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第十六話 サクソン人征伐/エクスカリバー/ロモンド湖の戦い

 舞い戻ってきたサクソン人に、バース市が襲われている。

 その報せがアーサー王の元に届いたのは、先の戦いでサクソン人に与したスコットランド人を断罪しようとしていたときだった。

 彼らは、サクソン人のために街を明け渡して軍隊が通るのを助け、食料などを届けて後方支援を続け、更にはサクソン人と一緒になってアーサーの軍隊に襲いかかったりもしたのだ。

 サクソン人が敗退した今、彼らが断罪を受けるのは当然の順番でもあった。

 しかし、そもそもの元凶がいまだに暴れていることが明らかになった今、もはやスコットランド人の相手をしている場合ではなくなってしまった。

 サクソン人も人質のことを忘れたわけではあるまい。しかし、彼らにとって仲間の命などどうでも良いということか。あるいは、ゲルマン王チェルドリックの親族や身内に見せかけて、なんの価値もない雑兵を人質として残していたのかも知れない。

 いずれにせよ、アーサーは人質として預かっていたサクソン人をその場で絞首刑に処し、すぐに軍隊に号令をかけた。

 だが、ひとつ問題があった。

 アーサーのためにブルターニュから駆けつけたホーエルが、なにかの病気にかかって――この病気がどういった原因によるものか記録には残っていない――動けなくなっていたのである。

 かといって、バース市は放っておけば長くは持つまい。そうなったら、サクソン人はロンドンのほど近くに拠点を得ることになってしまう。事態は一刻を争うのだ。

 仕方なくアーサーは、スコットランドのダンバートン市でホーエルを休ませることにした。

 彼の親族や部下の一団を護衛につけ、自らはバース市の住民を助けるために、可能な限りの速さで新たな戦場へと向かったのである。

 バース市は一方がエイヴォン川に面し、他方は木々で覆われている。その森の中にアーサーたちは集結しつつあった。

 街の外壁に沿って流れる川にサクソン人のガレー船がずらりと並んでいるが、軍隊が街を包囲している様子はない。

 見れば、少し離れた山の上にサクソン人の陣地が作られていて、焚き火の煙が上がっていた。どうやらサクソン人はここに陣取って、定期的にバース市を攻めたり、あるいはバース市を出入りする旅人を襲っているらしい。

 その様子を見て、アーサーはすみやかに戦闘態勢を整えさせた。親族たちに武具を引き締めるように言って回り、もちろんアーサー自らも剣と兜、そして鎖帷子に身を包んでいた。

 ここでアーサーのいでたちに触れておこう。

 アーサーの武具のうち、脛当ては素晴らしい腕前を持つ鍛冶屋の手で作られた、頑丈で美しいものだった。

 鎖帷子は、まさに権勢を誇る国王に相応しく、きらきらと光り輝く丈夫な鎖で編み込まれ、肩や腰など各所は巧みな彫刻で飾り立てられていた。

 彼がその手に握るのは、エクスカリバーである。[1]

 その強さ、鋭さは巨人のふるう大剣にも匹敵し、刃は際立って長かった。

 この剣はアヴァロンと呼ばれる島で鍛えあげられたもので、これを手に持って振り回すことの出来る人間は、誇るべき男であると言われていた。

 彼の頭には金色に輝く兜が被せられている。

 鼻当ても黄金で造られていて、頭をぐるりと囲むようにたくさんの透明な宝石が散りばめられ、頭の天辺にはドラゴンの彫像を頂いていた。

 この兜は、彼の父親であるウーサー・ペンドラゴンから受け継いだものだった。

 国王が跨るのは、際立って美しい軍馬である。彼が乗るのに相応しい、強く、素早く、何よりも獰猛で戦いを好む馬だった。

 アーサーの首には、彼が率いる屈強な闘士たちや巧みな隊長たちにはっきりと見えるように、盾がかけられている。

 このバックラーには優しげな色あいで聖母マリアの肖像が描かれていた。戦いに際して彼女に敬意を示し、その加護を決して忘れぬために、アーサーは自分の盾に彼女の姿を抱いたのである。

 最後に、彼は槍を持っていた。

 馬で突撃する際にアーサー王はエクスカリバーを鞘に収め、代わりにロンと呼ばれる長槍を携えるのだった。[2]

 その先端は固く鋭く、この打突を受けた盾はことごとく真っ二つに割れるほど素晴らしいもので、突撃の号令に合わせてアーサー王がこの長槍を高々と掲げると、それだけで軍隊の士気は大いに上がったのである。

 さて、準備を整えたアーサーは、彼の隊長たちに次々と指示し、いよいよ戦闘開始を命じた。

 彼は血気に流行る隊列を抑え、ゆっくりと行軍した。

 ばらばらに突き進んでは仲間との連携が取れず、たちどころに浮足立ってしまうからである。

 そうして彼らはサクソン人の陣取っている山の麓に辿り着き、そのまま丘を登り始めた。

 見上げると、サクソン人は山頂に壁を作ってこの陣地を強固に維持していた。危なくなったら、この壁に速やかに逃げこんで閉じこもるというわけである。

 彼らにはそうするだけの理由があった。なぜなら、ブリテンに留まる限り、アーサーは決してサクソン人の存在を許さないことを、彼ら自身がよくわかっていたからだ。

 アーサーは槍兵を率いて丘を登って行き、山頂の砦が近くなったところで足を止め、軍隊に向けて振り返った。

「見るがいい」アーサー王は間近に迫ったサクソン人の陣地を指し示した。

「そなたたちの親類に縁者、近しいものを殺し、略奪の限りを働いたサクソン人が、不誠実で憎むべき異教徒が見えるだろう。あそこにいる一人一人、すべてのものが我らの宝や愛するものを破壊し、殺したのだ」

 アーサーは軍隊のほうに向き直り、さらに力強く声をあげた。

「今こそ、そなたたちの友人や親族のために、復讐を果たすのだ。奴らに荒廃させられ、燃やされたブリテンのために、復讐を果たすのだ! 失われたすべて、長きにわたって奴らに与えられた我らの苦しみのために、復讐を果たすのだ! 今日、これまでに受けた痛烈な悲しみのために、そして私自身のために、復讐を果たそう! あの嘘つきのサクソン人どもによって破られた誓いのために、復讐を果たそう! 我が父ウーサー・ペンドラゴン、彼の血が嘆き悲しんでいるのを、宥めるために! 今日、これまでに私が費やした喪失と悲しみの対価を、力尽くで支払わせてやる! そして、奴らがトトネスへと舞い戻ってくるように仕向けた悪意に対し、復讐を果たすのだ! 今日、我らが男らしく立ち向かい、異教徒どもを素早く打ちのめしたならば、奴らは二度と我らの前で堂々と振る舞うことは出来まい。奴らに許されるのは、盾すら持たずに裸でうろつくことだけだ!」

 一連の言葉を終え、アーサーはバックラーに描かれた聖母マリアの肖像を高々と掲げ、エクスカリバーを大きく振り回し、軍勢を鼓舞した。

 おりしも、アーサーが無防備に盾を掲げるのを、ずっと物陰で待っていたサクソン人――この男の名も伝えられてはいない――がいた。彼は、盾を掲げて胴体ががら空きになったと見るや、物陰から飛び出して、アーサーに躍りかかった。

 誰もがあっと息を呑んだ。

 だが、アーサーは盾を掲げてはいたが、油断していたわけではなかった。大きく振り回していたエクスカリバー、その旋回は飛びかかってきたサクソン人へと一直線に向かったのだ。そして、金属の光がきらめいた次の瞬間には、サクソン人は深々と切り裂かれ、アーサーの足元に血溜まりを作っていた。

 アーサーは驚くこともないと言わんばかりに屍を踏み越え、行軍を開始しつつ叫んだ。

「神の加護を! 聖母マリアよ、我らを守りたまえ!」踏み越えた屍を指して、軍勢に向けて言った。

「見よ! この男は、ブリテン王国にて一晩の宿を求め、さっそく対価を二倍にして支払うことになったのだ! 力尽くで支払わせてやったのだ!」

 この言葉を皮切りに、ブリテン人の士気は最大限に膨れ上がった。こうなったら、もはや留めることは出来ない。

 彼らは国王のためにと、我先にサクソン人の陣地へと突進した。そして、凄惨なほどの勢いでサクソン人を殺して回った。

 すでに山頂の陣地はアーサー軍によってぐるりと取り囲まれている。彼らはすべての方向からサクソン人を押し包み、槍で突いては剣で打ちのめしていった。

 だが、その中でもアーサーの武勇は鬼神の如きものだった。

 すでにその強さは人間のそれを超越していたと言えよう。偉大な力を身にまとい、掲げた盾とエクスカリバーの凄まじい打撃とともに、彼はほとんど一人で山頂までの道を切り開いたのだ。

 彼が右へ左へと剣をふるい大勢のサクソン人を殺して回っている間、周囲では乱戦となり、雑踏の中で屈強な闘士たちが戦っていた。

 この日、アーサーがたった一人で殺したサクソン人の数は、四百人にも登った。それは、彼の部下が殺したすべてのサクソン人よりも大きな数だった。[3]

 その戦いの中で、サクソン人の隊長たちにもまた、悲惨な終焉が訪れていた。

 バルドゥルフとコルグリン。サクソン人が頼みとしていた二人の男が、この山で命を落としたのだ。

 しかし、ゲルマン王チェルドリックはからくも戦場から生きて逃れていた。命からがら山を降りた彼は、真っ先にガレー船を探した。自身が乗り込み、可能な限り武装して身を守るためである。


 死体の中にチェルドリックがいない。

 彼が逃亡し、どうやらコーンウォール周辺で船を探しているらしいという報告を受けたアーサーは、すぐさま一人の騎士を呼んだ。ヨークの戦いで活躍を見せたカドール伯爵である。

 アーサーは彼にチェルドリックの追撃を命じ、自身が抱えている親密な部下の中でも最も優れた一万人の騎兵を選りすぐり、カドールに与えたのだった。

 カドールにチェルドリックの追撃を任せた上で、アーサー自身はスコットランドへと出立する準備を整えていた。彼のもとに、急を要する報せが届けられていたのだ。

 それによれば、病身のホーエルが療養しているダンバートン市がスコットランド人の軍勢に襲われているという。彼のもとに残した部下だけでは、とても守りきれない。ぐずぐずしていると、ホーエルは囚われの身となってしまうであろう。

 アーサーは逃げまわるチェルドリックをカドール伯爵にまかせて、自身はホーエル救出のために、全力でスコットランドに向かったのである。

 一方その頃、ゲルマン王はコーンウォールを回って、サクソン人が乗り捨てたガレー船を探していた。そして、最初に上陸したトトネス港の近くに、どうやらまだ使用に耐える船が何隻か残っているという報せを受け、急いでそこに向かっていた。

 だが、その考えもまた上手くは行かなかった。アーサーがカドール伯爵にこの仕事を任せたのは、単に彼が強い騎士だからというだけではない。

 彼はコーンウォール伯であり、この土地はカドールにとっては庭のようなものだった。そこまで考えてアーサーは采配していたのだ。

 カドール伯爵は近道に近道を重ね、あっという間にチェルドリックに追いつき、そして追い越し、彼らよりも先にサクソン人のガレー船を見つけてしまった。

 サクソン人に蹂躙されたトトネスである。彼らを殲滅するために帰ってきたカドールに、率先して協力するものは多かった。ガレー船を掌握した彼らは、弓兵や馴染みの土地の住人たちを配置し、そしてチェルドリックを追跡させた。

 こうして準備を整えて待っていたところ、二人あるいは三人程度の小さな集団がいくつも、物陰に隠れながらこそこそと迫ってくるのが見えた。

 彼らはより身軽に、より機敏に走るために、剣一本のほかは盾も鎖帷子も捨てて、裸同然でガレー船を目指していた。船に乗りさえすればこの苦しみから逃れられる。サクソン人はそう信じて、裸足で岩を踏む苦痛に耐えて懸命に走っていたのだ。

 だが、彼らがテイン川と呼ばれる流れを越えて、ようやくトトネスにたどり着いたと思ったそのとき、カドールは狩人と化した。

 先回りをされるなど、想像すらしていなかったサクソン人である。彼らの驚きは計り知れないものとなり、もはや戦いに応じるまでもなく、一目散に逃げ出した。

 彼らの多くはテネディック山と呼ばれる険しい山岳地帯に逃げたが、この土地に詳しいカドールの前には、まったくの無駄であった。

 どこへ逃げても確実に見つけ出され、サクソン人は次々に殺された。そしてついにカドール伯爵はチェルドリックを追い詰め、ほとんど戦いにもならないままゲルマン王にとどめを刺したのだった。

 散り散りになったサクソン人は、あちこちの土地で船を探してゲルマンの地へ逃げ帰ろうと試みたが、しかし、既にあらゆる港に弓兵が配置されていた。

 彼らはガレー船に近づこうとして弓で射られるか、あるいは船にたどりつけずに溺れて死んでいった。

 ブリテン人はこの期に至っては、もはや捕虜を取ろうとはしなかった。

 サクソン人は誓いを決して守らない。彼らの命乞いを聞くことは、ブリテンに災いの種を残すことにほかならない。これまでの苦難で、彼らはそのことをはっきりと学んでいたのだ。

 泣き叫びながら慈悲を乞うものもいたが、ブリテン人は耳を貸そうとはしなかった。戦意を失ったものであろうが、悪あがきを見せるものであろうが、一人残らず剣によって殺された。

 辛くも生き残ったサクソン人は巨大な軍隊から逃げ惑い、森と山に覆われた土地へと逃げこんでいった。

 このような次第で、荒廃した不毛の地で彼らは息を潜めたのだ。そして、飢えと乾きが限界を迎えるまで隠れていて、耐え切れずに出て行ったものは殺された。

 アーサーによるサクソン人の征伐は、こうしてひと通りの決着を見せたのである。


 チェルドリックを殺したことで、ようやくコーンウォールに平穏が戻ってきた。

 だが、カドール伯爵は休むまもなくアーサー王の後を追ってスコットランドへと出発した。もしかしたら、アーサーはまだ彼の支援を必要としているかもしれないのだ。

 しかし、彼がダンバートン市に到着したときには、すでにスコットランド人の姿は影も形もなく、街にはアーサーの幕舎が建てられていた。アーサーはホーエルの救出に間に合ったのだ。

 ダンバートンを包囲していたスコットランド人は、アーサーの軍勢が迫っていると知るや、即座に撤収してマーレー市にまで下がっていったのだ。

 このため、ホーエルは捕虜に取られることも殺されることもなく、その財産も損なわれずにすんだ。だが、依然として彼は病魔に蝕まれたままだった。

 ともあれ、今度はスコットランド人の征伐である。

 マーレー市に下がった彼らは、塔を強固にした上で門の前に障壁を築き、立てこもった。ここでアーサーを待ち受ける以外には、彼らには身を守る方法が無かったのだ。

 アーサーもまた油断はしていない。スコットランド人はマーレー市を拠点に立ち向かってくると考え、軍隊のすべてを投じてマーレー市に向けて行軍した。

 ただでさえ強力なアーサー軍である。それが全軍で押し寄せてくるのだ。

 もはやスコットランド人は恐怖に駆られ、アーサーを待ち受けるどころではなくなってしまった。彼らは我先にと街を捨てて、ロモンド湖と呼ばれる巨大な湖へと逃げていった。彼らは船を出して湖を渡り、ロモンド湖に無数に浮かぶ小島へと散らばったのだった。

 このロモンド湖は、極めて広く、そして深い湖である。

 ここには周囲の丘と谷から六〇にも及ぶ川が流れ込んで一つにまとまって淡水湖を作り上げており、湖から先は一本の激しい流れとなって海へと至っていた。

 さらに、この湖は六〇の大小様々な島々を浮かべており、そのそれぞれに数えきれないほどの鳥が住み着いて、巣を作っていた。高いところに作られている鳥の巣はすべて猛禽すなわち鷲のもので、それ以外に巣を作る鳥はいなかった。

 この鳥達もまた人間と同じように、ともに鳴き、ともに戦い、そうすることで世界から慰めを得ていたのだ。

 この島々および猛禽たちの真の姿が現れるのは、この王国に邪悪なものがやってきたときである。そうしたものが現れ、王国で略奪を働いたら、すべての鷲は一箇所に集まって大声で騒ぎたて、そして、陣を組んでお互いに誇りを賭けて戦争を始めるのだ。

 一日中、いや二日間、三日間、あるいは四日にも及ぶか。この力強い猛禽たちは、まるで人間の姿を写したかのように戦争を続け、戦うのだ。

 この鳥たちの不思議な戦いは、人々の間では破壊と恐怖の前兆として恐れられていた。


 スコットランド人は湖の島に散らばり、あるいは、より良い隠れ場所を探そうと島と島の間を行ったり来たりしていた。

 だが、そんなことをしている間に、アーサー王の軍勢はこの湖にまで及んでしまったのだ。

 アーサーの前に、島の隠れ場所や秘密の道など、何の意味もない。凄まじい勢いではしけを作り、大勢のブリテン人を載せることが出来る巨大な船や、とてつもない速度でスコットランド人を追い詰めることが出来る小さな船を湖に浮かべたのだ。

 この戦力を前に、スコットランド人はもはや秘密の道を通って隠れ場所に向かうことさえできなくなってしまった。

 彼らは満足に身を隠すことも出来ないまま、剣によって、それを免れたものは植えによって、二十人が、百人が、そして千人が死んでいった。


 そんなおり、アーサーの背後から迫ってくるものがあった。

 アイルランドの王、ギロマーである。[4]

 かつてアーサーの叔父がアイルランドにもたらした苦境の意趣返しをしようとしていたのかも知れない。

 あるいは、敵の敵は味方という理屈でスコットランド人を支援したいと考えていたのかも知れない。

 いずれにせよ、彼は軍勢を率いてアーサーたちをスコットランド人との間で挟み撃ちにしようとした。

 しかし、すでにスコットランド人は壊滅している。アーサーは、アイルランドの軍隊が迫ってきたと知るや、即座に軍勢を転回して彼らを迎え打ったのだ。

 これでは挟み撃ちどころではない。戦いが始まって、ほとんど時間が経たないうちにすでに決着はついていた。

 とても勝ち目はない。そう思ったギロマーとその仲間たちは、大慌てで踵を返し、船に乗り込んでアイルランドへと逃げ帰っていった。

 彼らが持ち帰ったのは、アーサーの軍勢には決して勝てないという敗北の記憶だけとなった。

 そして、アーサーは何事も無かったかのように湖へと戻ってきて、改めてスコットランド人の征伐を始めたのである。


 アーサー軍の目標がアイランド人に向かったと思っていたスコットランド人は、あっという間に戻ってきたアーサーの軍勢に、今度こそ希望を砕かれた。

 ゲルマン王チェルドリックを征伐したカドール伯爵も、サクソン人の命乞いをまったく聞き入れなかったという。彼らに加担したスコットランド人の運命も、同じ道を辿るであろうことは間違いない。

 しかし、それを実行に移すべく号令をかけようとしていたアーサーだったが、その目の端に軍隊とは別の姿が映り、そちらのほうを見た。

 軍勢を割ってやってくるのは、戦士や闘士ではなかった。ボロボロにくたびれてはいるが、その装いから見るに司教や修道士長のようである。さらに、彼らの後ろでは、数多くの修道士たちが何かを運んでくるのが見える。

 ある集団は飾り立てられた棺を、あるものは布切れや人のものらしき骨を、それぞれが何かをアーサーの目の前に並べてみせたのだ。

 一目見て、それがキリスト教における聖者の遺骸が納められた棺であること、布切れや人骨は聖者の聖遺物であることがわかった。

 さすがに聖者の前では戦いを続けるわけにもいかないと、アーサーは軍隊に号令をかけるのを、しばし見送ることにした。

 聖遺物を運んだ修道士たちのあとには、今度は女性たちが続々とやってくる。

 その一人一人が裸足で岩を踏み、髪は風が吹きすさぶままに乱れ、服は裂けて、胸にはそれぞれの子供らしき赤子を抱いていた。どうやら、スコットランドの聖職者や、留守を守っていた妻たちらしい。

 彼ら、そして彼女らは、アーサーの前に跪き、頭を彼の膝の高さにまで降ろして、ほとんど泣き叫びながら訴えた。

「国王陛下! 慈悲と哀れみの心を知る、寛大なる我らの王さま!」アーサーの目の前で跪いたまま、みすぼらしい女性は嘆きの言葉を叫んだ。

「この土地の惨めな男たちは今、飢えと苦難の中で死につつあります。もしも、そなたが憐れみの心を持っていないというのであれば、どうぞ御覧ください! ここにいる赤子と母親を。彼女たちの息子や娘をご覧になって下さい。貴方が死をもたらそうとしている痛ましいものどもの姿を!」

 女性の言葉通り、アーサーの前に集まったものたちは、あるものはくたびれ果て、あるものは夫を戦いで失い、あとは死ぬのを待つばかりといった様相を見せていた。乳もろくに出ないのか、胸に抱かれた子供はがりがりにやせ細っていた。

 女たちは口々に、そして涙を振りまきながらアーサーに訴えた。

「どうか、子供に父親を再び与えてやってください」

「女たちのもとへ夫を帰らせてやってください」

「我ら哀れな女どもを、兄弟や主人に再び会わせてやってください!」

「サクソン人が街を通り抜けることを許したことについての代償は、もう充分ではないでしょうか? なによりも、彼らがこの土地にやってきたことは、私たちだって望んでなんかいませんでした。私たちは、彼らによって酷い苦境に陥っていたのです。異教徒によって、多くの悲しみと苦しみがもたらされ、私たちはずっと苦しんでいました。そして、彼らの吐く呪いの言葉に、心底うんざりしていたのです」

 だが、彼らが異教徒たちに家や食事を提供して、アーサーと戦う力を与えていたのもまた事実である。

 彼らがサクソン人を手助けしなければ、もっと速やかにチェルドリックを征伐できたことは間違いないのだ。

「私たちがサクソン人を家に匿ったことで、見返りを得たとお思いですか? まさか! 拒んだら殺され、拒まずとも、より大きな悲しみが私たちを襲っただけでした。なぜなら、私たちはずっと、彼らの狼藉に耐え続けねばならなかったからです! 彼らは私たちの牛も豚も、すべて殺して食べてしまいました。私たちの宝も根こそぎ奪われました。彼らはそれらをすべてサクソンの土地に送り、私たちには何も残されませんでした」

「…………」

 アーサーが黙って聞き入る中、また別の女性が泣きながら声をあげた。

「私たちを助けてくれるものは、誰一人としていませんでした。スコットランドの男たちでさえ、異教徒から私たちを守れるほど強くはなかったのです。もしも、私たちが彼らに食事を提供したというのであれば、それは、彼らが略奪し尽くし、その食べかすを啜る羽目になることを恐れただけなのです。……力はすべて彼らのものでした。そして、私たちは助けも来ないまま道を彷徨う捕虜同然でした。あのサクソン人は異教徒で、私たちはキリスト教徒です。だからこそ、異教徒たちは私たちをよりいっそう苦しめ、重い負担を課したのです」

 次に口を開いたのは、年老いた聖職者の一人だった。

「しかし、サクソン人が我らにもたらしたのと同じくらいに重大な悲しみがありました。……それは、そなたです」聖職者は、ぶるぶると震える指でアーサーを指さした。

「そなたは、ようやくサクソン人から解放された我らに、よりいっそうの痛みをもたらしたのですぞ。異教徒たちは、鞭のようでした。しかし、いまやそなたは、疲れ果てた我らを突き刺すサソリにほかなりませぬ! 心ならずもサクソン人に加担してしまい、許しを請っているものたちは、今も岩と岩の間で飢えて死につつあるのです。こんな戦いは、敬虔なキリスト教徒である国王陛下にとって、誇りでもなんでもありませぬ!」

 もはや自身の命すらも顧みない聖職者は、ブリテン王を非難することも恐れはしなかった。ここでアーサーの逆鱗に触れて殺されるのも、飢えて全滅するのも、今となってはなにも変わらないからだ。

「このままでは我らは一人残らず死ぬことでしょう。飢えと、ありとあらゆる悲痛によってです。我らには、寒さと惨めさ以外には、何一つ残っておりませぬ。すでにそなたは我らを水の上で壊滅させ、すべてに打ち勝ちました。しかし今、そなたの寛大さを見せて、我らが生きることをお許し頂きとうございまする。……国王陛下の善意によって、我らすべてのものどもを認めることは、必ずや平和をもたらすことでしょう。そして、それはそなたの喜びでもあるはずです」

 いつしか、アーサーの心は激しく痛み、その瞳には涙が溢れそうになっていた。

 慈悲を訴える声は次第に秩序を失い、聖職者も女たちも、口々に叫び続ける。

「貴方の貧しいキリスト教徒に、どうか慈悲を与えてください!」

「私たちは、そして私たちの友人もまた、貴方を信用しているのです!」

「もしも、そなたが王国のすべてを破壊しつくしたら、それはキリスト教の名誉をどれほど傷つけてしまうでしょうか!」

「ああ! それとも、まだそなたは破壊し足りないというのですか!?」

 自分が戦い、追い詰めていたものは、いったい誰だったのか。

 サクソン人は何度も何度も約束を破り、その度にブリテンの民を苦しめてきた。だが、今アーサーが追い詰めているのは、守るべきブリテンの民なのだ。

 彼らをあくまでも罰するというのであれば、彼らをサクソン人の手から守れなかった自分こそ、罰が与えられるべきではないのか。

 そうでなくとも優しい心を持つアーサー王である。もはや、彼の心に怒りはなく、打ちひしがれたスコットランドの人々に対する憐れみでいっぱいだった。

 アーサーは膝にすがりついてくる女の手を取り、見つめてくる視線に対して、思いやりを込めて深く頷いて見せた。

 こうしてアーサーは、痛ましい女たちと聖職者、彼らの運んだ聖遺物の前で、スコットランド人を赦すことを宣言したのだった。

 すでに捕らえていた捕虜の命も助け、彼らは湖に隠れる仲間たちに戦いが終わったことを告げて回った。


 その後、アーサー王の慈悲に感服したスコットランド人は、アーサー王の臣下となることを自ら望み、それを許され、彼らの家へと帰っていったのだった。


[1]エクスカリバー(Excalibur)……もはや説明は不要なほど、あまりにも有名なアーサー王の剣です。

 地球上において「エクスカリバー」という単語が初めて使われたのが、ブリュ物語のこのシーンなのです。

 直訳版を見てもらえれば分かる通り、ブリュ物語においては、

「その強さは大剣のごとく、刀身は長かった。これはアヴァロン島で鍛えられたもので、そして素手で振り回すものは誇るべき男であると見なされていた」

 これだけしか特徴が描かれていません。

 少しがっかりすると同時に、「アヴァロン島で鍛えられた」という聞き慣れないエピソードが好奇心を掻き立ててくれます。


[2]ロン(Ron)……エクスカリバーのあまりのカッコ良さとその知名度に隠れてしまい、ほとんど知られていませんが、アーサーの武器は剣だけではありませんでした。

「その先端は鋭く、硬く素晴らしく、そして戦いの際に必要なものとして、非常に歓迎された」

 エクスカリバーに匹敵する素晴らしい槍だと想像できますね。

 この他にも、中世フランス語版ブリュ物語(原野昇訳)によれば、アーサー王の掲げる聖母マリアの肖像が描かれた盾には「プリヴァン」という格好良い名前があったそうです。

 私の翻訳した英語版においては、ユージーン・メイソンが英訳した際にどういった理由からか削除してしまったようです。ユージーンさん……。


[3]おそらく、アーサー王伝説の中でも見せ場となるバドン山の戦いがこのシーンだと思われます。

 これまた残念なことに、「バドン山」という名前はブリュ物語には登場しません。

 ちなみに、アーサー王が単独で殺したサクソン人の数ですが、九世紀に聖職者ネンニウスが書いた「ブリトン人の歴史」によれば九六〇人、ジェフリー・オブ・モンマスの「ブリタニア列王史」では四七〇人、そしてワースの「ブリュ物語」では四〇〇人と、段々減っていきます。

 ブリュ物語には「イギリスのプランタジネット家がフランスを支配する正当性」を一般民衆に周知する意味合いが込められていたようなので、多少なりとも信憑性を持たせる必要性が生じ、現実路線で数を減らしたのかも知れませんね。

 それでも充分に多いとは思いますが(笑)


[4]ギロマー(Guillomer)……覚えておいでかも知れませんが、アイルランド王ギロマーは十一話で登場し、ボルティゲルンの息子パッセントとともに戦死しています。

 ここで登場するギロマーが同一人物なのか、あるいはギロマー二世なのか、はたまた「ギロマー」は中世アイルランド語における「王」の意味があったのか、そのあたりはわかりません。

 ただ一つ言うなれば、「ブリュ物語ではよくあること」です(汗)

 しかし、なぜこのタイミングで登場したのでしょう? しかもほとんど戦いにもならずに敗退して帰ってしまいます。

 何の意味もなくこんなエピソードが加えられるというのも不自然な話で、ここには何かしらの伝承の名残があるのではないかと想像できます。

 ブリュ物語の前身であるブリタニア列王史は、ブリテンの伝承を掻き集めて纏められたと言われています。

 そういった伝承の中に「ロモンド湖で戦いがあった。アイルランド王が参戦した」のような記述があり、それが取り込まれて今の形になった……と考えるのが最も自然に感じられます。

 ブリュ物語にはこういった意味不明な描写が散見されますが、そこには、もしかしたら大昔にブリテンで起きた出来事の断片が隠れているのかも知れませんね。


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