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第十三話 ウーサー王とイゲルヌ/マーリンの霊薬/アーサー誕生

 ウーサー王の苦悩たるや、いかなる常人にも推し量れまい。

 イゲルヌの紡ぎ出す言葉は、そのひとつひとつが理知に溢れており、相槌のすべてに称賛を交えねばならないほどなのだ。

 なんといっても、彼女の美しさは疑いようのないもので、言葉とともに零れるその笑顔を見るだけで、ウーサーの心臓は激しく昂ってしまう。

 食事のあいだじゅう、ウーサーはイゲルヌから視線を外すことができなかった。それが男性として無作法に値すると知りつつも、どうやっても抑えることができなかった。

 彼女がその言葉を休めてワインの杯に口を付けている姿に胸をときめかせ、再び慎ましやかに口を開いて語りはじめたときには、更なる胸の動悸に襲われた。

 彼女と視線が絡みあったときなどは、息が止まるほどに心がせめぎ、辛うじて微笑みを向けるのが精一杯というありさまである。

 どうにかして、彼女と親密になることはできまいか。そう願ったウーサーは、侍従に命じて挨拶をさせ、贈り物を捧げた。

 そして、少しでも自分の好意を伝えようと、さりげなく洒落た言葉をかけてみたり、笑顔を投げかけてみたり、友好関係を築くためのあらゆる努力をした。

 イゲルヌもまた、ウーサー王が過剰に褒めてきたら、謙遜して距離を取るなど、ゴルロイスの貞淑な妻としての態度を貫いていた。

 しかし、イゲルヌがそうした態度を取れば取るほど、ウーサーもまた熱情を募らせて、なにがなんでも振り向かせようとばかりに話しかけてしまう。

 実際、生まれてはじめて感じる恋慕の情、その焦りと戸惑いがウーサーを支配していたと言っても過言ではあるまい。

 彼は、これらの一連の行為を、夫であるゴルロイス伯爵の目の前でしてしまったのだ。

 もちろん、目の前で妻を口説かれて気分を害せぬ夫がいるはずもない。

 温厚なことで知られるゴルロイス伯爵だったが、妻に対するウーサーの態度にはさすがに我慢ならなかった。

 夫である自分を介せずして妻に個人的な贈り物をするというだけでも、これが国王でなければ即座に決闘がはじまってもおかしくない暴挙である。

 それだけでなく、王は妻に親しげに話しかけ、露骨に気を引こうとしているではないか。

 ウーサー王がイゲルヌを愛してしまったことは、疑いようもなかった。イゲルヌの心を占めるゴルロイスをどうにかして蹴落とし、自分がその地位に取って代わろうとしている。王の行動はそうとしか思えないものだったのだ。


 伯爵が突然席を立ち、イゲルヌの手を引いてホールから出て行ったとき、ウーサーははじめて己のしたことが、ゴルロイス伯爵にとってどういった意味を持つ行為であったのかを悟った。

 どうやら伯爵はまっすぐに厩舎に向かい、夫人ともども馬に乗ろうとしているらしい。

 ウーサーは慌てて従者に後を追わせ、伝言を送った。

 確かにウーサーのしたことは礼儀にかなったものではなかったが、しかし王の主催する宴に招かれ、暇乞いもせずに宮廷から出て行くというのは、王の顔に泥を塗る行為である。ほとんど臣下の誓いを破棄するのに等しいといえよう。

 このままでは、ウーサーはゴルロイスを断罪せねばならなくなる。だからこそ、従者に伝えさせた。君主に対する礼儀を保ち、悪意を叩きつけるような真似はせぬようにと。もしもこのまま黙って帰ってしまうのであれば、王と伯爵の信頼関係は粉々に崩れてしまうだろうと。

 ここでゴルロイスが席に戻ってくれさえすれば、イゲルヌの件はさておいて、少なくともウーサーと伯爵の関係は壊れずに済む。ウーサーとしても、その場で不問に処すつもりだった。

 しかし、イゲルヌを目にしたウーサーが思わず我を忘れてしまったように、ゴルロイスもまたイゲルヌへの愛情ゆえに頭に血が上ってしまっていたのだ。

 ゴルロイス伯爵は王の伝言を無視して、暇乞いも挨拶もないままに宮廷を出てしまった。彼は、感情に任せた自分の行動がどのような結果を招くのか、冷静に考えることができなかったのだ。むしろ、王の伝言を脅しとみなし、ほとんど気に留めることもなかった。

 彼は自らの治めるコーンウォールに帰ると、すぐさま命令を下し、二つの城を戦いのために軍備させ、イゲルヌはそのうちのひとつに隠された。

 ティンタジェル城[1]と呼ばれるこの城は、ゴルロイス伯爵が先祖代々受け継いできたコーンウォールの本拠地である。それは、かつてどんな戦いでも破られたことのない、堅牢な城だった。

 壁は誰も登ることができず、そしてどうやっても崩すことはできない。しかも、海の近くの崖の上に建っており、包囲も容易ではない。門も類を見ないほど頑強で、まともな方法で破ることができる代物ではなかった。

 ただでさえここまで守りが堅いのに加え、ゴルロイスは妻を隠した塔のドアを取り除き、壁で塞いでしまった。

 こうしてゴルロイスは、妻イゲルヌを誰にも奪われることなきよう、ティンタジェル城の塔に閉じ込め、封印してしまったのである。

 これが済むと、ゴルロイスはすぐさま馬を駆り、大勢の騎士を率いてもうひとつの城へと向かった。こちらもまた、ティンタジェルほどではないものの堅牢な砦であり、いかに王の兵士たちが包囲したとて、簡単に落ちるものではなかった。

 一連の報告を受けたウーサー王の悲しみと戸惑いは、いかばかりだったろうか。

 ここまではっきりと敵意を示されては、王としては征伐せざるをえない。命の恩人でもあり、尊敬する賢者でもあるゴルロイスを誅滅せねばならないのだ。

 しかしその一方で、ゴルロイスを討ち、イゲルヌを手に入れるための口実が出来てしまったこともまた事実だった。

 コーンウォールに向けて軍を進めながらも、ウーサーは苦悩のなかにあった。

 果たして自分は、反旗を翻したゴルロイスを征伐するための正義の戦いをはじめるのか。それとも、ゴルロイスを殺してその妻イゲルヌを奪い取るための邪悪な戦いをはじめるのか。

 実際のところ、そのどちらも正しいといえよう。だからこそ、王の心は引き裂けんばかりに揺れ動いていたのだ。

 苦悩を抱えたまま、ウーサー王はセヴァーン川を横断し、ゴルロイス伯爵が陣取っている城の前へと辿り着いてしまった。おりしも、激しい嵐に見舞われていた。まるで、王の心を映したかのようだった。

 嵐の中で城塞を包囲するウーサー王に対し、ゴルロイスは降伏するでもなく、しかし積極的に挑んでくるでもなく、籠城を決め込んでいる。それならばとウーサーも長期戦の構えを取り、砦の前にどっかと腰を降ろした。

 嵐のためか、それとも、もとよりウーサーにとっても気の進む戦いではなかったがゆえか、七日間を費やしても壁を破れる様子はない。城の周囲の集落はとうに燃え落ちていたが、ゴルロイスの城だけは堅牢な姿を留めている。

 その間、ウーサーは何度も降伏するよう説得を試みたが、伯爵は頑として城を明け渡そうとはしなかった。そればかりか、包囲の隙を突いて伝令を走らせ、かつてアレリウス王と敵対したアイルランド人に助けを求めるありさまだった。


 戦いが膠着してくると、ウーサー王の心もまた、戦いから離れはじめた。

 イゲルヌはどうしているだろうか。この戦いの報せを聞いて、どう思っただろうか。夫から自分を奪うために戦争をはじめた暴君を呪うだろうか。それとも、そこまで深い愛を示したウーサーに対し、彼女もまた愛をもって応えるだろうか。

 いまや、彼女を想うことはウーサーにとって世界のなによりも甘美なものとなっており、イゲルヌを想えば想うほど、彼は急き立てられる感覚に襲われ、すぐにでも戦いを放り出してティンタジェル城へと飛んで行きたくなる衝動に駆られた。

 苦悩は王を追い詰め、ついにウーサーはこの苦しみを己が内に抱えておくことができなくなってしまった。

 おりしもウーサーの臣下に、ウルフィンという若い貴族がいる。彼は特別にウーサーが目をかけていた、いわゆる秘蔵の部下といえよう。

 ウーサーは、ウルフィンを密かに天幕に呼び寄せた。そして、

「ウルフィン、我が馴染みの友よ」たまりかねたように苦しみを吐き出した。

「相談にのっておくれ。そなただけが、我が心を打ち明けられる希望なのだ」

 王のただならぬ様子に、ウルフィンは訝しんだ。

「相談とは? いったいいかなる苦しみを抱えておいでなのですか?」

「ほかでもない、かのイゲルヌのことだ。彼女のために、私は名誉も誓いも、なにもかも投げ出してしまった。いまの私はまったくの無一文、なにひとつ持たぬ裸同然なのだよ。イゲルヌを想うと、私は前に進むことも、後ろに戻ることもできなくなってしまう。イゲルヌを想うと、私は枕に頭を横たえて寝ることも、ベッドから起きることもできなくなってしまう。イゲルヌを想うと、食べることも飲むこともできなくなってしまうのだ」

 突然の王の告白に、ウルフィンは驚きを隠せなかった。いや、薄々感づいていなかったと言えば、嘘になるだろうか。宴会の席で生まれたゴルロイスとの確執は、あの場にいたものであれば、知らぬものはいなかったからだ。

 ゆえに、この戦いも、ゴルロイスの不忠を正すためというよりも、かの伯爵の妻を奪うための戦いだという噂が、誰ともなくひそひそと囁かれていた。

 そして、その噂が正しいことを、王がその口で打ち明けてしまったのだ。

「さよう、私の頭のなかは、イゲルヌのことでいっぱいなのだ。我が望みのままに彼女を奪うことが正しいのか、私にはわからぬ。私にできることは、そなたにこの苦しみを打ち明けて、相談に乗ってもらうことだけなのだ。でなければ、私の胸は張り裂けて死んでしまうだろう」

「なんと……我が王よ……」ウルフィンは驚愕の中で、どうにか王に返事をした。

「なにを言っておられるのか、わかっておいでですか? 貴方はこの戦争でゴルロイス伯爵をひどく苦しめ、彼の土地を焼き払いました。この次は、彼を牢屋に放り込んで、その妻を勝ち得ようというのですか? いまや貴方は、伯爵を苦しめることでしか、かの夫人への愛を示すことができないのですぞ?」

「わかっておる……。わかっておるのだ……。しかし、しかし……」

 弱々しい王の言葉に、ウルフィンは頭を振った。聡明なウーサー王なのだ。この程度のことがわからぬはずがない。もちろん、ウーサー王もゴルロイス伯爵との戦いを望んでなどいなかったろう。

 すべては、ゴルロイスとの些細なすれ違いによるものなのだ。その結果、イゲルヌがウーサー王の手に転がり込んでしまう。その、あまりにも都合の良い、見方によれば邪悪とさえ言える喜びにこそ、ウーサー王は苦悩しているのだ。

「……この問題はもはや、私の手には余るものです。いまや、貴方に助言できる人間はたったひとりを除いて存在しません」

 その言葉に、ウーサーはハッとして顔を上げた。

 かつてその男に伝えられた予言には、イゲルヌとの一件や伯爵との戦いのことはなかった。だから、ウーサーは彼に相談することなくこの戦いに挑んでいたのだ。

 しかし、かの男は今回のことをすべて予見していたのだろうか。彼は、なにもかもを知っているのだろうか。

「たっての強い希望により、私の部隊にマーリンが同行しているのです。かの賢者ならば、この世のすべての人間のなかで、もっとも優れた相談役となることでしょう。……もしもマーリンの手におえないのであれば、貴方をその苦悩より救い出せるものは、ひとりもいないということになります」


 となれば、なにも迷うことはない。ウーサーはすぐにウルフィンの助言通り、マーリンに相談することにした。

 そして、先ほどウルフィンに告げた苦しみを、おなじようにマーリンにも告げた。

「マーリンよ、どうか教えてくれ。私の望みを果たす道は、どこにもないものなのだろうか? お前ならば、その道を見つけ出すことができるのではないか?」

 そもそもがマーリンへの相談もなくはじめた戦いである。彼はこの戦いをどう思っているのだろうか? あるいは、予言にない行動として、内心快く思っていないのではないだろうか? 

 そんな不安もあったが、果たしてマーリンは穏やかな微笑みを浮かべてウーサーの前にあらわれた。

「さてさて、ウーサー陛下」マーリンは微笑みを浮かべたまま、軽やかに告げた。

「偉大なるブリテン王の頼みを無碍にしたとあっては、私も無事では済みますまい。この首に賞金をかけられぬよう、私もお手伝いしようではありませんか。きっと、陛下はイゲルヌ殿への想いを遂げることができましょう。ですから、女性が原因で死んでしまうなどとは、おっしゃらないでくださいますよう」

 悪戯めいた物言いが、かえってウーサーを安心させた。

 苦悩に満ちていた国王の顔色に希望の色が差したのを見て、

「お聞きください」マーリンは話を先に進めた。

「くだんのイゲルヌ殿ですが、彼女はティンタジェル城にて、この上なく厳重に守られているそうですな。……さて、このティンタジェル城、その壁は高く堅牢で、力でどうにかなるものではありません。しかも、見張りと城守によって、がっちりと守られているのです。さらに、食料や物資はたっぷりと備蓄してあり、どれほどの軍勢で包囲したところで、彼らの籠城を攻略することはできますまい」

「それでは、どうやってイゲルヌに近づくというのだ?」

 マーリンの言葉からは、とてもじゃないが、ティンタジェル城を落とすことはおろか、イゲルヌに近づくことさえもほとんど不可能に思えてくる。

 しかし、マーリンは微笑みを崩さなかった。

 実のところ、彼は以前からこのときのために人を雇い、いくつかの品々を探させ、買い求めていた。それが珍しく手に入りにくいものであっても、必要なものでさえあれば、金も富も盛大にばら撒いて、あらゆる手段で手に入れた。

 そうして集めさせた品々を手にして自宅に篭り、マーリンはあるものを作って用意していた。それが役に立つときが、ようやく訪れたのだ。

「どうやって中に入るのか、私に考えがあります」マーリンは自信に満ちた声で、はっきりと告げた。

「魔法の霊薬を使いましょう」

「霊薬とな?」

 聞き返すウーサー王に、マーリンは深々と頷いた。

「これを使う機会が訪れるのは、実に喜ばしいことです。私が作ったこの霊薬は、飲んだ人の顔つきや風貌を、別人のものに変えることができるのです。これを使えば、体格や顔つきはもちろん、喋り方や仕草まで、貴方をコーンウォール伯に見せかけることができます。それこそ、誰にも疑われることがないほどに」

「それはいったい、どのような仕組みで……」

 言いかけるウーサーだが、マーリンはそれを遮った。

「仕組みや原理を述べていたら、言葉や時間がいくらあっても足りません! さあ、ウーサー陛下、ゴルロイス伯爵に化けるのです! 私は、バーテルという男の姿になって、そなたの冒険にお伴することにいたしましょう」

 そして、驚愕とともに一連のやり取りを聞いていたウルフィンのほうへと向き直った。

「ウルフィン、こちらへ。貴方はジョーダンという男の姿を借りるのです。バーテルとジョーダン、この二人の騎士は、伯爵が親密にしている特別な友人なのです」

 再び王に向き直り、続けるマーリン。

「伯爵と騎士二人。彼らの姿をもってすれば、我々はティンタジェル城を攻め落とすまでもありません。堂々と歩いて入っていけばよいのです。疑うものなど、ひとりもいますまい。かくして、陛下はかのご婦人に近づき、想いを遂げることができるでしょう」

 まるでずっと前から用意していたかのように語るその様子に、聡明なウーサー王もまた悟った。イゲルヌにまつわる一連の事件は、すべてマーリンは予知していたのだ。

 だが、もしも「貴方はゴルロイスの妻を愛してしまい、彼女を奪うために戦いを起こします」などという未来を告げられたら、ウーサーはどうしただろうか。あるいは、そのような邪悪な行いをすまいと、あらかじめ行動を変えてしまっていたかも知れない。

 なによりも、ウーサーが抱いたイゲルヌに対する恋慕の情は、予言を受けたからといってどうにかなるものではない。水のごとき流れと、そのなりゆきに身を任せるしかないものだ。

 だからこそ、マーリンはこのときがくるまで、じっと黙って霊薬の準備をしていたのだろう。この沈黙こそが、この件におけるマーリンの予言であり、助言だったのだ。

 ことの善悪は横において、まずはウーサーの望みを果たすこと。マーリンは言外にて、そうするように告げているのだ。

 ならば、もはやマーリンを疑ったところで、なにもはじまるまい。今はただ、この予言者を信じるのみである。

 ことを起こす前に、ウーサーは特に親しい貴族の一人を呼んだ。これから、よんどころない事情で戦場を離れるために、その間の指揮を任せたいと。そして、自分がこの場にいないことを、他のものに悟られてはいけないことも伝えた。

 そして、密かに隊列を離れ、ティンタジェルに続く道に出たところで、三人はひとところに集まった。

「我が喜びにおいて」

 言って、ウーサーはひと息に霊薬を飲み干す。すかさずマーリンは、ウーサー王の顔を両手で包み、なにやら呪文のような言葉をぶつぶつと唱えはじめた。すると、ウーサー王の顔はたちどころにゴルロイスのそれへと変化していく。

 驚愕を顔に浮かべているウルフィンにも霊薬を飲むように促し、おなじようにジョーダンという男の顔に、そしてマーリン本人はバーテルの姿を取った。

 なんとも不思議な気分を味わいながら、ウーサーたちはティンタジェル城へと向かい、その城門にて門番に呼びかけた。

 伯爵の帰還に気づいて出てきた城守や執事たちは、いったい、なにがあったのか、いつの間に帰られたのかと驚きはするものの、しかし彼らの正体について疑うものはひとりもいない。ウーサーたちの侵入は成功したのだ。執事たちは三人が自分たちの君主とその友人だと思い込み、然るべき待遇で扱った。

「はて、伯爵はどちらへ行かれたので?」

 執事の言葉に、食卓に付いていたバーテルことマーリンが、焼かれた肉を食べながら答える。

「先ほど、奥方さまの部屋へ向かうのを見ましたぞ。なにしろ、戦いがはじまって以来、長いことお顔を見ておられませんからな。邪魔をするのは無粋というものでしょう」

 マーリンの言うとおり、ゴルロイス伯爵の姿となったウーサー王は、見事に騙されたイゲルヌと喜びのときを迎えていた。

 この睦み合いによって、イゲルヌは懐妊することとなる。そして生まれた子供こそが、この世で知らぬもののいない、善良かつ勇敢な王となるのだ。

 かの高名なる騎士道精神に溢れる君主は、こういった次第でこの世にあらわれるのである。


 ウーサー王が想いを遂げているちょうどそのころ、もうひとつの城では……。

 王がこの場にいないという噂が、軍隊の中で囁かれていた。ウーサーに留守を任され隊長となっていた貴族も、部下の問いをはぐらかすのにも飽きていた。

 王は積極的に城を攻めることはせず、まずは壁を登るための梯子を作るようにと命じていた。しかし、命じた本人もいないというのに、いったい、自分たちはなんのためにここでこうしているのか。ゴルロイス伯爵を討つ気がないのであれば、さっさと家に帰りたいものだと、誰もがそう思っていた。

 不満の声が沸き返り、隊長はこれ以上は抑えきれぬと察した。

 いや、さっさと城を落としてゴルロイス伯爵を討伐してしまえば、あるいはウーサー王は、ことのほか喜ばれるかも知れないではないか。

 そう思った隊長は、部下たちに梯子を作るのを止めさせ、城を攻撃することを命じ、喜び勇んだ兵士たちは、ほとんど無秩序に攻撃をはじめてしまった。

 今まで梯子作りばかりをさせられて、武勲に飢えていた男たちである。その城攻めは容赦のないものになった。

 梯子を作るために伐採された丸太を、そのまま門を破るための破城槌にして、激しい轟音を立てて門を破ろうと攻め立てた。

 こうなってしまえば、いかに堅牢な城砦といえども、いつまでも持ちこたえられるものではない。ほどなく門は破られ、城内にウーサーの兵士が雪崩れ込んでしまった。

 ゴルロイス伯爵はその武勇に相応しく、果敢に戦った。しかし、次第に押され、王の広間に追い詰められたとき、敵の手にかかるくらいならばと、彼は自害を選んでしまった。城はあっという間に奪取され、辺りではウーサーの兵士による勝鬨の声が上がっていた。

 こうしてゴルロイス伯爵は、ウーサー王のあずかり知らぬところで死んでしまったのである。

 運良く城から脱出した何人かの男が、ティンタジェル城へと向かって走っていた。

 何日も走り通し、ようやく辿り着いた男は、出迎えたものたちに涙ながらに報告した。ウーサーによって城は落とされ、ゴルロイス伯爵も死んでしまったと。

 突然の報告に、城内に悲しみの声が響き渡った。もとより人望厚く、ウーサーさえもが尊敬していた伯爵である。悲嘆の声は激しく、当然それは、イゲルヌとともに寝室にいたウーサーの耳にまで届くことになる。

 隊長が勝手に城を落としてしまった。それを悟ったウーサーは、慌てて身だしなみを整え、寝室から飛び出した。そして、広間の見えるバルコニーに立ち、大声で叫んだ。

「いったい、何の騒ぎが起きているのだ?」ウーサーは自ら装ったゴルロイス伯爵の姿をまざまざと見せつけながら、どうすれば良いか、懸命に頭を巡らせた。

「この通り、私は無事で傷ひとつ負っていないではないか。神に感謝せよ。お前たちは再び私の顔をこうして見ることができるのだぞ」

「ゴルロイスさま……いったい……。私は確かにこの目で……」

 うろたえる伝令を、ウーサーは叱責した。

「それは真実ではない! おおかた、見間違えたのであろう。他のものも、このような報せを信じるでない。彼らの言葉と、今ここにいる私と、どちらに真実があるというのだ? 見よ、私の親族までが勘違いして、泣いておるではないか」

「しかし……ゴルロイスさま……どうやって、」

 ゴルロイスことウーサーは、深々と頷いてみせた。

「うむ。お前が勘違いしたのは、私のせいでもある。実は、裏切り者がいるという報せを受けたのでな。誰にも知られず、言葉をかわすこともなく城を出る必要があったのだよ。私が裏門からこっそりと抜け出して、ティンタジェルまで馬を駆ったことに気づいたものはいないだろう。誰にも見られなかった以上、私が死んだものと勘違いされ、皆が嘆き悲しむのは仕方ないことかも知れぬ」

 ようやく、城内に安堵と落ち着きが戻りつつあった。

 さて、ここからどうしたものか。ウーサー王は考え、落ち着いた声で続けた。

「私は城のひとつを失い、その壁の中では大勢の槍兵が死んでしまった。まこと、耐え難き悲しみだ。しかし、私がこうして生きている限り、私はこれ以上なにかを手放すつもりはない。……とは言え、この戦いの原因が私にあるのも事実だ。もうすぐウーサー王の手はティンタジェルまで及ぶだろう。これ以上の損害が出る前に、私はこれから王の前に出て、赦しを請うつもりだ。さもなくば、我々は死に、笛の音を聴く耳さえも失ってしまうからな。聡明なウーサー王だ、きっと快く許してくださろう」


 イゲルヌを見やると、彼女は静かに微笑んで言った。

「まこと、素晴らしき考えでございます。あなたの言うとおり、ウーサー王もきっとお許しになられるでしょう」

 ウーサー王は、この場から去らねばならぬときが来たことを知った。ゴルロイスの姿で会うのは、これが最後になるのだ。

 ほどなく、イゲルヌは夫であるゴルロイス伯爵が本当に死んでしまったことを知ることになるだろう。そして、それではあの夜をともにしたのは誰だったのかと訝しむことだろう。

 胸にちくりと痛みを感じつつ、ウーサーは彼女を抱きしめた。そして、最後だけはゴルロイスとして、彼女の愛する夫として、かの伯爵の代わりにキスをした。

 複雑な心持ちの中、友人であるふたりの騎士を連れたウーサーは、ティンタジェル城をあとにした。

 ティンタジェル城から充分に離れた道の上で、マーリンが魔法の言葉を唱える。すると、立ちどころに三人はもとの姿を取り戻した。

 こうしてみると、なにもかもが夢だったようにさえ思える。しかし、せねばならないことが山のようにあった。

 とにもかくにも、もうひとつの城を取り囲んでいた軍隊へと急ぎ、合流した。すでに城は落ち、伯爵は死んでしまっている。いったい、どういった経緯で伯爵が死んでしまったのか、聞き出さねばならない。

 隊長の口からそれを聞いたとき、ウーサーは隊長を攻めることはしなかった。結局のところ、すべては自分が招いたことなのだ。ならば、この先待ち受ける運命を受け入れることで、責任を果たすしかない。

 王宮に戻ったウーサーは、しばらくの月日を、ティンタジェルでの冒険と、その前後の経緯をじっくりと考えることに費やした。当然ながら、かの城ではゴルロイス伯爵の死が真実であったことが伝わり、驚きと混乱、そして悲しみのなかで葬儀が行われたことだろう。

 伯爵の死について気持ちの整理ができたころ、ウーサーは貴族たちを集めた。

 つまるところ、ゴルロイス伯爵が働いた不忠こそが決定的な原因だったのだ。彼が臣下として相応しく、ほんの僅かな理性をもって踏みとどまってくれさえすれば、この最悪の結果を招くことは避けられたはずだったのだ。

 こう言ってウーサーは悲痛な態度を装って見せてはいたが、多くの貴族たちは複雑な顔を見せていた。彼の言葉を単純に信じこむには、ゴルロイスの犠牲はあまりにも大きかった。

 戦いから一年が経つころ、ウーサーは再び軍隊をともなってティンタジェル城へと向かった。そして、壁の上で見張りをしているものたちに向かって、大声を上げた。

「お前たちは、なにゆえ城を守っているのだ。伯爵は死に、城は落とされ、海の向こうから援軍がくる見込みもないというのに」

 留守を任されていた城守は、ウーサー王の言っていることはすべて正しいことを理解していた。なによりも、守るべき伯爵は、もはやこの世にいない。ここで無闇に抵抗して見せたところで、伯爵夫人の身に危険が及ぶばかりだ。

 城守は王の呼びかけに応じ、城の門を開け、砦の鍵を王に渡した。無条件降伏である。

 こうして、些細なすれ違いからはじまったゴルロイスとの戦いは終結した。

 無条件降伏というからには、もちろん未亡人となったイゲルヌの身もウーサーの手にあずけられることになる。もとより彼女への愛が熱情の只中にあって冷めることのなかったウーサーである。虜囚や人質のような扱いは決してせず、丁寧に接して、そして、結婚を申し込んだ。

 イゲルヌとしても、死んだはずの夫との夜など、不思議なことばかりだったのだ。聡明な彼女は、あるいは真実に至っていたかも知れない。ともあれ、イゲルヌはウーサーの求婚を受け入れた。

 そして、もうひとつ。イゲルヌは生まれたばかりの子供を連れていた。この一年の間に彼女は出産を迎え、息子を産み落としていたのだ。

 その赤子の姿を見たときのマーリンの感慨の表情たるや、いかばかりであったろうか。

 この息子は、アーサーと名付けられていた。生まれながらにして品格が備わっており、世間ではすでに称賛すべき赤子の噂が流れつつあった。

 こののち、ウーサー王は王妃となったイゲルヌとの間に娘をもうけている。

 アンナと名付けられたこの少女は、成長したときにロット・オブ・リヨン[2]という名の礼儀正しい君主のもとへと嫁ぐことになる。

 そして、彼女と夫の間から生まれる子供もまた、世に名を残すこととなるのだ。

 屈強にして気高い闘士になる彼はガウェインと名付けられるのだが、彼については、もう少しあとで語ることになるだろう。


[1]ティンタジェル(Tintagel)……ブリテン島を長靴に見立てると、コーンウォール半島は爪先になります。足の甲、親指の付け根あたりに位置するのが、かの有名なティンタジェルです。

 現在見ることのできるティンタジェル城跡は、実はブリュ物語(12世紀)よりもさらに後年の13世紀に建築(復元?)されたもので、当時大いに盛り上がっていたアーサー王伝説にちなみ、物語に登場する通りに作られたものだそうです。

 では、アーサー王の時代にはティンタジェル城は存在しなかったのでしょうか? 

 アンドレア・ホプキンス氏の著書「アーサー王物語」の解説によれば、1930年台にティンタジェル城跡のさらに下の地層から東地中海製と見られる陶器類が発掘され、この年代がずばりアーサー王時代、5~6世紀だということが判明したそうです。

 少なくとも地方豪族かそれ以上の勢力がここにいたことは間違いなく、当然そこには城塞があったのではと想像できます。

 ティンタジェルはアーサーの時代には天然の石橋で結ばれた(つまり、付け根に海のトンネルを持つ)岬だったそうですが、現在では崩れて完全に島になってしまい、木製の橋でブリテン島と結ばれているそうです。


[2]ロット・オブ・リヨン(Lot of Lyones)……「リヨンの運命」とはどういう意味だろうと思いきや、人名でした。「リヨン市のロット」と言う意味ですね。

 このように、ブリテン貴族の名前は伝統的に「名前+オブ+出身地(あるいは領地)」のような形で記されることが非常に多いです。

 ブリタニア列王史で有名なジェフリー・オブ・モンマス(モンマス市のジェフリー)などは好例ですね。

 ただし、ブリュ物語が書かれた12世紀はともかく、アーサー王時代の5~6世紀にこのような命名法があったかどうかは定かではありません。(そもそも英語が完成するのはずっと後ですから)

 ラテン語で書かれたブリタニア列王史には、いったいどのように記述されていたのでしょうね?


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