従って軍隊を整列させていく。そして、身分に相応しい順番で列を成した時には、ローマ人の心は完全にひとつになっていた。
ここには様々な国の国王たちが、いや、そればかりか、キリスト教徒に混じって異教徒やサラセン人までもが並んでいる。彼らもまた軍門に下り、ローマ帝国への忠誠と皇帝ルシウスへの奉仕を誓っているのだった。
三十人の隊長たちが、いや四十人が、五十、六十人……そして何百人もの軍勢がそれぞれの隊長を戦闘に備えて着飾らせていた。
千の騎手と、それに付き従う兵士たちが、割り当てられた場所に留まっている。
そして、序列に従って並んだ騎手や槍兵は丘や谷に布陣し、アーサー王の待ち受ける場所へと突き進んでいった。
中でもローマ帝国に対し、特に強い忠誠心を抱く、皇帝への奉仕のためにに雇われた力強い集団がある。彼らは速度を弛めることなく行進し、そしてついにスイソン谷へと差し掛かった。
また別の大きな集団も、先んじている彼らに負けるまいと、谷に展開しているブリテン人へと迫っていく。
そして、スイソン谷に轟音が響き渡った。二つの軍隊が、ついに激突したのだ。
谷の隅々にまでクラリオンの甲高い音が響き渡り、あるいはトランペットによる戦いの調べが行き渡った。
彼らが近づいたとき、互いの陣営の弓兵は空高くに打ち上げ、槍兵は力の限り投げ槍を放った。矢と投げ槍はあられのように両陣営に降り注ぎ、しかし、その中にあって瞬きをしたり恐怖に目を閉じたりするものはいない。
そして、矢が猛烈に降り注ぐ中で、騎馬と歩兵たちが激突し、乱戦が始まった。
――貴方の目にも見えることだろう。
馬上の騎士は槍先を下げて突進し、相手の騎士の構えた盾を貫き、引き裂いていく様子を。
トネリコで出来た槍竿は怒号の中で打ち砕かれ、折れた破片が戦場を飛び交っている。
槍が折れた騎士は、鞘から剣を引き抜いて、馬上のまま互いの敵に向かって斬り込んでいく――
乱戦は凄まじく、目を背けんばかりだった。
これほどの男たちが巨大な剣を振り回し、力強く斬りつけ合う光景は、かつて見られたことがない。
この戦闘に及び、もはや怖気づくものはいなかった。ブリテン人もローマ人も、すべての男たちが雑踏に怯むことなく、そして誰一人として己の命を省みることはなかった。
鉄はバックラーに打ち付けられ、鉄床のような音を立てて谷に鳴り響く。
騎士や兵士たちの重さで谷底は激しく振動し、スイソン谷に響き渡る騒音は、まるで大勢の鍛冶屋が一斉に槌を打ち付けて、ガラガラと音を立てているかのようだった。
どちらの陣営とも、戦線を途切れさせることなく、湖に水を注ぎこむがごとく次々に雑踏へと踏み込んでいく。そして、出会った敵に片っ端から斬りかかり、どちらの軍隊も互いの敵に向かって猛烈に襲いかかった。
馬とそれに乗った騎手が眼下の敵の前へと駆け下りて行くたび、矢は飛び交い、投げやりは次々に放たれ、そして騎士の槍は粉々に砕け、引き抜かれた剣が盾の上から打ち下ろされる。
強きものは弱きものに打ち勝ち、そして生けるものは死せるものに悲しみをもたらした。
鞍帯が切れ、鞍の上が空になった馬が、たてがみを振り乱して狂ったように戦場を走り回っている。
致命傷を負ったものは、自分の命が死を選ぼうとしていることに悲しんだ。しかし、彼らの苦しみと祈りは、騒音と叫び声にかき消されてしまった。
戦いは長い間続き、二つの軍隊はともに力強く戦ったために、双方とも互いの敵に驚くほどの損害を与えていた。
ローマ人とブリテン人のいずれも互いの陣地を奪うことは出来ない。戦局は混沌として、どちらが優勢でどちらが押されているのかを見極められるものは誰一人としていなかった。
この混乱にあって、戦いの行方について考えを巡らせている騎士が二人いた。アーサー王の酌取りヴェディベアと、同じく執事長のケイである。
彼らは、ローマ人が最も密集している場所を見極めた。そして、アーサー王に対し隷属するようにと要求してしたローマ人への怒りを胸に新たにし、受け持っている集団を率いて馬を駆った。彼らは雑踏の最も熱い危険地帯へとなだれ込んだ。
――神にかけて、アーサー王はこの酌取りと執事長ほど立派な部下を、他に持ってはいなかった。
彼らこそ、アーサー王の円卓に相応しい真の騎士であった。
そのことを、今まさにヴェディベアとケイは証明したのだ――
ケイとヴェディベアは、さながら聖騎士のごとく鋼鉄の刃でローマ人に打ちかかった。
彼らの前にローマ人は次々に打ち倒され、彼らの通った後には生きたままのローマ人は一人も残っていないほどだった。
この日、数えきれないほどの偉業が彼らによって成し遂げられ、彼らほど立派な騎士は、他には一人としていなかった。
剣とともに二人の騎馬が駆け抜けると、ローマの軍勢は真っ二つに切り裂かれ、分断され、彼らの率いる仲間たちが開けた道を突き進んでいく。
更に、他のブリテン人もその後に続き、ローマ人との戦いに挑んでいく。彼らもまた数多くの打撃を受け、そしてそれ以上の打撃を与えていく。敵も味方も、あらゆるものたちが傷を負い、そして傷を負わせ、多くのものを殺していった。
血は川となって地面を流れ、そして死人は折り重なって横たわり、地面を覆い隠していく。
そんな中、ヴェディベアはまったく休むことも一息つくこともせずに、更なる冒険を求め、乱戦の中を深くまで踏み込んだ。
一歩遅れてケイが続いていく。次々に襲い掛かってくるローマ人を片っ端から打ち落とし、地面に打ち倒し、それは見るからに素晴らしい戦いぶりである。
ここに至り、二人の騎士はようやく呼吸を整えるために足を止めた。そして、仲間の兵士たちを励まそうと振り返る。
見れば、二人の駆け抜けてきた道には、数えきれないほどのローマ人が横たわっており、自分たちが真に賞賛され、崇拝を受けるべき偉業を成し遂げたことを知った。だが、これだけで満足する二人ではなかった。
鬼神の如き働きを見せた彼らは、更なる名誉を切望したのである。そして、彼らの勇気は、彼ら自身気がづかぬうちに性急さをもたらしていた。
ローマ人を打ち砕くのに夢中になるあまり、そして、自身と仲間たちの力強さを計り知れない信頼を寄せた結果、彼らは自身の安全について疎かにしてしまったのだ。
ここに、とある異教徒がいる。メディア王であり、力強い軍勢を率いるこの隊長は、その名をボークスといった。
ボークスもまた、どんなに危険な騎士をも恐れない勇猛な男だったのだ。
メディア人の軍勢を率いたボークスは、ローマ人が次々に打ち倒されている雑踏へと凄まじい勢いで走りこんでいく。
二つの軍勢が向き合ったとき、戦いはきわめて礼儀正しく、騎士道精神にのっとった形で始められた。
異教徒やサラセン人もまた、ケイ率いるアンジュー人やヴェディベア率いるボース人に対し、引けをとらないほどの男らしさを証明しようとしていたのだ。
それぞれの騎士たちは馬上で槍を構えて向き合い、そして激突した。すれ違う度に互いの騎士が打ち倒され、それぞれの軍勢に打撃を与えていく。
そんな中、ヴェディベアは駆けていく先にボークスがいるのを見た。彼もまた高名なアーサー王の騎士を見つけ、剣を振りかざして突進してくる。
ヴェディベアも剣を抜いて応じ、そして、馬と馬がすれ違い、剣がきらめいた。
勢いのままに馬が駆け抜け、一方の騎士が地面に崩れ落ちる。
ヴェディベアだった。剣を高々と振り上げたヴェディベアに対し、メディア王ボークスは、あたかも大剣を槍に見立てたかのごとく突進し、ヴェディベアの剣が振り下ろされるよりも先に、彼の胸を貫いたのだ。
ボークス王の剣は、その鋼鉄の切っ先がヴェディベアの背中に抜けるほど深々と突き刺さり、その一撃によってヴェディベアの心臓は真っ二つに引き裂かれた。
彼の身体が馬上から地面に崩れ落ちるよりも先に、彼の魂は旅立っていった。
――主、イエスよ。彼の魂をその胸に抱いて下さいますように――
同僚の姿が見えなくなったケイは周囲を見渡し、そして、ヴェディベアが地面に横たわっているのを見つけた。
その胸からは夥しい血が流れており、身体はピクリとも動いてはいない。一目見て、彼が既に息絶えていることが分かった。
アーサー王に近い騎士として、長い時間をともにしてきた最も愛すべき友である。その彼が、今や遺体となってローマ人に踏み躙られようとしている。中には、ブリテン人の隊長の死体を切り刻もうと剣を向けているものさえいる。ケイにはそれが耐えられなかった。生きているどんな男よりも、死んで横たわっているヴェディベアのほうがはるかに大切だったのだ。
彼は仲間たちに声をかけ、ヴェディベアの遺体の元へとなだれ込んだ。そして自らは馬を降りてヴェディベアの亡きがらを抱きしめ、仲間の騎士たちに守られながらどうにかメディア人を退け、その場から離れた。
だが、その様子を見ていた異教徒がいた。以前、ペレデュールを奪還しようとブリテン人に挑み、あえなく敗退したリビア王セルトリウスである。
セルトリウスはかつて自分を敗走させたブリテン人の隊長の一人であるヴェディベアを激しく憎んでおり、彼の遺体をばらばらに引き裂こうと荒れ狂いながら襲いかかってきたのだ。
そして彼もまた、リビアから連れてきた異教徒の軍勢を率いていた。
セルトリウスは暴れ回りながら同僚の遺体を運ぶケイたちの集団に近づいてきて、守りに入っているブリテン人に次々に損害を振る舞っていく。そしてついに、セルトリウスはケイのもとへとたどり着いてしまった。
だが、ケイは応戦することはなかった。
ただただ、愛する同僚の遺体をこれ以上傷つけられることのないよう、セルトリウスの打撃から身を挺してヴェディベアを庇う。
背中を向けて遺体を抱きしめ、反撃してこないケイに対し、セルトリウスは容赦しなかった。ここぞとばかりに打ちかかり、ケイに致命傷を与えてもなお、攻撃の手を休めない。しかしそれでも、どれほど激しく打ちのめされようとも、ケイは盟友の遺体を最後まで守り通したのだった。
彼の部下が助けに来たとき、すでにケイは虫の息になっていた。彼らは既に息絶えたヴェディベアと瀕死のケイを安全な場所まで運び出した。
そして彼らは、それぞれアーサー王の象徴である黄金のドラゴンがあしらわれた旗を掲げることで、あえてローマ人の怒りを買うように仕向け、周囲からローマ人がいなくなるまで戦い続けたのだった。
今この場に、ヴェディベアの甥であるハイレスガスという騎士がいる。
彼もまた、彼の親族や友人たちにアーサー王の戦いへ参加するように呼びかけ、およそ三百人にもなる集団を率いていた。
数こそ多くはないが、この集団は兜に鎖帷子、それに剣を身につけ、更に猛々しい立派な駿馬に乗っている精鋭たちだった。
ハイレスガスは整列した彼の身内たちを指揮していた。
「勇敢なる騎士たちよ! 今こそ、我とともに来るのだ!」彼は友人たちを前に、更に叫ぶ。
「そして、我が伯父ヴェディベアの死に対し、血の対価を支払わせるのだ!」
言い終わるが早いか、彼は先陣を切って戦いの雑踏のなかへと踊りこんだ。
ハイレスガスの目にメディアの旗が見えた。ボークス王はあの旗の近くにいるのだ。彼はすぐに、仲間の集団に突撃命令を下す。
そして、彼の友人たちが周囲のメディア人と戦っている中、ハイレスガスは旗の立っている場所へと迫っていく。
メディア人の旗印を目に留めたとき、彼は頭のなかに狂気にも等しいほどの怒りが湧き上がるのを感じた。彼はもはや、伯父ヴェディベアの仇を討つこと以外、何も考えられないほどに猛り狂っていた。
「アーサー王の名のもとに!」
叫ぶが早いか、ハイレスガスはボークスに向かって一直線に駆けていく。
それに気付いたメディア人が行手を塞ごうとするが、彼の身内や友人たちもまた槍を下げて盾を構え突撃し、邪魔立て刷るメディア人を次々に打ち倒していった。
そして、脱落者の屍を踏み越えてハイレスガスは進み、ボークス王とその一団の間近にまでたどり着いた。
強靭な軍馬に乗ったハイレスガスの家臣たちは、ボークス王の兵士たちを右へ左へと切りつけ、ハイレスガスの行く手を切り開いていく。
彼自身も次々にメディア人を打ち倒し、そしてついに戦列はボークス王の旗が立っているところまで貫き、ハイレスガスは豪奢な鎖帷子に身を固めたボークスの姿を捉えた。
ボークスのいる位置をじっくりと見極めた彼は、馬の頭をそちらへと回し、雑踏へと飛び込んでいった。
ボークスは、突然目の前に飛び込んできたアーサー王の騎士に、反応が遅れていた。
剣を抜いて応戦しようとするも、それよりも先にハイレスガスの一撃が襲いかかる。そして、ハイレスガスもまた非常に強い貴族であり、その振るった剣は極めて正確にボークスの頭を捉えたのだ。
ボークス王の手から剣が落ちる。
ハイレスガスの一撃は、ボークスの兜と、その内側の鎖帷子の頭巾を貫いて、完全にひしゃげさせていたのだ。
そのまま力を込め、剣を振り切るハイレスガス。ボークスの頭は完全に肩から分断され、地面へと転がり落ちた。
馬上でぐらりと傾ぐボークス王の身体を、ハイレスガスは地面に落ちる前に掴み、自身の乗っている馬に強引に引きずり上げた。
そして、今や首を失いもの言わぬ身体となったボークス王を鞍の前に押さえつけ、落馬せぬよう左右の手足を括りつけた。
ボークス王を乗せたハイレスガスの馬は、ヴェディベアの亡きがらの横たわっている場所へと戻っていく。もはや、ボークス王は嘆くことも泣くこともない。
主君の身体を取り戻そうとメディア人が群がってくるも、彼の家臣たちもまた、進んでいくハイレスガスの背後を守り、誰一人として近づけさせなかった。
こうして、友人たちに助けられ、ハイレスガスはボークス王の身体を伯父の元まで運びきった。そして、憎き仇の身体を伯父の亡きがらのすぐそばに投げ出し、息をしていないヴェディベアからもよく見えるように、ボークス王の身体を切り刻んだ。腕といい足といい、関節の一つ一つがばらばらになるように叩き斬り、伯父の無念を晴らしたのであった。
伯父の仇を討ったハイレスガスは、その手伝いをした盟友たちに向き直った。
「さあ、行くぞ!」未だ戦いの続いている戦場を指差して、彼は言った。
「行くぞ! まことの男の息子たちよ! ローマ人を皆殺しにするのだ! ローマ人! こそ泥にも劣る私生児どもめ! 神を信頼せず、我らがキリストを信仰してもいない異教徒ども! 奴らは我らとその家族を殺すために、異教徒を東の国から呼び入れたのだ! もはや奴らはキリスト教徒ではない! なればこそ、我らは異教徒であるローマ人どもを全滅させるのだ! より善良なキリスト教徒を殺すために異教徒と手を組んだ、キリストの反逆者を! 進め! 奴らにお前たちの勇猛さを教えてやるのだ!」
叫んだハイレスガスは、盟友たちを率いて、再び戦いの雑踏の中へと馬を駆って飛び込んでいった。
――騒音と叫び声が、谷間の平原を満たしている。
兜が、そして刃が陽の光にきらめき、しかしその磨き上げられた剣は血に染まり、あるいは盾に弾かれて粉々にくだけていた――
戦場の別の一方では、ポワティエ伯ギタードが獅子奮迅の働きを見せていた。
彼の相手はアフリカ王ムスタンサーである。ギタードもアフリカ王も、戦いの末に槍も剣も落としてしまい、今や拳を武器に戦いを続けていた。
やがて、一方が他方の拳に耐え切れず、ついには動かなくなった。
戦いを制したのは、ポワティエ伯である。
剣を取り戻したギタードは、アフリカ王の遺体を捨ておいて、未だ周囲に群がっているアフリカ人とムーア人を片っ端から斬って回るのだった。
ギタード伯爵と同じ軍団を率いていたフランドル伯ホールデン[1]も、少し離れた場所で強敵と戦っていた。そして、彼もまたアーサー王の騎士にして、慎重な助言をする聡明な王子だった。
彼の相手はスペイン王アリファトマである。
二人の王子はお互いに激しい怒りを抱いて戦った。そして、アリファトマはホールデンの剣に捉えられ、致命傷を負った。しかし、状況は決して良いとは言えない。ホールデンもまた決定的な打撃を受けていたからである。相打ちだったのだ。
ブルゴーニュ伯リギアーはバビロン王ミキプサと馬を並べて走り、凄まじい速度の中で互いに剣を叩き付けあい、火花を散らしていた。
いったいどちらがより優れた騎士だったのか、判別できるものはいなかった。なぜなら、彼らもまた同時に互いの身体を捉えたからである。
ブルゴーニュ伯とバビロン王はともに馬から落ち、戦場に横たわり動かなくなった。
リギアーとともに戦っていた彼の部下である三人の伯爵も、この戦いで命を落とした。
バースの領主ユージェント、ギートシア伯バルック[2]、そしてウェールズ兵を率いていたチェスター伯カーサ。リギアーの忠実な臣下だったこの三人はリギアーに少し遅れて命を落とし、彼らが率いていた兵士たちは悲嘆に暮れ、なおも続く戦いの雑踏の中で浮足立った。
彼らを救ったのは、ガウェインである。
指揮官を失ったリギアーの臣下たちはローマ人の前から退却し、ガウェイン率いる軍勢に合流することで、全滅の難を逃れた。
ガウェインと並んで騎士を率いているのは、彼の友人にしてアーサー王の甥、ブルターニュ伯ホーエルである。
――ガウェインとホーエル。
この二人ほどの闘士を、貴方がたは世界のどこを探しても見つけることは出来ないだろう。
丁寧さと親切さ。賢さと騎士道精神。そのすべてにおいて、彼らに匹敵するとおぼしき騎士は、どこにもいなかった。
彼らの活躍を語るとしよう――
[1]ホールデン(Holden)……ブリュ物語(英訳版)においては、しばしば名前が「Holden」と表記されたり「Holdin」と書かれたりして安定しないのですが、同一人物を指していることは間違いないようなので、ここでは「ホールデン」に統一しておきます。
[2]ギートシア(Guitsire)……これがどこであるのかはわかりません。「シア」という地名から鑑みて、ブリテン島のいずれかであることは間違いないと思われますが、特定は出来ませんでした。
ちなみに、中世フランス語版からの翻訳では「シルチェスター(ロンドン西の都市)」となっているので、あるいはこの地域の古い地名がギートシアだったのかも知れません。




