第十七話 湖の伝説/王妃グウェネヴァー/快進撃
ダンバートン市のほど近く、ロモンド湖のほとりに一人の騎士が佇んでいる。
アーサー王の妹アンナの息子、ホーエルである。彼は、長きにわたってその身を苦しめていた病から、ようやく解放されていた。
サクソン人征伐の戦いでは最初こそ善戦したものの、後の大半を病に倒れたまま過ごしてしまい、挙句にはスコットランド人に捕らえられそうになる有り様だった。
アーサー王に顔向け出来ぬ。
そんな風に自らを責めるホーエルを見かねて、彼の家族たちは病み上がりのホーエルを元気づけようと、美しいロモンド湖を見渡せる場所へと彼を招いたのだ。
病の後引きと己の不甲斐なさに打ちのめされ、やつれ果てていたホーエルだったが、その目に映った湖の光景は、不思議と彼の心を穏やかになだめていった。
彼の目の前に広がるロモンド湖は、海のように雄大でありながら、しんと静まり返ったように波を立てないでいる。ただただ、そこにあるというだけで心を宥めるほどに静まり返っているその光景には、人智を超えた偉大なものの存在を感じずにはいられない。
見渡したロモンド湖には数え切れないほどの岩山が島となって突き出していて、しかも、その一つ一つに鷲が高巣を作っていた。あたかも、海に浮かぶ島々にて人間が城を作り、権利を主張しているように。
そのとき、どの岩山から響いたものか、一羽の鷲が湖の静寂を突き破り、甲高い叫び声を上げた。
すると、それに呼応して湖の反対側の方から別の鷲が叫び声を返す。さらに、別の鷲が応える。叫び声は次々に湖に広がり、水と岩に反響していき、ついには湖全体が雷鳴を放っているのではというほどの大音響となった。
まるで、戦場で何千人もの騎士たちがぶつかり合っているようである。
肌が震えるほどの鳴き声に包まれ、ホーエルはあまりの驚愕に言葉さえも忘れて呆然としていた。
叫ぶ鷲たちは、各々の高巣の上で城を守らんとばかりにぐるぐると回っている。その姿が湖に映り、この世のものとは思えない神秘的な光景を生み出していた。
湖の深さと言い、その水の清らかさと言い、この数々の岩山と鷲の王国と言い、間違いなく、ホーエルはこれまでに見てきた湖のどれよりも美しいと思えた。
あるいは、自分がダンバートンで病に倒れたのは、この光景に出会うための天の采配だったのかも知れない。そう思えるほどにこの光景は美しく、そしてホーエルの荒んだ心を癒していった。
鷲の叫び声は次第に小さくなり、そして、いつしか元の静寂が訪れる。
微動だにせぬまま見入っていたホーエルの背後から、突然声がかけられた。
「美しいものだな」
いつの間にか背後に寄り添うように立っていたのは、叔父であるアーサー王その人だった。アーサー王には子供がおらず、そのためか甥であるホーエルは特に目をかけられ、大切にされてきたのだ。
そのホーエルの心情を慮ってか、アーサー王は甥とともにロモンド湖の光景に見入っていた。
此度の戦いで思うように武勲を挙げられなかったホーエルだが、アーサーはそれを責めるようなことはせず、ただただ彼とこの湖の光景を分かち合っていた。
不意に、口を開いた。
「だが、我が甥ホーエルよ。この湖を見ただけで、この世の神秘をすべて知ったなどと思ってはならぬぞ。この世には、他にも奇跡をもたらす湖がいくつもあるのだ。それを見たら、そなたは驚きを更に増すであろうな」
「叔父上。この湖よりも更に美しい湖があるというのですか? それは、いったいどこに?」
「ここからそう遠くはない土地だ」アーサー王は答え、そちらの方角にあるというのだろうか、ロモンド湖の向こうへと顔を向け、続けた。
「その湖は大きいものではないが、美しい正方形をしているのだ。四方は二〇フィート程度か、深さも五フィートくらいのものだろう」
それは湖というよりも、池と呼ぶのが相応しい大きさといえよう。四角い池とは珍しいが、それがこの湖に匹敵するほどの神秘なのだろうか?
怪訝な顔を見せるホーエルに、アーサーは笑いかけた。
「大きさや形だけでは、神秘のすべてを語ることは出来ぬぞ。この池の奇跡とは、池そのものではなく、そこに住む魚たちなのだ。……ここには数多くの、それこそ色とりどりの美しい魚が沢山住みつき、それぞれの種族は各々四つの隅に陣取っている。そして、彼らが城と決めたその場所からは、決して他の種族のところへ移動しようとはしない。まるで、神に与えられたその場所を守ろうとばかりにな」
それは、まるでこのロモンド湖で戦いを繰り広げる鷲のように、人間の姿を映しているようにも思える。お互いに戦い、誇りを競い合うのも人間ならば、それぞれの城を固く守るのもまた人間の姿である。彼らの世界にもまた、なにかの秩序があるのかもしれない。
「その魚たちがどうして他の隅へと動こうとしないのか。あるいは、魚には乗り越えることの出来ぬ見えない壁がそこにあるのではないか。理由を確かめようとしたものは数多くいたが、誰にもこの神秘を説明できぬ。この美しい正方形が、かつて人の手によって作られたものなのか、それとも神の手による産物なのかも、誰一人として解き明かしたものはいないのだ」
ホーエルは驚きを隠せない。しかしアーサー王はこういった神秘の湖がいくつもあるといったのだ。自然、そちらのほうに興味が向くホーエルだが、果たしてその心を汲んだようにアーサーは微笑んだ。
「もう一つの湖の神秘は、この二つの湖よりも、更にそなたを驚かせるものだぞ。……それは、ウェールズを流れるセヴァーン川の近くにある。この湖には海から水が流れ込んでいるのだが、潮が満ちようが引こうが、決して水位を変えることはなく、常に同じだけの水をたたえている。潮がどんなに高くなろうとも、湖が溢れて岸を覆うことは決してない。むしろ岸が水に覆われるのは、潮が満ちた時ではなく、引いた時なのだ。海が逃げていき潮が引いた時には、この湖は腹の底に貯め込んでいだ水を吐き出し、堤を飲み込む。その波は怒り狂ったかの如くそそり立ち、とても広い範囲が水の下に隠され、何もかもが水と泡でびしょ濡れになってしまうのだ」
その危険な湖は、どうやらウェールズの人々の間でも語り草になっているのか、アーサーの言葉は伝え聞いたものへと変わっていく。
「土地の人々が語り伝えるところによれば、この湖は人を試すという。もしも、身体や衣服がずぶ濡れになったことに腹を立て、この波を睨みつけたものがいたら……。その男は、あっという間に湖に引きずり込まれてしまうのだ。どんなに強い力を持ってしても、それよりも強い波が彼を引きずり込むという。実際に、数多くの男たちがこの湖に挑み、波と戦い、そして波に抱かれて死んでいったのだ。……だが、もしも、男が波に腹を立てずに、そちらを睨むこともなく背中を向けていたのであれば、波は決して彼に害を与えない。彼は堤の上に安全に立ち、彼が望むだけの間、泡に抱かれる快楽を得ることが出来るのだ。そうしたとき、不思議なことにこの男の身体はまったく濡れていないという」
まさしく、神秘の湖といえよう。
ホーエルの心にあるのはただただ驚愕ばかりで、この数々の奇跡の前には、もはや病気で武勲を挙げられなかったことなど、些細なことのように思えてくる。
アーサー王の言葉は、彼の心に驚きという爽やかな風を吹き込み、落ち込んでいた彼の心を立ち直らせていったのである。[1]
アーサー王は湖からホーエルの方へと目を戻し、穏やかに言った。
「ここでの戦いは終わりだな。だが我が甥ホーエルよ、これからは増々忙しくなるぞ。そなたの手を必要とすることも、数多くあろう」
それが、スコットランドにおける戦いの終わりを告げる言葉となった。
アーサー王は楽隊に笛を吹き鳴らすように命じた。クラリオンとトランペット。これらの音が招集の合図となり、彼の親族たちが続々と集まってくるのだ。
そして、アーサー王は正式に戦いが終わったことを正式に告げ、コルグリンにバルドゥルフ、そしてゲルマン王チェルドリックを討伐し、サクソン人を完全に打ち破ったことを宣言した。
こうしてアーサー王は、ヘンギストの代から続いた長きに渡るブリテン王国の苦難に終止符を打ったのである。
彼はブリテンのために戦った勇敢なものたちにねぎらいの言葉をかけ、まずはゆっくり休むようにと各々の家に帰るように命じた。
軍隊はそれぞれの故郷に向かって行進しつつも、彼らの国王を賞賛する言葉を絶やさなかった。
すべてのブリテンの男たちが、声を揃えて誇らしげに言った。
ブリテンの国王、我らがアーサー。彼よりも勇敢な司令官は、かつていなかったと。
戦いのうちに夏が終わり、ブリテン島に冬が訪れた。
アーサー王はスコットランドから南へと移動し、ヨーク市でクリスマスを迎えようとしていた。
だが、ここでキリスト降誕の宴を執り行う前に、すべきことがある。
かつてコルグリンに攻め込まれ、サクソン人の拠点となったヨーク市である。アーサーの目に映ったのは、異教徒によって破壊の限りを尽くされ、かつての王国の誇りを失い堕落しきった、脆弱と貧困にまみれた街だったのだ。
破壊された教会には誰一人として足を踏み入れないまま鎮まり返っており、家々はすべて等しく引き裂かれ、あるいは瓦礫となって地面に崩れていた。
国王は、一人の聖職者を呼び寄せた。勤勉な奉仕に励むものたちの中で、人一倍に神の法を学んだ聖職者ピュラムスである。アーサーは彼に教会を立て直すことを命じ、さらに異教徒に殺されたことで空位になっていた、女子修道会を新設するための役職を任命した。
次に、布告人たちを呼び集め、「すべての善良な男たちは、再び勤勉に働くように」と布告することを命じた。
そしてアーサーはブリテン中の土地に伝令を放ち、異教徒たちに奪われた土地を元に戻すために、ヨークの宮廷に集まるようにと手紙を送った。
そうして続々と集まってきた貴族や領主たちに、アーサー王は彼らのものであった財産を元通りに返してやり、そして、彼らの領地とそこから納められる利益を受け取る権利を確認し、保証した。
そんな中に今、由緒正しい血統を誇る素晴らしい盟友や、立派な家族を多数持っているアーサー王の親族が三人いた。その名を、ロット、アギゼル、そしてウリアンという。
実のところ、この貴族たちの祖先は、ハンバー川の北に広がる広大な土地を所有する伯爵だったのだ。そして、彼らもまた、父親から受け継いだその土地を、何の不都合もなく維持してきた。
アーサーは、この三人にも元々彼らのものであった土地や持ち物を与え、そして財産もすべて返してやった。
三人のうちウリアンを一族の代表として認め、マーレー市の一帯を与えた。さらに、見返りを要求することもせず、彼がこの土地の王であることを布告した。
次にアギゼルには、彼の血統に相応しい領地として、スコットランドが与えられた。
そして最後に、アーサーの妹アンナを妻に持つロットに関しては、ロット自身が長い間自分の力で維持してきたリヨンを王国として正式に承認し、それに加えて沢山の伯爵領を領地として与えた。
正式にリヨン王となったロットは、かの有名な騎士ガウェインの父親となっていた。
ガウェインはまだ若者だったが、その若さからは想像できぬほど礼儀正しく、品格のある騎士として成長していた。
さて、すべての悪しきものを追い払い、古代から続いていきた由緒ある国境を元通りに戻し、王国に平穏を取り戻したアーサーに、ひとつの転機が訪れようとしていた。
すなわち、結婚である。
アーサー王が王妃として選んだのは、グウェネヴァー[2]という名の、健やかで気高い乙女であった。
ローマの血統に連なる彼女は、ブリテン女性の中でも飛び抜けて端正で美しかった。そして、アーサー王に引けをとらないほどに礼儀正しく、その所作の一つ一つは見る元をうっとりとさせるものだった。
彼女を育て上げたのは、先の戦いでもゲルマン王チェルドリックを討ち果たすという武勲を上げた、コーンウォール伯のカドールである。彼もまた、ローマに血の繋がりを持つ、由緒正しい古い血筋の生まれだった。
そんなカドールの従姉妹に当たるのが、王妃となったグウェネヴァーである。
彼女はコーンウォールの立派な城にて、裕福な暮らしと淑女らしい教育を与えられ、カドールによって大切に養われていたのだ。
結婚するに相応しい年齢となった今、彼女はその人となりはもちろんのこと、身にまとっている衣服も素晴らしい物で、カドールによって施された教育の賜物か、王妃として物怖じもせず、その舌は甘美な響きをともなって実によく回った。
アーサー王はすべての愛情をこの女性に注ぎ、彼女をこよなく愛した。
だが、残念なことに、二人の間には子供は生まれず、そして、この先も生まれる兆しは見えなかった。
ヨーク市でキリスト降誕祭と結婚式を終え、そしてブリテンに春が訪れた。
氷が溶けて、風も優しくなり、海の上を旅するのには最適な季節である。こうした日々が訪れると、アーサーはすぐに動き始めた。
すでにサクソン人は征伐した。スコットランド人も晴れてアーサー王の臣下となった。
だが、スコットランド人と戦っている間に、アーサー軍の背後から攻め込もうと企てたものたちがいたのだ。
アイルランド人である。このまま捨て置いては、なにかの契機を見つけてはブリテン王国に乗り込んでくることは目に見えている。
アーサー王は、アイルランド人を征伐し、その土地を支配下に置くべく、船に乗り込んだのだ。
さらに彼は王国中に触れを出し、若くて血気盛んな戦士を集めた。この触れは多くのものを喜ばせた。なぜならば、由緒正しい貴族だけではなく、裕福なものも、そうでないものも、別け隔てなく募っていたからだ。
アーサー王の元で武勲を挙げる好機である。ブリテン中から力強い若者たちが集結し、アーサーの待つ船へと乗り込み、アイルランドへと向かったのだ。
アイルランドに上陸した彼らは、まず拠点を確保すべく周囲の土地へと行軍していく。
数多くの雄牛や雌牛が草を食んでいる肥沃な大地を見た彼らは、この土地をまるごと手に入れ、まずはすべての陣営に最も必要とされる肉と食料をもたらした。
こうしたアーサー軍の動きを聞いて、腹立たしく思うものがいた。もちろん、かつてアーサーに戦いを仕掛けて敗退したアイルランド王ギロマーである。
ギロマーが聞いたところによれば、アーサー王はギロマーをこそ確実に征伐するためにこの土地へやってきたという。
敗北の記憶こそ生々しいものだったが、しかし、アーサー王の軍隊はすでに地域に住むものたちの領域にまで達していたのだ。彼らの農場や財産が、アーサーによって略奪されているという嘆きの声を無視することはできなかった。
彼は、とにもかくにも軍隊を組織して、アーサーを追い払うべく、ブリテン人の支配域へと進軍していき、そして、二つの軍隊は衝突した。
しかしこれは、ギロマーやアイルランド人にとって、きわめて不幸な時間となった。
かつてブリテンに敵対するパッセントという若者に乗せられて、アーサーの叔父であるアレリウスに戦いを挑んだアイルランド人であったが、それから特に大きな戦いを経験することもなく世代が移ってしまい、先の戦いの記憶は薄れてしまっていたのだ。
彼らは、大昔と全く変わらぬまま、鎖帷子も身につけず、兜も被っていなかった。厚い皮の上衣で身を守ることもせず、盾さえも掲げてはいなかった。つまり、棍棒ひとつ握りしめただけの、裸同然だったのだ。
さらに彼らは、弓のことを知らなかった。である以上、彼らがカタパルトや投石機について知っているはずもなかった。[3]
そんなアイルランド人に対して、ブリテン人は弓の名手を数多く揃えていた。
彼らが引き絞った弓から敵の集団の真ん中に矢を打ち込むと、アイルランド人は次々に倒れ、どうにか身体を隠そうと右往左往するものの、しかし弓のことを知らなかった以上、矢の雨から身を隠す場所を用意しているはずもない。
最初の一斉射撃すらアイルランド人は持ちこたえることが出来ず、これだけでほとんど勝負はついてしまった。彼らは戦場から散り散りになって逃げ出し、矢から身を隠せる場所を探し、森や茂み、あるいは近くの街や家に逃げ込んだ。彼らは混乱のあまり、もはや戦うどころではなくなっていた。
それは、彼らの王ギロマーもまったく同じである。かつて戦いを仕掛けた相手がこれほど巨大な力を持っているなど、想像すらしていなかったのだ。
もはやアイルランド王の威厳などかなぐり捨てて、野人のごとく森の奥に姿を隠した。
だが、以前にもギロマーに逃げられたアーサーである。同じことを繰り返さぬためにも、今回ばかりは逃さぬとばかりに、徹底的にアイルランド王を捜索した。森の中で逃げた跡を見つけては追跡し、そうして、ギロマーの上に避けられぬ運命が降りかかったのである。
森の奥でギロマーは捕らえられ、アーサーの前に引き出された。
だが、ことがここに及んだ以上、ギロマーはもはや見苦しく振る舞おうとはしなかった。あるいは、アイルランド人をすべて巻き込んで全滅するほどの愚か者ではなかったということか。
ここまで完全に敗北した以上、ギロマーに出来ることはアーサー王に服従して、彼の臣下になることだけである。
彼はアーサー王に心からの忠誠を誓い、アイルランドのすべては彼の主君となったアーサー王のものであることを認めた。そして、そのアーサー王から授けられた封土として、これまでどおりアイルランド王として君臨することを許された。
アーサーの寛大さに心服したギロマーは、親しい親族を忠誠の証としてアーサー王の元に人質として送り、さらに、一年に一度、アーサー王に貢物を送ることを約束したのだった。
アイルランドを服従させたのち、アーサーは長くそこに留まることはなかった。彼はすぐさま船を出し、先へと進んだのだ。
目的地は遙か北の島、アイスランドである。
そこでのアーサーの戦いは、ほとんど記録に残っていない。それほど迅速に彼はアイスランドを従属させたのだ。アイスランドの住民も自身がアーサー王の臣下となることを認め、この島の統治権をアーサー王に委ねたのだった。
そして今、ここに三人の公爵がいる。
オークニー諸島の王ゴンファル、イェータランド[4]の王ドルダマー、そしてフィンランドの王ロマレックである。彼らは、アイルランドとアイスランドをとんでもない速さで平定したブリテン王の噂を耳にしていた。
次は、自分たちの番ではないか。そう思った彼らは、アーサーが留まっているというアイスランドに斥候を放ち、彼らの様子を知ろうとした。
その結果、やはりアーサーは軍隊を率いて海を渡り、およそ目に映る島々のすべてを支配しようと準備しているという。このままでは、彼らの領土が略奪の憂き目に合うのは避けられまい。
だが、斥候の報告はそれだけではなかった。三つの国から放たれたそれぞれの斥候は、その目で見たアーサー王について、口々に言ったのだ。
アーサー王に匹敵するほどの闘士は世界のどこにもおらず、これほど巧みに戦いを進めることの出来る司令官もまた、どこにもいないと。
この報告を聞いた島の王たちは、困り果てた。アーサー王とことを構えたら、間違いなく彼は襲い掛かってくるだろう。そうなったら土地は荒らされ、数多くの人々が殺されてしまう。
彼らの決断は、一つだった。
むやみにアーサーに立ち向かったところで、悪いことが振りかかるばかりである。ならば、そうなる前に、自分たちの意思で彼の臣下になったほうが良い。
こうして彼らは誰に強制されるでもなく海を渡り、アイスランドに陣を構えているアーサー王の前へと進み出た。
三人の王はアーサー王に沢山の贈り物を捧げ、その足元に跪き、忠誠を誓った。そして彼も彼の領土もすべてアーサーの統治に委ねることを申し出たのである。
他の国がそうしてきたように、これらの王も土地を差し出し、アーサーによって授けられた封土であると認め、アーサーの宝庫のために貢物を差し出すことを誓い、そしてそれらを保証するものとして、人質を差し出した。
こうして自らアーサーの保護下に入った彼らは、平和のうちに自らの領土へと帰っていったのである。
彼らが去ったのち、アーサー王は船を出すように命令した。
周辺の島国はすべてアーサーのものとなった。とりあえず、遠征の結果としては上等である。一旦はイングランドへ帰り、兵を休めせたほうが良い。そう判断したのだ。
こうして、北の周辺国をすべて征服したアーサー王は、王妃グウェネヴァーや彼の臣民の待つイングランドへと凱旋したのであった。
[1]突然アーサー王が語り始める湖の話に違和感を感じる方もいるかも知れません。
これも、おそらくは前回に解説したアイルランド王ギロマーとの戦いと同じで、この地方で語り継がれていた神秘的な湖の伝説を登場させたものと思われます。
ロモンド湖はダンバートン市の上にある巨大な湖として、地図上でもすぐに確認できますが、それ以外の湖については、さすがに難しいですね。
ウェールズ、セヴァーン川沿い、海に近い、これだけの条件では候補が多すぎて、調べるだけでも時間がかかりそうです。
もう一つのロモンド湖付近の池に至っては、二〇フィート(六メートル)四方と非常に小さく、よほど確かな伝承でも見つからない限り、探し出すのは難しいでしょう。
ともあれ、こう言った一見無意味な逸話をあえてワースがブリュ物語に登場させた以上、彼が「この伝説は記さねばならない」と考えるに足る理由があったのだろうと想像できます。いったい、ワースはこれらの湖にどんな思いを持っていたのでしょうね。
[2]グウェネヴァー(Guenevere)……かの有名なアーサー王の王妃です。
ギネヴィア、グウィネヴィア、などの発音が有名ですが、素直に英語読みにすると、このようになります。ヒアリングでは「ゲネバー」といったふうに聞こえるのでしょうか。
彼女はローマの血統に連なると記述されていますが、アーサーの祖父コンスタンティンの王妃もローマの末裔ということでした。
ブリュ物語では少し曖昧に書かれていますが、この先のエピソードで語られるところによれば、コンスタンティンは「かつてローマを従属させた」とあり、明らかにローマ皇帝コンスタンティヌス大帝(306年~337年)をモデルにしていると思われます。
この辺りの信憑性を追求するのは野暮というものですが、ブリュ物語が書かれた時代背景として、「ローマの末裔」「ローマの血統」という響きを、聞き手たる人々がどのように感じていたのかが垣間見えて面白いです。
[3]一応補足しておきますが、弓の起源は紀元前二万年くらいにまで遡ることになり、いくらなんでも「アイルランド人が弓を知らなかった」というのは無理があるように思います。
まるで原始人のごとき扱いになってますね(汗)
[4]イェータランド(Gothland)……スカンジナビア半島の先っぽ、スウェーデンの南西端にあたる地方です。
すぐ近くにゴトランド(Gotland)という島もあり、どちらを指しているのか微妙なところですが、イェータランドは英語綴りで「Gothland」となるので、とりあえずこちらを採用しておきました。




