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女子会inコレットの菓子工房

Nシリーズ8の中間のあたりになります。

コレット視点で進みます。途中の*****からクラウス視点になります。






「もっとと言っても、あとはお菓子用の果実酒リキュールくらいしかないんだけですけどいいですか?」


 お店に突然やってきたアンブローシアさんは、蒸留酒ブランデー入りの花茶で酔ってしまったらしく、もっともっととお酒をせがんできた。

 えっと……飲ませてしまってもいいのかしら。


「だめなのか? うぅっ、やはりコレットさんはわたしのことを怒って……」


「そ、そんなことないですって。じゃ、あの、これで」


 仕方なく私は、自家製のアプリコットの果実酒リキュールにオレンジを絞る。それを水で割り、即席のカクテルを作って氷を入れてかき混ぜた。


「おいしい……! コレットさんはなんでも上手に作れるのだな。私とは大違いだ」


「料理は好きなので……」


「好き……。そうなの。

 わたしはさぁ、父に憧れて騎士になったの」


 酔いのせいか、気付けばアンブローシアさんの口調が次第にやわらかくなっていた。仕草も女っぽくて変わってくる。


「父は偉大ですばらしい騎士でね、わたしもそんな騎士になりたいなぁって。でもいつもいつも失敗ばかり……。この間は分隊長殿に怪我をさせるし、今日はコレットさんに失礼な態度をとるし……ううう」


「あの、それは本当にいいですから、泣かないで……」


 本当はあんまりよくないのだけれど、こんな一生懸命な人に焼きもちを妬いていたなんて、そのほうが恥ずかしい。悪いとすれば、怪我をしたことをおっしゃってくださらなかった、クラウス様なんだから。


「泣きません! 騎士に涙はいらないのです! さぁ、コレットさんも飲んで!」


「えぇ?」


 がばっと起き上がったアンブローシアさんが、突然ぐいぐいとお酒を勧めてきた。


(別にお酒が嫌いなわけじゃないけど……。の、飲まなきゃだめかしら)


「さぁ、早く!」


「えぇっと……」


 アンブローシアさんは、いつのまにか頬を真っ赤に染めている。

 私は、うっかりアンブローシアさんに蒸留酒ブランデー入りの花茶を出してしまったことを後悔した。一途で一生懸命なのはいいんだけど、アンブローシアさんって、酒癖がちょっと悪いみたい。


(うぅ、誰か、助けて……)


 酔っ払いには逆らわない方がいい、とは兄の教えだ。

 私は、仕方なく自分の分の飲み物を作る。ただし、果実酒リキュールは控えめに、オレンジ果汁を大目にして。

 そうして私がお酒を飲みだすと、アンブローシアさんは満足したように微笑んで、また話し始めた。


「騎士団長のジーク様、知ってる? すごくかっこいいんだよ。凛々しくて雄々しくて判断が速くて……。昔は父に憧れてたけど、今は、あの方みたいな騎士になりたい」


 アンブローシアさんは、アプリコットの果実酒リキュールカクテルを飲みほし、次は黒すぐり(カシス)果実酒リキュールを手にする。飲みながら、お父さん、そして団長さんについて語るアンブローシアさんは、憧れというより、恋をしているようだった。


「その、ジーク様のこと、ロー……、アンブローシアさんは好きなんですか?」


 カラン。

 氷がグラスの中で揺れる。

 あ、なんかこうやって好きな人のこと話すの、久しぶりな気がするな。ティル・ナ・ノーグに来てからは、ずっと気を張ってて、ゆっくりお酒を飲むなんてなかったから……。


「くすっ、ローシャでいいよ。ちょっと、昔気に入らない奴につけられた呼び名だから抵抗があっただけで、コレットさんだけだめってわけじゃないの」


 なんだ、そうだったんだ。

 やっぱり話さないとわからないことって、たくさんあるなぁ。

 そう思ったら、私の胸の中につかえていた疎外感が、少しだけ和らいだ。


「んん、ジーク様はぁ、好きっていうかぁ、好き? 好きなのかなぁ。好き? うーん……好きってどういうこと? コレットさんは分隊長殿のどこが好きなのです?」


「そ、それはその」


「んん? どーこーがー、好き?」


 アンブローシアさん……じゃない、ローシャさんは、にまにまっと笑って、竜胆色の瞳を輝かせた。


「や、やだ、ローシャさん、酔ってるでしょう!」


「酔ってないですよー。コレットさんこそ、もう少し飲まないと、しゃべれないです? じゃ、飲みましょう! ほら、ほら!」


 ローシャさんは、果実酒リキュールの瓶を手に取ると、私のグラスにどばどばとそそいだ。


「ちょっ、ローシャさん! お店の材料なくなっちゃいますってば!」


 というより、これじゃ、かなり濃い!


「うふふ、いいじゃない。女同士だもの。今日は語り合いましょう! あぁ、コレットさんはかわいいな。分隊長殿が惚れるのがわかる」


「惚れ……。そうですか?」


「そうですよ~。分隊でもね、コレットさんの話ってよく出るの」


「それはどんな……。あ、クラウス様っていつもどんな生活をされているのですか?」


「えぇ? 知りたいですか? んふふ~。んじゃねぇ、もっと飲む?」


「え、あ、う」


「朝からぁ、晩まで張り付いたから、一日の生活わかるよぉ。起床時刻からトイレの回数まで」


「お、おトイレはいいですけど。うぅっ、ローシャさん、ずるいっ」


 タン!

 私はカクテルを飲み干し、グラスをテーブルに置いた。即座に、ローシャさんが果実酒リキュールと水を注ぐ。


「ずるいって言ったって、それがわたしの研修だもん。

 寝起きのクラウス様は、髪が乱れてて、少し若く見えたよぉ?」


「それは知って……いえ、なんでもないです。あの、あとはどんな」


「えっとぉ、朝起きるでしょー? 結構早いのよ。わたし、初日間に合わなくて、次の日からクラウス様の部屋の前で寝たの。そしたら、こんなところで寝るな、体調管理も騎士の仕事だって怒られて」


 怒られて……。それすらもうらやましいと思ってしまうのは、お酒のせいかしら。


「仕方ないからがんばって早起きすることにしたわ。で、起きたらまず宿舎のまわりを走るのね。日中はご自分の鍛錬ってあんまりできないから、朝晩にしてるみたい」


「へぇ……。そうなんですか」


 それは知らなかった。


「で、水浴びをして朝食。あ、水浴びはのぞいてないよ」


 ローシャさんがぺろっと舌を出す。私が一瞬口をとがらせたのに気が付いたみたい。


「午前中は会議とか打ち合わせでいないことが多いかな。お昼食べて午後は任務か、任務がないときは訓練か見回り」


「その途中でお店に寄ってくださってるんですね」


 そうだったのか、と私がうなずくと、ローシャさんもうんうんと一緒にうなずいた。


「分隊長殿の声はよく通るよね。低くていい声」


 そう。そうなの。

 あまりお話にはならないけれど、すごくいいお声をなさってるの。なんていうか、体に響くっていうか。

 それをローシャさんは一日中聞けてるんだ。いいなぁ。


 私がそんなことを思っていたら、ローシャさんが澄ました顔で、


「ただし、ジーク様ほどじゃないけど」


と言った。


 な……っ

 その一言は余計だわっ。


「クラウス様のほうがいいお声です」


「知らないのに何言ってるの。ジーク様のほうがいい声だもん」


「クラウス様です」


「ジーク様よ」


「クラウス様ですっ」


「ジーク様だってば!」


 グラスを握り込んで、お互いにらみ合う。「むぅっ」と二人でうなり、同時にぱかっとグラスを空けた。ローシャさんは、別の果実酒リキュールを勝手に持ってきて、自分でカクテルを作る。


「ほら、コレットさんも」


「私はもういいです」


「何言ってるの。ここまで飲んだんだから、もうちょっとつきあって。

 コレットさんはいいなぁ。好きな人と一緒にいられて。

 わたしは……。父は、兄が騎士になることは喜んだんだけど、わたしが騎士になることには反対だったの。

 それどころか、勝手に縁談まで進めてさ。ジーク様のことだって、結局憧れてるだけだもん」


「ローシャさん……」


 ローシャさんは、グラスを両手ではさむようにして、揺れる氷を見つめている。ローシャさんはローシャさんなりにいろいろあるんだろうな、と私もカクテルを一口飲んで口を閉じた。


 ……あれ、これ、本当に果実酒リキュールの割合が多い。ほとんど原液のような……。


「ほんと、コレットさんがうらやましい。

 それから今日のこと、ごめんなさい。もっとちゃんと冷静に判断できる騎士になれるよう、がんばるから」


「はい」


 答えながらも、私は頭がくらくらしてくるのを感じた。

 あ、だめ。飲みすぎてる。


「分隊長殿の怪我が治るまでは、わたしがちゃんとお手伝いするから」


 えっ

 それはっ


「それはだめっ」


「は?」


 私は、テーブルにばんっと手をついて立ち上がる。とたんにくらりと体が揺れて、へなへなと椅子に座り込んだ。


「お手伝いはだめです~。ずるい~」


「でも分隊長殿、不便でしょ」


「でもだめ~」


「別に水浴び手伝うわけじゃないわ。そりゃ、いい筋肉からだだなぁとは思うけど」


「そっ」


 それは、のぞいたということでは? さっきのぞいてないって言ったのに!


「え? あれ? ふふふ」


「ふふふ、じゃないです!」


「いやぁ、筋肉美というものがあるでしょ。女の私ではあそこまでは無理だけれど、あれは理想よねぇ」


「あれとかあそこまでとか言われてもわかんないもん……」


 見てないし。

 この間抱っこしていただいて、か、感触はわかるのだけど。


「ローシャさんのいじわる……。クラウス様の馬鹿……」


「あら? コレットさん?」


 くらり、くらくら。視界がゆがむ。


「もう、なんで教えてくださらないの……。私、いつでもお手伝いするのに……」


「手伝いといっても、宿舎の中だから、無理だよ」


「そうだけど、そうだけど……」


「分隊長殿も、きっとコレットさんに心配をかけないようにって。あぁ、ごめんなさい、元はと言えば私が悪いんだけど」


「訓練中の事故だって聞いてます。それは仕方のないことですからいいんです。それよりも、クラウス様……。なんで女性にお手伝い頼むの……。分隊には他に男の方がいっぱいいるのに……」


 私は、グラスに残ったカクテルを一気に流し込む。

 うぅ、やっぱりこれ濃い。でも、いいんだ、今日はもう飲んじゃうんだからっ。

 クラウス様の馬鹿っ、もう、嫌いっ


「その、コレットさん。手伝いはわたしが買って出たわけで、別に頼まれたわけじゃ」


「いいんですっ 頼んだんじゃなくても、そのまま手伝ってもらって平気でいることが問題なんですからっ」


「いや、平気っていうか……。コレットさん、まだ飲むの? そろそろやめておいたら?」


「なんでですかっ

 さっきまでは飲め飲めって言ってたのに!」


「そ、そうだけど、明日もお店あるんでしょ?」


「明日は定休日ですっ」


「あ……そう……」


 私の勢いに押されたローシャさんが、黙り込んでカクテルを口に運ぶ。沈黙が下り、しばらく私たちはそれぞれのグラスの中を空けるのに時間を費やした。


「じゃ、あの、わたしはそろそろ」


 グラスが空になったローシャさんが立ち上がる。


「お帰りになるんですか? なんで?」


「なんでって」


「帰っちゃ嫌です、ローシャさん。もう少し飲みましょう。ジーク様のお話も聞きますから」


「ジーク様のことはいいよ。わぁ、ちょっと困ったな。わたし、また何かやっちゃった? ううう、騎士失格……」


 ローシャさんが、よよよ、と嘆きながらテーブルに手をつく。

 私は、その手をつかんで、ローシャさんを引き留めた。


「ゆっくりなさっていってください。なんなら泊っ」


 泊っていかれても。私がそう言いかけたとき、

 リンゴーン

 裏口のドアベルが鳴った。






*****






 迎えがいるだろう。

 そうエメリッヒにいわれ、二人でコレットの店に行くことにした。あの新入りが、彼女に迷惑をかけていないといいのだが。


 リンゴーン

 すでに店は閉まっている時刻だったので、裏口のドアベルを鳴らす。

 もう何度ここを訪れたことか。


 ドアベルを鳴らしてさほど経たないうちに、中からドタバタと足音がした。コレットはそんな歩き方はしない。ならばローシャか。


「はい、どなた……。

 分隊長殿! 補佐官殿! 助かりました。というか申し訳ありません!」


 飛び出してきたローシャが、地面に頭をこすりつけんばかりの勢いで謝罪の言葉を口にする。


「……どうした」


「いえ、あの、ちょっと二人でお酒を……。それで、たぶん、わたしいろいろしゃべっちゃって……。あの、でも、コレットさんは噂通りお優しい方ですね。わたしの昼間の無礼をすぐ許してくれたんです。けどそのあと、あの、その」


「はっきり話せよ。具合でも悪くなったのか?」


 要領を得ない様子のローシャに、エメリッヒが苛立ったように言う。

 ローシャの顔も赤い。二人で酒を飲んでいたというのは本当らしい。

 

「いえ、具合は悪くは」


「ローシャさん~」


 ローシャが何か言いかけたとき、奥からコレットの声がした。首をめぐらせると、奥のほうからひょっこりと顔をのぞかせていた。


「あっ、クラウス様」


 俺に気付いたコレットが、驚いたような声をあげる。そして、


「クラウス様の馬鹿っ」


と言って顔をひっこめた。


「馬鹿? コレットさんが、分隊長に?」


「……すすす、すみません……」


 ローシャが体を縮ませる。

 なるほど、これは珍しい。コレットも酔っているようだ。


「ローシャ。おまえは宿舎まで帰れるか?」


「は、はい。でもコレットさんに引き留められてしまって」


「む。エメリッヒ、おまえはローシャと帰れ。俺はコレットの様子を見てから戻る」


「わかりました。

 くす。戻って来なくてもいいですよ?」


「……戻る」


 からかうエメリッヒをにらみつけ、ローシャを帰す。ローシャの足取りはかなりあやうく雰囲気も普段と違うことから、相当飲んだことがうかがえた。






「コレット?」


 裏口を後ろ手で閉め、家の中に足を踏み入れる。確か、さっきは店のほうから顔を覗かせていた。そう思って奥へ行くと、コレットがカフェコーナーのテーブルにつっぷしていた。

 テーブルの上には二つのグラスがあり、そのまわりにはたくさんの空き瓶があった。これを全部二人で飲んだのか。


「コレット、大丈夫か」


 肩に手を置き、軽く揺すってみる。コレットは「んん」と小さくうめいて、のろのろと顔を上げた。


「クラウス……様?」


「あぁ」


 先ほど会っているはずなのに、コレットは今初めて会ったような顔をする。やはりかなり酔っているようだ。先日自分もコレットの前で醜態をさらしたばかりだから、おあいこというところか。


「お怪我は……大丈夫ですか?」


「大丈夫だ」


 俺はコレットの隣に座って左手を差し出し、手の平を閉じたり開いたりしてみせた。実際、もうほとんど治っており、コレットの見舞いもいらないほどだった。

 それを言うと、コレットは、


「そうですよね。私のお見舞いなんていりませんでしたよね」


と言って口をとがらせた。

 心配をかけてすまなかった、そういうつもりで言ったのだが……。コレットは怒ってしまったようだ。なぜだ?


「お怪我をしたことも教えてもらえなくて。

 ローシャさんにお世話してもらって。

 私なんて、いらないんです。もうっ クラウスさまの馬鹿っ」


 ぷいっと、コレットが顔をそむける。

 コレットがいらないなんて、そんなわけはない。何か彼女は誤解をしているのではないだろうか。ローシャのやつは、何を話したのか。


「別に。怪我をなさったクラウス様のお世話をしてたとか、騎士としての日常を学ぶため、クラウス様と一日中ご一緒だったとかいう話です」


「それが、何か?」


 問題があるのだろうか。ただでさえうっとおしかったローシャが、責任感からさらに身の回りをうろちょろするようになって俺が迷惑だったということ以外に、コレットに関係があるとは思えない。


「もうっ」


 コレットが頬をふくらませる。そんな仕草にすら笑みを誘われるが、長年使われなかった頬の筋肉は、ほとんど動くことはなかった。


「すまん、わからない。何を怒っている?」


 尋ねながら、おそるおそる彼女の髪に触れる。もう何度かこうした触れ合いを繰り返してはいるものの、そのたびに動悸がしてぎくしゃくとしてしまう。


 触れたい、と思う。けれど、どこもかしこも小さくて華奢なコレットは、不用意に触れると壊れてしまいそうだった。


「怒ってなんて、いません……」


 コレットは、髪に触れた俺の右手に、頬をすりよせる。しっとりとした肌は酒のために赤らみ、熱を帯びていた。


「もう、わかってくださらないんだから。クラウス様、嫌い……」


「!」


 コレットの口から滑り出た予想外の言葉に、腹に冷たく重い石を押し付けられたような気分になる。

 

 馬鹿の次は嫌いとは、俺はコレットに何をしたんだ?

 背筋を冷や汗が流れ、手の平が汗ばむ。

 コレットは、そんな俺の状態を知ってか知らずか、俺の手に自分の手を重ね、目を閉じてさらに頬を押し当てるように体重を預けてきた。


(嫌いといいながら、これは……。どうすれば……)


 混乱状態に陥った俺は、どうすることもできずに固まる。

 今までの人生で、こんなに次の行動に困ったことはない。魔獣との戦闘で一瞬の判断で生死が分かれるというときでさえ、今より迷いはしなかった。


「……」


 片手で、コレットを支える。たとえ彼女が全体重をかけたとしても、俺にとっては鳥の羽根ほどにしか感じない。それよりも“嫌い”という言葉が重くのしかかる。


「その、コレット」


「はい」


「……」


 濃褐色ブラウンの瞳がゆっくりと開かれ、俺を映す。俺は、コレットに呼びかけたものの何と続けたらいいかわからず、まだ黙り込んでしまった。


「クラウス様?」


「い、いや……。もう遅い、から、帰る。君も早く寝るように」


「えっ」


 だめだ。

 これ以上コレットの前にいることは耐えられない。心臓が持たない上に精神の消耗が激しい。明日、コレットが正気に戻ってから、改めて訪ねよう。そして“嫌い”の真意を確かめるのだ。


 俺は、そう決めて立ち上がろうとした。するとコレットはがしっと俺の腕をつかみ、


「だめっ」


と叫んだ。


「だめです、クラウス様。帰っちゃ嫌です」


「コレット、しかし」


 俺のことが嫌なのだろうとなおも帰ろうとすると、コレットは急に泣きそうな顔になって俺の首にしがみついてきた。

 突如甘い香りに包まれた俺は、中途半端な姿勢のまま硬直する。


「嫌いなんて言ってごめんなさい。嘘ですから……」


 コレットが耳元でささやく。さっきも困ったが、これはこれでまた困る。


「クラウス様……?」


 返事をしない俺に不安になったのか、コレットは少し体を離して俺の目をのぞきこんできた。


「あの、本当にごめんなさい。つまらない焼きもちなんて妬いて」


「焼きもち?」


「その、お怪我をなされたクラウス様を、ローシャさんがお世話していると聞いて、いいなぁって……。ご、ごめんなさいっ」


 コレットの頬が、かぁっと染まる。


(あぁ、そうか。ローシャに焼きもち……。それで“嫌い”か)


 本当に嫌われたわけではなかったのだ。むしろその逆だ。

 俺は、俺の胸にすがって縮こまるコレットにそっと手を添えた。


「安心した」


「安心?」


「君に嫌われたのかと思って」


「そんな……!」


 慌てた様子のコレットを、今度は力を込めて抱きしめる。

 本当に、安心した。そして彼女の一言にこんなにも振り回される自分に気づき、可笑しくなった。


「まいったな」


 くくっと喉が鳴る。コレットと出会ってからというもの、今まで知らなかった感情が次々と芽生える。

 騎士としてあるべき姿だけを追い求めていたころには、想像もつかなかった感情だ。

 もちろん人並みに喜怒哀楽はあるつもりだが、その振れ幅は小さかったように思う。それが表情にも影響し、無表情だ、無愛想だと言われて他人に怖がられていた。唯一遠慮なく話しかけてくるのはエメリッヒくらいで、分隊員たちですら、以前は遠慮がちだった。


「コレット。君のおかげで……」


 俺の世界が変わった、と言おうとして、腕の中のコレットがぐったりしているのに気付いた。しまった。力を入れすぎたか?


「コレット、コレット!」


「ん……んん……。え、クラウス様?」


 コレットは、俺を見つめるととても驚いた顔をした。そう、それはまるで今俺がいることに気付いたかのようで。


「酔っているな」


「酔ってなんか……。あら? ローシャさんは? ローシャさん~」


 コレットが、俺の腕を振りほどいて、ローシャを探すようなそぶりをする。しかし腕を緩めた瞬間、コレットの足がもつれて倒れそうになった。


「危ない」


「あ、ありがとうございます。え? クラウス様?」


 まただ。これは明日俺に会ったことを覚えているかどうかすら怪しい。


「……もう寝た方がいい」


「はい、寝ます。おやすみなさいませ」


 ぺこりと頭を下げたコレットは、やけに素直に二階に上がって行く。それはいいのだが、ここの片づけ、は明日は確か定休日だったからいいか。裏口の鍵は……。


「コレット、鍵は」


 どこにある、と尋こうと後を追うと、コレットは階段の途中で崩れ落ちるように寝てしまっていた。これはいくらなんでもそのままにはしておけない。

 俺はコレットを寝室に運び、なんとか鍵の場所を聞きだして施錠をする。外から施錠したため、鍵を返す手段がない。明日にでも届ければいいかと考え、俺は空が白み始めたティル・ナ・ノーグの街を、一人宿舎に向かって歩いた。






「で、合鍵を手に入れた、と。分隊長もなかなかやりますね」


「……違う」


「何が違うんですか。返しにいったら、持ってていいって言われたんでしょ?」


「……」


 たまたま着替えのときに、上着の隠しに入れていた鍵を落としてしまったのが運のつきだった。

 目ざとく見つけたエメリッヒにどこの鍵かと問われ、不承不承しゃべらされた。


「いいなぁ。着々と進んでらっしゃるじゃないですか。今日も夕飯ご馳走になりに行くんでしたっけ?

 街の占い屋が、夕方から雨って言ってましたよ。本降りになったら朝まで帰って来なくていいですからね」


 雨?

 雨など降りそうもない空模様だ。占いなどはずれることのほうが多いだろうと、俺は高をくくって雨具を持たずにでかけた。

 しかし、今日の占いは当たったようで、コレットの部屋でくつろいでいると、雨の音が聞こえ始めた。


 サー……


「あら、雨?」


 俺の隣に腰かけ、手元のノートをのぞきこんでいたコレットがつぶやく。


「……珍しいな」


 常春の国、ティル・ナ・ノーグに雨が降るのは珍しい。とはいえ、降ってもすぐ止むのが常であるから、今日の雨もしばらくすればやむだろう。

 コレットが、俺の肩にこてっと頭をあずける。俺は柔らかな髪を一撫ですると、動悸をごまかすようにぱらりとノートをめくった。


 果実を煮る甘い香りがただよう部屋の中に、穏やかな時間が流れる。


 雨がやむまで、もう少しこのまま……。






 温かな雨は、人々を包み込むようにその後しばらく降り続いた。








 ~Fin~






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