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第十四話 ウーサー王の死

 イゲルヌとの結婚を経たのち、ウーサーによるブリテンの統治は、今まで以上に素晴らしいものとなった。

 あらゆる土地が健康と平和を謳歌し、繁栄の一途をたどり、そして十数年の時が流れたのである。

 いつの頃からだろうか。ウーサーは身体を病に蝕まれていた。

 理由ははっきりとはわからない。あるいは、毒虫にでも刺されたのかも知れない。あるいは、友人の薦めた酒にでも当たったのかも知れない。

 いずれにせよ、気づいた時には病はウーサーの身に重くのしかかり、彼はもはやベッドから身を起こすことにも苦労するほどに衰えていたのだ。

 そして、ウーサーの衰えに呼応するかのように、ブリテンにも翳りが見えはじめていた。

 長く続いた平和のために、王国のあちらこちらが緩み切っていたのだ。

 その緩みを突いて、決定的なことが起こった。

 ヘンギストの息子オクタとその従兄弟オッサが、ロンドンの牢獄から脱獄したのである。

 王国の弛緩はそのまま国民の弛緩となる。

 ロンドンの牢獄を見張っていた看守もそれは例外ではなく、もはや自分が見張っているのが何者であるのかさえ、ろくにわかっていない有様だった。

 いや、わかっていたとしても、ウーサーによる理想的な統治の前に、いまさら異教徒ごときに何が出来るものかと侮っていたもかも知れない。

 いずれにせよ、看守は獄中のオクタが密かに外部と連絡するのを見逃してしまい、それによって運ばれた金銀財宝を保釈金として受け取り、牢を開けてしまった。

 この瞬間から、ブリテンは再び戦いへと巻き込まれていくこととなるのだ。

 オクタとオッサの行動はきわめて速かった。

 彼らは隠していた軍資金をふんだんにばらまいて、武装したガレー船を手に入れ、そしてウーサーに対抗するために人を集めた。

 平和であればあるほど、そして統治が完璧であればあるほど、その影には不満を持つものが少なからず息づいているものだ。

 騎兵に槍兵、それに弓兵。かつて敗走したサクソン人にアイルランド人、そういったものを掻き集めつつ、彼らは北に向かった。もちろん、道すがら、あるいは沿岸の街や村を略奪しながらである。

 病床にあるウーサーのもとにこの報せが届いたときには、オクタの軍勢はすでにスコットランドに及び、膨れ上がっていた。

 しかし、ウーサーはベッドから起き上がることも難しい有様である。

 だが、彼には頼りになる忠臣がいた。彼の娘アンナを娶ったロット・オブ・リヨンである。

 彼もまたウーサーの娘婿に相応しい礼儀正しさと寛大さを備えた騎士であり、ウーサーも困ったときには助言を求めるほどの才覚の持ち主でもあった。

 なによりも素晴らしいのは、騎馬戦において、槍を持たせたら右に出るほどはいないほどの使い手なのである。

 ウーサーはこの忠実な騎士を呼び寄せ、自分の持つ軍隊のすべてを預け、指揮官として任命したのだった。


 ロットに先んじたオクタとその仲間たちは、すでにロンドンからスコットランドに至るブリテンの街を荒らし回り、それはブリテン人の悩みの種となりつつあった。

 長いこと続いた平和のために街々にはサクソン人に対する備えは充分に出来ておらず、異教徒たちが数に物を言わせて襲ってくると、ブリテンの人々は街を捨てて逃げ惑うことくらいしか出来なかったのである。

 そして、それこそが父ヘンギストの死と、十年以上も投獄された自分自身への仕打ちに対するオクタの復讐だった。

 しかし、それもいつまでも続くことはない。

 ようやく、ウーサーが送り寄越したロット・オブ・リヨン率いる軍隊が到着したのだ。

 ロットとオクタ。それぞれの率いる軍隊は、出会ったその場で戦いを始めた。

 人々は、これで一安心と息をついたのだが、しかし、そう簡単にはいかなかったのである。

 ロットの実力が買い被りだったのか。あるいは、オクタの実力が想像以上だったのか。どちらの理由によるものかは定かではないが、ともかく、戦いは長引いてしまったのだ。

 何日も、何日も、ある日はロットの軍勢がオクタの仲間たちを蹴散らし、しかしその次の日には盛り返したオクタの軍勢がロットの仲間たちを敗走させる。そんな状態が延々と続いてしまった。

 それは、戦いを安全な場所から見守る者たちにとっては、あたかもゲーム盤の上で駒を動かして遊んでいるように見えたことだろう。

 いつしかロットは「見せ掛けの戦争をしている絨毯騎士」という汚名を着せられ、彼に声援を送るものの数も、次第に減っていくのだった。[1]

 しかし、彼だけを責めるのは酷と言うものであろう。

 なぜなら、長きに渡った平和による弛緩は街の人々や牢獄の看守にとどまらず、腐敗となって各地の領主や貴族にまで及んでいたからだ。

 領主や貴族の中には、ウーサーの覚えもめでたき華やかなる騎士ロット・オブ・リヨンに嫉妬や悪意を持っているものもいたのだ。

 彼らは異教徒が暴れたところで大したことは出来まいと侮っているのか、彼らの領地を守るために戦っているというのに、ロットの軍勢が押されたときにも援助の手を差し伸べることもなく、ことによっては召喚状を無視したりもした。

 こんな有様では、いかに屈強な騎士であっても、膨れ上がった異教徒の軍勢を前に苦戦をすることはまぬがれまい。

 こうした思わしくない報せに、ウーサーの周囲のものたちも浮き足立っていた。

 ロットを妬んで非協力的になっている貴族の数は少なくはない。しかし、ここでウーサーに下手に進言しようものなら、彼らはますますロットへの反感を募らせ、状況はいっそう悪くなってしまうだろう。

 加えて、ウーサーの様態も深刻になる一方なのだ。

 いったいどうしたものやらと多くのものが頭を抱える中、一人の男が人々の中で日和見を決め込むのをやめ、ウーサーの病床へと進み出た。

 その男の名前は記録には残っていないが、とある評判の良い貴族とのことである。

 これ以上、無為に時間を過ごしても、何一つとして解決はしない。そして、彼にはこの状況を打破するためのたった一つの方法がわかっていた。

 その貴族は、国王の横たわる寝台の前で跪いた。

「なにがあろうとも、」彼は、意を決して力強く進言した。

「陛下には戦いの場に赴いていただき、その御姿を貴族たちに示してもらわねばなりませぬ。陛下の御加減については重々承知の上。されども、この他にブリテンを救う道がないとなれば……」

「あいわかった」

 答えはするものの、それでウーサーが歩けるようになるわけでもない。

 ウーサーは担架を用意させ、その上の寝藁に寝そべり、そのままの姿勢で自身を運ばせた。そして人々とともにロットの戦う戦場へと向かったのである。

「ウーサー陛下、我々は見極めねばなりません」道すがら、人々は言い募った。

「いったいどんな臆病者の貴族が、軍隊の後ろを付いて歩いているのかを」

 彼らの言葉で、ウーサーは戦場で何が起きているのかをすべて悟った。

 そして、すぐに伝令を走らせ、ロットを妬んでろくに動こうともしない貴族や領主に向けて、命令を放った。

 このブリテンの窮地において、いったい何故黙って見ているのかと。国王の忠実な騎士ロットに対し、忠義を示して召喚に応じよと。

 ウーサー自身は担架に乗ったまま、オクタの立てこもっているヴェルラム市[2]へと向かった。

 このヴェルラム市は、聖オルバンが息を引き取ったと言われる美しい街であったが、しかし、今では見る影もなく破壊されていた。

 既にオクタの手に落ち、街中に彼の仲間たちが入り込み、内側から強固な門を作り上げていたのである。

 その様子を見たウーサー王は、すぐに街の外壁を包囲する陣を組み、そこに担架を下ろさせた。

 身動きが取れずとも、もとより聡明な指揮官である。

 彼はすみやかに指揮を取って周囲の森を伐採させ、木を組み上げて幾つもの投石器を作り、街の門の前にずらりと並べさせた。

 だが、次々に放たれる岩の前にも、ヴェルラムの外壁はものともしない。

 最初こそオクタとその仲間たちは投げつけられる岩を注意深く見守っていたが、それがどうやら街の壁に割れ目の一つさえも入れることが出来ないと見るや、それでも懸命に石を運び続けるブリテン人を嘲り始めた。

 せっかく作った投石機が役に立たない上に、よく見れば、ブリテン人の指揮官であるウーサーは、担架の上から起きることさえ出来ないでいるのだ。

 こんな状況がしばらく続き、サクソン人たちは次第に増長していった。

 もはやブリテン人はヴェルラムを責める手立てがなく、指揮官もあの有様である。いや、むしろ、棺桶に半ば入ったまま戦っている相手を前に、門を固く閉ざしてかんぬきまで架けているなど、とんでもなく恥ずべきことではないのか。どうして起き上がれもしない相手を前に、自分たちは怯えたように閉じこもっていなければならないのか。

 そんな考えが広がった今、サクソン人たちの動きは速かった。

 次の朝、固く閉ざされていたヴェルラム市の門は大きく開け放たれ、中からオクタとオッサ率いる異教徒の軍勢が雪崩れ出てきたのだ。

 しかし、サクソン人たちの考えは、正しくはなかった。

 包囲網を一掃しようと門を開けた異教徒が見たのは、完全に誇りを取り戻し、ロットの指揮下で勇猛に整列するブリテン人の軍隊だったのだ。


 ――いや、あるいは、危なかったと言っても良いかもしれない。

 何故ならば、私が思うに、ブリテン人の誇りはほとんど地に落ちる寸前だったのだ。

 もしも、彼らが腐敗したまま、ウーサーの呼びかけで目を覚まさなかったら、結果はまったく違ったものになっていただろうから――


 結局のところ、戦いは一方的だった。

 何故ならば、籠城を決め込んでいた当人たちが、自ら籠城を解いてのこのこと巨大な軍隊の前に出てきたのだ。ほとんど自殺行為と言えよう。

 そうでなくとも、担架に寝そべるウーサーを見て侮り油断しきっていたサクソン人である。彼らには、誇りを取り戻したブリテン人と渡り合えるはずなどなかったのだ。

 そうして、勝利は相応しいものが受け取ることとなり、この戦いでオクタとその従兄弟オッサは、あえなく命を落としたのだった。


 敗色が濃厚になったとき、サクソン人はヴェルラム市を放り出して逃げ去り、そのままスコットランドにまで後退していった。

 ヘンギストの息子であるオクタを失った彼らだが、しかしまだ希望を失ってはいなかった。

 スコットランドには、オクタの友人でもあり従兄弟でもあるコルグリンがいるのだ。しかも、コルグリンはゲルマン王チェルドリックとも通じている。

 コルグリンを新たな指揮官として立てれば、きっとゲルマン王の協力も得られ、ブリテン人に反撃できる。

 今やそれだけが、サクソン人の希望となっていた。

 一方のウーサーは、この戦いで圧勝できたことが彼を元気づけたのか、ようやく病気が快方に向かっていた。

 まだ予断は許さないものの、傍目には完全に健康を取り戻したかのように見える。

 ウーサーは貴族や騎士たちの輪に入っていった。

「皆のもの。此度の戦い、見事であった」

 そうはいうが、しかし、貴族たちは複雑な顔を見せる。何故ならば、誰がこの戦いの最大の功労者かといえば、それはウーサー本人に他ならないからだ。

 ウーサーが病身を押して戦場にやってきたからこそ、彼が腐敗しかけていた貴族たちの目を覚まさせたからこその、この勝利なのだ。

 そんな視線の中にあって、ウーサーも謙遜はしなかった。

「実に長い間、病に苦しめられたものだ。……だが、異教徒どもから逃げ回るために、健康や力をすり減らすくらいならば、むしろ担架の上で奴らに向き合ったほうが良いというもの。……しかし、それがかえって良かったのかも知れぬな。サクソン人どもは、ベッドから起きれない私を見て、侮ったのだ。だからこそ、この瀕死の男が指揮する軍隊に、やすやすと打ち負かされるに至ったというわけだ」

 言って、いまだ煙の収まらぬヴェルラム市を仰ぎ見る。

「この美しい街も、随分と荒らされてしまった。……だが、二度と我らの信仰を足蹴にするような真似を許すまい。皆のもの、逃げたサクソン人を追い詰めるのだ」


 かくして、ロットをはじめウーサー軍はヴェルラム市を後にし、異教徒を追う猟犬となってスコットランドを目指した。

 しかし、ウーサーはまだ病み上がりである。まだ完全に治癒したとは、とても言いがたい。

 これ以上の強行軍をさせては、国王が死んでしまうのではないか。貴族や騎士たちはそんなふうに心配し、神の加護が彼を再び元気にするまで養生するようにとウーサーを説得し、国王をヴェルラムに残していったのだ。

 ウーサーの周囲は親族からなる一団が守り、怪しいものを決して近づけないように、厳重に見張られた。


 一方のサクソン人は、どうにかしてウーサーを亡き者にすることが出来ないものかと、頭を捻っていた。オクタの率いた戦いでも、ウーサーが乗り出してきた途端に負けてしまったのだ。ならば、ウーサーさえ居なければ、あとはどうにでもなるはず。

 しかし、剣を振るって戦いを挑んだところで、結果は同じである。ウーサーとの戦いでは、武器などは何の役にも立たないのだ。

 そこで彼らは幾人かにペニー硬貨を握らせ、さらに上手く言った暁には土地を与えることも約束し、彼らをウーサーの周辺に送り込んだ。

 彼らはボロ布をまとい乞食を装ってウーサーの宮廷に向かうが、しかしその警護は厳しく、どんなに口車を回して見張りを油断させようとしても、ウーサーに近づくことは叶わなかった。

 仕方なく、この斥候たちは宮廷の周囲をうろうろと歩きまわり、ようやく口の軽い従者を見つけ出すことができた。

 その男の言うことによれば、ウーサー王はいまだ病み上がりの身で満足に食事を摂ることも出来ず、宮廷のすぐ近くに湧いている泉から汲まれた冷たい水だけを口にしているという。どうやらこの水によってウーサーの病は快方に向かっているらしい。

 しかし、結局のところ、ウーサーに刃が届くところまで近づくことはどうやっても不可能である。それならばとサクソン人は毒を用意して、泉にまいてしまったのだ。

 これをなした下手人は、結果を見届けることもなく、ことが露見することを恐れ、一目散に逃げてしまった。

 果たして、ウーサー王は喉に乾きを覚え、いつもと同じように従者に命じて泉の水を汲みにやらせた。

 そして、まさか毒が投げられているとは知る由もなく、従者はその水を杯に並々と汲み、ウーサーへと手渡してしまったのだ。

 ウーサーを死の運命から救うすべは、誰の手にもなかった。

 この水を飲んでいるのはウーサーひとりではない。この街に住む多くの人々が、彼と同じようにこの水で喉を潤していたのだ。

 水を飲んだ街の人々が突然苦しみ始め、みるみるうちにその肌が真っ黒に腫れ上がっていく。その異変に周囲のものが気づいたときには、すでに手遅れだった。

 ウーサーもまた、ベッドの上で真っ黒に腫れあがった身体を晒し、息絶えていたのだ。

 どうしてこんなことが起きたのか。人々は嘆き悲しみ、この悪意がなされた泉を埋め立てることにした。

 集まった人々は、この悲劇を忘れぬようにと次々に土や石を投げ入れ、更に薪束を積み上げ、いつしか泉のあった場所には小高い丘がそびえていた。

 こうして、ウーサー・ペンドラゴンの治世は、サクソン人との戦いの中で終わりを告げ、その亡骸は兄王アレリウスと並んでストーンヘンジに埋葬されたのであった。


[1]絨毯騎士(carpet knights)……いわゆる名ばかりの騎士に対する蔑称です。ゲームの駒のように軍隊を動かすばかりで、本人は絨毯の敷かれた部屋に引きこもってろくに戦おうとしない、そんな役立たずの騎士を指して、このような蔑みの言葉が使われたようです。

 日本にも「大根役者」や「藪医者」など、お馴染みの言い回しがありますが、こういった皮肉を込めた蔑称は古今東西を問わないようですね。


[2]ヴェルラム(Verulam)……現在のセント・オールバンズ市です。


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