5‐世間知らずVSべっ甲メガネ
櫻田青葉の受難は朝だけではなかった。
最初の休み時間も、次の休み時間も、そのまた次の休み時間も、櫻田青葉が携帯を購入したという噂を聞いた生徒がクラスに押し寄せてきた。
それは先輩、後輩にまで及び、先生すら「別に気にしてはいないけどなんだか生徒の様子が騒がしいから」などと言ってこっそり様子を見に来る始末だ。
「うー。どうしてこんなことになるの?」
ツバキが邪悪な目で睨みをきかせ、なんとか野次馬を追い払った昼休み、青葉は机に突っ伏して疲労のため息を漏らす。
同じ机に弁当を広げたツバキと壮士はそれを聞いて「何を今更」とお互い肩をすくめてみせた。
「だって青葉、あんたってほら、弁当がだいたい日の丸だし、たまに帰りにコインランドリー行くのとか言って大量の洗濯物学校に持ってくるし」
「それにさくらちゃん、シャンプーの銘柄聞いたら石鹸会社の名前答えるし、私服じゃなくてジャージか制服で遊びに来るし」
「素直に貧乏って言えよお!」
青葉は突っ伏した顔を上げてぎゃんぎゃん吠えた。二人はそんな青葉をあやすように「よしよし」「可愛い可愛い」と頭を撫でる。
青葉は大人しくまた机にずぶずぶと突っ伏した。
「うぅううぅう……。私ってあなた達の何なの? 私はペットじゃないやい」
「そうだな、全然関係ないんだけど、学校に入ってきた野良犬を学校のみんなで飼おうよってなった時を思い出しちまうよ」
「野良犬か! 私は野良犬か!!」
「考えなくても分かるでしょ。さくらちゃん実質俺らに餌付けされてるし」
そう言いながら壮士は青葉の口にスティック菓子を突っ込んだ。
青葉は喚いていた表情はどこへやら、一転おいしそうに菓子をもぐもぐ咀嚼する。壮士はニコニコともう一本青葉の口に差し込むと、青葉は無邪気に「うまうま」と口を動かした。
ツバキは壮士が青葉に菓子を補給し続けるのを眺めていたが、3本目あたりで「コラ」とストップをかけた。正確には、青葉の口と壮士の手を繋ぐスティック菓子をポッキリと折った。
青葉は残ったスティック菓子を大事そうにポリポリしている。
「青葉へのお菓子は一日10gだ、忘れたか壮士」
「もうちょっと見たかったんだけどな。さくらちゃんて本当おいしそうに食べるよね」
「駄目だ。あんまりやると懐かれるぞ」
青葉が口の中のお菓子をゆっくり味わいながら、「ははひはいふひゃひゃいと叫んだ。おそらく「私は犬じゃない!」と言いたいのだろう。
「ところで青葉、お前の番号の登録名は『わんこ』でいいか?」
「はへひ……! ……もぐ、駄目に決まってるもん!」
「俺は『あおばリス』にしようかなあ」
「わらひのどこが! ……もぐもぐ、リスひゃのよ!」
放課後、櫻田青葉はいつも通りダッシュで昇降口へ向かっている。
ツバキは部活だし、壮士はいつも通りクラスで女の子と喋っている。
放課後にもなると、ツバキの睨みもあってかそれほど話しかけられることもなくなっていた。時折すれ違う教師や先輩に「おめでとう」なんて挨拶されるくらい。
青葉は昇降口に着く頃には、もうすっかり一段落したものだと思っていた。
だから下駄箱から馴染みのシューズを取り出そうとして、後ろから声をかけられた時、青葉は突然のことに驚きの声を上げた。
「あっ、あの、櫻田青葉さんですよね!」
「へ?」
振り向くと小さな女子生徒が立っていた。
髪は染めたことがないであろう真っ黒なショート。制服も着崩した様子はない。
べっ甲フレームの不格好なメガネをかけているが、青葉はべっ甲を知らないので「何だか綺麗だなあ宝石かな、はっ! ひょっとしてこの子お金持ち!?」とか考えていた。
べっ甲フレームの彼女はおずおずと口を開く。
「あ、私、2年3組の池瑠上枝って言います。あ、あの、櫻田さんが携帯買ったって聞いて……、その、おめでとう」
「あ、ありがとうございますっ!」
「えっ、ど、どういたしまして……?」
運動部ばりに会釈した青葉に戸惑い、上枝もぺこりと会釈し返した。
青葉は改めて上枝を見つめる。
どこかで会ったかと考えても、いまいちピンと来ない。青葉の知り合いの知り合いかもしれない。そんな遠い関係の人にもきちんと祝いの言葉を述べに来るなんて、よっぽどいい人なんだな、と青葉は思った。
上枝は会話が途切れてしまい、青葉にじっと見つめられて少し冷や汗をかいているようだ。
青葉が首をかしげると、上枝は本題を切り出し始めた。
「そ、それでですね、青葉さん携帯持って、もう立派な女子校生でしょう?」
「う、うん! まあね!」
青葉はパアっと顔を綻ばせ、頬を掻いて照れてみせる。上枝もそんな青葉の様子に調子づいて来たようだ。
「それで、女子高生で今とっても流行ってるアプリがあるんです。ガラケーでも入れるから、櫻田さんもやってみたらどうかなって、思って……」
「流行ってる? そんなに人気なの?」
「ええ。いま女子高生ならみんなやってますよ」
「へえー。っていうか、アプリって何?」
青葉の質問に上枝は固まった。
上枝も多少は青葉の事情を噂では聞いていた。だが、青葉の純真で世間知らずな瞳を直視できなかった。
青葉は交差点のワイドショーで何かたまにそんな単語聞こえるなあ程度の認識なので仕方ないのだが。
上枝は少し呆れ顔で説明を始める。
「あ、アプリっていうのは、携帯に色々な機能を付属したり、携帯で簡単に娯楽を楽しめるものなんですよ。ゲームができたり、ニュースを見れたり、テレビだって観れちゃうんですから」
「て、テレビが観れちゃうんですかこの携帯で!!」
「うん。最近はアプリ業界も進化してるみたいで、ガラケーにも入れられるアプリが増えてるんです」
青葉は自分の携帯を取り出す。
ピンク色のコンパクトなガラケーは、開くとまだ液晶にフィルムが貼られたままだ。
青葉は自分の手の中にある無限の可能性をまじまじと眺めた。
「す、すごいんですね携帯って!」
「そうなんです。それでですね、そのオススメのアプリっていうのが、『マジカルデコレーション』っていうアプリゲームなんですが」
「マジカル……デコレ、ション?」
「マジカルデコレーション。櫻田さん、『アプリブランド』って、聞いたことありません?」
「アプリブランド……。……あ、そういえば、今朝ワイドショーで聞いたかも」
青葉は朝の交差点での出来事を思い出した。
そういえば、あの急に話しかけてきた男の人も、ブランドがどうとか言っていた気がする。
「アプリブランド、簡単に言うと、アプリゲーム業界とファッション業界が協力した形みたいなものですね。ブランド社がゲーム向けに衣装をデザインして、アプリの会社がゲームの仮想空間でそれを売る」
「ブランド……。それって、私にあまり縁のないような言葉だね」
「ああ、誤解しないで下さい」
伏し目がちになった青葉に上枝が詰め寄る。
「ブランドって言っても、中小の会社がデザインした服が大半だし。それに現実の服と比べてずっと安いんですよ」
上枝は不安そうな青葉にニッコリと笑いかけた。
「ねえ、やってみません? それに、私が櫻田さんを誘ったのは、櫻田さんが携帯を持ったからだけじゃないんですよ?」
「え?」
青葉が目をパチリとしばたかせると、上枝は青葉の手を携帯ごと強く握った。そして今までとは違う熱のこもった瞳で青葉を見つめる。
「櫻田さん、マジカルファイトに出てみませんか!?」
「マジカルファイト?」
「そうマジカルファイト。櫻田さんならきっと強い魔法少女になれるはずですよ!」
魔法少女? なんでいきなり魔法少女? 日曜朝番組ですか?
青葉はぐるぐるとした頭で訳が分からないまま、一人興奮している上枝に連れて行かれる羽目になった。