第十二話 ウーサー王とゴルロイス伯爵
ウィンチェスターにて、とある秘跡の儀式が執り行われていた。
祭壇に立つのは、もちろんウーサーである。将来において権勢を誇る王子をもうけるであろうと言った予言にもとづいて、また本人もその意思を明らかにしたことで、それを喜んだ司教や貴族たちが署名しあい、偉大な祝福の秘跡を授けることになったのだ。
壇上のウーサー・ペンドラゴンは、己の運命というものを、まるで他人を眺めるような不思議な気分を抱いていた。
いざ国王としてブリテンを収めてみれば、ウーサーの国王としての力は絶大なものだった。それゆえ、誰もがこの王を厚く信頼した。その影に、マーリンの予言による助力があったことは言うまでもない。
ウーサー王はある意味では貪欲に、しかしある意味ではこれ以上ないほど謙虚に振る舞い、その結果、彼の得た信頼は計り知れないほど大きな物へと膨らんでいった。
彼の動向を言葉で表すのであれば、「予言の体現者」というのが相応しい。
ウーサーはマーリンの予言に己が運命を見出し、彼の預言を成就することこそが己の使命であり、そしてブリテンを繁栄に導くと硬く信じていたのだ。
マーリンが予言したことであれば、良いことであればもちろん、たとえ悪いことに思えるような予言であろうとも、達成するために全力を尽くした。その意味で彼は貪欲でもあり、謙虚でもあり、そしてなによりも、不退転の意思を持っていた。
およそ己の意思というものを持ってはいないのではないか。ウーサー自身そう思えるほどではあるが、しかし不満はない。
マーリンが本物の予言者だということは疑いようもなく、彼の口から嘘が吐き出されたことは、ただの一度もなかったからだ。彼はあらゆる事象において、とても素早くそれを予見し、なにを成すべきかを指し示した。
マーリンの予言を全力で達成することで、すべてはより良い結果を生み出す。ならば、自分は自分に与えられた使命を達成するだけだ。それでブリテンの民が幸福に暮らしていけるのならば、そこになんの不満があろうか。
祝福を受けるウーサーの胸中は、ただそれのみだった。
ヘンギストの息子オクタが反旗を翻したという報せが走ったのは、そのしばらく後のことである。
かつて兄王アレリウスは、多大なる寛容の心をもってオクタの罪を許した。そしてこのサクソン人たちを臣下として、スコットランドの広大な土地を与えた。
しかし、アレリウスに忠誠を誓ったからといって、ウーサーに忠誠を誓ったわけではないということだろうか? いや、そもそもこのサクソン人どものアレリウス王への忠誠心など、もとより形だけだったのだ。おそらく心のなかでは父ヘンギストの仇として憎んでいたのだろう。
そのアレリウス王が死んだ今、彼らを縛り付けるものはなにもなくなっていた。
いざ戦いがはじまるとなると、スコットランドは広い。自らも堅牢な闘士であるオクタは、おなじく優れた闘士である従兄弟のオッサ[1]を側近として取り立て、友人や親族などを招集して巨大な軍隊を作りつつあった。
しかも、そこにはまた別の集団が合流していた。パッセントとアイルランド王ギロマーが敗れた際に敗走した残党である。パッセントがゲルマンの地で掻き集めた兵隊と、アイルランド人。オクタは、自ら馬を駆って彼らの間を回り、仲間となるよう呼びかけていたのだ。
気がつけば、反乱軍はとんでもない数に膨れ上がっていて、いまやハンバー川からスコットランドまで、ブリテン島の北部全域に広がりつつあった。
勢いに乗ったオクタは、ブリテン島北部の要とも言える街、ヨーク市にまで進出した。
ヨーク市の住民は、壁の内側に異教徒をひとりたりとも侵入させまいと、勇敢に戦いを続けたが、なにしろ相手はとんでもない数に膨れ上がっているのだ。彼らが街の周囲に居座り包囲すると、ヨーク市は完全に孤立し、一切の補給も支援も失ってしまった。
――オクタの軍勢の暴力によってヨーク市が占領されつつある。
その報せを聞いたウーサーの頭にあるのは、一刻も早く、かの街に閉じ込められた友人たちを助けたいということだけだった。
ウーサー王はこれまでに何度もそうしてきたように、ヨークへと大急ぎで進軍し、その道中で戦士たちを募って回った。そして、集まった戦士たちのすべては異教徒を包囲・殲滅することに費やされ、参加してくる戦士たちのすべてに、次々に戦いの場を提供していった。
しかし、ここで予想外のことが起きてしまった。
籠城するヨーク市と包囲するオクタ軍という構図だったが、そのオクタ軍をさらにウーサーの軍勢が包囲したのだ。挟撃を受けることになったオクタ軍はあっという間に敗走するだろう。誰もがそう思っていた。
しかし、戦いの中で開いたヨーク市の門から溢れ出てきたのは、ヨーク市民ではなく異教徒だった。すでにヨーク市は占領されていたのだ。
これによってウーサー軍の足並みは大きく乱れ、戦いは鋭く重大な状況へと移っていった。多くの霊が肉体から離れる結果となったが、その大半はブリテン人のものだったのだ。
さらに異教徒は予想以上に勢いを増しており、彼らの振るう剣はきわめて果敢だった。ブリテン人は彼らの勢いに押され、損害を与えることもできなければ、ヨーク市に入ることさえ叶わない。いや、このままでは持ちこたえることすら難しい。
そして、ウーサーの軍勢はじりじりと後退をはじめ、ついには背中を向けて逃げ出すものがあらわれた。こうなってしまっては、あとはあっという間である。
サクソン人は逃げ惑うブリテン人の背中に嬉々として剣を振り下ろし、ウーサー軍は甚大なダメージを受けてしまったのだ。
道中で参加した領主たちは逃げ出し、それぞれの砦に閉じこもってしまい、さらに敗走を続けるウーサーたちにはサクソン人が執拗な追撃を加えていた。
休む間もなかった。夜になったらサクソン人は入れ替わり、別の方角からの一派がウーサーたちを襲ってくるのだ。
息をつく余裕もなく、あらゆる方向から攻撃を受け、ウーサーたちはついにダーメン山と呼ばれる山に追い詰められてしまった。
山の頂は険しく、側面は絶壁となって行く手を阻み、休もうにもハシバミの藪がびっしりと生い茂ってる。ブリテン人は、歯を食いしばる思いでこの山を登り、山頂にまで至ったところで、ようやく異教徒の追撃が落ち着いたことを知った。
しかし、見下ろせば異教徒は麓の平野に陣を張り、この山をぐるりと取り囲んでいるではないか。
ウーサーたちは完全に包囲されてしまったのだ。
とんでもない事態になった。
連戦連勝を重ねていたウーサーにとって、はじめて経験する敗退と痛手は理解しがたく、ほとんど恐慌状態だったといえよう。どうやってこの罠から脱出し、ブリテンの戦士たちを助け出すべきか、見当も付かないのだ。
おりしも、この戦いにはひとりの伯爵が同行していた。
彼は老齢ではあるが、勇敢で礼儀正しく、数えた歳に相応しい賢明さを持つ評議員で、誰からも尊敬されていた。
その名は、コーンウォールの伯爵、ゴルロイスである。[2]
ウーサーもまた彼を尊敬するとともに信頼しており、ゴルロイスの顔を見るなり落ち着きを取り戻した。
この伯爵は、生命の危険や身の安全よりも優先して名誉を重んじることのできる、数少ない賢者なのだ。
生命の危険に脅かされている今こそ、まさにそういった名誉を見失うわけにはいかない。ゴルロイスならば、きっと命や身の安全を飛び越えた先にある、真の名誉を指し示してくれるのではないか。
ウーサー王は迷わずこの伯爵の助言を請うた。
「私の助言を聞きたいと、そう仰られましたな」ゴルロイス伯爵は、穏やかな口調で説いた。
「私から言える、貴方が成すべきことは……。そうですな。我々は一刻も速く、剣と槍を取り、鎧に身を包まねばならないということです。そして、この丘から、敵のまっただ中に下りてゆかねばなりません」
まさかと思うような言葉を口にするゴルロイスに、ウーサーの顔はこわばる。しかしゴルロイスは表情を変えぬままに続けた。
「なぜなら、彼らはいま、我々をとても侮っているからです。再び戦いを挑んでくるにしても、まさか今すぐに襲ってくるとは考えてはおりません。今ならば、彼らは確実に眠っていることでしょう。彼らは、朝になったら我々を追い詰めるために山を登ろうと考え、力を蓄えるために休んでいます。だからこそ、それを逆手に取るのです」
「寝込みを襲うというのか?」
「その通りです。自らの運命は、男らしく自らの手で勝ち取るしかありませぬ。彼らに奇襲を仕掛けるのです。そうすれば敵は混乱し、うろたえることでしょう。そのためには、我々は鬨の声もトランペットも無しで、息を殺して敵に近づかねばなりません。彼らが眠りから目を覚ます前、最初の攻撃で、我々は出来る限り多くの敵を殺すのです。我らの剣から逃れ、生き延びたものたちが、戦列を立て直すことのないように」
およそ、名誉を重んじるというゴルロイス伯爵の口から放たれた助言とは思えない。一方的に寝込みを襲うなど、騎士の名誉にもとる行為ではないのか?
怪訝な顔を示すウーサーに、
「お聞きなさい。ここからがもっとも重要なことですぞ」ゴルロイスは落ち着いた様子で告げた。
「すべての戦士たちは、己が過ちを悔悛するのです。神の前に跪き、これまでに犯した罪の赦しを求め、生活を改めることを硬く誓うのです。我々が普段しているような悪事のすべてに背を向けて、離れなさい。我々を主の御手に抱いてもらえるよう……。そして、キリスト教徒に戦いを挑んだ冒涜者たちと戦う力を授けてもらえるよう、主に祈るのです。さすれば、主は我らの戦いを支持してくださいましょう。主がともにある我らに対して、いったい誰が悪を成すことができましょうか」
かねてよりウーサー王をはじめ、隊長たちに好意的だったこともあり、この相談役の助言に反対するものはいなかった。
すべてのブリテン人は、ゴルロイスの言うとおりに悔悛の念をもって神の前に跪いた。そして、これからの生活において、悪事と決別することを硬く誓った。
祈りを終わらせたのち、彼らは手に手に剣や槍を取り、鎧を着こみ、そして谷へと続く山腹を下りはじめた。異教徒に気づかれることなきよう、ゆっくりと、物音を立てずに、彼らはそろそろと麓を目指して進んでいった。
ブリテン人は麓にまで下りると、果たしてゴルロイス伯爵が言っていたように、すべての異教徒は武器を置き、鎧も脱いで、それどころか見張りさえも立てずにぐっすりと眠っていた。
完全武装したブリテン人と、裸同然で眠りこけているサクソン人。もはや剣が狙いを外すはずもない。
一方的な虐殺がはじまった。
ブリテン人は眠っている敵の胸に、剣を深々と突き刺して回る。あるものは眠ったままの相手の頭をそのまま打ち落とし、腕や足を切って回るものまでいる。
いまやブリテン人は追い詰められた敗者などではなく、飢えたライオンと化していた。獲物を前にしたライオンは、雄羊も子羊も、小さい獲物であろうと大きな獲物であろうと、それが狩るべき対象の羊と見るや、一匹残らず殺して回った。
槍兵も隊長も、ブリテン人はひとり残らず、殺戮に興じた。
ようやく異変に気づいた異教徒たちだが、慌てふためくばかりでなにもできない。それもそのはず、彼らはたった今まで深い眠りの只中にいたのだ。寝ぼけた頭では、これが夢なのか現実なのかすら定かではなく、鎧を着る余裕などあるはずもなく、剣を手に取ることもできず、それどころかこの戦いの場から逃げ出すことすらおぼつかない。
いかに無防備とて、ブリテン人の剣を振るう手に慈悲はなかった。鎧を着込んだものも、裸のままのものも、ブリテン人の剣はその胸を突き刺し、心臓を、そしてはらわたを引き裂いた。
程なく、ウーサーのもとに報せが届いた。さんざんブリテン人を悩ませた異教徒の君主であるオクタとオッサが、生きたまま囚えられたのだ。
ウーサーは彼らをロンドンへと連れて行くように命じた。そして、堅牢な牢獄に投獄し、生きて出ることののないように、頑丈な鉄の枷で繋ぎ止めるよう、命令を下したのだった。
こうして、キリスト教徒は起死回生の逆転を果たし、異教徒はこの地からいなくなったのである。
だが、夜の暗闇のなかでの戦いだったのだ。すべての異教徒が逃げ出さなかったという保証などない。実際に、何人かの異教徒は戦場から走って逃げ去っていた。命からがらの脱出において、殺されている仲間を顧みる余地などはなかった。
しかし、異教徒を撃退したブリテン人たちは、作戦が上手くいったことへの驚嘆と、からくも窮地を脱したことへの安堵によって、逃げ去ったもののことなど、一顧だにしなかったのである。
オクタたちの処遇を命じたウーサーは、ようやく平穏を取り戻したヨークを離れ、ノーサンバーランドのあらゆる場所を見て回った。そして、ノーサンバーランドを拠点に巨大な軍隊と数多くの船団を率いて、スコットランドへと乗り込んだ。
そこでウーサーは、異教徒の残党を片っ端から粛清して回り、彼らに虐げられていたブリテン島の住民を開放し、その権利を取り戻していった。
もはやウーサーの軍隊を押しとどめる勢力など欠片も存在せず、彼の行軍を止めることは誰にもできなかった。
こうして、ブリテン島に再び平穏が訪れた。
ウーサー王の治世は、これほどにまで王国に平穏と平和がもたらされたことは、かつてないと評されるほどであった。
こういった仕事を北の果ての隅々にまで行き渡らせたウーサーは、復活祭にて王冠を掲げるためにロンドンへと向かった。
そこで王は、これまでにない豪華な祭りを催すことを宣言し、王国のすべての人々を招いた。近くのものはもちろん、遠くのものであっても、公爵に伯爵、市長に長官、そして彼らの妻に親族、関係者のすべてを連れて、ロンドンでの祭りに参加するようにと。
もちろん、これを拒絶するものなど、ひとりとしているはずもない。すべての領主に貴族は喜び勇んで、妻をともないロンドンへと集まってくる。
そして、かつて例がないほどの華やかな祭りがはじまった。
ミサの祈りが終わると、大勢の参加者は食事のためにホールへと向かっていく。ウーサー王がその頂点に位置する高座へ座ると、王国の貴族に領主たちはそれぞれの序列や等級に従い、国王の周囲に並び座った。
その中にはもちろん、先だっての戦いで功労者となったコーンウォール伯ゴルロイスの姿もある。彼は臣下の中でも特に敬意を払われ、ウーサー王のすぐ近くに椅子を用意されていた。
そこでウーサー王は、運命的な出会いを果たしてしまうことになる。
ゴルロイス伯爵の横に座っていた貴婦人が、ウーサーの目を捕らえて離さなくなってしまったのだ。
それは、ゴルロイス伯爵の妻、イゲルヌであった。[3]
ブリテン島において、ありとあらゆる土地を見て回ったウーサーだったが、どんな土地でも見たことがないほどの美しさを持った貴婦人の前に、心中の動揺を隠せなかった。
しかも、ただ美しいというだけではない。彼女の食事の様子や立ちふるまい、喋るときの仕草、そのひとつひとつが気高い貴族のものであり、その洗練されたさまは、彼女の美しさに引けをとらないほどに素晴らしいものだった。
いかなる運命の悪戯か、ウーサー王は、夫を持つ女性に心を奪われてしまったのだ。
[1]オッサ(Ossa)……第四話と第九話ではオクタ(Octa)の縁者としてエビッサ(Ebissa)という名が登場しています。
立場や名前の特徴からして、エビッサとオッサは同一人物と思われますが、どうして名前が変わったのかは分かりません。
強いて言うのであれば、ブリュ物語にはこういった細部の矛盾はわりと多く見受けられるので、単なる誤表記かも知れません。(汗)
[2]ゴルロイス(Gorlois)……アーサー王伝説では「ゴロワ」あるいは「ゴルロワ」などの名前で登場することが多い人物です。
おそらくフランス読みでこうなったのだと思います。
1155年の時点では書き言葉としての英語は存在しておらず、文字に記す際にはすべて話し言葉の発音をラテン語(ローマ字)に当てていたので、こういった食い違いが発生するのでしょう。(これが現在における英語の源流になるわけです)
[3]イゲルヌ(Igerne)……上記ゴルロイスとおなじく、アーサー王伝説ではしばしば「イグレーヌ」という名で登場します。
この二名の名前が出てくるあたりで、ようやく物語も中盤に差し掛かるといったところですね。




