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第二話 ピクト人/コンスタントの死/ボルティゲルン王

 神の戒律に背いた若き王を、王国の誰ひとりとして認めることはなかった。

 彼の行く手には、悲惨な未来しかなかったのだ。だが、それを悲しむものすらいなかった。

 コンスタントは父にとって代わり、王権を完全に掌握したが、それは形ばかりのものだった。議会のすべては、すでにボルティゲルンの手中にあったのだ。

 あの退屈な修道院から救い出してくれたボルティゲルンを、王は誰よりも深く信頼していた。今や、彼が喜ぶすべてのことを迷うことなく命じ、彼が必要としたことには、ろくに考えもせずに同意するのだった。

 ボルティゲルンは、ひとりほくそ笑んでいた。

 実のところ、彼はコンスタントをひと目見た瞬間から、修道院で育てられた若い王子が、おそろしく世間知らずなお坊ちゃまであることを見抜いていたのだ。

 アレリウスとウーサー。二人の兄弟はいまだ幼い。そして、長男のコンスタントはボルティゲルンの傀儡となった。

 王宮がまともに機能していない今、王国は荒れ果てる一方である。王国の有力な領主は次々に没落し、悪人どもは跋扈し、国民は苦しみと不安のなかで暮らしている。

 この状況こそ、ボルティゲルンが待ち望んでいた機会だったのだ。


 ――さあ、今こそ、ボルティゲルンから目を離してはならぬ。

 この男が王国を手に入れるために画策していた、あらゆる悪巧みに注意を払うのだ――


「陛下、ご存じですか」頃合いを見計らい、彼は切り出した。

「ノルウェー人やデーン人[1]の海賊どもが集まりつつあります。我々の騎士が減り、王国が疲弊していくのに付け入って、奴らは王国を襲い、あなたの街を略奪し、破壊しようとしてているのですぞ」

 世間知らずゆえにブリテンの外の情勢をまったく知らないコンスタント王には、まさしく寝耳に水の話だったろう。驚きを顔にあらわす王を前に、ボルティゲルンは続けた。

「事態は一刻を争います。今すぐ、あなたの部下を率いて王国とあなた自身を守らねばなりません。まずは、簡単には破られない陣地に食料を配備してください。そして、戦いのための塔を整備するのです」

 次々に的確な指示を下すボルティゲルンの前に、今や若い国王はひとかけらの疑念すら持っていなかった。

 それを見計らい、ボルティゲルンは用意していた悪魔の言葉を囁いた。

「特に……裏切り者にご注意くださいますよう。奴らは、あなたの城が襲われていても、決して手助けはしないでしょう。連中は、最後の最後まで敵に抱き込まれたままです」

 その言葉に、コンスタントは青ざめた。なぜなら、彼には心当たりがあったのだ。

 言うまでもない。彼は、修道院での生活を神との誓約とともにすべて捨て去り、その王冠を頭上に戴くのに、司教の洗礼はおろか、貴族たちの同意すらも得ていなかったのだ。

 今更、彼が海賊たちと戦うために味方を募ったところで、いったいどれほどの仲間が集まるだろうか。

 それは、コンスタント自身が、嫌というほどに理解していたことだ。

「もしも、あなたがこの忠告に対し、正当かつ迅速に行動しないのであれば……」

 凍り付いた国王を前に、ボルティゲルンは冷ややかに告げた。

「この王国は、別の誰かが支配することとなるでしょうな」

「わかった」コンスタントは、呪縛を振り払わんとばかりに即答した。いずれにせよ、彼には選択肢など残されてはいなかったのだ。

「そなたに必要なすべてを授ける。そして、そなたの行うすべてのことを承認する。私よりも賢いそなたの知性をもって、この新たな難題にとりかかるのだ」

 彼にできることは、これだけだった。ボルティゲルン以外に味方がいない。その事実に対する恐怖が、自身を破滅へと導いたのだ。

「私はそなたに王国のすべてを与えよう。誰にも奪われず、なにひとつ燃やされぬために。街、邸宅、物資、財宝。これらはすべて城守たるそなたのものだ。そなたの意思は私の喜びだ。さあ、急いで成すべきことを成すがいい」


 ボルティゲルンはきわめて巧妙で、彼の隠された欲望に気づくものは誰もいなかった。

 国王の許しを得たボルティゲルンは、王国でもっとも強靭な塔に陣取り、手に入れられる限りの財宝を掻き集め、自分のものとした。

 ありとあらゆる富を手中に収めた後、彼は、なにも知らぬ国王の前に再び姿を見せた。彼の野望は、まだ終わってはいなかったのだ。

「もしも、陛下のためになるのであれば、」ボルティゲルンは、例によって甘い言葉で持ちかけた。

「私はスコットランドのピクト人に代理人を送り、彼らの騎手と隊長、さらに彼らの陣地を利用できるようにしておきたいと存じます」

 スコットランドに住み、身体中に刺青を入れていることから「ピクト」と呼ばれているその民族のことを、コンスタントが知っているはずもない。

「ピクト人?」

「そうです。彼らを味方につければ、戦いで不利な状況に陥ったき、支援を呼びかけることができます。彼らを通して、辺境について知ることもできましょう。さらに彼らは、我々とデーン人の間で交渉するための大使としても利用価値があるのです」

 そうでなくともボルティゲルンを信頼しきっているコンスタントである。これだけの利点をまくしたてられては、もはや反対するべくもなかった。

「よし」国王は椅子から立ち上がり、命じた。

「そなたの喜びにおいて命ずる。必要なだけピクト人を連れて来るのだ。そなたが思うままの褒美を彼らに与えるがいい。そのために必要なことであれば、なんであろうと許可しよう」


 ボルティゲルンは、自分のものになった城塞都市に行き、今まで以上に貪欲に財宝を掻き集めた。集めるだけ集めたら、彼はかねてより考えていたとおり、褒美をちらつかせた上で、呼びかけに応えて馳せ参じるようにと、ピクト人に向けて伝令を送った。

 結果、大勢のピクト人が喜び勇んでやってきた。

 ボルティゲルンは、大袈裟なほどに敬意を表して彼らを迎えた。そして、彼らが笑い、楽しんで暮らせるように大量の酒を与え、酔わせることで籠絡した。

 コンスタント王に演説してみせたような、ノルウェー人やデーン人の海賊のことなど、言葉の切れ端にすら出すことはなかった。

 つまるところ、傭兵として集めたものの、なにひとつとして仕事を与えず、酒浸りにして時間を潰させていたのだ。もちろん、ピクト人たちはこの待遇を、ことのほか喜んで享受していた。

 これには多量の富が――ほとんどの場合、それは彼らの飲む酒代だが――必要だったが、ボルティゲルンは国王を騙して巻き上げた財宝をこれに当て、この状況を維持した。

 さらに彼は、ピクト人ひとりひとりの耳元で、甘い言葉を囁くのを忘れてはいなかった。

 ピクト人が、如何に勇敢なのか。

 ピクト人が、如何に不遇な扱いを受け、虐げられているのか。

 そして、不公平に我慢できない自分は、如何にピクト人を憂いているのか。

 自分が、どんなにピクト人たちを信頼して、尊敬しているのか。

 それを聞いたピクト人で、感激のあまり号泣せぬものはひとりとしていなかった。

 むせび泣くピクト人の中に立ち、その肩に優しく手を置くボルティゲルンは、誰よりも礼儀正しく、国王よりも凛としていた。――そう、ピクト人の目に、彼にこそ王座が、いや、王座よりも高い地位が相応しいと映るように。

 ボルティゲルンは、なにも知らずに嬉し泣きをするピクト人を、こうして懐柔していった。

 そして、彼はピクト人を重用し、以前にもまして名誉ある職を与え、王宮の中にも出入りできるように計らった。


 そして、ある日のこと。

 彼らが酒杯の前に長いこと陣取り、全員が心地よく酔っ払っていたとき、ボルティゲルンは、よろよろと足取りもおぼつかない様子であらわれた。

 ピクト人たちの真ん中にやってきた彼は、悲しげな声で挨拶し、さも傷つき、打ちひしがれたふうに装ってみせた。

「私が、心から信頼するものは、お前たちを置いてほかにない」彼は、情けない声で言った。

「私はお前たちに尽くしてきたし、これからも当然そうするだろう。まこと、私に富があればの話だが。……しかし、この王国はすべて、国王ひとりの所有物なのだ。私にはこれ以上、なにも差し出せないし、なにも使えない。私には、国王の贅沢のために、倹約することしかできないのだ」

 それは、ピクト人にとっては、突然の解雇通告に等しかったろう。

 ピクト人の不遇を憂いて、酒浸りの生活を許していた気前の良い雇い主は、おそらく、これ以上の金を使うことを国王から禁じられたのだ。

 ボルティゲルンは、慎重に彼らの顔色を見ながら、演じ続けた。

「しかしながら、私は最後まで王に仕える決意を固めているのだ。残された僅かな財産を使い、私は海の果てで我が領土を探さねばならない。私の持っている土地では、四〇人ぽっちの隊長を養うこともできないからだ」

 突然の別れの言葉に、ピクト人たちの間に動揺が走った。もちろん、彼らが理想の君主だと思い込んでいるボルティゲルンの身を案じてのこともあるが、なによりも、今までどおりの酒浸りの快適な生活ができなくなるという不安があった。

 ピクト人たちの気持ちなど知らず――いや、知り尽くしているからこそ――、ボルティゲルンは哀れな男を装い通した。

「すべてが上手くいったなら、私たちは再び相まみえるだろう。なぜならば、私の心はお前たちとともにあるからだ。お前たちの元を去らねばならぬのは、とても辛い。しかし、いまや私は乞食同然だ。私には、お前たちに請い願うことしかできない。――私の仕事がうまくいった暁には、お前たちが再び私と巡り会えるように」


 果たして、ボルティゲルンの哀れを装った言葉は、まやかしだった。なにもかもが嘘だった。しかし、気持よく酔っ払っていたものたちは、まったく疑うことなく信用してしまった。いまやピクト人にとって、この卑劣な裏切り者の言葉は、絶対の真理となってしまったのだ。

 彼らはすぐさま集まってひそひそと囁いた。

「おい、これから俺たちはどうなっちまうんだ。このままじゃ、気前の良い親分がいなくなっちまうじゃねえか!」

「こうなったら、狂った若造の王様を殺しちまうしかねえ。ボルティゲルンの旦那を王様にしちまうんだ。王国と冠はあいつにこそ相応しいものだ」

「そうだ! 俺たちは、神を捨てやがった修道士の小僧に無理矢理に仕えさせられて、ずうっと我慢してきたんだ」

「俺たちみんな、ボルティゲルンの旦那と一緒に、ひとつ運試しをしようじゃねえか!」

 心が決まったピクト人たちの行動は迅速だった。

 ボルティゲルンによって重用され、ピクト人の多くは王宮にも自由に出入り出来るのだ。彼らを止められるものは、誰もいなかった。

 果たして、若き国王の悲鳴を聞いたものは、いただろうか。叫び声とともに部屋に雪崩れ込んできたピクト人に、国王はなすすべもなかった。

 ピクト人たちは、いとも簡単に国王の腕を捻り上げ、次々に打ちのめした。肩から、頭から、コンスタントの身体で打たれていない箇所はなかった。

 そして、ピクト人は動かなくなった国王の身体を引きずっていき、宿にいたボルティゲルンの前に放り出し、見せつけた。

 彼らは意気揚々と、次々に口走った。良いことをしたと信じ込んでいる彼らを諌めるものは、いない。

「さあ、見てくれ。ボルティゲルンの旦那。俺たちがあんたと王国をぶっとい紐で結びつけてやったんだぜ」

「生意気な国王は死んじまったぞ。俺たちゃ、あんたが去っていくのを防いだんだ」

「さあ、王冠をかぶってくれ。あんたが俺たちの王様になるんだ」

 ボルティゲルンは、国王の顔をじっくりと確かめた。

 そこに倒れている屍が、確かにコンスタントであることを見て、なにもかも自分の思惑通りに運んだことを悟った。

「おお……、なんということを……」

 それは、悲嘆に暮れた声だった。

 誰の耳にも、敬愛する国王の死を心の底から悲しんでいるようにしか聞こえない、そんな声だった。

「貴様ら! いったい、なんということをしたのだ!」

 涙さえ滲ませながら、ボルティゲルンはピクト人に詰め寄った。

 心の中で溢れかえる、抑えきれぬほどの喜びを隠すのに苦労しながらも、しかし、ボルティゲルンはそれを狡猾に隠し通した。

 あとは、下手人を始末するだけである。

 彼は、その場の証人として、ひとりのローマ人をともなって議会に出席し、国王を殺した裏切り者を処刑することを訴えた。もちろん、反対するものなど、誰ひとりとしているはずもない。

 犯行に加わったピクト人はすべて囚えられ、謀反人として頭を打ち落とされ、処刑された。誰ひとりとして逃げ延びたものはいなかった。

 こうして、国王は死に、手を下した謀反人も処刑された。

 ほとんどの市民は、疑うこともなく事の次第に納得していた。何人かは、ボルティゲルンが王の身体に指一本触れていないことを証言するほどだった。

 誰もボルティゲルンを疑いの目で見ておらず、一連の事件がボルティゲルンが仕向けた悪事だと、想像するものさえいなかった。

 ……ごく一部を除いては。


 二人の兄弟はまだ幼く、王国でなにが起きているのか、知る由もなかった。

 しかし、彼らの後見人として定められていたものたちに国王の死が伝えられたとき、彼らにはすべてが理解できたのだ。いったい誰が、どのように王を殺したのかを。

 そして、同時に確信した。国王を殺した謀反人が、良心の呵責もなく、同じ仕打ちをもって二人の兄弟に奉仕しようとしていることを。

 いまや、王国の権力も軍隊も、すべてボルティゲルンの思うままだ。王子の後見人たちでは、幼い兄弟を守り通すことはできない。

 彼らは、なにも知らぬアレリウスとウーサーを連れて、海を渡り、小ブリテン〔ブルターニュ〕へと逃げた。そこは、王族と血の繋がりのあるビューデス王が収めている土地だった。彼らには、この王の慈悲に身を委ねる他に、王子を守るすべがなかった。[2]

 果たして、ビューデス王は礼儀を知る善良な王だった。親類でもある彼らを、ビューデス王は礼儀正しく歓迎したのだ。

 彼は敬意を持って王子たちをテーブルに招き、たくさんの贈物とともに、その高貴な立場に相応しい扱いをした。

 こうして、二人の王子はビューデス王の元で幼年期を過ごすこととなる。


 それからしばらくのち。

 城や砦を徹底的に強化し、王国のすべての街の権益を手中に収めたボルティゲルンは、自分こそが誇り高き王であると宣言していた。

 彼は、ついに目的を果たしたのだ。

 元は、ウェールズの一貴族でしかなかった。コンスタンティンの華々しい戦果と、人々から送られる賞賛の言葉に、暗い情念を燃やすだけの、ただの貴族だった。

 それが、長きに渡り根回しを行い、ピクト人を雇ってコンスタンティンを殺させ、世間知らずのコンスタントを思うままに操って、これもやはりピクト人を利用して殺害し、とうとう今の地位にまで上り詰めたのだ。

 これ以上、望むものは、なにひとつとしてないはずだった。

 しかし彼の心は喜びとはかけ離れていた。きらびやかな王宮に住まい、贅沢の限りを尽くしながらも、これっぽっちも楽しさを感じることはなかった。

 彼の頭を悩ませる原因は、ひとつやふたつではない。

 まず第一に、王国は侵略を受けていた。

 騙され、利用され、その挙句に殺されたピクト人の親族たちが、仲間の仇を討とうと乗り込んできたのだ。

 ノルウェー人やらデーン人やらの侵略といった嘘を王に吹き込んだボルティゲルンだったが、目的を果たした今、当のピクト人によってその嘘が現実になってしまったのだ。

 しかし、それにもまして頭の痛い問題があった。

 それは、海の向こうから風に乗って流れてくる噂である。

 いわく、二人の王子が仲間を集め、自らの王国を取り戻すために、近いうちに帰還するとのことだ。

 噂は王国中を駆け巡った。いや、それはもはや、ただの噂ではなくなっていた。

 ボルティゲルンの圧政に虐げられていた貴族たちは、海の向こうで膨れ上がりつつある巨大な軍隊のもとに次々と馳せ参じ、二人の兄弟を彼らの君主と認めているのだ。


 ――王座を簒奪したボルティゲルンは、まもなく討ち滅ぼされるであろう――


 いまや誰もがそのことを囁き、街はこの話で持ちきりだった。


[1]デーン人(Danes)……現在のデンマーク人。「デンマーク」とは、「デーン人の土地」の意味だそうです。


[2]ブルターニュ(Little Britain)……「小ブリテン」といえば、現代では真っ先に小ブリテン島、すなわちアイルランドを思い浮かべますが(私も最近までそう思い込んでました(汗))、一二世紀の時点ではフランスのブルターニュ半島を示す言葉だったそうです。


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