第二十二話 ローマ帝国の挑戦
戴冠式の饗宴がそろそろ終わりを告げるかと思われた、その時である。
アーサー王の宮廷がやにわにざわつき始めた。
見れば、いまだ騎士や貴族が大勢いる広間の真ん中を割って、見慣れぬ集団が歩いてくる。
王子や伯爵たちと並んで高座に座っているアーサー王の近くに彼らがやってきたとき、その姿ははっきりと見て取れた。
新たな客人たちは十二人。すべて年老いた男だった。髪は白または灰色で、しかし決してみすぼらしくはなく、高貴な生まれであろうことが一目でわかる豪奢な衣服に身を包んでいた。
彼らは宮廷の広間の真ん中を二人一組の列をなしてゆっくりと歩いている。
その手は隣にいるものと真ん中でお互い握り合い、外側の手には美しいオリーブの枝を持っていた。
ゆっくりとした足運びで歩む老人たちの姿は見るからに敬虔なキリスト教徒といったふうで、その場にいる誰もが十二人に釘付けになっている。
彼らは足並みを乱すことなくアーサー王の座る王座の前にまでやってきた。そして、深々と頭を下げ、礼儀正しい態度で挨拶をした。
最前列にいた老人の片方が、口を開いた。
「我らはローマより皇帝ルシウス[1]に遣わされ、この場へとやって参り申した。ここに、我が主君ルシウスからの手紙を預かり運んで参った次第にてございます」
言うと、隣の男が恭しく一本の書簡を取り出した。書簡を閉じてある封印の蝋には確かにローマ皇帝ルシウスの紋章が押してあり、それがローマ皇帝によって直々にしたためられたものだと示していた。
「読むが良い」
アーサー王が告げると、書簡を持っていた男は両手でそれを開き、まるで歌を吟じるかのように朗々とした声で読み上げ始めた。
「我、ローマの君主にして皇帝たるルシウスより、我が敵である汝ブリテン王アーサーへ、処断を申し渡す」
この一言だけで、広間にはどよめきが走った。
だが、老人はまったく臆することなく、声を乱すこともなく読み上げ続ける。
それは、長い、長い手紙であった。
「我が心は今、驚愕に満ちている。そして、驚愕はそのまま汝に対する軽蔑へと至った。どのような思い上がりゆえか、あるいは悪意ゆえか、汝の傲慢さは今や我に害をなしているからである。ローマの法は空気のごとく当たり前に存在するものである。呼吸をするように守られていたローマの法に抗うよう汝に入れ知恵をした者達に、我は驚愕と軽蔑の感情以外を抱いておらぬ」
老人があまりにも堂々と手紙を読み上げていたためか、騎士たちのどよめきは次第に収まっていく。誰もが、老人の言葉をしかと耳に留めようと静かに聞き入っていた。
「ブリテン王よ。汝は軽率に行動し、その傲慢さにより、世界の復讐者として前進する我らに害をなした。汝は眼球が寄生虫で溢れかえった盲人に等しい。汝は知るまい。そして、ほどなく知ることとなろう。ローマ法の名において裁きを下す裁判官の苛烈さを。汝の欲望に従った行為、そして汝の本性にて犯された罪。それらの大きさは、簡単に測れるものではない。……汝は汝自身のことを知るべきである。どれほどちっぽけな塵から生まれた汝が、どれほど強大なローマ帝国への服従に疑いを持っているのか。何故、汝は我らの土地を略奪し、我らのための貢物を盗んでいくのか? 何故、お前はシーザーに持ち物を提供することを拒むのか? 汝の行動は自然の摂理に反している。考えても見よ。もしも羊から逃げまわるライオンがいたら。無力な子供の前で震え上がる狼、そして野うさぎを恐れる豹がいたら。このようなペテンに騙されてはならぬ。このような間違った奇跡は、自然の摂理が許すはずがない。汝がその胸の中で憎んでいるであろう、我らが力強き先祖、ジュリアス・シーザー。彼は、かつてブリテンの地を征服し、貢物を受け取る約束を交わした。そして、汝らの先祖はこれまで貢物を支払ってきたのだ。他の国々や島々からも同じように貢物を受け取るのが、我らのならわしである。ブリテン王よ。汝はその厚かましさによって、我らに損害を与え、力ずくで奪っていった。そればかりか、汝はその大胆さによって巨大な恥辱を我らに与えた。我らの護民官フロロを殺害し、フランスとブリテンとを不正な権力によって不当に確保してしまった。それからというもの、汝はローマをまったく畏れようとしないし、ローマの誇りを傷つけて顧みもしないではないか」
ここで老人は再び咳払いをして、背筋をピンと伸ばした。
いよいよ、手紙の内容は本題にさしかかろうとしているのだ。
老人の声が、物音一つしない広間に響き渡った。
「我がローマ議会は、この手紙によって汝を召喚する。そして、この手紙により打ちのめされ、八月の半ばまでにはローマ議会の前に来ることを命ずる。汝の罪を認め、あるいは弁解をするのだ。その時までに、汝が奪ったすべての貢物を返すよう準備を整えよ。例えどのような犠牲を払ったとしてもだ。そして、汝が訴えられているすべての悪事に対する代償を支払うが良い。もしも汝がこの命令に対し沈黙を保ったり、あるいは何の行動も起こさないのであれば、我は屈強な軍隊を率いて聖バーナード山を越え、ブリテンとフランスを汝の手から力尽くで引き剥がすこととなろう。今のフランスにローマの統治が行き届いていないからといって、ローマ帝国に勝てるなどとは夢にも思わぬことだ」
そして、老人はもう一度アーサー王の顔を見やって、そして締めくくりの一文を読み上げた。
「汝は決して、我の命令に従い海を渡ったりはしないであろう。だが、汝がいかに勇敢だとて、汝には、我が軍隊がそこに行くまで黙って待っているほどの豪胆さはあるまい。例え、どんな場所で汝が我を待ち受けようとも、我は汝をその場所から追い散らして見せよう。それこそが、我が目的である。盟約によって汝を縛り上げ、ローマへと連行し、議会の審判に従い拘束するであろう」
誰も、一言も発しなかった。
朗々と読み上げた老人は、音もなく書簡を元通りに丸め、そして恭しくアーサー王に差し出した。
宮廷が沈黙に包まれていたのは、数秒か。あるいは数分か。
誰もが、この老人たちが読み上げた手紙の内容を頭のなかで咀嚼し、たった今、何が起きたのかを考えていた。
そして、彼らの手紙が、すなわちローマ皇帝ルシウスからブリテン王アーサーに放たれた、傲岸きわまりない命令だと理解した途端――議会は、怒号に包まれた。
あるものは老人たちに詰め寄り、アーサー王に対する無礼を罵った。
あるものは老人たちの運んできた命令のあまりの傲岸さを呪い、神に祈った。
またあるものは、剣を抜いて老人たちに斬りかかろうとさえしていた。
それらのものたちが渾然となって、広間は騒音と雑踏で溢れ返っていた。
剣を抜いたものが、逃げも隠れもせぬ老人たちに迫ったその時である。
「皆の者、静まれ! このローマ人を傷つけることは許さぬ!」
雷鳴の如きアーサーの声が、広間で右往左往していた騎士たちをピタリと止めていた。剣を持ったものも、高々と掲げた剣をそのままに動きを止め、アーサー王のほうを見ていた。
沈黙が戻ったのを見て、アーサーはよく響く声で続けた。
「このものたちは、主君から預かった手紙を運んだ伝令にすぎぬ。彼らの言葉は彼ら自身のものではない。彼らは代弁者となっただけなのだ。彼らに罪はないゆえ、手出しすることは許さぬ」
他ならぬアーサー自身にこう言われては、騎士たちも黙るしかない。それに、冷静になって考えれば、アーサー王の言うとおりである。彼らの言葉は彼らの意思を伝えたものではなく、彼らはひとえに主君である皇帝ルシウスの命令に従っただけなのだ。
剣を抜いていたものは静かにそれを鞘に戻し、元いた場所に戻っていく。
喧騒と興奮が落ち着いたのを見計らい、アーサー王は老人がうやうやしく差し出していた書簡を、同じくらいに礼儀正しい態度で受け取った。
そして、決して彼らに危害を加えず、客人として扱うことを、国王自ら保証したのだった。
同時に、アーサーは周囲にいた相談役に声をかけ、アーサー王に近しい貴族や騎士たちに対し、急ぎ招集をかけるように命じた。
会議の場所は、巨人の塔と呼ばれる石造りの堅固な砦だった。カーリアン市で会議を開くときには、アーサーは常にこの塔に騎士たちを集めていたのである。
相談事はもちろん一つしかない。すなわち、老人たちが運んできたローマ帝国からの手紙に対し、どのような返答をするかということである。
招集をかけられた伯爵や王子が続々と集まり、石の塔の階段はたちまち騎士の姿でいっぱいになった。
行列をなした彼らは、階段を登りながらも慌ただしく話し合っていた。
その先頭を会議場に向かって登っていくのは、もちろんアーサー王である。
アーサー王に続いてコーンウォール伯カドールが石段を踏みしめつつ、陽気に話しかけていた。
「さて、我らが国王よ。大変なことになりましたなあ」ローマ帝国に事実上の宣戦布告をされたというのに、この騎士は陽気さを崩さずに楽しげに話している。
他の伯爵では遠慮して言えないようなことも、カドール伯爵はずけずけと言ってのけるのだが、そんな伯爵をアーサー王はことのほか大切にして、助言に耳を傾けるのだった。
「私もしばらくの間考えていたことなのですが、このようなことが起きたのは、ひとえにブリテン人の骨が腐敗していたからではありますまいか。思うに、平和で柔らかな生活が、我らの骨をも柔らかくしてしまったのです。……司教たちも言うではないですか。怠惰こそ美徳の継母であると。[2]柔らかで快適な生活は、若く堅牢な騎士を怠け者に変えてしまい、そうなれば彼の力はみるみる衰えていくのです。彼は美しき女性に抱かれる夢に包まれてしまいますが、実のところ、そんなものは寝室に引きこもる淫らな母親と何も代わらぬものです。彼は怠惰という柔らかな手に抱き寄せられ、そして楽しい夢物語とサイコロによって浪費してしまいましょう。彼の衣服は女性を空想するために、あるいはもっと浅ましい欲望のために失われてしまいます。約束された平和と安息は、結局のところ、ブリテンに害悪しかもたらさないのです。……そんな堕落した我らの脇腹を肘で小突くものがいるとしたら、それは神の賞賛を受けるべきものでしょう。私が思うに、此度のローマ帝国の挑戦は、我らを安穏という夢から目覚めさせようという神の計らいなのではないでしょうか。……もしもローマ人たちが、かの手紙に書かれていたことを実行できるほどの力を備えているとお思いであれば……。ブリテン人も生まれながらにして勇敢で堅牢であることを、そして、それは微塵も失われていないことを、今こそ確かめるのです。……私は戦士ゆえ、長きに渡る平和には愛されることはありませんし、また、私も愛することはありません。なぜなら、安穏とは戦争よりも更に醜悪なものだからです」
若者の堕落を憂うのが老兵の役目とは言え、ここまで言われては、後に続いて階段を登っている若い騎士たちも面白いはずがない。
そんな中、階段に若者の声が響き渡った。
「聞き捨てなりませんな、カドール卿」言ったのは、すぐ横を歩いていた若き騎士、ガウェインである。若者を代表するかのように、ガウェインはコーンウォール伯に笑いかけた。
「我が信仰にかけて、若者たちが安穏に浸りきった挙句にローマ帝国を恐れている、などとは考えないでいただきたいものです。戦争の末に勝ち取る平和とは、それは喜ばしいものです。草はよりいっそう緑色を濃くし、それにより、更なる豊富な収穫を期待できます。これらはすべて、平和あってのことです。陽気な物語に歌……結構ではないですか。そして柔らかな女性の愛……若者を勇気づけるのにこれ以上の快さが、他におありですか。……夢を見て輝く瞳。そして、友人たちの尊敬。これらに支えられてこそ、見習い騎士は一人前へと成長し、そして騎士道精神を学んでいくものなのですよ」
カドール伯爵はガウェインの反撃に楽しげに聞き入って、その言葉が途切れた時、ニヤリと笑った。
「ま、そのようなことも、あるやも知れぬな」
特にそれ以上論戦をしかけるでもなく、短く肯定する。
その双眸には、反論してきた生意気な若者に対する怒りなどはなく、むしろ、笑みさえ浮かんでいる。
若者の弱々しさを憂いていた当人なのだ。あるいは、臆することなく老兵に論説を挑む若者がいたことを喜ばしく思っているのかも知れない。
ともあれ、このような言葉が交わされる中、アーサー王は階段を登り切った。
巨人の塔の最上階。会議の場である。
アーサーが席についた後も、騎士たちは次から次へと階段を上がって部屋に入ってくる。その様子を眺めながら、アーサー王は一人静かに物思いにふけっていた。
そして、ようやく最後の一人の騎士が階段を登り切って席につく。
アーサーの言葉を待ち、会議場は静けさに包まれた。
こほん、と咳払いが響く。
「今ここに、私とともにいる貴族たち……」アーサー王は会議場を見渡して、言葉を選び直した。
「……いや、仲間たちよ。そして、仲間に等しい友人たちよ。しばし、私の言葉に耳を貸して欲しい」
会議場は静まり返り、その場にいる全員がアーサー王の言葉にじっと耳を傾けていた。
アーサーは、目を閉じて過去に思いを馳せる。そして、ゆっくりと口を開いた。
「善き日にせよ、悪しき日にせよ、私がこれまでに重ねてきた数々の戦いを、たった一人で生き抜くことが出来ただろうか。私一人で、これらの偉業を成し遂げることが、出来ただろうか? もちろん、否である。……在りし日々、我らは常に勝利と敗北をともに味わってきたではないか。戦いに勝って戦利品を得た時も、苦しい戦いの中で馬や財産を失った時も、私は常にそなた達とともにあり、そなた達もまた、私とともにあった。困難な時にそなた達が助けてくれたからこそ、私は数多くの戦いに勝利する事ができたのだ。山や海を超えて、遠く……あるいは近く、様々な国々へと私を連れて行ってくれたのは、他でもない、そなた達である。戦いにおいても、相談事においても、私はいつもそなたたちの忠実さと誠実さを見出し、助けられてきたのだ。そして、そなた達の武勇があってこそ、私は数多くの国々を従属させ、その財産を維持することが出来たのだ」
思えば、父王ウーサー・ペンドラゴンが死に、若干十五歳のアーサーが即位したその時から、彼ら騎士たちはずっとともにいて、支えてくれていたのだ。
そして、それから三十年以上の月日が流れている。その間に起きた戦いや遠征において、アーサーの期待に応えなかった騎士は、ひとりとしていなかった。
戦いだけでなく相談事においても、アーサーの騎士たちは常にアーサーのために最良の助言を与えてくれたのだ。
そのことを改めて確認した上で、アーサーは再び勢揃いした騎士たちの顔を見渡して、言葉を続けた。
「そして、今一度、そなた達の力を借して欲しい。私の考えを聞き、意見を聞かせて欲しいのだ」
「もちろんですとも。このカドール、今こそ数々の御恩をお返しするとき」
「王よ、是非とも考えをお聞かせください」
騎士たちが口々に促すと、アーサーは深く頷いて本題に入った。
「そなた達も私とともに聞いたであろう。ローマの大使が読み上げた手紙の内容を。そして、彼らの要求に私が従わなかったときの脅しの言葉を。そなた達も憤りを抑えきれまい。彼らは我らブリテン王国に対し、明らかな害意をもっている。そして、我々に厳しい損害を与えようと考えている」
それは、ブリテン王国に降りかかった最大の事件と言っても良い。言って見れば、アーサー王はあまりにも強大すぎたのだ。その力はブリテン島などには到底収まりきれず、北の島々を、そしてフランスにまで及んだ。
しかし、その強大な力は、ローマ帝国にとっては脅威でしかなかったのだ。
ゲルマンという辺境から来たサクソン人とは話が違う。キリスト教の中心地として最も栄えており、最も強大な勢力を誇る帝国が、ブリテン王国に戦いを挑んできた。
聖職者によっては、ローマと事を構えることは、キリスト教と事を構えるのに等しいというかも知れない。
アーサーは騎士たちのそんな不安を払拭しようとばかりに、力強く言った。
「騎士たちよ、よく考えてみるのだ。もしも、神がローマ帝国に微笑んでいるというのであれば、その微笑みは災禍となって、とっくに我らの上に降り注いでいるはずではないか。……つまり、彼らの行いは、神の御心に背いたものではないのか?……確かにローマ帝国は強大である。我らを凌ぐほどに裕福な財産を持っていて、更に偉大な軍事力をも抱えている。……だからこそ、彼らの手紙への返事は慎重に考えねばならないのだ。我々は何を言い、何をすべきかを。……目的地を見出した闘士は、そこへ最も速く至れる道を探すだろう。矢が飛び交い始めたら、前線にいた隊長は盾の下に身を隠そうとするだろう。我々も同じように用心深く、注意深く、すべきことを見極めねばならないのだ。ローマ皇帝ルシウスは、我々ブリテン王国に対して損害を与えようとしている。そして、そこには彼らなりの正義があるのだろう。……だが、彼らの言い分が正義であるというのなら、同じことが我らにも言える。彼が我らに与えようとした損害は、そのまま彼の頭上に落ちることとなろう。……今日、彼はブリテンや周囲の島々に対して貢物を要求し、そして明日にはフランスを思いのままにして、貢物を奪おうと考えている。そう、彼らはあくまでも貢物を要求しているのだ。ならば、ブリテンも賢さを込めた返事を考えなければならぬ」
アーサーの考えでは、ただ戦えばそれで良いというわけではないのだ。
世界最強のローマ帝国と戦って勝利するというだけでなく、その勝利に相応しい大義もまた必要だった。
「なるほど、確かにブリテン王国はかつてシーザーによって征服されたことがある。……思うに、当時のブリテンには強い王者がいなかったのだ。シーザーの軍隊に対して、どうやって踏みとどまればよいのか、誰も知らなかった。そして、否応なしに貢物を奪われる結果となったのだ。だが、勇気も武勲もない、そんな征服はただの暴力ではないか。そこに正義などはなく、思い上がりを増長させ、膨れ上がらせるだけだ。暴力と悪行によって我らに押し付けられた法律など、いったいどこに守る必要があるというのだ。仮に、かつてローマ人が力尽くで我らの法を掌握したとしても、古より続く権利によって、この土地は我らのものだと定められているではないか!」
「王よ、その通りです!」
「騎士道精神なき戦いなどに、なんの価値がありましょうや!」
騎士が口々に賛同を唱えるのに、アーサー王は深く頷いて続けた。
「今、ローマ人が我らの行為を非難しているのは、ひとえにシーザーが我らの先祖に恥辱と損害を与えたからという理由にすぎない。きっと、我らの先祖は復讐を誓ったことだろう。土地も、そこから得られる収穫さえも奪い、小指が父親の腰よりも太くなるほどに肥え太ったローマ人への復讐を。そのことを、今こそ奴らに思い知らせねばならぬ。憎悪は更なる憎悪を引き起こし、悪意によって振るわれた物事はすべて、悪意を振るった本人へとそのまま跳ね返されるのだ。しかし、それにも関わらず、彼らは今日、脅しとともにやってきて、貢物を要求していった。自らの行為は棚に上げて、我々の行動を法に背く悪事として非難している。……もしも奴らの要求を受け入れたならば、我々には悲しみと恥辱しか取り分は残されないであろう。しかし、もしもローマ人が昔からブリテンから貢物を受け取っていたという過去を理由として、今もなお貢物を要求するのであれば、まったく同じ理由によって、むしろ我々のほうこそがローマ人に貢物を要求できるはずである。……そなた達の中には知っているものもいよう。いにしえの日々、ブリテン人として生を受けた二人の兄弟がいたことを。すなわちベリヌス、在りし日のブリテン王である。そして、ブルゴーニュの侯爵ブレナス。ともに聡明で、勇猛果敢な君主だったと伝えられている。二人の闘士は、兵を引き連れてローマを包囲し、そして嵐という神の助力によってこの街を我がものとしたのだ」[3]
「そんなことが……」
「我らブリテン王国がローマ帝国を……それは、まことでありますか?」
若い騎士の中からは驚嘆の声が上がる。
アーサー王はその声に深く頷いて、自分たちの先祖であるベリヌス王の活躍を語って聞かせた。
「ローマを従属させた彼らは、貢物を受け取る約束をして人質まで受け取ったのだ。……にも関わらず、ローマ人は約束を違えた。そのため、二〇と四人の人質は、ローマ人への見せしめとして吊るされたのだ。そして、ベリヌス王はローマをブレナスの手に委ね、ブリテンへと帰っていったという」
言葉が途切れるのを待っていたかのように、老騎士が嬉しそうに口を挟んだ。
今では忘れている者も多いブリテン王国のかつての栄光を、この聡明な国王が知っていたことが嬉しくてたまらないといった様子である。
「となればアーサー王よ、ここはコンスタンティン王の話もせねばなりませんな?」
「うむ」
アーサー王も笑顔で応じる。
そして、ベリヌス王よりもずっと後の時代の出来事について話をはじめた。
「ルシウスよりも前にローマを支配していた、ヘレナの息子コンスタンティン[4]は、ベリヌスの血を引くものである。また、それ以前にブリテンを統治していたマクシミアン[5]もまた、フランスとゲルマンを征服した後、聖バーナード山を越えてローマに乗り込み、これを従属させるための道筋を作ったのだ。これらの力強い王たちは、すべて私と血の繋がりのある親族である。そして、そのいずれもがローマの主人だった。……であるならば、私はブリテン王であるというだけでなく、ローマ皇帝をも名乗るべきではないのか。父親の権利を息子が引き継ぐことは神の摂理である。これに反対できるものは誰一人としておるまい。……確かにローマ人はかつてブリテンを支配し、貢物を奪っていった。しかし同じように、私の先祖たちもまたローマを服従させ、貢物を受け取っていたのだ。彼らがブリテンの権利を要求するのならば、私はローマの権利を要求しようではないか!」
「王よ! よくぞ申された!」
「アーサー王こそ、まさしくローマ帝国を従えるに相応しい御方」
老いたものも、若きものも、すべての騎士たちがアーサー王の言葉を賞賛する。
それを片手で制しつつ、アーサーは話を終えようとしていた。
「これが、ブリテン王国とローマ帝国に関する私の相談事であり、そして私自身の結論でもある。……皆の者は、どう考えるかを聞かせて欲しい」
老騎士カドールが、にこにこと笑いながらアーサー王に進言した。
「しかしながら王よ。まことに筋の通った話なれど、ルシウスの奴めは納得いたしますまいなあ」
「その通りだ。もちろん、ローマ人がおとなしく納得するはずがない。……ゆえに、この決着は戦場で付けるべきではなかろうか。より強いものが封土とそこからの収穫を手にすることが出来るのだ」
「神の審判に委ねる……と言うわけですな?」
「そうだ。そもそも、フランスをはじめとした国々を、ローマは満足に維持すらできていないではないか。手に収まりきれないものを望むことが間違いなのだ。……あるいは、彼らはフランスの土地にあまり関心がなかったのかも知れぬ。あるいは、単に力が足りずに統治できなかっただけかも知れぬ。……いずれにせよ、ローマにはフランスを統治する権利などない。彼らが争いを引き起こすのは、権利を守るためではなく、ひとえに貪欲さによるものだ。飽くことを知らぬ貪欲さのために、皇帝は嘆かんばかりに我々を恫喝しているのだ」
「その通りです! 現に王がフロロと戦っている間、ルシウスは何をしておりましたか? ただ指を咥えて見ていただけではないですか」
「アーサー王がフランスを治めてから、すでに九年が経っております。今になってから権利を主張するなど、愚の骨頂というもの」
騎士たちの言葉に頷き、アーサーは椅子から立ち上がった。そして、力強く宣言した。
「なればこそ! 今、最も強い正義を持つものが、土地を所有することとしようではないか!」
会議場は、怒涛のような歓声に包まれる。すべての騎士たちがアーサー王の勇敢な決断に大いに喜んでいた。
その騒音の中、アーサー王は再び片手を上げて制する。
騎士たちの声も潮が引くがごとく静まり返った。
話の締めくくりとして、アーサー王は静かに告げた。
「私は、彼によって我々が傷つくことのないよう、神に祈ろう。……我らの土地や財産を奪おうという彼らの目論見。我らを捕虜にしてローマに縛り付けようとする彼らの魂胆。……我らは、必要以上に心配するべきではないし、彼らの言葉に恐れおののく必要もない。もしも彼らがその傲慢さゆえに我らに害をなそうとするならば……。神よ、願わくば、彼らがローマに引き返すとき、二度と我々を恫喝しようなどとは考えておらぬことを! 我らはローマの挑戦を受けて立とう。そして、神の裁きにすべてを委ねようではないか。誰がブリテンの、そしてフランスの権利を維持できるのか、なにもかもを主の御手に預けるのだ!」
[1]ルシウス・ティベリウス(Lucius Tiberius)……架空のローマ皇帝です。ほとんどすべてのアーサー王伝説において敵役として登場します。
一応、年代的にはコンスタンティヌス三世(下記[4]参照)の次か、その次の代あたりの皇帝ということになりますね。
この辺りからも、ブリュ物語の舞台が西暦何年ごろを想定しているのかを推測できて楽しいです。
[2]継母(stepdame)……童話や昔話では継母といえば悪役が相場ですが、これはブリュ物語が作られた当時にはすでに確立していた役回りのようですね。
[3]ベリヌス(Belinus)とブレナス(Brennus)……ブリタニア列王史について調べると、wikiにてこの名を見つけることが出来ます。それによれば、紀元前387年にローマを侵略したガリアの族長ブレンヌス(Brennus)あるいはブレヌス(Brennos)と呼ばれた人物がモデルになっているようで、いつの間にかブリテン出身に、更に二人に別れて伝わってしまったようです。
私の翻訳したブリュ物語は、正確にはブリュ物語(Roman de Brut)の中でもアーサー王が活躍する部分(Arthurian Chronicles)に限られているので、これ以前のパートを見つけることができれば、ブリュ物語の中でもこの名前を見出せるかもしれませんね。
[4]コンスタンティン(Constantine)……ローマ帝国のコンスタンティヌス大帝(Constantinus、306年~337年)を指していると考えて間違いないでしょう。
私はローマ帝国の歴史には疎いので詳しいことはわかりませんが、母親の名が「ヘレナ」である点、ヘレナがブリテン出身である点など、露骨な共通点が見出せます。
また、ブリュ物語(の翻訳箇所)においては、ここで言うコンスタンティンが当作品の第一話に登場するコンスタンティンとどういった関係なのかは書かれていません。
なお、ブリタニア列王史のwikiを見ると、アーサー王の祖父のコンスタンティンは大帝ではなくコンスタンティヌス三世(Constantine III、407年~411年)に当たるということです。
[5]マクシミアン(Maximian)……ローマ帝国の歴代皇帝の名前を探すと、比較的近い名前が三人ほど見つかりますが、ブリテンやゲルマン、ガリアなどとの関わり方などから鑑みるに、マクシミアヌス(Maximianus、286年~311年)がモデルになっていると思われます。




