第一話 コンスタンティン王/ボルティゲルンの野望
はじめに
ここに公開する物語「アーサーの系譜」は、1155年にフランスの詩人ワースによって作られた詩歌「Roman de Brut(ブリュ物語)」のうち、「Arthurian Chronicles」に該当する部分を和訳したものです。
見ての通り、私の手による創作ではなく、サイトの趣旨に沿ったものではありませんが、小説家になろう運営様に是非をお伺いしたところ、著作権に触れなければ問題ないとの返事をいただけましたので、ここに公開させていただく次第となりました。
ブリュ物語とは、簡単に説明しますと、現在に伝わるアーサー王伝説の原型のひとつです。
現在、もっとも有名なアーサー王伝説の原型は、1136年、ジェフリー・オブ・モンマスによる「ブリタニア列王史」と思われます。
1155年、ワースによって書かれたブリュ物語は、ラテン語で書かれたブリタニア列王史をもとに詩歌としてロマンス語(中世フランス語)に翻訳され、更に騎士道精神などの描写を盛り込まれたものです。
個人的には「獅子心王リチャード一世の読んだアーサー王伝説」という位置づけとして解釈しています。
詳しいところは、以前、私のブログに書いた内容をそのまま活動報告「解説:ブリュ物語について」に転載しましたので、興味がありましたら御一読くださいませ。
それでは、「一二世紀、イングランド版」のアーサー王伝説、お楽しみいただけると幸いに存じます。
――かの偉大な王の系譜を伝えよう――
ブリテン島では、長きに渡り戦いが続いていた。
街は廃墟と化し、道からは子供の姿は消え失せ、そして家は扉を堅く閉ざした。人々は息を殺し、ひっそりと隠れて暮らしていた。
そんなあるとき、トトネスの港に大勢の屈強な騎士たちが降り立った。彼らの中心にいるのは、絢爛な鎧に身を包んだ、ひとりの若い騎士である。
彼の名は、コンスタンティン。
まずは、この土地の王と話をせねばならない。そう考えた彼は人を送り、王として君臨するものを探させたが、見つかるのは文明とは程遠い野蛮な部族の酋長か、あるいは盗賊どもの首領くらいのものだった。この地には、王に相応しい人物など、ひとりとしていなかったのだ。
この知らせを受けたコンスタンティンは、しばし思案し、そして言った。
「ロンドンへ向かおう」
軍勢は一斉に歩き出し、家に隠れていた人々は恐れをなして、さらに堅く扉を閉じた。
それを見たコンスタンティンは、部下に命じて伝言を伝えさせた。それも、ひとつの家やひとつの街ではない。軍勢が通り過ぎるすべての街、すべての家に向かって、大声で言葉を発したのだ。
「ブリテンの民よ。恐れることはない。今こそ我がもとに集いて、ともに平和の礎を築こうではないか」
それまでの間、来るものといえば盗賊か、あるいはどこの部族とも知れぬ原始人の如き蛮人だったのだ。怯え、隠れることでしか身を守るすべを持たなかった人々は、今こそ望まれしものが到来したのだと悟り、次々に家から飛び出してきた。
外は激しい雨だった。街は打ち捨てられ、道は寂れ果て、見えるものは山と森ばかりだった。それでも、彼らは喜び勇んで駆けていき、次々に騎士の軍勢へと加わった。
もちろん、この言葉を聞いたのは好意的なものだけではなかった。
盗賊に蛮族、この地に害悪をまき散らしてきたものたちは、自らを危うくするこの来訪者に脅威を抱き、不遜にも戦いを挑んだのだ。
しかし、およそ戦争とも言えぬままに、戦いは終わった。磨かれた鎧に身を固めた騎士たちと、彼らに率いられたブリテンの人々。盗賊や蛮族など、彼らの前には烏合の衆に等しかった。
騎士の軍勢は膨れ上がり、勢いを増し、もはや戦いを挑む愚か者はいなかった。悪人たちと善人たちとの立場は完全にくつがえされ、今や悪人こそがひっそりと身を潜めて隠れ住むようになった。
こうして、ブリテン島に平和がもたらされたのである。
ある日、ブリテン島に暮らすあらゆる領主や貴族のもとに、伝令がやってきた。
「王を決めるための大会議を開催する。サイアンセスター市に赴き、こぞって参加されたし」
この会議には、大勢の領主や貴族が参加した。だが、ほとんど揉めることはなく、会議はあっさりと終わった。議論を戦わせるまでもなかった。そこに集った領主も貴族も、たったひとりとして異論を挟むことなく、口々に言ったからだ。
「コンスタンティンこそ、我らが王なり!」
仮に不満を抱くものがいたとしても、この賛意の嵐の中で声を上げるような豪胆さを持ってはいなかったろう。
かくして、コンスタンティンの頭上に王冠が据え置かれ、彼は喜びの声に包まれてブリテンの王となった。
そして、ほどなく王は、とある女性を妻として娶った。
記録にはないが、この女性は、かのローマ帝国とともにブリテン島を訪れたものたちの末裔で、由緒正しき家柄のものだろうと言われている。
ともあれ、コンスタンティンは、この女性とともに三人の子供をもうけた。
ひとり目は、コンスタント。父の名を継いだこの長男は、生まれてすぐにウィンチェスター市に送られ、そこで修道士として育てられることになる。
ふたり目は、アレリウス。教会で祝福を受け、アンブロシウスの名を洗礼名として授けられた。
三人目は、ウーサー。今はまだ誰も知らないが、彼こそが三人の中でもっとも永らえ、ブリテンの歴史を作り出していくことになるのだ。
アレリウスとウーサーには、ゴッセリン市の大司教が後見人として付き、それぞれに付き従う従者が選ばれた。
さて、実際のところ、コンスタンティンは名君だった。
彼の治世のもとでは大きな争いも起こらず、かつて人々を脅かした盗賊や蛮族たちもなりをひそめていた。
しかし、平和な世の中は、彼が即位してから一二年目に、突如として幕を下ろすこととなる。
ブリテン島に災いが近づいていたのだ。
コンスタンティンの部下に、とあるピクト人[1]がいた。
彼がなぜ凶行に及んだのか、知るものはいない。彼は呪われた人格を持つ、薄汚い裏切り者だったのかも知れない。しかし、後に起きる出来事から察するに、おそらく、裏で糸を引いているものがいたのだ。
――私も長い間、その暗躍者の名を聞かされてきたものだ。
そして、お聞きの貴方がたも、しばしの間、その名の主を冷ややかに見守ることとなるだろう――
「王よ、内密にお話せねばならないことがあります」
ピクト人は言葉巧みに王を誘い出し、人目のない果樹園の奥へと連れて行った。
「話とはなんだ?」
王は、この男がナイフを振りかざし、飛びかかってくる瞬間まで、まったく疑っていなかった。この男から身を守らねばならない、そんなことは想像さえしていなかったのだ。
動かなくなった国王を尻目にピクト人は果樹園から逃げ去り、こうしてコンスタンティンの治世は終わりを告げた。
彼を国王に選んだ領主に貴族。そして彼のもとに集ったブリテン島の善良な人々。その悲しみがどれほどのものか、想像できようか。
なによりも彼らの心に影を落としていたのは、世継ぎのことだった。王国を統一するためには、コンスタンティンの跡を継ぐものが必要なのだ。
しかし、コンスタンティンには、いまだ幼い三人の子供たちの他に、後継者がいなかった。そして、誰ひとりとして、コンスタンティンの遺言を聞いたものはいなかったのだ。
次男のアレリウスと三男のウーサー。彼らのうちのどちらかが王位を次ぐべきであろうと誰もが考えたが、しかし、どちらがより王に相応しいかを見極めるには、ふたりとも、あまりにも幼すぎた。
長男のコンスタントは王座についても不思議ではない年齢に育ってはいたが、彼はすでに世俗を捨て、神とともに修道院に暮らしている身である。彼から修道院での生活を奪い、神の道から遠ざけることは、誰にも許されない冒涜なのだ。
しかし、そこに異論を挟む男がいた。
男の名は、ボルティゲルン。
ウェールズ出身の伯爵にして、裕福で優れた家柄に生まれた、屈強な騎士である。
彼は慇懃な物言いで、ずらりと並んだ諸侯を前に、慎重に言葉を選んだ。彼は、この日のために周到な根回しをしていたのだ。
「いったいどこに、」ボルティゲルンは顔を上げ、並んだ面々をぐるりと見渡した。
「――躊躇する理由があるというのだ? なにを悩む必要がある。コンスタントを王座に座らせる以外に、どんな道があるのだ」
明らかに、神の道に背く言葉だった。
その場の誰かがそのことを指摘し、この男の不遜を正そうとしたが、ボルティゲルンは続ける言葉でそれを遮った。
「修道院に暮らしているとはいえ、彼は正当な後継者の資格を持っているではないか。おまけに二人の兄弟は、まだ彼の胸にすら届かぬ幼な子だ。……かといって、どこの馬の骨とも知れぬ余所者に王冠を渡すわけにもいかぬだろう?」
ボルティゲルンの言葉は神の道に反してはいたが、しかし、正しくもあった。もはや誰もその言葉を遮ることはできなかった。
「この国のためならば、私は魂に罪を背負うことも厭うまい。彼の肩から、修道士のガウンを剥ぎ取るべし!」
神をも恐れぬ言葉に、周囲のものは尻込みするばかりである。そんな面々を前に、ボルティゲルンは不敵にも言い放った。
「他の誰にも出来ぬのなら、私がこの手で彼を修道院から連れ戻そうではないか。そなたたちの前で、彼を王座に座らせて見せようぞ!」
会議の場にいた領主たちは、あまりの恐ろしさに震え上がり、黙り込んだままだった。
そんな彼らを尻目に、ボルティゲルンは会議を後にし、その足でウィンチェスター市に向かった。
彼の目が邪悪な決意を宿していることに気づいたものは、いなかった。
「コンスタントどの!」
亡き父のために神に祈りを捧げていた若き王子は、突然の声に振り返った。
「大変なことになっておりますぞ! 貴族や公爵どもは、そなたの亡き父上のあとを、幼い兄弟に継がせようとしております! このようなことは、あってはなりませぬ。王座と王冠はそなたが継ぐべきものです!」
コンスタントの目に逡巡が走った。彼はすでに俗世から離れた身、神のしもべとして生きていく誓いを立てていたのだ。
しかし、その一方で、コンスタントの脳裏には甘い欲望が生まれていた。
その心の動きを鋭く察知したのか、ボルティゲルンは畳み掛ける勢いで続けた。
「王となるべきそなたには、そのようなみすぼらしい装いは相応しくありませぬ。もしも私を信頼し、臣下への愛情を注いでいただけるのでしたら、私は我が財産をさらに増やし、そのすべてをそなたのために使うことを誓いましょう。そして、そのボロ布から貴方を解き放ち、絶大なる王権とともに白テンの毛皮を身にまとわせることをお約束いたしましょう」
コンスタントの甘い欲望はむくむくと膨らんだ。
彼の脳裏にボルティゲルンの言う通りのものが次々と現れ、そして、望みさえすれば、そのすべてが手に入るのだという実感が湧き上がった。
そこへすかさず、ボルティゲルンの言葉が滑りこむ。
「時間がありませぬ。今こそ決断のときですぞ! この修道院か。それとも、そなたが受け取るべき、正当な遺産か。さあ、どうなさいますか?」
実のところ、若き王子は、この修道院をさして愛してはいなかった。
王子として生まれながら、物心も付かぬうちに修道院に送られたのだ。伝え聞く俗世の華やかな調べや、本来なら自分も享受しているはずのきらびやかな王宮での生活。それらに、羨望の念がないとは言えなかった。だが、神への祈りのみが、彼に許されたすべてだった。
しかし、ボルティゲルンがもたらした一陣の風が、若きコンスタントの心に鮮烈な空気を送り込んだ。彼は、本当の自分の心を悟ってしまったのだ。
「聖歌も、聖書も、もうたくさんだ」
彼の心にあったのは、疲労感だった。俗世への憧れを神への愛でごまかして生き続けることに、彼の心はくたくたに疲れていたのだ。
そのことに気づいてしまった瞬間、彼の心は決まっていた。
すっくと立ち上がり、たった今まで読んでいた聖書をいとも簡単に放り出し、ボルティゲルンの手をとった。
「そなたこそ、我が運命なり。私はなにをすればよいのだ。さあ、なんでも言うがいい。そなたを信頼し、すべてそなたに委ねることを、ここに誓おう」
「よくぞ申された!」
ボルティゲルンに導かれるまま、コンスタントは礼拝堂をあとにした。修道院を出たところで、ボルティゲルンは上等な毛皮ときらびやかな衣服を差し出した。これこそ、長きに渡りコンスタントが心の奥底で望んでいたものだったのだ。
コンスタントは、身にまとっている修道士のガウンを煩わしいものでも振り払うように脱ぎ捨て、ボルティゲルンの差し出した絢爛な衣服へと着替えた。
この間、狼狽しつつも呼び戻そうとする修道士たちに、一瞥すらくれることはなかった。
こうして、コンスタントはロンドンへと向かった。
しかし、ロンドンの街には、新しい王を迎える人々の喜びの声はなく、ひっそりと静まり返っていた。
父王の椅子に座っても、彼に聖油の秘跡を授けるべき大司教はおらず、その代わりを務めるものもあらわれはしなかった。ほかでもない、コンスタント自身が神を裏切ってしまったからだ。
彼には味方はおらず、いるのはただひとり、王冠をうやうやしく差し出し、コンスタントの頭に載せるボルティゲルンのみだった。
若き王には、聖油の秘跡も授けられなければ、祝福の言葉もかけられなかった。
――この話を伝える私には、祈ることしか出来ない。
神よ、彼をボルティゲルンの魔の手から救いたまえ――
[1]ピクト人……スコットランド周辺に住んでいたと言われるケルト系の原住民です。身体中に刺青を施した姿から、ピクト(ピクチャー、絵画の意)人と呼ばれたそうです。
……というのが一般的な話ですが、グリム・ドイツ伝説集によれば、スキチア(現在のウクライナ周辺)から海を渡って(つまり黒海・地中海経由で)スコットランドに移住したという伝説が残っているそうです。
この伝説の記録は七~八世紀からあるらしいので、ピクト人の移動がいったいどの時代に行われたのか、見当も付きませんね。