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「ねえねえ、コー君は好きな子、いる?」
コー君。
無論、それは僕の本名ではなく、彼女が僕を呼ぶ時のあだ名……らしい。
らしいというのはおかしな表現だと思う。だけど、そもそもこの状況がおかしいから言い得て妙であると思う。いきなり男友達に『俺、実は……お前の前世の恋人だったんだ……』って頬を染めてカミングアウトされた時のキモチ……嬉しさとか困惑とか気持ち悪さとか、そういう即物的な感情を通り越して、今の僕は頭の中が???な心境だった。
「え、えーっと……?」
大学の食堂内にて。
午前の講義がひと段落し、蜜に群がるアリのようにゾロゾロと学生が集まってくる時間帯。
僕は午後から講義が入っているので朝昼兼用の腹ごしらえをしようと、たいしてうまくもない素うどんを口に運ぼうとしていたそんな食事時に彼女がいきなり長年連れ添ってきた妻に語りかけるような口調で声を掛けてきたんだ。
要するに……。
彼女はいきなり知りもしないましてや友達でもない僕に告白まがいなことを言ってきた。何これ、ギャルゲー的展開?いやいや、ギャルゲーでもフラグが立つのが早すぎるよ。チャラオ君ならその場でベルトをカチャカチャさせて、悦ぶと思うけれど僕は至って普通なオトコノコ。男の娘じゃないやい。平凡が服を着せたような人間。いきなりそんなことを言われたら正直……鳥肌が立つ。ストーカー?サイコパス?エスパァーちゃん?メンヘラガール?やだ、怖い。アッチ行ってよもう。
「あ、あたし? コー君は私の名前、知らなかったっけ。あたしの名前は高橋菜乃花! よろしくね、コー君」
僕が返答に詰まっていると、目の前の彼女は肩先にかかるほどの長さの栗色の髪をくりくり弄りながら、笑顔でそんなことを言ってきた。な、何だろ、この有無も言わさぬズケズケとした物言い。第一印象だけれど、僕とはまるっきりタイプが違う感じ。美人系というより、可愛い系。インドア派というよりアウトドア派。草●ぎ君派というより、香●君派。つまり、元気が服を着たような感じかな。ごめん、今、何処かの誰かさんに喧嘩を売ったような気がする。
「えっと……き、君」
「で、コー君。さっきの質問に戻るけれど……彼女、いるかな?」
そして、また僕が口を開こうとした時、高橋さんは僕の真向いの席に座り、笑顔でそんなことを聞いてきた。あ、ま、また僕の言葉が彼女の言葉で打ち消されちゃった……。だ、だいたい何だよ……コー君ってのは。確かに僕の名前は結崎幸太で、あだ名は名前から考えればコー君になる。数少ない男友達や妹からはコータって呼ばれているけれど。そもそも、彼女が僕の名前を知っているはずがないんだよ……僕と彼女は赤の他人で、友達でもないんだし。
……もしかして。
彼女は、僕ではない違うどこかの『コー君』と勘違いしているんじゃあないか?
あだ名だから……名前は僕と違う可能性があるし、顔は……平々凡々な感じだから誰かと勘違いしちゃうかもしれない。で、でも……彼女、高橋さんは僕に自己紹介をしてた。つまり、僕が彼女を知らないってことを彼女は自覚していたことに……う、うーん、や、やっぱり、ストーカーさん?
「おーい、もしもーし? コーくーん? 生きてる?」
「……はっ」
気付けば、彼女は不思議そうな顔して僕の眼前で手を左右に振っていた。
い、いけないいけない……と、とにかく、か、会話……しないと。こんなだから僕は友達や家族にコミュ障とか酷いことを言われるんだ。
「……あ、あの」
「ん? あ、生きてる。バンビみたいな顔してたから、死んでるかと思ったよ」
「い、生きてます。……そ、それに……それを言うならバンビじゃなくて、ゾンビです」
「こっまかいなぁ~~コー君は。オンナノコみたいだね! ……仕草が」
「お、オンナノコじゃない……です。ぼ、僕はッ……男の子で、その、き、君のいう……コー君じゃない……です」
「え、何言ってるの? コー君はコー君、君はコー君以外の何者でもないし、それ以上でもそれ以下でもないよ」
高橋さんは信じられないといった表情で僕に向かってそう言う。
な、何だよこれ……どうなっているんだ。僕が信じられないよ。誰か助けてください。
地元の平均的な偏差値の公立高校に入学して、そして、特に何もなく普通に三年の時が過ぎて、ソコソコ普通に勉強して、普通に平均的な偏差値の私立大学に合格して、そして現在一回生な僕。特に不幸なこともなかったけれど、特に楽しかったこともない普通な人生。そんな普通人間の僕がまだこの大学に入学して一ヶ月も経っていない内に可愛い系な女の子の先輩(っぽい人)にあだ名っぽい名前で、しかも告白っぽい事でを言われるなんてどう考えてもオカシイ。もしかしたら僕は明日、運の使い過ぎで死ぬんじゃないか?頭の上に偶々、鉢が落ちてきて死亡……そんな普通な死因で。……普通じゃない?
「だ、だから……僕はッ」
「あああああーーーー!!!!」
「ヒィ! な、何ですかぁ!?」
僕がまた何か言葉を紡ごうとした瞬間、彼女はいきなり椅子から立ち上がって発狂した。
な、何だよう、び、びっくりしたあ……ちょ、ちょっと漏れそうになったじゃないか……。
「コー君、それ! 何食べてるのッ!?」
彼女は僕の手元にある……うどんを指さし、そう怒鳴った。
え、えっと……なんでこの人はちょっと怒っているんだろう……い、意味わかんなぁい?
「う、うどんですけれど……」
「う・ど・ん~~~!? そんなの、食べちゃだめ!!!」
高橋さんはまるで末期の薬中患者のように発狂すると、すぐさま僕のまだ手をつけていないうどんの入った鉢を学食のテーブルにひっくり返した。子供の様にひっくり返すものだから当然、アツアツのうどんの出汁が机の上で踊り、僕の顔や太ももに飛び跳ねてきた。
「あっっつぅ! なっ、なにすr」
「コー君!? うどんなんて、身体に悪いモノを食べちゃだめだよ!!」
ま、また……。
僕はこの人の前で、この鬼畜の所業に対して文句を言う権利も与えられていないのだろうか。
「か、身体に悪いモノぉ?」
「そうっ、コー君は今、身体にすっごく悪いモノを食べようとしていました!! 知ってる? まずこの、濁った油塗れのハゲおやぢをじっくりコトコト煮込んだような出汁! 略して泥水!!」
「い、嫌な表現をするなあ……略してもいないし」
「黙って聞く!!」
「は、はい」
「この汚水には、水、昆布、煮干し、鰹節、うすくち醤油、酒、塩が入ってるんだよ!? まぁ、水とお酒は良いとして……みーんな、身体に有害なものばっかりじゃない!!」
「な、なんでぇ?」
「そして、この具! 蒲鉾っ、ワカメっ、刻みネギはまあ良いとして……あと、この油ギトギトな天かすっ、まあまあ七味何てかけちゃって……これもヨシズミが真っ青になるくらいNGだよ!!」
「ど、どうしてぇ?」
「極めつけが、この憎たらしい白くて太くて長くてしこしことした麺っ、あぁっ、もう見るのもイヤなのにぃ!! こんなの人間が食べるモノじゃないよ!!」
「え、えぇー……」
高橋さんはおっかない修羅のような顔して次から次へと、具材やだし汁に文句を言い始める。
僕は僕で、まともに返事ができないまま、ただただ、ハムスターのようにたじたじ。な、何この子……もしかして、何か悪霊に取り憑かれているんじゃあないのか?
「でもね、別にあたしは鬼じゃないから……別に、コー君にうどんを食べるなって言ってるわけではありません」
「う、うどんの存在を全否定していたものじゃないか……」
「だから……コー君は今度から水に刻みネギを付けて食べよ? うんうん、うどんっておいしいものね……」
「そ、それはもう、うどんじゃないよ……精進料理よりもひどい有様じゃないか。僕はドMじゃないよ……だいたい、見ず知らずの赤の他人の君にそんこと言われる筋合いはな」
「あるよっ、コー君はあたしの友達っ、マイベストフレンド!」
さ、最後まで聞いてよもう。
「と、友達じゃ……」
「と、いうわけで、よろしくコー君」
「だ、だから、あ、あのね……?」
「よ ろ し く ね」
高橋さんは僕の眼前に右手を差し出してきた。
うう……これはもう無理矢理友達フラグだ。気の強い男子だったら、すぐさまこの差し出された右手をヘラヘラ笑いながら弾くことなんていとも簡単なんだろうけれどお生憎様、僕はそんなひょうきんな性格をしていない。つまり、強引なんだけれど、この握手を無視できないわけで。
「よ、よろしく……です」
「おっし、よろしく、コー君!」
握った。
ほんのり汗ばむ手……といっても自分から分泌されたものなんだけれど。そんな手で握る彼女の手はほんのり温かく感じた。そして、この気軽なやり取りが僕と彼女の奇妙な関係の始まりであったことはこの時の僕はまだ知らなかったんだ。