1‐貧乏VS女子高生
「あぁああぁああぁ!! 嫌だ嫌だやめてくれぇ!!」
「うるさい! グズグズ言わないのオトコノコでしょ!」
朝早く、片田舎の団地の一角に絶叫と言い争いの声がこだまする。
今や絶滅危惧種と化した木造の二階建てボロアパート。壁は薄く、ガラス窓も一枚張りなので隣室の物音もよく聞こえる。
隣室といわずアパート中に響き渡る大声で言い争う諸悪の根源は、二階の203号室にいた。
日光すらろくに当たらないこのアパートで最も日照が少なく、その上隙間もあちこちに見当たる、ここでいちばん安売りされている部屋である。
二つの畳敷きの四畳半が襖で仕切られ、扉に近いほうの部屋、リビング兼ダイニングと思しき狭い部屋の中で、親子が向かい合って口喧嘩を続けている。
しかし喧嘩というにはいささか力の差がありすぎた。
少年は畳の上に置かれたものに張り付いて訴える。
「こんな早くから片付けるなんておかしいぜ! いつもはあと二週間は出してくれるのに!!」
母親と思しき女性は少年を引っペがし、それをさっさと片付けようと試みる。
「つべこべ言わない! しょうがないでしょこの前はお姉ちゃんの誕生日だったんだから!」
「姉ちゃんばっかりずりぃよ!! あんな高いもの買ってもらえるなんてさ!」
少年がなかなか離れず駄々をこね始めたところで、寝室からセーラー服を着た高校生ぐらいの女子が飛び出してきた。
「だって私もう高校2年生だもん! いい加減公衆電話と向き合う日々とオサラバしたいの! それに十円持ってない時ってとっても悲惨だし! 百円あれば五円チョコ二十個買えちゃうし!」
そう言う彼女の右手には携帯電話、由緒正しきガラケーが握られている。デコレーションどころかストラップさえ付けられていないそれを満足そうに弟に見せびらかす。
「それにねえ、私だってこれ買ってもらうために一年分のお小遣い前借りしたんだから!」
「何だってえ!? 本気か姉ちゃん!」
「本気だもん! 女子高生なら携帯は必須アイテム! もうテレフォンカードの日々になんて戻らないわ!」
「なら青葉のテレフォンカードは楓に全部あげちゃいましょう」
「俺そんなに電話しねーもん! ガキじゃあるまいし!」
「ガキでしょ」
「何を!」
掴み合いの喧嘩になりそうなのをお母さんがハイハイと制する。
青葉は溜息をついて母親に聞く。
「で、何を言い争ってたのよ」
「それがねえ、楓がダダこねて聞かないったら」
青葉は自分より背の低い小学生の弟をギロリと見下ろす。
楓は目が合えば勝てないことぐらい分かっていて、姉の刺すような視線をかわしたが、青葉は楓の頭を両手で挟み強引にこちらを向かせた。
「まぁたお母さん困らしてんのアンタはぁあ?」
「ちっげーーよ! 俺はただ、ストーブがこんな早く片付けられるなんておかしいと思って……」
「おら、窓の外見なさいよ」
青葉が弟の頭を捻り、お母さんが寝室の窓のサッシをガラガラと開ける。
窓の向こうには朝日に照らされた街がしんしんと輝きを放っていた。
「見ての通り……もう雪は溶けてるでしょ」
「だからなんだよ」
「それぐらいあったかいってことよ」
寝室の窓に並び朝日に照らされる一家。
街はほんのりと白み、空は藍色から徐々に空の水色、東には太陽がレモン色の色彩を朝の空にばら撒いていた。朝の湿った空気を桜田一家は静かに味わう。
朝日には頭をリラックスさせる効果があるとかないとか、楓はクラスの女子から聞いたことがある。
楓は自分の頭を抱いた姉の胸ぐらにそっと掴みかかり
「だからどうしたーーーーーーーーーー!!!!!!」
怒りの限り押し倒した。
リラックス? それよりまずはこの怒りを収めてくれないかなぁ!?
そう思いながら楓は水道も凍る寒い寒い冬の朝っぱらから姉弟喧嘩を始めた。